第60話 ブラッディ・ドラッグ4

 気分が乗らないなと、雨粒が落ちる空を見上げて、香奈子かなこはぼやいた。冷たい雨は体温を奪い、人の行き来を失くすが、遊園街全域においては寒さを伴った熱さなんていう、曖昧なものが空気に混ざっている。

 リスディガはその空気の中で、妙に落ち着いていた。

「掃除ってのは――ま、必要なんだろう。必要だが、相手によりけりだ」

「嫌なのか、ねえさん」

「はっきり言えば、そうだ。けどまあ仕事だ、とりあえず挨拶してから〝屋台崩し〟な」

「諒解、なんとか合わせるから、とっとと終わらせましょうよ。寒いし」

「ああ?」

「なんでもないっす」

「こうやって私が悩んでるんだ。そこですぱっと、相手を殺して生かす方法を考えて助言したらどうなんだ? あ?」

「機嫌わりー……」

「うるせえな。ただでさえ、親父に呼び出されたんだ。機嫌くらい悪くなるだろ」

「ああ、そういえばそうか」

「知ってんじゃねえか!」

「いてえ殴るなよ!? 柴田からのリークだからそっちに言え!」

「一応こっちは隠してんだよ馬鹿。おら行くぞ間抜け」

「へいへい」

 六階建てのビル、コンクリート造り。一階側面、四メートル幅の道路にて、踏み込みは同時、まさしく同調シンクロしたかのよう右足から。軽い腰の捻りと共に、左腕が上がり、右腕は真下へ落ち、そのまま直線で左足が放たれ、爆発音と共に壁が壊れた。

 しかし――。

「騒ぐな」

 大声を張り上げたわけでもなく、ただ静かに通る声が発せられ、騒ぎにはならない。へえと思いながらリスディガは中に入り、椅子に座った男と目線を合わせた。

 ――強い。

 印象はシンプルだ。

 鍛えられた躰は絞られており、だが、いささか筋肉トレーニングに偏っているのか、実戦的な肉のつき方ではない。戦闘面ではそこそこだろうが、そういうことではなく。

 この状況で落ち着いて座っている。怯みもない、かといって挑みもない。きちんと受け止めているこの男は、強いと、そう思う。

 男ならこうありたいものだと、そう感じるほどである。

「――よう、ハウゼル」

「香奈子か」

 取り巻きは八人だが、まだ上にもいる。地下はないようだが、リスディガは頭を掻くようにして香奈子を前へ出す。

 言っては何だが、彼らでは相手になりそうにない。

「お前が来るとはな……」

「掃除は昨日のうちに事前通達あったろ。――なんで逃げない」

「二度目だ、香奈子」

 ゆっくりと立ち上がったハウゼルは、青色の瞳をこちらへ向ける。

 やはり、強い。

「一度帰って、戻った。二度目にはもう、帰る場所も、戻る場所もない」

「プライドか」

「いいや、ことわりだ」

「ったく……」

「他所の詰め所に、同意しなかった者は集めてある。せめて加減してやってくれ」

「まずはてめえの心配だろうが!」

「――すまんな」

「謝るなクソッタレ。……ああクソ、同じ土俵でやり合ってるお前らじゃなく、クソみてえなヨーロッパ連合の間抜けを相手にしたかった」

「仕事だろうが、香奈子」

「わかっている。だが最後に答えろ。薬のシノぎは出してねえな?」

「ない」

「だろうな。なら、――死ぬなよハウゼル。神に祈ってでも」

 初動。

 相手が身構えた瞬間にはもう、振り上げた左足が二つ、リスディガと共に床へと振り下ろされた。

 その振動が、ない。一瞬の無音が発生した瞬間にハウゼルは叫んだ。

「――散れ!」

「おせえよ」

 ビルの柱、主要二ヶ所をその時点で蹴って壊した二人は、左右に飛んで窓ガラスを割るよう外へ。その勢いを真上へ転換させて、一気に屋上まで駆け上る。

 上空、前方宙返り、やはり同調シンクロするよう、屋上の床に踵を叩きつける――。

「……チッ、一丁前に読みやがって」

「屋台崩しなら上から下からってのが、一番楽だって教えてくれたのは姐さんでしょうに。いちいち階ごとに柱を潰すより簡単だ」

 ずしんと、振動が足元から伝わってくる。階下から崩壊が始まるのだ。

「あいつ、逃げますかね」

「馬鹿だから逃げねえよ。ただ、生き残ろうとは、する――いや、して欲しいな」

「願望込みじゃないですか」

 足場が斜めに崩れ、歩幅を考えながら周囲を見て移動しつつ、完全に落ちる前に地面へと飛び降りれば、三メートルの落差。

「おーおー、崩れる前に出れたのが数人いるな」

「追撃はしなくても良いですよね」

「向こうがやる気ならべつだ」

「なるほど」

 この短い時間であっても、彼らへの評価が高いのもわかってくる。

 彼らは銃を抜かなかった。

 抗争ではなく掃除であることを理解し、戦闘ではなく抵抗を選び、そこに少しの諦めも混じった死を覚悟した雰囲気。やや遠くで鳴り続ける銃声は、こちらに届かない。

 瓦礫の山を前にして。

 数人の男たちは、クソッタレと毒づきながらも、中の人を助けようとしている――。

「――なんで」

 背後、まだ若い風貌の男がやってきて、あろうことか香奈子の胸倉に掴みかかった。

「なんで! ――こんなことになっちまうんだ……」

「ハウゼルが余所に逃がした人員か。……こうならないよう、ハウゼルは動いてたんだろうにな。まったく、運がない」

「運だと? そんなものが理由になるか!」

「なるんだよ間抜け。経験、技術、行動、だがその結果を左右するのは、結局のところ運だ。特に生きるか、死ぬかは、その一つで決まる。覚えておけ若造、現実にビビって八つ当たりする前に、やることをやって感情を飲み込め。口から出る感情ほど、弱くなるものはない」

「――っ」

「走れ若造、手を動かす方向が間違ってるだろうが」

「クソッタレ」

「吐き捨てたぶんだけ力を入れろ」

 若造と言っても、リスディガよりも年齢は上なんだろうなと、走り去る彼を見送って、両手を頭の後ろへ。

「姐さんにしちゃ、優しいなあ」

「よほどの不運ハードラックじゃなけりゃ、死人は出てない」

「一応そこら、計算してたもんなあ……けど」

 ビルが一つ崩壊して巻き込まれたのだ。不運なんてのは、そこらに転がっている。

「そろそろ救出部隊を動かすか?」

「もう指示を出した。エリコがルート指定を間違えなけりゃ、無事にこっちに来るだろ」

「病院じゃ今か今かと、怪我人を待ってるでしょうし――難易度は低いが、嫌な仕事だな、こいつは」

「まったくだ」


 銃声が響いている。

 こちらは掃除であると言っているのに、抗争のつもりで戦闘を始めた連中は、その行為でここが戦場になったことには、まだ、気付かない。

 珠都たまつはよく動く。

 上下左右、立体を意識した動きで、しかも立ち止まらない。狙撃への用心もあるだろうが、まるで映画のようなアクションだ。

 つまり、派手なのである。

「こっちは殺し合いだな……」

 屍体の山を作り上げるのは面倒だ。特に、事後処理が手間になる。

「明松!」

「おう」

 弾装が空になったサブマシンガンを放り捨てたタイミングで、行動をスイッチ。二歩、踏み込みによって戦場の内側に入った明松はそのまま、刀を抜く。

 居合い。

 一度で腕が飛ぶ。相手を選んで、時には首も飛ぶ。

 あくまでも、明松は相手を選ぶが、珠都は選ばない。戦場では敵か味方か、その二つしか存在しないし、それ以外の意識をすると死ぬ。

「グレネード!」

 合図と共に、室内に向けて珠都が手榴弾を投げ込む。

 総勢、七十人と少し。熱気に当てられた連中はどう考えているか知らないが、既にトップは殺している。気付いていないのかもしれない。

 遊園街全域を見渡せば、このヨーロッパ系の連中は新興勢力だ。好き勝手にやっていたのを、ある程度は見逃してもいた――が、それは瀬戸の理由であって、柴田たちが気にすることではない。

「まだエンジンかかんねえのかー」

「そうだな」

 遠慮もいらないのだ。

「とっとと終わらせて、高い酒でも奢らせるか」

「おーう」

 慣れている。

 殺すのも、それを片付けるのも。

 そして、片づけた後にどうするかは、瀬戸が考えることなら、仕事はシンプルだ。

「じゃ、やるか」

 刀を手にして、珠都と同じ行動量にしてしまえば、倍以上の負傷者が出る。

 ならば、この局面はただの殺戮でしかない。


 以前、射撃試験で使った部屋にて、無数のディスプレイに囲まれながらエリコは指示を飛ばしていた。

「E-6区域に外出あり、指導に――うぷっ、回ってちょうだい。それからA-2区域はビル崩壊の救援に向かってるから、病院までの経路確保、んぐっ、ん、手配して」

 おえっぷと、胃からせり上がってきたものを、強引に飲み込んだエリコは、背後にいる数人のオペレータが動くのを感じながら、手を動かして全体図との照合をリアルタイムで進行する。

 今日だけで。

 一体、どれだけの屍体が上がるのだろう。

 珠都と明松が向かった場所も酷いが、リゴベルトの方面も気付いたら屍体が出来上がっている。どれもこれも、背後から首を突き刺され、ナイフが正面の喉から見えるようなやり方だ。

 しかも手早い。

 ナイフが突き刺さった、倒れる、その次の光景は突き刺さった誰かだ。

「おえっ」

 餌付く。

 先ほど、胃の中をからっぽにするくらい六十秒だけ離れて、外で吐いたのだが、まだ駄目らしい。

 更生訓練に入る前、一年半以上は遊園街を主体として過ごしてきた。裁判での遊びは最近だったが、金に余裕もあって、遊びながらの生活だ――が。

 こんな裏側があるだなんて、知らなかった。

 もう二度とやりたくないと心底思う。

「ん、ん、――〝夜逃げ〟が二件目、お、送って」

「しょうがねえなあ……」

 隣から声。一瞥を投げれば、オペレータの一人かとエリコは認識する。やや小柄だが女性で、軽く背中を叩かれた。

「深呼吸はするな、口じゃなく鼻で呼吸。短くな」

「え、ええ……おえっ」

「死体を作ってる側は慣れてるが、お前は慣れるなよ。慣れるなんてどっかが壊れちまう。新兵だって、戦場でどうにか生き残ったあと、詰め所に戻れば胃をひっくり返すもんだ」

「……どうして、こんなものに慣れるのよ。信じられないわ」

「いや簡単だぜ? あいつらにとっては、作ってる死体そのものと、自分とが同価値なんだよ。自分がいつこうなってもおかしくない――そう思えてるから、受け入れられる。クソッタレだろ、笑ってやれ」

「う、うぷっ」

「――笑えそうにねえなあ、おい。どうせ胃の中が空っぽなら、終わってから現場を見てこい。そうすりゃ、二度とやらねえって覚悟がマジで固まるから」

「今もう固まってるわよ……」

「経験だ、経験」

 その女性は笑って、今度は軽く肩に手を当てて去っていった。まだ仕事でもあるのだろう。見たことのない顔だったが、疑念は沸かない。気持ち悪さに、出逢ったことすらも忘れてしまい、終わったら見に行かないとな、なんて意識だけが残る。

 ――彼女は。

 そうやって、人に紛れるのだ。



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