第20話 ページ~ユキ
昼休みにトイレに行こうとした。その時、無理矢理アイラが外に出てこようとしているのが分かった。珍しいと思い、でもさすがに学校でアイラが出るのはホタルが止めてくれるだろうと踏んでいたら内界に戻された。意味が分からない。
内界の中でホタルを必死で探したけど内界の家の中にはいなかった。あたしの力じゃアイラを内界に戻せない。人格の力は基本的に産まれた順番で決まる。あたしはアイラより後に産まれた。対抗できるのはアイラと同時期に産まれたホタルだけなのに。肝心な時にいないのは保護としてどうなんだ。そう一人で怒りながら内界から外の様子を眺め、そして青くなった。
アイラがソウタと話していた。
やっと外に出れるようになった時にはワンコが「お幸せに」と手を振っていた。
ワンコが去っていく。隣に立っているソウタを見る。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……あのさ」
「うん」
ソウタが頷く。
「これ、マズイよね」
「いや……そう、だね」
「何でアイラを戻してくれなかったの?」
ソウタに詰め寄る。ソウタが勢いよく両手を振った。
「俺だって、いきなりアイラが出てくるとは思わなかった」
「人格の名前を学校で言わないで」
「……ユキがアイラって言ったんじゃないか」
「ユキって言わないで。前にも言ったよね」
「そんな事言ったら、何も説明出来ないじゃないか」
「うるさい。もう、何か。本当信じられない」
目を伏せる。泣きたくなる。何で最近うまくいかないんだろう。ソウタを見る。まだ困ったままの表情をしている。苛立ちがぶり返してきた。
「せめてさ、人目がない所に誘導するとか。やり方があったんじゃない」
「そんな余裕ないよ」
「どうして?」
「大きな声で話すから、周りに注目されてると思うと、その……下手に動けなかった」
「何それ」
「アイラにはユキに代わるように何度もお願いしてみたんだけど」
一瞬だけ、あたしに目線を送る。自信がないソウタの目線に軽く頷いてみせる。
「そんなの知ってる」
「分かっていたなら、何で出て来なかったの?」
「出て行きたかったの」
「じゃあ、何で?」
「無理に決まってるでしょ」
ソウタが「無理?」と疑問を口にし、それに説明するのが面倒臭くて、あたしは肩を落とした。
ああ。と思った。感覚がなくなりそうになる。
「誤解されたよね」
心で呟いたのか、実際に口で呟いたのか自分でも分からなかったけどソウタが「たぶん誤解していると思う」と答えてきた。
「だよね。……それにさ。廊下で話していたから他の人からも噂されるよね」
「たぶん」
「……ワンコ、嬉しそうにしていたね」
「……うん」
「どうしよう」
「……何か。ごめん」
謝られた。
返事をせずに脱力感の詰まった体を引きずり教室へ向かう。後ろからソウタが微妙な距離感でついてくるのが分かった。
「ワンコに俺から誤解だと説明しようか?」
「いい」
首を横に振る。ソウタが説明すると余計に事態が悪化しそうだ。それにさっきのワンコの態度を思い出してみてもワンコは私達の仲をそういう関係だと信じている。「お幸せに」と言っている事から祝福はしている。それが不幸中の幸いなのか、不幸なままなのか。
教室のドアを開ける。ビックリ箱のようにバネ仕掛けの好奇の視線が勢いよく飛び出してくる気がした。心臓がうるさくなる。ワンコを見る。あたしに手を振っていた。
「もう先生来ちゃうよ」
周りにヒマワリでも咲きそうな明るい笑顔。つられて「ギリギリ間に合ったね」と笑顔で返すけど自分でも分かっている。きっと上手に笑えていない。少し遅れてソウタが教室に入ってきてワンコが「うふふ」とおばさんみたいな声を出す。一緒にワンコの髪も揺れている。ありきたりな恋愛ドラマを観ているような反応だ。喜んでいる。
ソウタはあたしと目を合わせないように不自然なくらい真っ直ぐ向いたまま自分の席につき、周囲の男子から絡まれ、小突かれていた。
内容が気になった。振り向いて会話を聞こうとすると先生が欠伸をしながら足音を立てて教室に入ってきた。
「眠いだろうし、嫌だろうが午後の授業を始めるぞ」
間延びした声で教壇に立ち、教科書をめくり始める。何も机の上に出していない事に気付き、急いで授業で使う物を並べる。ノートを出し、黒板の文字を映しながら現実を整理する。
多数の人に見られていた。
学校の廊下の真ん中で。
ソウタに幼稚な事を大きい声で言って、甘えていた。
誰が見ても、そういう関係だとみんなに宣言しているようなものだ。
指に力が入る。広げたノートに皺が出来る。
だいたいアイラは内界の部屋からほとんど出て来る事はなかった。なのに何でいきなり外に。しかも男のソウタの前に? ハヤマの時は泣いていたはずなのに。トラウマのせいで男に近付かれる、体を触られるのが怖かったはずだ。だけどソウタには甘えている。何でいきなり平気になった?
せっかくあたしが作った居場所なのに。ホタルもアイラも勝手過ぎる。アヤの代わりに一番長く生活しているあたしの事を適当に扱い過ぎじゃないか。
怒りで呼吸が早くなり、ちょっとしてから不安で息が詰まる。周りの目が気になる。みんな、心の中では何て思っているのだろう。
みんなにも内界があればいいのに。もしそうならきっと今回の事も「よくあるよね」と笑い話で終わるのに。
授業の音が雑音となって耳に届く。先生の言っている事が良く分からなくなる。自分でノートに書いている文字も知らない記号に見える。
孤独を感じていた。
薄いガラスがあたしの周りを囲んでいるようだった。
くすくすと笑う声が聞こえる。辺りを見回す。
誰もあたしを見ていない。
誰かがあたしを笑っているわけじゃなかったみたいだ。みんな、黒板と手元を繰り返し往復して授業に集中している。気のせいかと安心し、自分のノートに目を落とし、息を止めた。
本当はホタルもアイラも、そしてアヤも邪魔なんでしょう?
見慣れない文字でそう書いてあった。
慌てて消しゴムに手を伸ばす。力を入れて消す。力を入れ過ぎてノートが破れてしまった。泣きたくなった。くすくす笑う声がまた聞こえる。
全部消せたらいいのに。
そう思った。何を消したいのかは考えないようにした。あたしはユキだ。アヤの代わりに生きている。それ以上でもそれ以下でもない。手が勝手に動く。破れたノートの端に文字がまた書かれる。
あなたの本当の願いは?
手が止まる。手を握って開き、自分の意思で動く事を確認する。消しゴムを触る。消そうと思い、迷い、思い切って次のページを開いた。真っ白なページは前の汚れたページと違い、無機質で綺麗だ。
授業は続いている。偽物みたいな現実な時間が流れている。その空間であたしは普通の生徒を演じている。汚れたページを捲ったあたりから、笑い声の幻聴はしなくなった。単なる偶然だとは思う。でも、あたしはそれが何かを暗示しているような気がして仕方がなかった。
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