第27話 黒鉄一族のこれから4
更生訓練とはいえ、中身を開けば軍部における訓練とそう変わらず、追加されていたのは、海上都市ヨルノクニで生活する場合のルールだ。
表向きのルールに、暗黙の諒解。知っておかなくてはならないことを、知っておく。
ここ一ヶ月ほど過ごしてみても、訓練内容としては、軽いとさえ思えたのは、ヨーロッパ連合の軍部にいた黒鉄イッカだからこそ、だろう。
それにしても。
「暑い時期のジャングルって、ある種の拷問だよね」
「ここは無人島だイッカ、ジャングルほど厄介じゃない」
「そうだけど暑い――」
それでも、額から流れる汗を拭こうともせず、岩肌に張り付くよう姿勢を低くしたまま、二人は双眼鏡をのぞき込んでいた。その上には、土色のシートが被せられている。もちろん、肩から先はシートから出ているが、迷彩とは、見つけにくくするもので、隠れるものではない。
だが、訓練ならば我慢も必要だ。
ヘリの音が聞こえて配置につくと、海岸にロープ降下した人物たちがいる。その五人は、まあ、顔見知りだが。
「監視任務……いや、訓練か。どう思うイッカ」
「私たちの錬度を見たいってことかなーって、そう思うけど、相手が柴田先輩たちだとなあ」
「油断はできないな」
「うん」
双眼鏡の光景は、光学式であるため、それなりに鮮明に映っているが、海岸傍の木が邪魔になって、顔までは見えない。ただ、手足がちらちらと映るので、確認に問題はない。
「あいつら、サバイバル訓練だったよな?」
「うんそう。厳密には、ゾウムさんの訓練。柴田先輩が教官役かな」
「そうか」
正直に言えば、兄にとって柴田は、よくわからない存在だ。やったことは、さすがだと思う。殺さなかったことには感謝をしてもいい――が。
実力、つまり錬度に関しては、首を傾げざるを得ない。
あくまでも一般人だからだ。
「そう考えれば、ほかの連中だって異種族だけど、一般人だ」
「うん、そうなんだよね。特殊な訓練を受けたようには見えなかったし、チェシャ先輩は立体運動が得意で、
「セオリーでは、攻めるなら頭からだ。こっちは暗殺特化に限りなく近い。指揮権のあるやつを倒せば烏合の衆ってのは、よくあることだろ」
それが全てに通用するとは、思っていない。
だが、セオリーであることは確かだ――が。
双眼鏡の先の光景はそのままに、ただ、返答がなかった。
「イッカ?」
一瞬だけ双眼鏡から視線を外した途端、一気に冷や汗が背中に浮かび上がった。
――いない。
隣にいるはずのイッカが、いなくなっている。一声もかけず、移動するなんてことは、断じてありえない――だったら?
「――っ」
嫌な予感を振り払うよう立ち上がった彼は、背中に衝撃を受け、人に当たったことを認識しながらも、距離を取るよう逆側へ飛んだ。
――彼女は。
声を上げようとして、飲み込む。
だって、そうだ。
その煙草に見覚えがある。
意識してみれば、煙草があったはずのポケットに、重量感がない。
あの一瞬で?
いや、それ以前に。
「どうして、ここに……」
「間抜けだなー」
「――まったくよ」
声がしたのは、少し下がった位置にある岩棚。珠都が顎で示したので、ゆっくりとそちらに視線を向ければ。
イッカは、完全に硬直していた。
そうだろう、動けるはずがない。
背後から、左手で間違いなく頸動脈を掴まれており、更に手前に回った右手にあるナイフは、その切っ先が顎の下に触れているから。
「間抜けはともかく、イッカ……私よりおっぱい大きいね?」
「――っ」
死ぬ、と思った。
額から一気に汗が噴き出したのは、暑さではない。間違いなくここで返答を間違えたら死ぬ。
大丈夫です、まだ成長しますから――なに上から目線で言ってんの。
そんなことないですよ? ――嘘吐いて同情なの?
「しっ」
「ん?」
「……柴田先輩は、チェシャ先輩くらいが、好き、だと、思います……よ?」
「……」
駄目か!? ここで終わりか!? ――そう思ったら、どうやら正解だったらしく、ゆっくりとナイフが離れていく。
「ほら、上」
「あ、はい」
よじ登るよう手を伸ばしたイッカの隣を、軽い跳躍一つで終えたチェシャは、くるりと手元でナイフを回転させてもてあそぶ。
その目は、兄に向けたまま。
「――そういえば、そっち、名前は?」
「言いたくない」
「あっそ。ここまでの流れ、説明いる?」
「……頼む。俺たちの監視訓練は、最初から見つかったら終わりだ」
「でしょうね。まずリスディガがあんたたちの〝視線〟に気付く。私たちが接近、それから忠告。で――この展開を最初から予想してた馬鹿が一人」
「あいつなー、リスゾウが視線に気付いて躰を止めた瞬間に、蹴って誤魔化したし、わたしたちが走り出すの、口の端を歪めるみたいに見てたしなー」
「放置しておくつもりだったけど、まあこれでもいいか――っていう、典型的な反応ね」
吐息を一つ、チェシャはナイフをブーツへ戻す。
「――あんたら、異種族をなめてんの?」
「しょうがないだろー、たぶんこいつら、あんま経験ないぞ」
「ああ、オシゴトだけだっけ、経歴。敵しかいない戦場で走り回ってた、たまちゃん相手じゃ分が悪いか」
「お前もなー。こいつらの暗殺技能、どうなんだ?」
「え? 技能とかいうレベルじゃないわよ?」
「んがっ……ちょ、先輩、泣きそう、なんではっきり言うの……?」
「さっき、私の行動に無抵抗な間抜けと、気付かない馬鹿と、身動きを封じられたクソ女がいたわよね?」
「ひいっ、生意気なことを言いました! ごめんなさい!」
「昔取った
「それは……うん、そうですけど」
「その柴田なら、こう言うでしょうね。現実として、ヨルノクニには私たち以上の存在が、ごろごろいるって」
「主に、クラスメイトの友人にいるよなー」
「ああうん」
「ともかく、就職先の決まってるそっちのアレはともかく」
「アレってなんだ、アレって」
「名前は?」
「……言いたくない」
「あらそ。可愛いルーリィちゃんは名乗りたくないってさ」
「てめ――うおっ」
珠都が足を払って、転んだルーリィの腹部に煙草を落として返す。
「錬度を上げとくと、就職先から声をかけられて、有利になるぞ? 主に、給料の面でなー。うちは終身雇用じゃないから、入れ替わり激しいしな」
「ま、そっちはお好きに。こっちは好きにやる。帰る時に声をかけなくてもいいから」
「――先輩」
「なあに、イッカ」
「ずっと隠してたんですか?」
「鏡、持ってきてる? ――気付かないやつを、間抜けって言うの。毎朝見てるのに、知らなかったの?」
「んがっ……!」
ひょいと、崖を飛び降りるようにして、森の中へ行く二人を見送りもせず、イッカはうずくまってから、仰向けに倒れた。
「兄さん」
「おう」
「寒い」
「……暑いって言ってただろ」
「だって、あれ、反則。――あんな怖いトコ、初めて見たんだもん」
「過小評価してたな。頭を潰せ、一番普通なのが柴田――それが事実だとしても、俺たちはまだ、その普通の柴田にすら届いてないってことだ。監視訓練をさせたヤツ、あれ、こうなることを予想してただろ」
「うんたぶん。――あ、先輩たちが乗ってきたヘリが旋回してる。三十分くらい遊泳してたのかな? あはは、あれお迎えだー」
「笑ってられねえだろ……?」
「だって! しょうがないじゃん! あの人たち怖いよ!」
「イッカ、お前もしかして、トラウマにでもなってんのか……?」
「なるよ!? 幽霊船とかちょう怖いよ! もうヤだよ!」
「ああそう……」
岩場の裏にあるスペースに、ヘリが着地する動きを見ながら、大きく吐息を落とせば暑さが戻ってくる。
「どっちにせよ、こっからの訓練が厳しそうだな?」
「うー、なんかごめん兄さん、泣きそう」
「……お前、そういうこと言える男、早く捕まえろよ」
「そこは兄として残念に思うところだよね!?」
「男を捕まえられない妹が残念だと思う」
「くっそう!」
立ち上がる気力まで失った妹を、さて、どうしたものかと、兄は腕を組んで考えた。
面倒な妹である。
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