第9話 転んだ荷物の顛末2
翌日の昼前だ、チェシャ・ラッコルトが疑念を抱いたのは。
確かに昨夜の仕事において、一つの解決を見た――が、しかし、荷物を倒してしまった新入りというのは、密輸犯なのかと、そう思ったのだ。
確かに。
多くの拳銃が並んでいれば、一つくらい盗んでも見つかりにくい。だが柴田は、好奇心という言葉を使っていて、であれば、突発的な犯行だったはずだ。
ではそもそも、あのコンテナの荷物は、何だった?
なんのために密輸されていたのか――その件に関して、忘れていたチェシャも悪いが、しかし、どうにもはぐらかされたような印象が強い。
そう思って、昼食ついでに搬入口に顔を出したら、昨夜の荷物はなくなっていた。
警備部が引き取りにきたのか? そう問うても、警備部は来ていないとのこと――だったら、その荷物はどこに消えた?
何かがおかしい。
まるで、何も解決していないのに、さも解決したかのような結末を、ぽんと手元に置かれたような気分で、チェシャは携帯端末を取り出して、連絡を入れた。
相手は、
『――おう』
「明松先輩、昨日だけど柴田に投げた仕事さ」
『ん? なんだ、別行動か? こっちは、仕事終了の挨拶は来てない』
「――わかった、ありがと」
あの野郎、とやや怒りを滲ませて呟く。
それから一時間、繁華街を中心にして存在する情報ネットワークに立ち入り、あれこれ情報を集め、どうにか柴田の動向を掴んだチェシャは、昼飯を食べることも忘れ、フライングボードに乗って移動を開始。
公共交通機関もないここでは、走るよりも体力的にはフライングボードが圧倒的に早い。自転車を邪魔しないよう、道路を移動すれば、短時間で済む。
――向かったのは、
おそらく、海上都市ヨルノクニに来る観光客の多くは、遊園街を目的とする。ある種のテーマパークであり、ヨルノクニの面積の三分の一を使う遊園街は、しかし、独立自治を行っている。繋がりがあるのは、司法部だけだ。
どうして?
それは、テーマパークもあるけれど、ギャンブル特区でもあるからだ。学生が気軽に入れる場所ではないし、ガラの悪い連中もそれなりにいる。
しかし、チェシャは情報屋ということもあって、フリーパスで上手く入れる。もちろん、規定の料金は支払うが。
フライングボードはそこで預け、やや速足でそこへ向かう。
遊園街にある、遊園部の社長がいるビルだ。
中に入れば。
「――間に合った」
ちょうど、柴田が受付にいた。
「警備部所属、柴田
間に合ってなかった。
「おや、チェシャではありませんか」
「あんたね……! ちょっと、なに、マフィアのボスみたいなのを相手に、何してんの……!」
「はあ、そう言われましても」
実際に、賭場もあるし、ここの社長はそういう側面を持っている。ともかくクリーンな賭場であっても、利権はともかく、ギャンブルに没頭し過ぎて暴れる客がいるのだ。そういうものの対処をするのも、役目ならば、それなりにマフィアの真似事みたいなこともする。
するというか、印象としては、それで大きく間違いがないのだ。
「――お待たせしました、社長がお逢いになるそうです。五階、接待室へどうぞ」
「ありがとうございます」
「私も行くから……」
「はあ、しかし」
「いいから、口出しはしないから」
「そうですか」
柴田はそれ以上の文句は言わない。だって、この状況は予想していた――むしろ、遅かったと思ったくらいだ。
エレベータで五階まで上がり、歩いていた女性に案内された接待室。一対のソファと木造テーブルが鎮座しており、中には誰もいなかったので、柴田は一度外を見て、高さを確認してから、床から天井まで一面の窓ガラスに背を向ける位置で、ソファに座った。チェシャもその隣に腰を下ろす。
「あんたね」
「――おう」
文句を言う前に。
タイミング悪く、いや良く? ――その男性が顔を見せた。
ぱっと見れば、スーツ姿でも軽薄そうに映る男性だが、妙に眼光が鋭い。一言一句、ここでは間違えられないと、チェシャは深呼吸をするように警戒した。
――が。
柴田は、いつも通りで。
「柴田であります」
「聞いてる、俺は社長の
「用件は、あくまでも確認です。転んだ荷物ですが、こちらにきちんと届きましたか?」
「ふん」
対面のソファに腰を下ろした瀬戸は、迷わず煙草に火を点けた。
「俺は昔から面倒が嫌いでな。話が通じねえヤツなら、迷わず殴る。その方が手っ取り早いからだ。なあ柴田、おい、仮に俺がそいつに頷いたとして、黙ってお前を返すと思うか?」
「はあ、その、それがここのやり方――ですか?」
「そうだ。力ってのは、暴力だけじゃないが、わかりやすくていい。力がねえヤツはいつだって負ける。会話が得意なやつは、会話で凌ぐが、凌げねえなら殴られる。殴って解決したいやつは、会話じゃ凌げねえ。だから、会話の場じゃすぐ負ける。――で、お前はどうなんだ?」
「自分でありますか。そういう評価は受けておりませんが、しかし、一つよろしいですか」
「言ってみろ」
「であるのならば、自分を殺しても良いのかどうか、確認は取れているのでありますか?」
「ほう……一丁前に言いやがる。うちの〝肉屋〟は優秀だし、外洋にゃ餌を待つ魚だっているが?」
「確かに、力で対峙したのならば、自分は負けるでしょう。何しろ立場が違います――が、しかし、逃げることくらいはできると、そう思っております」
「面白い、試してみるか? 隣にいる猫の手を借りて? ハッタリとしては三流だな」
「では、これも〝確認〟します。やってもよろしいですか?」
「――いや」
瀬戸は、すぐ否定の言葉を口にした。
「やめろ」
「はい、そうしていただけると助かります」
瀬戸は狼族だ、鼻が利く。匂いとは、その人物の感情まで表すものであり、隣にいるチェシャがかなりの警戒を見せているのは、すぐわかった。何かがあった時に、迷わず行動できるようにしている――が。
柴田は、わからない。
わからないというより、変わらない。
確信を持っていて、自信があるわけでもないのに、それがハッタリであるという確証すら得られないほど、感情の匂いがない。平時のまま、いつも通り、揺れ動くことすらせず、緊張もしていない。
だから、確証がないならそれはギャンブルになる。
やってみろと、改めて言うことができなかった。
「で、何の用事だ?」
「ああはい、繰り返しになりますが、転んだ荷物に関して、こちらに届きましたか?」
「……、何故だ?」
「あ、それは私も気になる」
「荷物が転んだからこそ、トラブルが発生したのが現状でしょう。しかし、それがなければ、荷物は無事に届いたはず――どうやってかは、問題ではないかと。つまり、検閲を通り、搬入口にまで到着し、それは運ばれる。中身を見る限り、警備部かこちらしかないでしょう」
「ない、か?」
「数が数ですから。こちらは特別自治区、それなりに必要でしょう」
「なるほどな。だが、うちだと特定はできないはずだ」
「荷札がついていない荷物は存在しません。しかし、現実として荷札は消されていた。内通者というか、違法ではあるが目を瞑る、そういう暗黙の諒解があるのでしょう。少なくとも行政、警備、司法の三つが認可しているはずです――ならば、ここしかないでしょう?」
「ふん」
煙草を消し、ソファに持たれるようにして思案した瀬戸は、軽く目を細めた。
「……確かに、荷物は届いてる。――で? だからどうした?」
「だから、とは?」
「お前の要求は何だと聞いている」
「はあ、要求ですか。よくわかりませんが、確認はもう一つあります。掠りを行った一名および、もう一人を警備部が確保していますが、今回はこちらで再教育――で、構わなかったでしょうか」
「確かに今回は、面倒だからそうするつもりだったが……」
「はい、わかりました」
以上だ、とばかりに頷かれれば、さすがの瀬戸も眉根を寄せた。
「おい、おい猫」
「なに」
「こいつ大丈夫か?」
「私に聞かないで」
「……? ああ、そういえばもう一つ、こちらはミスになるので言うべきかどうか、迷っていたのですが」
「なんだ言え」
「自分がその二名を確保した際に、警備部へ連絡しました。しかし、そこでこう言われました――こちらで保護しておく、と。その一言でだいぶ先が見えたので、自分としては助かりましたが」
「そうだとして、だ。そもそも、ここまで来る必要がどこにある?」
「はあ、しかし、こうしておけば次があった時、――電話一本で済ませられるでしょう?」
言えば、瀬戸は笑った。
現状では、敵とも味方とも言えない立ち位置だが、その考えが面白い。
「俺を脅すのでも、改善要求をするでもなく、ただそれだけか!」
「だけ、とは言いませんが、似たようなものです」
「警備部なんだろう?」
「警備部の仕事は昨夜、二人の確保をした時点で終わっています。そして起きていたトラブルは、自分が確保の指示を出してしまったこと。その解決のために、こうしてきました」
「クックック……ちょっと待ってろ、珈琲を持ってきてやる」
「ありがとうございます」
立ち上がり、瀬戸が部屋を出てすぐに、チェシャは肩から力を抜いた。
「――はあ。ああもう、生きた心地がしない」
「そうですか?」
「あんたね、だから、余計なことに首を突っ込んでる自覚がないわけ?」
「はあ、とりあえずこれも仕事なので」
「こいつは……!」
「念のため、何かあった時に逃げれるくらいの準備はしてきましたよ」
「拳銃とナイフだけで?」
「まあ、いろいろと。ところでチェシャ、一つ聞きたいのですが」
「なに?」
「自分がここに来て十五分、情報の第一報としてこれは、早いのでありますか?」
「――」
ここにきて、そんなことまで考えていた?
本当にこいつは、一体何を?
「内容次第だけど、一報を上げられる段階というなら、早い方。遊園街の社長してるんだから、当然とも言えるけど」
「なるほど。だとすれば、どこまで、というのが重要ですね」
「そうだけど……」
「話せばわかる方ですよ?」
「怖くないの、あんた」
「はい」
まったくと、吐息を落としたら、瀬戸が戻ってきた。しかも、自らお盆を片手に――である。
「ほれ」
「ありがとうございます」
「……どうも」
「ん。仕事の話は終わりにしよう――と、その前に」
「なんでしょう」
「警備部なら社長か、クレイなら事情を知ってる」
「そうですか。これを終えたら、再教育に関して自分が説明に行こうかと思っていたところです。では、クレイ教官殿に伝えます」
「おう、それだ。お前、ここにきて一年、ずっとクレイの訓練を受けてたんだって?」
「はあ、ご存知でしたか」
ご存知でしたか? 先ほど、情報の第一報がどうのと話しておいて、どういうすっとぼけ方だ、こいつは。
「あの頭をクレンザーで洗ったらもっと光るんじゃないかと、受付に注文をしたくらいには、よく訓練をしてくれました」
「どうりで、警備部らしくねえわけだ」
「所属しているだけなので」
「おい猫、お前は知ってんのか」
「うっさい狼。半年前のサバイバル訓練で一緒しただけで、こいつ、私の顔も覚えてなかった」
「へえ?」
「女性は半年で変わりますから。失礼ながら、お二人は?」
「直接の知り合いじゃねえよ。ただ、情報屋なのは知ってるし、くだらねえ情報を拾ってるのも知ってる。もっとも、
「……わかってる」
「ふん。でだ柴田、お前うちに来ないか?」
「申し訳ない」
「なんだ、断るのか?」
「失礼ながら、――あなたでは自分の命を預かれない、との判断であります」
「ほう……?」
僅かに、空気が張り詰めたのをチェシャは感じた。
これだから嫌なのだ、この遊園街の裏側にいる人物たちは。しかも瀬戸はその筆頭である。
どれほど呑気な会談であったも、たった一言で相手の気が変わる。和やかな雰囲気は一転、こうして一触即発になってしまう。
しかも。
それが単なる脅しだとは限らないのだから、厄介だ――が。
しかし。
「どういう意味か、言ってみろ」
「はあ」
凄む瀬戸に対して、柴田は変わらない。
相変わらずとぼけたような顔で、笑いもせず、珈琲を飲んで、美味しいと言葉を漏らす程度には、気楽なまま。
空気が読めていないような、態度で。
「自分の命を、あなたは、明松さんから奪えるのでありますか?」
「――」
そういう、間違えない返答をあっさり行うのだ。
盛大な吐息が、瀬戸の口から出て、舌打ちをしてから煙草に火を点けた。
「わかった、俺の負けだ」
「はあ、どうも」
「野郎の指示か?」
「地下搬入口でトラブルがあったので、解決してこいと」
「おいおい、それだけでここまで来たのかよ」
「そうですが……おかしいですか?」
「どうだ猫」
「おかしい」
「だそうだ。やれやれ……お前、ギャンブルはやるのか?」
「いえ、望んではやりませんが、状況次第です。実際、今回もギャンブルはしました」
「へえ、どんなだ?」
「自動砲台として狙撃銃を配置していますが、自分としては隣室を狙って騒ぎを起こすつもりが、この部屋になってしまいました。これでは直接狙うことになってしまいます」
「……あ? なにお前、銃器持ち込んだ挙句、配置した? そんな許可、誰が通した」
「いえ、こっそり持ち込みました」
「普通はできねえんだよ馬鹿。ああもういい、とりあえず柴田、一つ頼みがある」
「なんでしょう?」
「うちの娘が、二年も顔を見せない。帰って来いと伝えてくれ」
「はあ、誰ですその娘さん」
「
「そうでしたか。わかりました、直接言っても聞かないと思うので、上手くやっておきます」
「ん、頼む。さて、俺は仕事に戻るから、しばらく休んで行っていいぞ」
「ああいえ、自分たちもここで失礼します。では最後に一つ」
「なんだ?」
「瀬戸さんの配下――と言っていいのかはわかりませんが、爆発物に詳しい人はいらっしゃいますか?」
「ん……? それなりにはいるが」
「では、こちらが建物の図面になります。印のある場所に遠隔信管つきのセムテックスが設置されていますので、処理をお願いします」
「おい……」
「はあ、なんでしょう」
「なに爆発物仕掛けてんだ? お前テロ屋か?」
「いえ、違います」
「真面目に答えてんじゃねえよ。――なにやってんだ!」
「言ったではありませんか」
ようやく、ここにきて、柴田は苦笑した。
「逃げる用意はしてある、と――あだっ、どうしてチェシャが殴るんです!?」
「あんたが馬鹿だからよ!」
使わなかったんだからいいじゃないかと、そう思うのがおかしいのだろうか。
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