第28話 キャンプパーティ1
ルールは、四つ。
雨水であっても、加熱してから飲料水とすること。
草類の食糧は口にしないこと。
魚類を含めた食料を調達した場合も、加熱すること。
竜化をしないこと。
「ということで、俺たちは楽しくやるので、楽しくやってください」
なんてことを最後に付け加えて、放置である。
サバイバル訓練初日ということもあって、まずは試してみないと何もわからないと判断したリスディガは、砂浜の傍にシェルターを作ることにした。
A字になるよう骨組みを二つ作り、その二つを渡すよう木で固定し、地面から離れるよう寝床を作る。片方は木に括りつけ、安定性を増せば、一日やそこら寝るくらいなら問題ないだろう。火は、やや高い位置に木組みを作っておく。長い木を全方向から立てかけるようにして、その上で火を熾せばいい。これは、高い位置にあった方が、周囲がよく見えるからだ。
何故って。
どういうわけか、
ちなみに瑞雪の方は、浜辺に漂着していた投網を使って、ハンモックを作ってある。海側からの風よけのための屋根も作ったが、夜になったら一気に潮が満ちてきて、ベッドの下には海水があるような状況だ。
「身動きできねー」
「なんだ、夜中に便所で起きるタイプか?」
「いやそうでもないけど、火が消えないかどうか心配で。あと、波の音が結構する」
ごろんと横になれば、丸太をいくつも置いただけのベッドも、葉を重ねているので痛みはない。枕がないので、両手を頭の後ろに回せば、空に浮かぶ紅月がよく見える。
「現地で、その場にあるもので何かを作るというのは、面白いな」
「わかってたけど、瑞雪さんは人間ライフを楽しんでるよな」
「もちろんだとも、妖魔なんてそんなものだ。半分を
「あれ? でも、そろそろ返すとかなんとか話してただろ? ギョクさんが、もう重いからいらん! とか」
「厳密には、儂が人間としての姿を固着しつつあるから、そろそろ預けた命を少し返してもらっても、また儂が妖魔としての特性を強くすることはなかろうと、そういう提案だ。今の儂は、この生活を気に入っておるからの」
「なるほどね」
しばらくは会話もなく、月を見上げながら波の音と木が焼ける音に耳を傾ける。
そもそも、やることがないのだ。
「ある男が、小舟に乗って夜の湖に、月見酒でもと乗り出してなあ」
「うん?」
「空ばかり見ておるから、仰向けになった男は、空気の変わり目に気付かぬ。そして、湖から伸びた白色の手が、男に異変を気付かせた」
「……ひしゃくを寄越せ?」
「それは妖怪の話だろう? まあ似たようなものだが、妖魔の場合は実体を持つ場合もあるし、大抵は人を襲う。だがな、好みなのは感情そのものよ。一思いに殺しなどせん――が、手が見えた時点で終わりよの」
「終わりって、対抗策がないのか?」
「波長が合っておるからの、その時点でズラすことは難しい。もちろん、可能では、あるだろうな。そういう部分が武術家の得意とすることだ、興味があるなら聞いておくと良い。だがなゾウム、悲惨なのは水の中に引っ張られてからだ」
「お、おう……? なんでこんな話になったのか、ちょっと懐疑的ですよ……?」
「水の妖魔――いや、怪異現象としての発端があるから、あくまでも怪異でいいんだが」
「怪異と妖魔って、どこが違うんだ?」
「怪異とは、人の認識によって生じるものだ。プールや海で泳いでいた者が足を
「あー、飛び込み用のプールとか、奥の方が暗くなってるし……」
「勘違いした現象を、怪異と呼ぶ。だがその認識が重なった結果として、妖魔という実体を持つことになる。しかし、妖魔になったところで、現象そのものが変わるわけではないからのう、難しいところだ」
「へ、へえ……」
「ところで、水の中に引っ張り込まれたら、どうなると思う?」
「……お」
「うむ」
「思いたくない……!」
ちょっと怖くなってきた。さっきから視線を上に向けたまま、下を向けないでいる。
「ただの溺死ならそれでもいいんだが、妖魔の場合は怖いぞ。具体的には――言わないでやろう」
「そうしてくれ!」
リスディガは知らない。具体的に言わないことこそが、怪談話の、怪異譚の重要な点であることを。
「しかしな、こういう時はきちんと気をつけるべきだ」
「……楽しんでるだろ、瑞雪さん」
「はて、なんのことやら。だがこの状況で無抵抗は感心せんぞ? そもそもだが、怪異と呼ばれるものは、その発端を見抜くことが難しい」
「え? そうなの? ちょっと気温が下がったり、霧が出てたり、ほら、そういう?」
「その時点ではもう領域に引き込まれておる。そもそも、怪異の大半は自然現象だ。波の音、風の音、火の音――そこに違和感などあるまい?」
「――」
そう言われてしまえば、違和があるかどうかを、確認してしまうのが、人だ。
ばしゃりと、何かが跳ねた音にすら敏感になる。
「な、なんだ!?」
「おそらく魚だろうよ」
見えないのならば、見えていなかったのなら、その現象を確定することはできない。
「お、俺ちょっと」
「そういえば、知っておるかゾウム――水と同様に、森の中の怪異譚というのは、山ほどあってな? たとえばある男が」
「やめてやめて! 怖いから! 俺そんなに怖がりじゃなかったと思ってたけど、マジでちょっと怖くなってきてラッコさんやギョクさんの気持ちがわかってきたから、やめて!」
「ふむ? では、具体例を聞かずに、ここでやめてしまって良いのだな?」
「う、うー……」
まるで念押しのように聞こえれば、リスディガは腕を組むよう躰を抱えながら、妙な寒気を気のせいだ、気のせいだと言い聞かせつつ、迷う。
その迷いもまた、怪異には良いものだ。
「森の中で多いのは、囲いと迷いだ。これは進行方向を錯覚することで生じる。夜と昼では、景色が同じでも見え方が違う。その隙間を、あやつらは上手く使うからなあ」
「た、対抗策は?」
「疑念を抱かないことだ。間違ったのか? 合っているのか? そういう疑問を浮かべた隙間が危うい。だが逆に、合っていると確信するのも、間違いを認めている場合があるから、しない方が良いだろう。昼間と同じ意識を持たないことだ。間違いもあるし、合うこともある」
「――っ」
がさり、と木が揺れる音が大きく響いた後、海側から少しだけ強い風がやってきた。僅かに海面が波立つよう、寝床に水しぶきが少しかかる。
「こ――」
「どうしたゾウム」
「怖い怖い! すげー怖い! なにこれ、得体のしれないものってこんな怖い!? 陽気なBGMとか流して!」
「ふんふっふっふ、ふんふんふっふー」
「サキソフォン・コロッサス! ロリンズとかどんだけ古いの!? でも全部半音くらい低いから怖いんだけど!」
「古いとか言ったな? 儂が年寄だと言いおったな?」
「言ってませんよ!? 俺だって知ってるじゃない!」
「ちなみに、大きな声を出すと、怪異も寄ってくるんだが……まあ構わんか」
「か――構いますヨ?」
「うむ、そうか。ではそろそろ寝るとしよう」
「待ってごめん待って、今から無言の時間を過ごせるほど俺のメンタル強くないから。なんかさっきから躰が震えてるし」
「ふむ? いや、それは実際に温度が下がっているからだ――と、そろそろ、放置できなくなってきおったのう」
「……え?」
ひょいと、寝床から海へと降りる瑞雪だが、足元は水に浸かっていない。一歩、二歩と離れた位置でようやく、視線を向けたリスディガは勢いよく躰を起こし、葉で作って屋根に頭を突っ込み、慌てて姿勢を変える。
「ちょっ」
「ははっ、儂を相手にするとはこやつら、わかっておらんの」
闇夜に浮かび上がるような白色の手が、十本近く、瑞雪の足元から出ていて、今にも掴んで引っ張ろうとしていた。
「待って待って! 男だけど泣きそうだし、俺の下にもなんかいるんだけど!」
何かが。
そこに、いると。
認めてしまった瞬間から、無数の手が増殖したかのよう、リスディガの下にも発生した。
「ぎゃあああす! 竜化して逃げていい!? あとで笑われてもいいから俺ちょっとマジで恐怖なんだけどこれ! なにこれ!? 誰か助けて! 火事だー! 海の傍だけどね!?」
「混乱しとるのう。だがこれを呼び寄せたのはお主ぞ?」
「おおお俺が!? なんで! 嫌だよ来るなよ!」
「想像しただろう?」
「したけどそれ間違いなく瑞雪さんが誘導入れてたよな!?」
「やかましいのう……む」
掴もうとする手を、逆に瑞雪は両手で掴んだ。
「ぬ、引っ張り上げることはできぬか」
「なにしてんの!?」
「検証だ。怪異とは現象であり、妖魔となってもそれは同じだろう? 儂が人になったからこそ、こんなこともできる。良いことだ。ちなみにこの妖魔は大きく〝
「名付けると厄介なことになるんじゃ!?」
「ははは、鋭いのう!」
「ぎゃー! うっわあああ! 合体してなんか手ぇでかくなってんじゃ!? これ攻撃していいの? 蹴る! 蹴っていい!?」
「待て待て、まだ実体を持つほどではない。妖魔に打撃は、一時的にしか有効ではないからな? 何しろ現象だ、実体なんぞあってないようなものぞ」
「……つまり?」
「長期戦になるのう」
「なんで呼んだの?」
「だから言っただろう? 呼んだのはお主だ」
「誘導した――うおっ、寝床を腕が貫通してきた!」
「がんばって綱引きをしておれ。儂が検証を終えてるまで我慢するんだぞ? そしたらこやつらを消してやろう」
「泣きそう!」
だが、的確に手が自分を狙ってくるのがわかって、リスディガは意を決して海へ降りた――が。
「んっ」
思ったよりも深く、足がより深くへ沈み込み――。
「馬鹿者! 浅瀬で溺れるでない!」
「は――、くっ、この!」
言われて認識を改めれば、何のことはない。せいぜい十五センチほどの浅瀬に、リスディガが寝転ぶよう尻餅をついていた。その状況を、引きずり込まれたと認識させられていたのだ。
「く――そったれが!」
勢いよく姿勢を戻そうと足に力を入れ、上半身を起こす動きと共に右足を振り上げ――そのまま、奥歯を噛みしめながら、全力で水面へと叩きつけた。
「――っ、ふう、ふう」
その威力は、三メートルは離れていた瑞雪の足元まで、海水が一時的になくなるほどのものだった。なくなった水は空から再び落ちてくる。
波が、また寄せて来た。
「……いなく、なったか?」
「まさか、この程度で諦めるようならば、妖魔ではあるまい。怖さは飛んだか?」
「今は、緊張感で誤魔化してる。あんま指摘すんな。……術式でどうにかすべきか?」
「単なる身体強化や、飛翔制御とはわけが違うぞ? 相手の存在そのものに干渉して、どうにかせねば、単なる力押しをしたところで、同じことだ。儂としては、相手にあまり経験を積ませたくはないが……」
「同じ手段でも、通用するのは最初だけか?」
「いや、そこまでは言わんが、多少の学習はする」
「あともう一つ」
「うむ?」
「なんで百合手なんだ?」
「
「なんて迷惑な……!」
「よくある話ぞ?」
「知るか! ――あっ、くそっ」
右足が、滑るように砂の中に埋もれる。手で足首を固定されたのだ。まずは行動を奪う、一気に躰ごとやらない――と、そういう学習をしたのだろう。
「火の傍なら大丈夫とか、そういう安全地帯ないの!?」
「朝日が出る頃には、さすがにいなくなるが」
「徹夜で対応はしねえからな!」
そうして。
リスディガの長い一日目の夜が過ぎていく。
どう考えても原因は瑞雪だが、本人がとても楽しそうにしていたのは、ここに記しておく。
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