第17話 今日のお仕事5

 ――いつしか。

 その、拘束されながらも平然とした態度に、呑まれていた。

「イッカさんにも話してはいませんでしたが、ご存知かもしれません。俺は以前より、ある人に命を奪われているんです。厳密には、俺に死ぬことを禁じる意味合いで、命を預かってくれたんですが、ね」

「……何を言っている?」

「わからない、けど、……聞いてない」

「だから、この際に返して貰っているんですよ。といっても、どうやらつい先ほどでしたが――まあ、そうでなくては死にきれない。そういう建前です」

 わからない話でしょうねと、小さく笑った柴田は、前かがみになるよう両手を合わせ、肘を膝の上に乗せた。

「不躾な質問をします。もしかしてあなたがたの上官は、あるいは親は、ヨルノクニで生活することを望んでいたのでは?」

「……否定は、しない。だが、俺らにだって返したいものがある」

「恩、ですか」

「そうだ」

「これは聞いた話ですが――人格者であるのならば、親というのは恩返しよりも、子に自分で道を見つけて、歩いて欲しいそうですよ。もちろん、それがあなたがたに適用されるとは、限りませんが」

「――え!?」

「どうしました、イッカさん」

「え、だって――腕、拘束を、してたんじゃ」

「なに!?」

 確かに。

 そうだ、確かに、拘束を解いたのは左手だけだったはずなのに、両手が前に回っている。

「静かに」

 指を一本立てて、それを口元に当てた柴田は、二人を見て。

「落ち着いて下さい。慌てると見落としが増えますよ」

「待って兄さん、駄目、銃は向けないで。

「従った方が良いですよ。少なくともイッカさんは、俺と行動を共にしたことがありますから」

「……わかった」

「いくつか、警告をしておきます。まず一つ目、妹のためならば犠牲もやむを得ない――その行動には、素直に称賛します。しますが、それでも、二人とも無事である選択を忘れないようにしてください」

「…………」

「そしてもう一つ。二ヶ月、生き残ることだけを考えた方が良いでしょう。内部からの突破は難しすぎる。いずれ状況も理解できるでしょうし――外部からの助けは、絶望的だろうけれど、自殺よりはマシです」

「何を言ってるの、先輩――」

「静かに」

 やはり、指を一本立てて、言う。そして小さく笑った。


?」


 ぞくりと、背筋に悪寒が走った。

 そうだ――なんの音も聞こえないだなんて、おかしい。

「まだ、動かない方がいいでしょうね」

「――っ」

 ゆっくりと立ち上がった柴田から、イッカは後ずさる。

 その顔は。

 殴られて腫れていたはずの顔が、いつもの柴田に戻っている――。

「すみません。俺はどうにも、差別を利用して迫害を行うような連中が、大嫌いなんですよ」

 その顔は、間違いなく、笑っていた。


 その気配にいち早く気付いたのは、瑞雪みずゆきであった。

 命の半分を珠都たまつに預けたとはいえ、存在は妖魔そのもの。

 であれば、同質の存在――あるいは、その上位存在に関して、気付かずにはいられなかった。

「――キリタニ、か!?」

「え、なに、どしたの瑞雪さん?」

「ゾウム、貴様、双眼鏡を持っているのなら海を見ろ。どうした、持っておらん間抜けか? はようせい!」

「いきなりそんなこと言われてもな!?」

「瑞雪、どうしたー」

「珠都、お主ならば見えるか? 海の上に、まさか、?」

「む……」

「出ていたらどうなの?」

「キリタニだ。いや、そう言っても伝わらんのう……チェシャは、妖魔の発生については覚えておるか?」

「もちろん。あんたを捕まえた時だもんね」

「うるさいわ。良いか、妖魔とは人の認識で作られる。であるが故に、霧というのは、妖魔の発生に一役買っておる。霧とは、視界を奪うものだろう? その結果、人は崖から落ちてしまう――が、それを、霧の中にいる何者かが、崖の下から手を招いたと、そう表現することもあろう?」

「言いたいことは、わかる。声を上げても、なんだか霧で届かなかった気がしたり、逆にどっかから声がしたり、気配が通り過ぎたり……ちょっと馬鹿、そこの馬鹿、瑞雪の馬鹿、なんか寒気がしてきたわよ!?」

「怖くないぞ!」

「チョーク! ギョクさん俺の首! 締めてるから! 抱き着くんじゃなく、締め、てるっ、から!」

「儂が怪談をしてどうする、それは人の役目ぞ。そうではない――問題としておるのは、霧そのものだ。良いか、霧の中で発生する妖魔は、いる。儂は違うが、間接的には関係もしておろう。――では、?」

「現象でしょ」

「チェシャ、人の認識は、現象そのものに向けられるのではないか?」

「……こしゃくなー」

「混ぜっ返すでない、珠都。現実として、そういう妖魔がおるんじゃよ。いわば、母体になりうる妖魔――人が強く認識したものではなく、当たり前のものとして認識したが故に、高位のモノとなった存在が」

「それが、キリタニ?」

「そう――あやつらは、桐渓きりたにを名乗っておる。そして、その気配が強い……どういうことだ」

「どうって言われてもね。――どうせ柴田でしょ」

「あー……」

「待て、それはあやつが呼んだと、そういうことか?」

「さあ」

 そこまでは知らないと、チェシャが吐息を落として気付いた。

「――あ。すごい霧」

 不思議と、怖くはなかった。

 ……いや、チェシャはまったくこの状況で怖がってなどいなかったので、むしろ怖いって何だと疑問に思うくらいだ。つまり、最初からそうなので、怖いとか怖くないとか、そういう尺度が間違っている。


 その霧は、


 闇夜に紛れるよう、足元から広がったその霧は、視界を閉ざし、感覚を閉ざし、言葉の伝達を阻む――のだが。

 現実はともかく、それはそれとして。

「はあ……何してんの、柴田」

 腰に手を当てて言えば、それを鍵にして、一気に霧が晴れ――そこに。

 柴田が立っていた。

「ふむ……ああどうも、皆さんお揃いで。チェシャ、俺の外見に変わったところは?」

「ん? んー……たぶんない、かな」

「良かった。いや、こんなことをしたのは十年ぶりくらいだったので、ちゃんと人に戻れるかどうか、ちょっと不安だったんですよ。チェシャがいてくれた助かりました」

「ん」

「ただまあ、ちょっと安定……というか、固着するのには時間がかかりそうですが」

「無事ならそれで良し」

「――お主、キリタニか?」

「おや瑞雪、いらしたのですか」

「誤魔化さずに答えよ」

「そうですね。答えるのならば、半分正解で、半分不正解です」

「あ! そうか柴田、命を預かってた明松だな?」

「はい。つまり、俺の父は人間で、母が妖魔――その間に生まれた、半人半妖はんじんはんようなんです。そして、ヨルノクニに来て失敗をした際に、明松さんが俺の命を預かった。死ぬことは許さないと、付け加えて」

 結果として、柴田は。

「妖魔としての俺、つまり桐渓きりたに霧火きりかはその時から、明松さんに預けてあったんです。簡単には死にそうにない俺も、その時点で普通の人間でしたから、まあ、死ぬなと念押ししたくもなりますよね」

「やっぱりかー」

「道理で、どこか中途半端だと思った……ま、いいけど。柴田は柴田だし」

「はあ、まあ、俺は昔から俺ですけど」

「……あれ? なんか俺だけよくわかってねえ?」

「はて? どうしてゾウさんがここに?」

「そんな扱いかよ!?」

「冗談ですよ。俺の状況を聞いて、念のための配備でしょう? 夜明けまで待つよう言っておきましたが、いや、早めに済んで良かったです」

「ん、イッカは?」

「お兄さんと一緒に、戦艦の中です」

「対処はどうしたんだ? 放置か?」

「いえ、どう行動するかは一任して、忠告だけはしましたが――あの戦艦は今頃、

「――お主まさか!」

 大きな声に対して、しかし瑞雪は、一歩だけ退いた。

「怪異現象を?」

「おかしなことを言いますね、瑞雪。俺は霧という現象そのもので、そして、怪異とは妖魔の発生に一役買う発端――そして、半分が人である俺が、その現象を認知できないとでも?」

「――っ」

「ああ、そういう」

「なるほどなあ。条件は知らんけど、霧の中で人がいらん想像をするみたいに、柴田がそれを作ったのかー。面白いぞ、わたしの周りではやるなよ! 怖くないけどな!」

「ただ、本当に十年ぶりくらいなんですよ、俺が妖魔としての姿を使うのは。半分は人間とはいえ、常にそれは綱引きをしているようなものですから、多少の不安はありました。どうであれ、これで今日のお仕事は終了です」

「おーう、かえろ、かえろ」

「そうね。まったく……あーあ、面倒な夜だった。やっぱイッカは駄目だったか」

「……気楽よのう」

「俺、いじられるだけいじられて、出番なしとか、どうなんだ? すげー疲れた」

 ぞろぞろと、並んで歩けば、もう夜明けの時間までそれほどなく、遠い夜空がうっすらと色づいてさえ見える。

 視線を戻せば、先頭に立ってふらふらと動く珠都がいる。

 それに引っ張られるよう、呆れた様子で瑞雪が追いながら、そんな二人をリスディガが頭を掻きながら見ていて。

 機嫌が良いのか悪いのか、チェシャが柴田の周りをくるくると回る。

 まだ、ちょっとした後片付けは残っているけれど。

 これが、柴田の見ているいつもの光景である。



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