第20話 統括室へ至る道2
柊社長でも、手に入れらないサインが一つだけ存在する。
それは、遊園街社長のサインだ。
特別自治――いわゆる遊園地としての側面を持ちながらも、ギャンブル特区でもある遊園街は、そもそもヨルノクニの中で自治を唯一任されている場所であり、独立している司法部でさえ、手出しができなくなっている。
そして、これまでただ一度ですら、遊園街社長はサインをしていない。
そもそも、貰おうという人の方が少ないのだ。自治ということは、つまり、ルールそのものが違うから。
統括室に入っても、遊園街には指示が出せないし、繋がりは薄い。だからサインは必要ないと思うのならば、そもそも、明松はサイン集めなどしていない。
逆だ。
以降、繋がりを作るためにサインを手にしなくてはならないのだ。
受付で名前を言えば、すぐ五階にある接待室へ行くよう指示された。エレベータで移動して中に入れば、ずいぶんと広い部屋だ。吐息を一つ落とし、窓側のソファに腰を下ろす。
その時、既に。
明松の顔には笑みなど、一切なかった。
――五分はかからなかっただろう、若い風貌の男が入ってきたのは。
「おう、待たせたな」
体格はそれなりに良いが、ネクタイもしていないラフな姿に、明松は一瞥を投げるだけ。
「さて――」
「おい、誰が座っていいと言った?」
座ろうとしていた彼、
何がどうしたと、そう思った直後、100キロはある木製のテーブルが宙を舞い、入り口付近に音を立てて落ちる。
「待たせたな? そう思うなら、時間を置け。俺が来るのを待ってたのが丸わかりの反応だ。馬鹿にしてんのか、お前は」
「――」
「殺意を滲ませる三流だな」
足を組んだ明松は、
「殺意、怒り、そんなものがあるのは平和な証拠だ。戦場で向けられる銃口に殺意はない。何故か? お前が書類にスタンプを押すのに、殺意なんてものが必要ないからだ。気をつけろよ若造、俺は、このまま、お前を殺せるぞ」
「やって――」
言い切る前に、今度は椅子が後方に移動した。こちらも80キロほど重量があるソファだ、簡単には動かない。
それどころか。
まるでテーブルクロスを素早く引っ張ったかのように、座っていた瀬戸はその場から動かなかったのだから、困惑するのも頷けよう。
乱暴なやり方だが。
――ここでは、よくある光景だ。
「ところで、こいつは戦場での体験談だが」
けれど、まだ瀬戸には明松の本意がまるで読めていない。匂いも、あるにはあるが、揺らぎが一切存在しなかった。
嘘の匂いがない。
本音の匂いはある。
退屈そうな感情がわかる――それだけだ。
「部隊の仲間、その一人と急に連絡が取れなくなったんだ。最初は笑ってた、どこで女と上手くやってんだってな。翌日、もう一人の仲間との連絡が途絶えた。こりゃ何かある――捜索を始めるが、何も見つからない。なにもだ。そして二日後だ、最後の一人の屍体が上がった」
瀬戸は口を開かない。
わかっている、こういう時は何も言うべきではない。相手の話を聞くべきだ。
「その時にわかったよ。一流のやり口ってのは、何もかもを相手に気付かせない。気付いた時には手遅れ、全てが終わったという示しだけだ。――ところで、連絡が途絶えたやつが最近、いるんじゃないか?」
その挑発にも似た言葉に、深呼吸を一つ。
「――言っておく。身内に手を出せば、容赦しない」
「訊いておく、よく考えて答えろ。お前の身内は家族か、それとも部下か?」
「両方だ!」
拳を握り、即答があった。鼻で笑った明松は短くなった煙草に視線を落とし、ゆっくりと立ち上がると、床に転がっていた灰皿を持ち上げて火を消す。
そして、吐息が一つ。
「――おい瀬戸、ぼけっとするな」
「なんだ」
「テーブルを戻す、手を貸せ」
「……は?」
「テーブル、重いんだからそっち側を持ってくれって言ってんだよ」
一瞬、本当に何を言われたのかわからなかったが、早くしろと片側を明松が持ったので、仕方なく手伝う。ついでにソファも戻し、明松はテーブルに灰皿を置いて元の位置へ。
「座れよ、瀬戸」
「……」
「不満そうなツラだな? いつもお前がやってる手口だろうが」
持っていた大きめの封筒をテーブルに投げ、灰皿を重しにしようかと思ったが、アルミ製。仕方なく明松は足首からナイフを引き抜いて、封筒をテーブルに縫い留めた。
「おい」
「うるさいケチケチすんな。俺は今から、黙って煙草を一本吸う。その間に、今にも泣きそうなヒカッティに連絡をして、現実を教えてやれ」
「――」
煙草一本、その間に瀬戸は連絡をして、いや、終えて、ソファの背もたれに倒れるよう体重を預けて、天井を見上げた。
ヒカッティ。
ここのところシマを広げてきたヨーロッパ連合の手のものだ。なかなかあくどいことをして、瀬戸の部下にも被害が出ていた。
ここはヨーロッパではないというのに、その流儀を使う――それ自体は構わないのだが、ここにはここのルールがある。
それがどうだ。
部下が戻らないと、謝罪をまず口にされた。すまない、すまないと繰り返す相手はもう、完全に気力を失っており、追い打ちをかける気にもならない――が、それでも、もう帰ってこない部下のことを、伝えずにはいられなかった。
たとえ縄張り荒らしでも。
そろそろ瀬戸が手を下そうと考えていたとしても。
「えげつねえ……」
「お前らが甘いんだよ、アマチュア。もっとも俺だってプロじゃないが」
「珈琲を持ってくる」
「手に持ってる端末で連絡しろ」
「……諒解だ」
取りに行く時間で休憩することも、許されないらしい。
「一応、経歴を洗ったデータが届くはずなんだけどな?」
「目の前にいる俺から聞くのが一番早い」
「教えてくれよ」
「おい、一部門の社長がもう白旗か?」
「俺を若造と言ったのはお前だぜ、楠木」
「ふん。三年前、ここを出てからサウスカロライナの訓練校で半年、それ以降はいろいろだ。イギリス、フランス、ロシア、ブラジル、インドネシア、アメリカ、そこそこ長かったのはコロンビアだな。反政府軍に手を貸していた。去年戻ってきて、一年間の準備。そろそろお前以外のサインは集まった頃合いだろう」
「その経歴、調べられるのか?」
「ファーボットに頭を下げればな」
「元
そのレベルの情報収集能力となれば、たかだか一部門の社長が有するものを越えている。
「質問をさせてくれ」
「お前の程度を知るためにか?」
「……」
先ほどのように殺意を見せず、ただ苦笑した瀬戸は、返事を待った。
「言ってみろ」
完全に主導権が明松にあるのも、瀬戸は理解していて、受け入れている。
何故ならば、わかっているからだ。
――こいつを敵に回すことだけは、してはいけないのだと。
「統括室に入って何をする?」
「瀬戸、俺が統括室に入ると思ってんのか?」
問いに対する問いに、やはり瀬戸は答えずに待つ。すると煙草の箱を投げられた。
「結果、入ることにはなるんだろう。まだ少し荒れるけどな」
「こっちではやらないで欲しいもんだ」
「お前が気にすることじゃない。ただ俺は、異種族の連中にもう少し、羽が伸ばせる時間を作ってやりたいだけだ」
「――」
「驚いたな?」
「そりゃ、お前……」
「竜族と猫族、俺は二匹も拾っちまった。せめて夜間くらいは、軽い情報封鎖して、自由に空を飛んだり、走り回ったりできるようにしなきゃ、ストレスで禿げる。人に紛れて生活する場はあるが、異種族が異種族として動ける時間だって、あってもいいだろ……」
「……」
「残念だったな? 遊園街は自治だ、こっちのルールは適用されない」
「知ってるさ、嫌ってほどな」
「そこでだ」
ようやく、ナイフを抜いて封筒を渡した。
「確認しろ」
「ん……」
二枚、紙が入っているだけの、簡単な書類だったが、目を通していくに従って、瀬戸の目が丸くなっていく。
「おい、こいつは――」
「外部からの武器輸入、その黙認書だ。行政が手配して、司法が黙認して、警備部が許可をする。こっちに直通だ。今までは銃器も密輸だったろうが、これからは限度を弁える限り、それが許される――ただし」
そう、まだその書類は未完成だ。
「俺が統括室に入れば、だ。その間の十年で、お前なら上手くやるだろう?」
「……」
二度、三度と書類を読んで、大きく深呼吸を一つ。
「失礼します、珈琲をお持ちしました」
「ん」
「ご苦労さん。どうやら瀬戸はお疲れの様子だ、砂糖の用意は?」
「はい、こちらに」
「できた部下だな? それに美人だ――俺の趣味じゃないのが残念なくらいに」
「あら」
「真に受けるなよ? 俺の電子認証を、ヨルノクニ学園、
「――よろしいのですね?」
「おう、頼む」
「かしこまりました。失礼します」
明松はブラックのまま一口、僅かに眉根を寄せる。
「社長ともなると高い豆を買ってんだろうな――と、思ってたんだが」
「なんだ、うちのは口に合わないか?」
「泥水みたいなクソ珈琲よりはマシだが、俺が淹れる方が美味い。もっとも、お前が飲むことはねえだろうがな。――質問は?」
「そうだな……」
「じゃあ答えよう。去年の八月頃、お前んところの先代が腕をやって入院しただろ? ありゃ俺だ。あの初老、一丁前に挑んできやがった」
「なにやってんだ……?」
「お前と違って立場がないから、そういう楽しみ方もある。その時に言われたんだよ、お前の追い込みは、いつもお前がやってる手順が良いってな」
「何故だ?」
「何故? 昔を思い出せてハッピーだろう? いつもはやる側なのに、やられる側になれば、未熟さも痛感できるってな」
感情を煽り、力を示し、現状を理解させ、本音を引き出す。
――確かに、その通りだ。
「お前は武術家なのか?」
「いや、違う。だが、使える」
「何が違う」
「俺は必要な〝信念〟を、戦場に置いてきた」
「……そうか」
そうか、としか言えない。
普段から社長として、遊園街の自治なんてものは、戦場だと思っているが――瀬戸は、その状況を知らないから。
「
「ああ、確認した。作り笑顔も上手いな、お前は」
「綱渡りだよ、あんなのは。こっちの方がよっぽど上手くやる」
「だろうよ……この書類がないなら、うちにスカウトしたいくらいだ」
「よせよ、俺はまだ社長業をやる年齢じゃない」
「まあ、そうだよな。現状を見る限り、俺の部下にはなれんよな……度胸どころか、実績もある。うちの流儀も知ってりゃ、打つ手がない。準備不足だ」
「想定不足だろ、間違えるな。そうだ、一つだけサーヴィスをしておく」
「嫌な予感しかしないが、なんだ?」
「ガキの頃から一緒だから、義理だってことを忘れそうなくらい、うちには可愛い妹がいてな?」
「知ってる」
「仮にその妹に手を出す馬鹿がいたとしたら、俺はそいつの二段階まで全滅させるつもりでいるから、注意しろ」
「――二段階?」
「そいつの友達の、友達」
「ヨルノクニの人員、ほぼ全員だろう」
「そう言ってる」
「オーケイ、諒解だ。お前がここに来て、嘘の匂いは一度もねえ。すぐにビラを配っておく」
「賢明だな。たまに遊びに来るが、余計な世話はしなくていいぞ」
「まったく……」
「それと、身内と言ったが、お前の娘」
「
「そう、あの良いケツをした蹴り好き女。あいつがもう少し実家に顔を出してれば、お前も気付いたんだろうが、何度か手合わせをしてる。さすがの俺でも一撃喰らったら面倒にもなるが、今のところはそういう心配もいらなくてな。蹴られないよう気をつけろよ」
「そうか……父親としては、顔を見せてくれないと、寂しいんだけどな」
「そういう本音が伝わらない?」
「言ったらあいつ、マジ蹴りだぜ?」
「照れ隠しにしては乱暴だな」
「かーちゃんはなんか呆れてたし……俺なんかしたかなあ」
「父親なんて、そんなもんだろ。――さて、もう行く」
「おう。しばらくは、楽しめるんだな?」
「ああ、俺のやり方を見せてやる。――楽しみに、観戦でもしてろ」
それは、交渉と言えるのだろうか。
ただこの結果だけを見るのならば、明松にとって、冬芽との会食よりは、よっぽど楽に出せたものだった。
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