第59話 ブラッディ・ドラッグ3
目が覚めれば、だいぶ頭がすっきりしたものの、顔を見せたチェシャに熱があると再び寝かされ、人間用の薬を飲んで強制睡眠に入り、昼過ぎにまた起きれば、空腹を感じて台所へ行って、できあいのものを買ってきたらしく、皆の食事は済んでおり、料理ができるエリコがおかゆを作ってくれた。
「食べたら薬飲んで寝てよ、柴田」
「はあ、そうしないと駄目ですかね」
「ラッコさんに私が怒られるのよ……?」
「見落としたあったので、ちょっと起きていたいんですよ」
「ラッコさーん! 柴田が食事のあとに寝ないとか言ってるからー!」
「賢くなりましたねえ」
「柴田教官殿のお陰です!」
柴田自身もクレイに対して似たようなことをしていたが、言われる側になると、なるほど、頭の一つでも殴りたくなる。腹が立つというより、上手いことを言ってるんじゃないと。
チェシャが降りてきた。
「――なに?」
「チェシャ、この食事を終えたら薬を飲んで寝るので、ゾウさんに血液の施術に関連した術式の中で、異種族の血の構成を含ませる方法を聞いておいてください」
「ああうん」
「それと変異そのものが右腕だけというのが気になります。瑞雪に怪異の痕跡があるかどうか、現地を見てくるように伝えてください。現実と空想の齟齬、そのあたりを着眼するように」
「……」
「それから――チェシャ? どうしました?」
「うん、まあうん、わかったから続けて」
「はあ、よくわかりませんが、この前来ていた執事のシラタマさん、彼の後輩が確か
「それから?」
「ドクの帰宅が二日後だったはずなので、行動を起こすなら考慮を。被害者なのか、自業自得なのかの見極めが、少し引っかかります」
「うんうん」
「最後に、イッカさんに写真を見せてください。念のためです」
「それは何故?」
「闇夜の眷属がここを目指していた理由と、繋がりがあると面倒だからです」
「諒解。わかったから薬飲んで寝なさい」
「……」
「返事は?」
「はあ、わかりました。今日一日休めば、明日は復帰できそうですから」
「よろしい」
「あ、リンナさんは関わらせないように」
「はいはい、おやすみ」
薬を飲んで、しっかりした足取りで部屋へ戻った柴田を見送り、チェシャは吐息を一つ。
「まったく……あ、珈琲がないか。エリコ、お茶ちょうだい」
「ええ。けれど――なにれ、柴田ってそこまで考えてるの?」
「本調子じゃないから、あの程度ね。普段なら全部ひっくるめた上で、言わずに行動してる」
「……何者なのよ」
「クレイの成果。結果を当てるんじゃなく、可能性を潰して結果を得る感じの。状況判断というか、大局観かな」
「頼られるわけね」
「あんたはどうすんの。一応ここにいる連中は、それぞれ手に職を持ってて、その上で柴田の仕事に付き合うってかたちなんだけど」
「え? そうなの? 学生ってだけじゃなく?」
「瑞雪は別だけどね。あれは今、リスディガの扶養に入ってるから。リスディガは警備部の預りで、巡回時のトラブル介入権を持ってるし、夜間の空域確保も任せられてる。たまちゃんは司法部の預りで仕事をきちんとしてるし、特にスピード裁判の解決は的確で評判も高い。もちろん、最終決定権は社長の
「柴田の仕事は?」
「いろいろだけど、上官は
「……」
「なによ」
「ああいえ、経理関連で少しだけ。一応、表じゃ税理士の資格を取得してたのよ」
「そっち方面なら経済部でも即戦力よ?」
「失敗して更生訓練まで受けたから、元に戻ることには抵抗があるわね」
「ふうん? 今の金銭は?」
「訓練中の経費は二割負担で、期間中の給与として貰った金額がそれなりにあるから、半年は生活に困らないと見てるわ。その間に新生活に慣れて、改めて落ち着いてから、遊園街でエロい視線を送ってきた野郎どもを皆殺しにしてやる……」
「いい具合に殺意が混じってる」
「冗談よ」
「知ってる。やる時はちゃんと相談なさい」
「ええ。というか……大学卒業してる私が一番年上よね?」
「おっぱいの成長度合いは一番下で涙が出そう」
「泣いてくれたら感謝する」
「馬鹿ね。――さて、私はお仕事。学園に行かず、気楽なエリコは、暇を持て余して躰を慰めないように」
「しないわよ!」
「はいはい」
柴田の伝言を、それぞれに伝えておこう。杞憂だとは思うが、それを消すのが目的なのだ。面倒などとは言っていられない。
――翌日には、柴田は平時に戻ったが、念のため休みを取って。
その次の日の夕方に、明松から連絡があった。
『よう、万全か?』
「ええ、二日ほどチェシャに休まされたので、問題なく。一応、休んでいる間に打てる手は打ちましたが、そちらにも報告が上がっているかと」
『おう』
「なにか進展がありましたか?」
『最悪の可能性はおそらくない――が』
「ドクが戻ってきてましたね。そちらからなにか」
『何かしらの融合反応を引き起こしたと見てる。いずれにしても薬物の可能性はかなり高い。そこでだ、
「掃除ですか。詳細を」
『ほか勢力を潰す。選択権はやるが、肉屋は忙しくなるだろうな』
「抗争を?」
『いや、抗争ではなく、掃除だ。明日の晩に動くから、お前から通達をしろ』
「――俺から?」
『そうだ。お前がそういう立ち場なんだよ。そもそも、掃除には瀬戸の配下を使わない』
「……、厄介な予感がしますね」
『だろうよ。まず統括室からは俺が出る』
それは、刀を手にしてという意味合いだと、誰でも理解するだろう。それだけで充分じゃないかとすら思うが、そういうことではない。
『司法部からギョク、警備部から
「エリコさんはバックアップですか?」
『情報操作を兼ねてな。期待はしてない』
「それは構わないのですが……」
『なんだ、自分が出ないことに不満か?』
「いえ、そのメンツでしたら俺のやることはないでしょう。そもそも荒事自体が苦手ですからね」
『部外者でいいから、
「わかりました。うちの寮にいる全員に伝えておきます」
『それ以外には俺から通達しておく。質問は?』
「ありません」
『あるだろ馬鹿』
即答があった。柴田の返答もわかっていたらしい。
「……、俺の友人に関して、聞いても良いですか」
『そのつもりで連絡してる。何が知りたい』
「明松さん、あいつを――殺しましたか?」
『否だ、死んでいる』
だろうなと、柴田は苦笑を一つ。
殺したと表現した場合、殺害の意味合いだが、死んでいる場合は主体が変わる。特に、立場を失くした時などに、死んだと表現する場合があるのだ。
「いつですか」
『俺が正しく把握したのは、グレッグが来訪した時だ』
「――」
そんな最近になって、ようやくだったのかと思えば、友人の動きがどれほどのものだったのか、痛感できる。
「何故、その時に?」
『犬なんてのはな、単なる伝言係で動かない。悦さんに逢いに来たというのも事実だろうが、それだけじゃあまりにも仕事が薄い――その繋がりで聞きだした。ツラを見たのか?』
「いえ、厳密にはその後ろ姿です。ただ間違えるはずもありません」
『だったら何を迷う必要がある? 念のため言っておくが、お前は更生訓練を終えてるし、あいつは死んだ。その時点で、これ以上の介入はない』
「そこは心配していませんが……」
『柴田』
「はい」
『失いたくないなら引き留めろ。どうでもいいなら別れろ。それが足りないならお前が殺せ。――
「……」
『返事はどうした』
「諒解しました。素直に、やりたいようにやります。ただその前に、掃除の件を進めます」
『おう、頼んだ』
そこで通話が切れて、大きく吐息を一つ。時計を一瞥して、柴田は夕食の洗い物を片付けてから、瑞雪以外の全員を呼ぶ。何故なら彼女は散歩から戻っていないからだ。
「さて、仕事です。遊園街からの招待ですね――内容は〝掃除〟です」
言えば、ああと、チェシャと珠都は納得を落とした。
「先に通達をしておきます。明日の夜に決行とのことですが、まずは司法部から珠都さん」
「おー」
「警備部からは香奈子先輩とゾウさん」
「お、おう、俺か」
「そして、うちからはエリコさんを出します。あとのメンツは現場で確認するように」
「ちょっ、私なの!? 何するの!?」
「うるさい。たまちゃん黙らせて」
「首の横の太い血管を締めるかー」
言いながらごつんと頭を殴れば、静かになった。
「俺も詳細は知らないのですが、珠都さんとチェシャは知っているようですね」
「以前に一度やったもの」
「明松が統括室に入った直後くらいにな。簡単に言えば他勢力の排除だ」
「ええ、それは聞きました――が」
「明松も出るんだろ」
「そうです」
「基本的には少人数での制圧だ。加減は現場入りした人員に任せられる。逃がさないのも、逃げるのを追わないのも、殺すも殺さないも自由だ。ただし潰す。リスゾウと香奈子が一緒なのは、そういうことだろ」
「あー、やり方くらい覚えておけってやつか。いろんな部署から人員を呼ぶのはどうしてだ? つまり、瀬戸さんの人員は使わないってことだよな?」
「そこな? 遊園街にいるほかの連中と、瀬戸に違いがあるって言えば、そこだろ。加えて、瀬戸は一番嫌な仕事が待ち受けてる」
今度は、柴田とリスディガが納得の声を落とした。
「……え? え? わかってないの私だけ?」
「他勢力の排除をした時に、困るのは誰よ?」
「それは、他勢力と関わってる人たちでしょう」
「それがわかっていて、なんでわからないの? 馬鹿なの? ああエリコは馬鹿だから更生訓練を受けてたんだっけ。その状況で――慌てて飛び出した身内を狩るの」
「あ――」
「でも私は呼ばれなかったのね?」
「ええ、俺も待機です。エリコさんは初仕事ですが、何か質問は?」
「あるわよ」
「現場入りしてからメモ帳にでも書いておいてください」
「あるのよ!? ――あだっ」
殴れば黙る。しかしエリコも馬鹿ではない、三度目を警戒して隣にいる珠都からは少し離れた。今度はゾウムが近くなったが、そちらの方が殴られると痛いはずだ。
「というか、たまちゃんって瀬戸に対して警戒もしないし、強気よね」
「そうか? 初対面の時に、瀬戸の野郎が偉そうに脅しをかけてきてなー」
よくあることだ。今のチェシャはそれなりに対応もできるが、苦手なのは変わっていない。何しろその脅しが、大抵は本気だからだ。
「腹が立ったから思いっきり殴った」
「何してんの……」
「クソ偉そうだったから、本気で屋内戦闘してやろうって六十秒殴り合ったら、瀬戸が降参してなー、それ以来は仲良しだぞ」
「ああ、それが気に入られたのね。続けていたらたまちゃんが勝っただろうって前提も含みで」
「あいつ根性ないよな!」
「殺さないよう加減できるから、ちょっと羨ましい」
できるかどうかは、やってみるまでわからない。そんな前提からリゴベルトに暗殺のイロハを教わったが、それは油断しないよう心掛ける意味合いで、無謀とは縁遠い言葉だ。
つまり。
やろうと思えばチェシャは殺してしまう。相手が遊園街の社長という立場を持っているからこそ、チェシャの手は封じられているのだ。
「必要なら準備を」
「銃器なんかはほぼ使わないから、問題ないぞ」
「俺も
「あの、ちょっと、私。ねえ、私はどうなのよ……?」
「エリコさんはバックアップなので、問題ないですよ。これは俺の予想ですが、遊園街全域に配置された監視カメラの映像を把握する仕事でしょう」
「そ、そう……」
「いくら何でも、前線に出すことはしませんよ」
「それでも、仕事は仕事――そうね?」
「ええ、結果を出すように。あとエチケット袋を用意しておいた方が良いですよ」
「……ご配慮、感謝するわ」
これ以上なく、嫌そうな顔をしたエリコは、そんな皮肉を口にしたが、柴田には通用せず、スルーされた。
「俺からは以上です。屍体に関しては、とりあえず忘れていただいて構いません」
「諒解。じゃ、俺は瑞雪さんを迎えに行ってくる」
「ああ、瑞雪は遊園街で遊ぶ許可を貰っているので、そう伝えておいてください」
「はいよ」
「おーし、じゃあ先に風呂なー」
「どーぞ。柴田、珈琲ちょうだい。まだあるよね」
「はいはい、温め直しますよ。エリコさんも飲みますか」
「ミルク入れてちょうだい……」
「なんだかお疲れですねえ、本番は明日なのに」
「うるさいわよ。――あ、それと、珠都さんはどうにかならないの? ここのところずっと、私のベッドを占領して寝ているのだけれど」
「ああうん、たまちゃんの部屋にベッドないから。そのうち飽きたら、私の部屋か瑞雪の部屋に潜り込むから大丈夫よ。誰かいないと落ち着かないみたいで」
「どうにかならないの?」
「たまちゃんの男を探してみれば?」
「私の男もいないのに!?」
「そんなことを私に言わないで。――どうでもいいから」
エリコはテーブルに突っ伏した。
「なんでこんな辛いの……?」
「人生なんてそんなものですよ」
「泣きたい……もう泣く、今日は泣きながら寝る」
「リンナさんも似たような状況でしょうねえ」
「何の慰めにもなってないわよ!」
「慰める気もありませんから」
エリコからの返事がなくなった。たぶん辛くて泣いている。
「柴田」
「ええ、いくつか考えていますが――まあ、おそらく連絡が入ることはないかと」
「そう」
だから。
その間に柴田は、一つの問題を解決しようと、そう思っている。
タイミングとしては、丁度良いだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます