第9話 慣れと効率~ソウタ
通算でバイトを一週間も続けると、何となく仕事の流れが分かってきた。流れが分かると、自然と頭の中で効率の良い順番で仕事を組み立てられるようになる。
ソウタ君は飲み込みが早いね。と言われる回数も増えてきた。何故かおばちゃん店員から良く話し掛けられ、ちょっとしたコツも色々教えてくれるが、肝心のアヤとは、あまり話せていない。
アヤも俺も学生の為、自然と土曜日と日曜日にバイトする事が多く、会う頻度は高いのに挨拶程度の会話で終わっている。予想はしていた。密かに落ち込んでいるけれど。
ハヤマさんという店員だけは、「仕事が早ければ良いわけじゃねぇからな。大事なのは心なの。分かる?」とか睨みながら指導してくるくせに、客が帰った後に「今さら、あんな映画借りるなんて遅れた客だな」と目を細めて言うので良く分からない。
バイトに来た初日も、値踏みするように俺の体を全身見回しながら話し掛けてきた。
「お前、アヤちゃんと同じ学校なんだって?」
「あ、はい。同じ学校というか同じクラスですけど」
「あ、そう。仲良いの?」
「え?」
「同じ学校で同じバイトしようと思ったんだろ? 付き合ってんの?」
「いえ、どちらかと言うとあまり話さない方ですね」
それまで威嚇に近い顔つきだったハヤマさんが、急に輝いた。
「ああ。お前、イケてないグループか。まぁ、そうだよな。せめて一緒のバイトで思い出作りたいよな」
分かるような、引っかかる言い方だ。
「ああ、まぁ」と無難に返事をすると「高望みしない方が身のためだぞ」凄んできた。
後で分かった事だがハヤマさんは問題児らしかった。今までも若い女の子に絡み、それが原因で辞めた子もいるらしい。当然、アヤにも良く話し掛けていた。アヤは気の毒なくらい苦笑いを浮かべていたが、ハヤマさんは気にする様子がない。ある意味、感心するが見習いたくはない。
ワンコに言われていたアヤの用心棒の役割は正直、真に受けていなかった。望まれていないのに、そんな態度を取ってもアヤとの距離が開くのは分かりきっていた。
ただ、そうもいかなくなってきた。
ハヤマさんのアヤへの絡みがひどくなってきた。
開店前に店内の掃除をする時は、必ずアヤの側でデートの誘いをして、アヤが移動するとハヤマさんも磁石のようにくっついて動いていた。残念な事にハヤマさんは、自分が休みの日でも勝手に出勤してはアヤを見つけて上機嫌になっていた。そのおかげでバイト中に何回かアヤに「大丈夫?」とか「疲れてない?」とか聞く機会は出来た。その度に背後で舌打ちをする音は聞こえていたから、もしかしたらそれが原因の一つだったのかも知れない。
ある日、また休みなのに出勤してきたハヤマさんがアヤを連れて店内のトイレへ入って行った。途中「トイレの物品補充、手伝ってよ」とわざとらしく言っていたのが嘘くさくて、俺の不安を募らせた。
自分の持ち場の掃除を高速で終わらせ、トイレへ向かう。まさか店内で変な事はしないだろうと考え、でもハヤマさんだから。と不安が募った。
トイレの前に立つ。会話をしている様子はある。うまく内容が聞き取れない。ドアをノックしようと手を構える。
中から泣き声がした。
嫌な予感しかしなかった。反射的にドアを開ける。最悪な妄想が脳裏で早送りで再生され、その妄想が現実になっていない事を願い、アヤ。と叫ぶ。
アヤは泣いていた。
最悪な現実になったと思った。
アヤは頭を両手で抱え、体を前屈みにし、小刻みに震わせ、鼓膜を突き刺す声で泣いている。
小さい子みたいだ。何かから身を守ろうとしているかのような体勢のまましゃがみ込み、嗚咽を漏らし泣いている。
ハヤマさんが俺を見つけ、俺とアヤの顔を順番に振り向き、「ちょっと」「なんで」「キスしようとしただけじゃんか」と独り言か、言い訳なのか分からない呟きをばら撒いている。
アヤは泣き続けている。頬から指へ涙が垂れ、床に落ちていく。
時々、手の甲で溢れる涙を拭いて、顔を歪ませている。その表情には恐怖が濃く映っているように見えた。
ハヤマさんはまだ行動を決められないのか、俺に数回視線を向け「いや、違うから」と聞いてもいない返答を呟き、「どうした?」と遠くから店員が近付く音に素早く反応した。
「そういえば」と明るい声を上げ、
「俺、用事あるんだったわ。もう帰らないと」
棒読みで俺の肩を叩き、トイレから出て行った。
アヤは泣き続けている。
「アヤ?」と声を掛けようとし、思ったより擦れた自分の声に唾を飲み込む。飲み込んだ後に言葉を探し、どう慰めればいいか分からず、その場で止まってしまう。
アヤの肩が揺れている。細い肩が震えている。綺麗で、壊れそうで、何とか力になりたくて。
――その時アヤが動いた。
静かに。耳鳴りになりそうな泣き声も突然止めて。
流れるように立ち上がる。
アヤがゆっくり瞬きをする。俺を見つけると口を開いた。
「どうしたの?」
嘘も強がりも込められていない自然な口調に思わず「いや」と言葉を濁す。
「何か声が聞こえたから」
「声?」
「何か泣いているような」
言葉の最後はほとんど聞き取れない小ささになってしまった。アヤの眉間に皺が寄る。
「泣いてないけど」
「え?」と答える。俺の背後に他の店員が到着し、「何かあった? 大丈夫?」と一方的な心配の押し付けをしてきた。
アヤは店員の言葉に自動的に営業スマイルを浮かべ「大丈夫です」と断定する。
「そうなの? 開店時間近いよ。何かトラブル?」
「いえ、何も」
アヤが営業スマイルのレベルをもう一段階上げた。
「本当?」
店員に聞かれる。
「何と言うか、その、まぁ。はい」
後頭部を掻き、アヤの無言の圧力を感じながら歯切れの悪い返事をする。店員は「そうなの?」と再度俺とアヤを見つめ、鼻穴から緩やかな息を長めに出し「何があったかは知らないけど開店前に余計なトラブルは起こさないでよ」こちらに背を向け「あ、そういえば」と振り向いた。
「ハヤマ君いないね。何か知っている?」
俺が口を開く前に「いえ、分からないです」アヤが答え、俺を視線で縫うように見つめてくる。
何も言うな。
そういう意味なのだと自分の中で解釈し、アヤへ微かに頷く。騒がれても面倒になるだけでアヤの為にならない。
店員は「だよね」と言葉の意味とは裏腹に頭を傾け、去って行った。
「大丈夫?」
店員の気配が完全に消えた後でもう一度確認する。
「何が?」
「何って。平気なら良いんだけど」
「うん、平気だよ」
アヤの返事は軽い。
「それより今何時?」
未消化の気持ちが腹の底で居心地悪く蠢いている。アヤにもうすぐ開店時間になる事を伝えると店内に早足で戻っていった。仕方なく俺も自分の持ち場に向かう。
今日の持ち場は、アヤはカウンター担当で、俺は返却されたDVDやCDを棚に戻す作業から始めていた。作業を消化している間にもアヤが気になり、盗み見るように視線を送ってしまう。客に頭を下げ笑っているアヤ。いつも通りの姿だ。カウンターには他の店員も立っているが、アヤの所に客が多く並んでいるのもいつも通りだ。
ハヤマさんが怖くて泣いたのか? アヤは、泣くときはいつも子供みたいに声を上げて泣くのか? それともハヤマさんを帰らせる為に泣いたふりをしたのか?
泣いていないと嘘を吐いたのは何でなんだろう。単純に、俺に関わって欲しくなかったのだろうか。意味不明だ。
疑問が泡のようにふわふわ浮かび、あっけなく形を崩して消えて行く。目の前で見たのに、夢でも見ていたような気分にもなる。
軽い乾いた音がした。思考を中断して焦点を合わせる。「すみません」と頭を下げ、アヤが落とした商品を拾っていた。その指が小刻みに震えている。
絶対、大丈夫じゃない。と思った。
店員に、用事があるのでバイトの時間を早めに上げてもらう事をお願いに行った。アヤと同じ時間にバイトを上がろうと思った。店員からは、そういう事は事前に。とごもっともな事を言われたが、今日は店員の人数が多いわりに店が混んでないせいか許可してくれた。
持ち場に戻り作業を再開する。アヤの様子を確認する。変わらず客の相手をしている。その目は客を見ているようで、どこか遠くを――。もっと詳しく言えば現実ではない、どこか違う世界を見ているような虚ろな目をしていた。
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