第15話 幽霊騒動1

 その日、朝から楠木くすのき明松かがりの自宅、そこにある道場にて、妹である音琴ねことと柴田は対峙していた。


 楠木流抜刀術。

 それを、目の当たりにしていたのだ。


 実際の刀を使うと危険ということで、ほぼ同じ重さ、同じ形でありながらも、鞘の中に収められているのは木刀である。

 だが痛い。

 一発目を受けたので、それはよくわかっている。

 ともかく先手は取れないのだなと、そういう印象が強かった。攻撃の起点、たとえば踏み込もうとする意識、あるいは重心の動き、その瞬間にはもう刀が鞘から抜かれている。

 そして――速い。

 どうにか目で追って紙一重で二発目からは回避できたものの、避けたと思ったらもう鞘の中。

 先手を取り、速度で勝つ。

 そういう手合いなのだろうと、受け取った。

 ただし、初見の印象を言うと――なんというか、近いのだ。

 間合いが、近い。

「刀ってのはな――」

 その疑問を感じ取ったのか、道場の入り口でずっと見ていた明松が口を開いた。すると、音琴も軽く距離を取り、柄から手を離したので、柴田も暖まった躰を意識しながら、躰の力を抜いた。

「斬るためには、引かなくちゃいけない。剣ならば叩けば良い、ありゃ斬るものじゃないからな。だが刀は、当てて、引く。つまり刀の中央付近を当てて、引くことで先端を抜くか、あるいは押して滑らす方法もある。あるが、どちらにしても叩くだけじゃ駄目だ」

「だからこそ、刀は曲がっているのですね?」

「そうだ。故に、扱いも難しい。単純に振り切るだけなら、より手元近くを当てないといけないしな」

「なるほど。そして、居合いの本分とは、速度ですか」

「正解だ。鞘滑りを利用した居合いは、速度に特化させる。そして楠木とは、先手を取り続ける。そうやって積み重ねてこその楠木だ」

「明松さんもですか?」

「いや、俺は戦場に出た時点で、楠木をにしちまった。その時点で、武術家の楠木としては死んだようなもんだ。訓練して積み重ねてはいるが、それは生き方じゃなく、ただの手段。武術家じゃない」

「はあ、なるほど――音琴さんは複雑そうな顔ですね」

「うん、だって私、兄さんに勝てないから」

「勝ち負けはもう忘れたよ……さて、続けろ。音琴、もう一段階上げていいぞ、まだ準備運動にもなってねえだろ」

「はあい」

「――はい?」

 その疑問への答えは、再開した訓練そのものだった。

 上がったのは、速度だ。

 先ほどまでは目で追えていたのに、今は刀の中央から先端が、完全に見えなくなっている。だから、そこに直感を加えて回避を続け――そして。

 柴田はその先に、楠木の一部を見た。

 いや、厳密には見えなかったのだ。

 柄を握った手しか、見えないほどの速度――つまり、さんざん斬られた。痛い。

 訓練終了の合図と共に、柴田は道場に座り込んだ。音琴はシャワーを浴びに母屋へ、熱いお茶は明松の手から渡された。

「お疲れ」

「ありがとうございます。こんな機会、そうそうないでしょうから。けれど、あの香奈子かなこ先輩ですら、やりたくないと言っていた気持ちがわかりましたよ」

「武術家ってのは、古くから続いてるし、鍛え方や育て方ってのにも、ある程度は精通してるからな。けど、楠木としてはともかくも、居合いとしては、

「……もしかして、まだ速くなるのですか? はっきり言って、自分は目で追えていませんでしたよ?」

「そろそろお前も、呼称をどうにかしろ。そうだな……俺を使え。敬語は直らんだろうが、そんくらいならできるだろ」

「はあ、気になりますか」

「なる」

「わかりました、気をつけます」

「そういうところは素直なんだよな、お前は。……武術家の本家、その筆頭には雨天うてんって家名がある。知ってるな?」

「聞いたことは、あります」

 当然だ、それこそ柴田の実家にとっては、天敵――らしいから。

「確か、あらゆる得物において、どの武術家も追随を許さない家名、でしたよね? 正直なところ、じぶ……俺が聞いた時は、誇張してるんじゃないかと思いましたが」

「事実だ。居合いでは楠木に勝り、小太刀では都鳥みやこどりに勝り、槍では朧月おぼろづきに勝り――と、まあ、どんな武術家でも、雨天を目指す構図が作られてる。でだ、その御大の居合いを、俺は見たことがある。ある種の鍛錬だったんだが……」

 これは音琴に言うなよと、念押しをされて。

「居合いに慣れた俺でも、見えなかった」

「それは……」

「待て、勘違いするなそうじゃない」

「はい」

「いつ抜いたのかが見えなかったって話だ」

「――え?」

 そっちの勘違い?

「ええと……はい?」

「だから、自然体のまま立ってて、柄に手を添えるだろう?」

 そうだ、そこから音琴は前傾姿勢のような構えを取り、その流れのまま居合いを完成させ、させると同時にもう間合いに入る踏み込みが

「このまま動かないんだよ」

「……居合いではないんですか?」

「居合いだ、そのくらい速い。ちょっと遅くしてやるって、笑いながらやったら、手首が瞬間、ブレるように見えるくらいの速度だった」

 ――つまり。

「その時点で死んでますよね……」

「それが、居合いだ。そういうやつもいるってことは覚えておけ」

「はあ、まあ、音琴さんでも充分に、俺の手には余りますよ」

「確かにお前は、攻撃も防御も、いまいちだなあ……」

「チェシャや珠都さんのような動きはできませんよ」

「悪くはないだろうが、単一の戦力としては期待できないな。まあ、領分はそれぞれ違うか……でだ、柴田」

「はあ、仕事ですか。構いませんよ」

「お前そういうとこあるな」

「はい?」

「一般論だし、軍なんかじゃたまに見かけるが――恩がある、そう口にするヤツはそれなりにいる。けどな、恩を作った側ってのは、とっとと一人前になって、自分で行動を選んで、好きにやってくれと思っていたりもするんだよ。それが決別であっても、手から離れることを望むのが、親ってもんだ。覚えとけ」

「そんなものですか……」

「柴田は、それなりに上手くやってるけどな?」

「どうもです」

「ん。でだ、夜の企業街付近で、幽霊騒ぎがある」

「企業街ですか。基本的に夜間は、繁華街付近が一番人通りが多いですよね」

「一般の学生たちや、大人もそうだが、出歩く連中は限られる。だが、異種族ばかりじゃない」

「はい、わかります。そして暗黙の諒解である、夜に起きたことは日中に話すな――というルールも、曖昧にはなってますね」

「状況によりけりだからな、そこまでは厳格に縛れない。というわけで、適当に解決してくれ」

「……」

 じっと見つめるのではなく、ぼんやりと湯呑の中にあるお茶の揺らぎを見つめて。

「手を貸してくれませんか?」

「手は貸せないが、名前くらいは貸してやる」

「ありがとうございます」

「ん。――で、チェシャとはどうだ?」

「はあ、同居ですか? 特に問題はないですよ。この前、なんかしがみつかれて、思い切り噛まれましたが」

「へえ?」

「なんか耐えている感じだったので、そのままにしておきましたが、特に険悪という感じも――いえ、どういうわけか、チェシャはいつも不機嫌ですが」

「ああ、発情期だなそれ。猫族特有のものだ、本人に聞け。あとギョクがたまに顔を見せてるだろ」

珠都たまつさん、遊びにきてますね。たまに泊まっていきますが」

「ついでに連れてけ」

「はあ、珠都さんには頼もうと思っていたので」

「そういうところが卒ないな、お前は」

「可能性を潰しているだけですよ。何事もなければ、それで良いですし……」

「想定外が起きたら?」

「泣いて逃げて戻って再スタートです」

「どうだかな。それと、ここんとこお前、小さいハエを叩いてるな?」

「――さすがに、気付かれますか」

「そりゃな」

 仕事とは言えないほど、小さな動きではあるし、給料は貰っていないが、トラブルにもならない――そう、種から出た芽を、柴田は潰していた。

 基本的に状況の中で、後手を選ぶ柴田には、あまり似合わない行動だ。

「煽りを入れてんだろ。そんなに誰かが案件を横からさらうのが嫌か?」

「……そこまでは言いませんが、まあ、じぶ……失礼、俺が関わった以上は、放置しておきたくないので」

「ヨーロッパ連合に恨みでもあるのか」

「恨み――では、ありませんが、思うところはあります」

「言ってみろ」

「吸血種発祥の土地でもあることから、異種族への脅威と共に、偏見が強すぎるんです。かつて行われていた魔女狩りのようなものが、当たり前のように存在しますからね」

「まあな」

「差別や偏見が嫌いなんですよ……ああいや、そうではないのですが」

「ん?」

「差別、偏見というものは、。可能なのは、それを妥協することです。俺が嫌いなのは、つまり、差別の先に格差を作り上げて、片方を迫害することでしょうか。実際、選民意識が強い竜族が討伐された件を珠都さんから聞いた時は、そういうこともあると納得したくらいですから」

「相手が銃を持ってるから、一方的に要求を飲まそうとする?」

「似たようなものですか。だったら、同じ銃を持つ相手に殺されても文句を言うなと、ううん、……そんな感じですかね」

「つまり、異種族に関して当たりの強いヨーロッパ連合を、嫌ってるってわけか」

「そうなります」

「だからって、お前が矢面に立てば、向こうだって邪魔な障害だと認識する」

「はあ、そうなるよう、ほかの手が入らないようにしているのは、明松さんでは?」

「まあな。悪く言えば統括室として、たかがお前くらいの存在が、犠牲になってくれるなら、それすら理由にして上手くやってやろう――と、そういう意図もお前は読んでるだろう?」

「好都合だったので」

「相手側も、お前を除外すりゃ問題がなくなると、勘違いしそうなくらいには、手を回している」

「そうなってくれれば、ありがたいですが」

「その先にある最悪の可能性に関しては考慮してるな?」

「はい。なのでその時が訪れたのならば、預けてある俺の命を、返していただけますか」

「……」

「なんです?」

「とっとと返したいから、そうなるよう仕向けようかなと」

「はあ、そうですか。とりあえず幽霊騒ぎを、とりあえずやっておきますね」

「おう、頼んだ」

 頼まれたのならば、これは仕事だ。解決方法は一任され、どうであれ報酬が振り込まれる。その金の使い道を迷うくらいには、買い物下手であることは、同居人に証明されていた。



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