第16話 幽霊騒動2
古くから丑三つ時と呼ばれる時間は、彼らの活動時間であった。
日付が変わって一時過ぎ、ちょっとそこらまで腹ごなしに夜食でも、みたいな気軽さで柴田は家を出た。
竜族と、猫族を引き連れて。
「……はて」
なんでこうなったのかはよくわからないし、実際に
「幽霊騒ぎの解決だと、じぶ……俺、ちゃんとチェシャに伝えましたよね?」
「うん、珍しく先に聞いた。一人称が変わったのも聞いた」
「柴田、なんかチェシャ、むすーっとしてるぞ?」
「俺に言われても困ります」
「……」
「ところでチェシャ、猫族には発情期があると聞いたのですが、以前俺に――あだっ、痛いいたい! いつもより強いですよ!」
「うっさい、うっさいばーか! ばーか!」
「チェシャ……」
「たまちゃん違う! ちがくて!」
「猫族の発情期は、好きな相手でもいなけりゃ軽いだろ……?」
「だーかーら! たぶん違うってば!」
騒がしいなあと、少し離れた位置で柴田は気にした様子もなく、のんびりと歩いて。
「――良い月が出てますね」
会話の合間を縫うように、そんな言葉を投げた。
「騒がしくすると幽霊が逃げてしまいますよ」
「その口ぶりからして、もう対象はわかってるのか?」
「私は掴んでないけど」
「まだアレに名前はついてないと思いますが……」
何を言っているんだろうと首を傾げれば、二人は顔を見合わせてから、柴田を見て。
「「え?」」
似たような疑問を投げかけた。
「はあ、なんです?」
「なあ、なあ柴田、お前、幽霊がいると思ってるのか? わ、わたしは戦場にいた頃だって、見たことないぞ?」
「そ、そうよ、なに言ってんの柴田」
「……もしかして、信じてなかったのですか? いますよ、幽霊は」
「嘘だ!」
「そうよ嘘だと言ってよ!」
「だって――ほら、こんな乾いた風の中で」
一拍、あえて会話の間を作って静寂を誘発したのならば、怯えた彼女たちは必然的に聴覚を意識して。
「――水の音がするじゃないですか」
まるで、蛇口から表面張力を破るようにして、ゆっくりと滴が膨れ上がり、音を立てて落ちたような。
そんな波紋が広がったのを柴田は感じた。どうやら、上手く〝領域〟に、彼女たちも引きずり込めたようだ。
「お、おまえー、あれだよな? な? 演出?」
「…………」
チェシャは無言で左腕を引き寄せ、ぎゅっと抱き着いた。
「それはいいんですがチェシャ、太ももで手まで挟まれると、身動きがしにくいんですし、動かそうとすると、こう、あれですよね?」
「うううっさい! 水の音が……ひいいい!」
「いや、そんなに怖がらなくても。正体不明の物理攻撃が効かない――……それは効かないか。ともかく、それほど曖昧なものではありませんから」
「ほ、本当か? 本当だな? 嘘だったら殴るぞ!」
「嘘は言いませんが、怖いなら一緒に来なければ良かったのでは?」
「怖くないわよ!?」
「そうだ怖くないぞ!」
なんだろう、その見栄は。
「チェシャ、被害者に共通点はなし、ですね?」
「え、ええまあ、うん、そう、その通り。死者も出てないけど、衰弱状態が酷かったのが一件目で、二人目からはほどほどに」
「そうですか」
一人目の時はまだ加減ができていなかったと、そう捉えるのが自然だろう。
「ひいっ、なんか足のとこ通り過ぎたぞ!?」
「さ、寒くない……?」
「なんか面倒になってきました」
「こいつ!」
「柴田おまっ、お前なー?」
怖いなら怖いでいいのに、否定しながらも態度はこれだ。どうしろと。
企業街は完全に人気がなくなり、時折思い出したように水の音がする。柴田は邪魔だと思いながらも移動を続けているが、水音の方へ向かっているわけではない。むしろ、ひたひたと、後ろからついて来ている。
「あんまり怯えると、呑まれるんですけど、ね」
「なんであんたそんなに落ち着いてんの!? 異界に入り込んだような感じがあるんだけど!」
「はあ、まあ、こういうものだと知っているので」
「だ、大丈夫なのか?」
「相手は生気を奪うだけなので、今のところ死にはしませんよ」
「精気!? エロいやつか!」
「――それはまだ、試しておらんの」
唐突に挟まれた第三者の声が、まるで耳元で囁かれたように感じたため、一気に攻撃的な気配を見せた二人を、両腕で抱きしめるようにして制止させた。
「はい、落ち着きましょう」
暴れられると段取りが無駄になってしまう。
「……」
柴田はそこで一度、空を見上げた。気付いた二人もまた、上空へ視線を投げたので、そのタイミングを狙う。
「姿を見せたらどうですか?」
視線を切り、意識をせず、言葉によって相手の存在を確定したのならば、それは。
人型として、具現する。
見ていては駄目だ。だってそこには誰もおらず、ただ、水の音がしているだけだから。音に実体はなく、水はただの水で人ではない。
――だから。
淡い桜色の和装をした女性が、視線を戻した時に出現していても、柴田は驚かない。軽く叩くようにして二人を落ち着かせてから、腕を離した。
桜色だが、模様は雪だ。
「初めまして。お名前は?」
「儂に名はない」
「なるほど、それほど人と触れてはいないようですね。では俺が名付けましょう――
「その方がわかりやすいのならば、それも良かろう」
「なるほど。では、――動くな瑞雪、黙っていなさい」
「――っ」
びくりと、身を震わせた彼女は、続く行動を失った。
「ふむ」
「……なんだ? なにしたんだ?」
「言葉で縛ったんですよ。条件付きですが、上手くできました」
「あ、本当だ、すげーな。確かに囲いができてるぞ」
「そういうとこ、わかるからたまちゃんは……」
「で、なんだこいつ。幽霊じゃないのか?」
「そうですよ。厳密には、
「なんだそれ」
「幽霊や妖怪の総称、とも言えます。少なくとも人型であり、自意識のある妖魔はそれなりに高位で、珍しいですよ。まあ時間もありますし、少し説明しましょうか」
「……詳しいんだ」
人並みにはと、答えておくが、どういうわけかチェシャは柴田を睨んだままだった。
「そうですね、信仰の現象化とでも呼べばいいのでしょうか。たとえば、山びこってありますよね」
「山頂で叫ぶと、声が反響するあれでしょ?」
「理屈を知らない人にとっては、山の向こう側から誰かが叫んでいるように聞こえるでしょう。それが一人ならば勘違いで済むかもしれませんが、十人、五十人ともなれば、信憑性が高くなる」
「――大勢の〝認識〟によって?」
「はい、そうです。妖魔とは、そういう認識によって発生します。けれどそれは、非常に曖昧なものでしょう? ある特定の現象に名付けが行われたところで、それが独り歩きするには時間がかかるし、条件も必要になります。けれど、モノによっては、そうでもないんですよねえ」
「たとえばどんなだ?」
「状況の前提です。山びこの話ですが――それは、果たして一つの山だけでしょうか」
「違う。どんな山だって、それなりに発生する……なら、じゃあ、違う山で生じた山びこは、同じものなの?」
「同じものになると、強い妖魔になりやすいですね。それと、幽霊がそうであるよう、最初から人型である場合もあります。そして、人というのは嫌な想像をしますからね――妖魔の多くは、こうして、人の生気を奪うんですよ。いたずらとも言えますが……まあ、詳しく知りたかったら、日本の妖怪でも調べてみてください」
ともかくと、柴田は手を叩くために腕を上げ、まだ離そうとしないチェシャを一瞥してから、てのひらで音を立てた。
「――瑞雪、そろそろ俺の囲いも外せる頃合いでしょうから、問います。ここで死滅するのと、生き残って〝人生〟に楽しみを見つけるのと、どちらを選びますか?」
「……押し付けるのう」
「節度ある行動を心がけていただければ、何も問題にはなりません。しかし、瑞雪はその節度すら、よくわかっていないでしょう? ――殺さない、という一線は守っているようですが」
「武術家とやらには、睨まれとうない。異種族が集まっておるから、儂のような存在も過ごせるとは思ったんだがのう……」
「過ごせますよ、きちんと節度を守れば。何しろここで名を持ったあなたは、存在を確定できました。上手く人に紛れることもできるでしょう――が、次に問題は起こさせません。何故ならば、今、この現状が既に問題だからです」
「はは、厳しいのう」
「いえ、充分優しいですよ? ――ここには、武術家がいますから」
「なに?」
「
「……ある」
「つまり瑞雪、あなたを討伐することは容易いのですよ」
「はあ……死にたくはないのう」
ため息が一つ――けれど、彼女は小さく笑う。
「今は、生き残る方を選ぼうではないか」
「ええ、それで構いません」
「だがどうする? 儂を封印するのならば、対応も変わるが?」
「いえいえ、封印したら人の真似をして生活することもままならないでしょう? さて、
「わ、わたしか? なんだ?」
「彼女の命を半分ほど奪ってください」
「半殺しだな?」
「物騒じゃのう!」
「はあ、珠都さんはそういうところがあるんです。そうではなく、おそらく珠都さんならば、魔術的な契約ができるでしょう?」
「あーそっちか、うん、できるぞ? やったことないけど」
「なあ、お主、なあおい、儂の判断早まったか?」
「俺もちょっと不安になってきましたが、彼女は竜族なので、制御はお手の物でしょう。珠都さん、実際には、先ほど俺がやったように、命の半分を預かれば良いんですよ」
「おう」
「待て、待て――異論はない。ないが、結果どうなるかの説明をせい」
「存在の半分を珠都さんが背負うことになります。簡単に言えば、妖魔としての存在が欠けるので、調整が可能になるんですよ。空白になった半分に、人としての機能を埋め込めば良いわけです。瑞雪が衝動として抱いている、人を喰いたい気持ちも半分になりますし――いずれ、珠都さんが返すことになれば、また元通りですよ。決して、珠都さんが命そのものを握るわけではありません」
何しろ、それは、珠都には重すぎる。
命そのものを預かるなんてのは、本当に大変なのだ。
「まあ、良かろ。人として生活をしたみたい――そういう欲求もある」
「でしょうね。そうでなくては、調整をして殺さぬよう、生気を奪うために、人の前に出ようなどとは思いませんから。珠都さん、お願いできますか」
「わかった。じゃあ瑞雪、お前の命を半分預かるぞ」
「うむ、頼む」
そうして、契約は完成する。
そもそも妖魔とは、言葉によって契約をするものだが、合意なく成立するのは難しい。それをやってのけた存在を、かつては、
「う、なんか重いぞ……?」
「儂はちょっと軽くなったのう。ただ制限がついておる」
「さて、それでは一度、帰宅しましょう。ほらチェシャ、もう離れてください」
「……もういい?」
「はあ、というかそもそも、瑞雪を視認できるようにするために、領域に引っ張り込んだから、寒さを感じたんですよ」
「――あんたが原因か!」
「いや俺じゃなくて、原因は瑞雪です。それと珠都さん」
「なんだ?」
「契約に伴って、瑞雪への命令権を持ってますが、あまり多様しないように。チェシャも一応、気にしておいて下さい――慣れて、対策されると面倒なので」
「ああうん……」
「何をしているんですか、瑞雪もこちらへ。ここで過ごすための常識など、教えますよ」
「うむ」
――ただ、こうなっても、瑞雪が妖魔であることに変わりはない。
幽霊騒動がただ、どこかで勝手に起きるのではなく、柴田たちの管轄下で起きるだけのことだ。
つまり。
一つ、面倒を背負った。
「……」
「なに考えてんの。あんたがぼーっとしてる時は、いつもそう」
「はあ、瑞雪の教育が面倒なので、誰に任せようかなと」
「たまちゃんでいいじゃん」
「奇遇ですね、俺もそう思ってました」
「わたしはそういうの苦手だ!」
だから、考えているのだ。
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