第14話 今日のお仕事4
冷たい水が全身を撫で、ヒリヒリとした痛みもあって、落ちていた意識が覚醒する。ぼんやりとした視界は、顔が腫れているからで、その原因はこの反省用独房に似た地下牢に拘束されてから、入れ替わり立ち代わりでさんざん殴られたからだ。
「――気付いたか?」
「……ええ」
椅子に座らされ、両手両足は拘束されたまま、ゆっくりと顔を上げた柴田は、軽い深呼吸をして気持ちを整える。
「悪いな。うちの連中は、異種族ってやつに人権がないと思ってるらしい。クソッタレだ――どうせ殺すなら、何をしてもいいってな。暴れるなよ」
何をするのかと思えば、左手だけ拘束を外し、水の入った真新しいボトルを手渡してくる。視線を落とし、上げれば、部屋の隅にあった椅子に座った青年は、小さく笑って煙草に火を点けた。
まあいいかと、柴田は口を使ってキャップを開き、少しだけ水を飲んだ。
「……お話をしても?」
「いいぞ、構わない。あいつらは近づかないようにしたし――どうせ殺すなら、俺は、話す方を選びたい。これも仕事だが、臆病だと言われようとも、俺はできる限り、自分の手で相手を殺したくなんてないからな」
「はあ、なるほど。……しかし、こう言っては気を悪くするかもしれませんが、あなたも、異種族では?」
「わかるか」
「雰囲気がイッカさんと似ていますから」
なるほどねと、彼は言う。
「闇夜の眷属の発祥を、お前は知ってるか?」
「ある程度は。吸血種の王、名を持たないただの王、夜を統べる王、彼が戯れに指を切ったのならば、五本の中から三本が形を作った。親指は金色の髪、高い再生能力を持ちながら――人を嫌った。薬指は金色の髪、吸血能力を有しながらも、それを否定した。そして中指は黒色の髪、再生も吸血もなく、ただ身体能力の高く、人に紛れた――」
「そうだ。その中指こそ、闇夜の眷属と呼ばれる俺たちの先祖だ。でな、その発祥はヨーロッパなんだよ。いるとわかっているものが、いたのなら、迫害もされる。だから連中は異種族に対して攻撃的だ」
「しかし、あなたは彼らと行動をしています」
「条件付きな上に、俺たち兄妹を拾ってくれた人が、軍の上層部にいる。感謝してるよ、お陰で妹は無傷だ。俺は妹のためなら、どれだけ犠牲を払っても構わないと思ってる」
前髪を上げれば、隠されていた目が露出する――が。
よく見れば。
「義眼、ですか」
「えぐり取られてな。まあ、だからこそ、俺らはこんな仕事をしてるってわけだ。
なるほどと頷いて、柴田は水を口に含んだ。
「これも仕事、ですか」
「まあな。恨んでくれても構わない」
「いえいえ、恨みはしませんよ。面倒なので」
「変なヤツだな……言っておくが、助かる可能性はほぼないぞ?」
「そうでしょうね。しかし、こうして会話をしてくれる人がいるんです、助かりますよ」
「……何を考えている?」
「はあ、とりあえず躰が痛いですね。ところで、ヨルノクニはいかがでしたか?」
「ん? どういう意味だ?」
「そのままですが」
「異種族の楽園――みたいな話は聞いたが、夜に限定はされてるな。迫害は起きていないようで安心したよ」
「あなたも住める、そう思いませんでしたか?」
「……、親父を見捨てて、できると思うか?」
「そうでしょうね、失礼しました」
それが肯定的な答えであることを理解しながらも、柴田はツッコミを入れなかった。
足音が聞こえたのならば、彼と同じ軍服に袖を通したイッカが顔を見せた。
「――うわっ、ごめん先輩、だいぶ殴られた?」
「痛みには慣れているので大丈夫ですよ。潜入捜査、お疲れさまです」
「あ、ども。……ん? あれ?」
「イッカ、どうもこいつは、腹が据わってるんだが、馬鹿なのか?」
「いや、そういう感じはなかったけど……ええと、柴田先輩?」
「はい、なんでしょう」
やはり、
捕まって、殴られて、それでもいつも通り過ぎた。演じているのならば、それでも構わないのに、そうでもなくて。
「いえ、その……」
「ふむ。しかし、どうも俺の部隊の四人目というのは、なかなか見つからないものですね。イッカさんならばと、期待もしていたのですが、三人目も駄目でしたか」
「あ、ああ、うん、ごめん」
「まあ、俺としては部隊にならない方が動きやすいんですけどね」
「……イッカ、こいつの仲間は動きそうか?」
「それは俺が答えますよ。おそらく夜明けまでは待つでしょうが、それ以降は勝手にすると思います。行政部も頭を抱えるでしょうね」
「脅しか?」
「違う、兄さん。そういうことを言う人じゃない」
「馬鹿、命が奪われる状況なら、人なんて変わる」
「でも変わってない」
「…………」
「ご安心を。そうならないようにするのも、俺の役目ですから」
「おい――」
「待って兄さん。……先輩、柴田先輩」
「はい、なんでしょうイッカさん」
「もしかして、この状況を、予想してましたか?」
「はあ、もちろんしていましたが」
「……私が、裏切ることを?」
「そうならないことを願っていましたが、その可能性は常に疑っていました」
「――いつから」
「最初に顔を見た時から、ですが」
何故か?
それは簡単だ。疑いを向けて、行動を探り、確証を得ても可能性を消さないのは、柴田の生活のようなものだから。けれどそれを、表には出さない。
サバイバル訓練で、初めてチェシャと出逢った時も、そうだった。
「ただまあ、こう言ってはなんですが、潜入に関しては二流の手際だと思いますよ」
「……下手でした?」
「いえ、上手かったです。しかし、上手くやり過ぎました。どう転んでもそうなるよう事を運び、周囲に疑問を抱かせない――これは、机上の理想論なんですよ。そういう現実を前にして、俺のような人間は、疑問を抱かない状況そのものに、疑問を抱いてしまいます。一流は、疑わせてから、その疑いを晴らすことで潔白を得ると、そう聞いていますが」
「……」
「それと、そちらの方も」
「――俺か?」
「ええ、何度か足を運んでヨルノクニの様子を見ていらしたでしょう? 勘違いしているようなので訂正しますが、俺のような存在はあの場所では、レベルの低い方ですよ。といっても、そういう裏側をイッカさんには見せないような配慮も、していましたが」
ようやく、彼もまた、苦し紛れの言い訳などではないことを察した。
柴田は、現状を認めているし、飲み込んでいる。
その上で。
「手は打ってある、か?」
「はあ、おそらくあなたの思う意味合いとは違いますが。ただ俺としても、仮にその決定が覆らないとしても、できれば殺しはしたくありません。ほかの誰かがやってくれるのならば、臆病を言われようとも、その方が良いんです。けれど、まあ」
苦笑が一つ、続けられる言葉を彼は知っている。
だって、それは彼が放った言葉を、ただ返されているだけだから。
「――これも、仕事ですからね」
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