第7話 新生活が始まる前の雑務
そもそも、
付き添いもなく一人で繁華街へ行き、住宅街との境界線のあたりが、案内の地図に表示されており、確認して赴けば、そこに。
高等部の制服を着た少年が、鞄を片手にそこにいた。
柴田の命を預かった、その人である。
「よう」
「――お久しぶりであります、明松殿」
「ん。お前は今日付けで訓練生じゃない、俺のことは殿をつけなくてもいい」
「は、諒解しました」
気軽にしろと言っても、通用しないのを明松はよく理解している。軍人なんてのは、引退しても上官は上官だ。明松だとて、かつての上官には似たような態度をとってしまう。
「中に入れ」
「はい」
門から玄関までも十メートルはないにせよ、それなりに長く、庭も手入れこそされてはいないが、かなりの広さだった。
「ここは明松さんの家なのでありますか?」
「いや、今日からお前の住居」
「――自分の、でありますか」
「説明してやる」
中に入れば、玄関もそれなりに広く、靴を脱いで上がった。
「入口からすぐ左側が風呂、右側がリビング」
「はい」
リビング側に入れば、これまた広く――。
「正面奥がキッチン、見えるだろ。キッチン手前の、左側にあるのが二階への階段と、裏庭に面した一階の部屋。風呂を除いて一階には三部屋、二階には六部屋」
「共同宿舎でありますか?」
「宿舎というよりも、寮だな。今は使われていない」
「その割には、麻雀卓やエアロバイクなど、やや大きめの備品があるようですが」
「邪魔になった荷物を俺が運んでおいた、好きに使え。今日からここはお前の住居だ――と言えば、わかりにくいだろうが、つまりは管理人だな。染みついてるだろうが、暇なら掃除をしとけ」
「諒解であります」
「さて」
テーブルがなかったため、キッチンとリビングの境界にある細長い仕切りテーブルにまで移動して、明松は鞄からファイルを取り出した。柴田も荷物を隅に置いておく。
「手順を言う、覚えろ」
「メモの用意をします」
「ん。それぞれファイルに指定があるから、顔を見せたらファイルの中身を提出しろ。三日やる、まずは書類を読んで、残り二日で済ませろ。いいな?」
「はい」
それが終わってようやく、柴田の生活は始まるのだ。
この場所の説明を、しておこう。
日本、四国の南端、外海おおよそ二十キロメートル海上に、ギガフロートが浮かんでいる。
それがここ、海上都市ヨルノクニだ。
ほぼ独立した自治を行っており、日本国と認定されながらも、行政の介入は基本的に存在せず、ヨーロッパ連合およびアメリカ海軍も、周辺海域に展開することはあっても寄港は許されていない。
自治それ自体は、各部門が存在し、それらが連携して行っている。本土とはモノレール一本で繋がっており、いわゆるパスポートのようなものがなければ、足を踏み入れることが難しい。
一部の人は、こう呼ぶ。
異種族の最後の楽園だ――と。
特徴としては、車の存在が許されていないことが挙げられるだろう。基本は徒歩、地面から二十センチほど浮いて移動できるフライングボード、そしてロードバイクと呼ばれる自転車での移動が多い。そのため、雨が降ると学園は休日になる。フライングボードが雨だと使えないからだ。
ともかく。
柴田は翌日
最初に向かった先は、行政部門である。
都市内における役所であり、本土との交渉も任される役どころだ。
可能な限り本社へ行けと言われたので、支点ではなく本社の入り口から中に入り、窓口の一つに向かった。
「失礼、自分は柴田剛史であります」
「――はい、お待ちしておりました。どうぞ奥へ」
業務をしている人数は十三人ほどだろうか。それを横目に隅から奥へ行って、別室で少し待たされ――やってきたのは、老獪という印象そのものの男性であった。
「おう、来たか。座って構わんぞ」
「では失礼。自分は柴田であります」
「行政部社長の
「はい、こちらです。ご確認を」
「おう、確認しといてくれ」
入ってきた眼鏡の女性が、にっこり営業用の笑みで書類を受け取り、部屋の隅にあるデスクへ向かう。
「すまん、細かい事務処理はあまりやってなくてな」
「いえ」
「では面倒なことから先に片づけよう。まず身分証明書、こちらはまだ書面だ。最終的な発行はまた来てくれ。少なくとも司法部、統括室、警備部の認定がいる。うちが発行できる銃器所持、爆発物取り扱いの第一次認定書がこれだ、持っていけ」
「はい。……はい? 銃器所持が認められるのでありますか?」
「警備部でも一部はそうだ。考課表を見る限り、問題ないと判断した。というか、
「いえ、聞いてはおりません」
「そうか。まあ、許可なんてあった方が良いだろう。こっちが広域移動許可、つまり海上での狙撃に関する書類だ。といっても三千ヤードくらいが境界になってるから、そうそう届かないだろうがな」
「外交上の問題ですね」
「めんどくせぇけどなあ、外交なんて。腹の探り合いばかりだ。さて、こっちが確定申告の認定書類で、ええと……なんだ、ああそうだ、これがお前の印鑑な。実印、銀行印、認め印の三種類、こっちが実印登録。――書類ばっかだなあ、おい」
「はあ、確かにその通りであります」
「楠木の手配だから、もろもろすっ飛ばすこともできるだろうに」
「社長、愚痴が多いですよ」
「口うるさい秘書がいると楽でいいなあ! で、柴田は次、どこ行くんだ」
「次は経済部門であります」
「そうか。俺が対応するとは限らんが、何かあったら顔を見せろ。親しくしといて損はないぞ? ただ俺のところに書類はあまり持ち込むな、面倒でいかん。最近はどうも老眼が――」
「社長」
「……できた秘書だな、まったく。以上だ、よろしく頼む」
「は、こちらこそであります、忍足社長殿」
「ん」
渡した書類よりは少し減ったが、それでもまた書類を抱え、次を目指す。
企業街になっているので、それほど移動時間は取られないのが救いか。次のビルは、経済部門である。
新しい商売をするための土地の確保、店舗の貸し出し。商売そのものの販路拡大や、仕入れルートの確保など、販売部や仕入部が現場に近い行動ならば、経済部門はその統括の位置にあり――いわゆる、本土で言うところの銀行を取り扱っている。
奥に通され、やはり個室で待っていれば、髪の短いスーツ姿の女性が顔を見せた。営業用の笑みはない。
「どうぞ、座って。私は
「柴田であります」
つまり。
何かしらの理由で、社長職から退いたものの、次期社長としての立場を確約されている、ということだ。その理由についてはいくつか考えられたが、いちいち聞かなくても良いと柴田は判断を下す。
「印鑑は持ってきた?」
「はい、行政部門に先ほど顔を出して、いただいてきました」
「じゃ、まず実印証明書」
「――どうぞ」
「ん。印鑑こっちちょうだい、実印と銀行印。提出書類は?」
「あ、はい、こちらです」
「読んできた?」
「はい」
「じゃ、印鑑押すから確認ね――ん? どしたの?」
「ああ、いえ、失礼。忍足社長は秘書に任せていたようですから」
「あの男は……いや、まあ、行政部社長なんてのは、腹黒いタヌキたちを相手に、言葉の裏しか取れない気持ち悪い話をしながら、会食を楽しむのがお仕事だから。率直な感想は?」
「最悪ですね、死にたくなりそうなので自分はやりたくありません」
「太り気味で日頃からゴルフの腕前ばかり上げようとしてても、多少は尊敬できるようになるでしょ?」
「まったくです」
「よし、こんなもんかな。先に手続きは終わらせてあるから、事後提出の書類なんだけどね」
「というと……?」
「はい、これがあんたの通帳と、キャッシュカード。こっちがクレジットカード、見た目でわかるわよね。早いうちに携帯端末を購入して、連携させること。そっちの方が安全だから、いいわね?」
「わかりました……が、しかし」
「なに?」
「自分には所持金がないのだと、今、気付いたのですが」
「今なの?」
「はあ、飯は魚でしょうか」
「一年間の訓練生活の報酬で三百万が振り込まれてるから、当面は気にしなくていいでしょう。面倒だから先に言うけど、詳しくは
「諒解であります」
いつか稼いで返そうと、そう思うくらいには仕事に意欲的であった。
「そうそう、銃器類は警備部を通すんだけど、消耗品に関しては独自ルートも構築可能だから。個人取引の証明書は控えを入れてあるから、はいこれ」
「ありがとうございます。しかし、消耗品ならば直接の取引が?」
「基本的にはできない――が、公式見解ね。まあ明松はやってるし、それを間借りする形でしょうね。うん、私も去年は社長やってたけど、そんなこと知らなかったけど、うん、まあね、うん」
かなりアウトだが、こっそりやってるらしい。
次はその足で、司法部門へ向かった。こちらは、いわゆる裁判などを担っている独立部門だ。行政の介入もここには届かない。
やはりこちらも個室で、やってきたのは妙に癖毛のある女性であった。
「はあい、お待たせ、司法部社長の
「は、柴田であります」
「提出書類見せて。あと、行政には?」
「こちらの書類でしょうか」
「うんそれ。銃刀類の所持許可、使用許可、爆発物の同許可、あとはー、ん、購入許可。で、これは新しい書類で、司法部からの超法規的措置における項目ね、読んでおいてサインちょうだい。つまり、場合によっては殺しも許可するけど、ちゃんと状況を確認して、大丈夫かどうかは見極めるんだよ? っていう注意書き」
軽く言うが、もちろん文章の中身は堅苦しい。わかりやすくて良いが。
「それ持って、統括室の許可を貰ってから、警備部かな。うちは法律なんて曖昧なものを、上手く処理しなきゃいけないから、ええと、柴田ちゃん? ちゃんと上手くやってね? 主に私の机に置かれる書類を、こう、減らすように?」
「はあ、前向きに努力します」
よくわからないが、無精者というのはわかった。
今度はショップへ向かって携帯端末を購入しようと思ったら、既に登録済みのものを差し出された。特に見た目などを気にしなかったので、それを受け取り、続いては学園だ。
小等部は各地に散っているが、中等部からはヨルノ学園に収束される。高等部、大学部も同様である。
ほぼ中央に鎮座する学園に足を踏み入れて、向かったのは学園長室だ。職員室で声をかければ、いるとの返答があったので、ノックをして中へ。
「失礼します、柴田剛史であります」
「いらっしゃい。大学部二年への編入に関して――でしたか」
「は、こちらが書類になります」
「結構。教材などは今月中に配達しますので、来月から登校してください」
「諒解であります」
「以上になりますが、質問は?」
「いえ、よろしくお願いします」
こちらはすぐ済んだ。おそらく、柴田があちこちを回ってきたのを知っているからこそ、であろう。
だから、一度外に出て、時計を見ればもう十四時。昼飯を食べるべきだったと思いながらも、学園の裏に存在する建物へ。
ここは、統括室と呼ばれる建物だ。
海上都市ヨルノクニは、各部門の上に、都市統括室と呼ばれるものがある。文字通り部門の統括なのだが、決定権は持たない。だが提案は可能だ。全体を見渡すような役割に近く、最低年齢は十五歳、最高は二十五歳までしか所属できない。
若い者を育てるというより、若い者の視点で都市を見渡すことで、統括をしてもらおうと、そういうものだ。実際に各部門の社長の方が、よっぽど都市を回している。
――ただ。
各部門の手が届かないところを、上手くやっている。ただしくは、去年からやるようになった、か。
去年。
そう、あの
建物の一番上、その扉をノックすれば、女性の声があった。中に入れば、正面のデスクに黒髪の長い女性がいて、隣には冷たい印象を受ける女性――そして、明松がいた。
「柴田剛史であります」
「ん、現室長の
「眼鏡とは何です、室長。副室長の砂野だ」
「は、こちらが書類になります」
「はいはい。ええと銃刀類の所持許可、爆発物――え? 爆発物も?」
「室長、事前に書類を見ていませんでしたか?」
「う、えっと? あのよくわかんない考課表? あれって偽造じゃないの?」
「気にしないでくれ柴田、この室長という女は、どうにも椅子で尻を磨き過ぎて頭がどうにかしてしまったらしい」
「はあ、それはご愁傷様であります」
「否定してよ!? あと霧子、明松の影響でしょその軽口!」
「だそうだが明松、心当たりは?」
「ん? 尻を磨くばかりで腹部についた脂肪が落ちないと嘆く此島がしている、無駄な努力なら心当たりはあるが」
「こいつら仲良いわよね!?」
「自分に言われても困ります」
これで統括室をやっていけるのは、凄いと思うが。
「まあ行政部と司法部が許可出してるし、大丈夫か。はい許可、霧子やっといて」
「まったく……柴田は、警備部の預りか?」
「は――それは」
「表向き、警備部所属だが俺の専属だ。適当な仕事を回すから、せいぜい大学に通いながら、俺の負担を減らせ」
「諒解であります」
「しばらくは、夜も出歩け。知り合いを増やして、雰囲気を感じるのは悪いことじゃない。何か質問は?」
「あります、明松さん」
「言ってみろ」
「は、自分の一年間における訓練費用、および大学の授業料、そして口座に振り込まれた資金に関連したものであります」
「それか」
少し考える素振りをした明松は立ち上がり、端末のディスプレイのある自分のテーブルに軽く尻を乗せ、腕を組んだ。
「まず、口座に振り込まれた三百万円は、訓練に従事したことへの報酬だ。いわば、訓練そのものを仕事として捉えた時における、考課表に書かれたお前の結果が、その金額になる。多いと思うのなら、それはお前が、期待値以上の結果を出したと受け取っておけ」
「……資金の出所をうかがってもよろしいでしょうか」
「俺のポケットマネー。ちなみに訓練費用と授業料もだ」
「いずれ返します。しかし、理由をお聞かせください」
「いやその前に、なんで明松のポケットマネーがそんなにあるのかってとこ……」
「室長、口を挟まない」
「こいつら、本当に仲良いな……!」
「俺の負担を減らせるだけの技量があったからだ」
「結果論ではありませんか?」
「理由にはなるだろう。いずれ返すと言ったお前の態度が証明するように、先物買いとしては悪くない」
「失礼ながら」
僅かに、背筋を伸ばすようにして、柴田は言う。
「結果としてこの現状そのものが、自分の望みだったという可能性に関しては、いかがでしょうか」
「そんなものはお前が走り込みをしてる頃、とっくに調べた。閉鎖的な環境が構築された都市とはいえ、だからといって、外のことを調べられない――と、一年前のこいつらは思っていたんだろうが、その限りじゃないからな。洗いざらい、お前の経歴から思想、学校に通ってた頃に周囲からどう思われていたのか、そこまで現地に調査員を派遣して調べてもらっている」
「――」
そこまで。
この人は、そこまで、するのだ。
できる、できないのではなく、――やる。
「実際には逆なんだよ、柴田」
「逆、でありますか?」
「明松、ここは禁煙だ」
「……そうだったな」
煙草を取り出そうとしていた明松は、吐息と共に右手をポケットから離した。
「この都市に調査を入れることは難しいだろう? だから、それなりの立場を持った連中は、その息子なんかを遊びに行かせる。財務省長官の支援者代表、その息子とかな」
そうだ。
それは、柴田がかつて一緒に来た友人の肩書だ。
「もちろん、調査をして来いなんて言わない。それを言った時点で、こっちが気付く。といっても、言わなくても気付くんだけどな――あくまでも、俺は、だが。火遊びが過ぎれば、ああいうことになる。それだけ、異種族の存在は簡単に触れられる問題じゃない」
「は、今は理解しております」
「ん。だから、わかりやすく言ってやろう。いいか、俺がお前に投資するのは、当たり前だ」
「何故でありますか?」
資質や素質があった? 訓練内容の評価が良かった? 本当に負担を減らせる部下が欲しかった?
いやいや、そうじゃない――そんなものは、全部言い訳で、結果論。
「俺はお前の命を預かった。――それ以上の理由がどこにある?」
「――、ありません」
「結構。まだ返さないから、勝手に死ぬな。返して欲しいか?」
「……いいえ、いいえ明松さん、それは自分が望むものではありません」
いつか返される時があったのなら、それでいい。きっとそれが、認められるということだろうし、柴田が決めることではない。
「じゃあ、あとは警備部で書類を見せて、装備品を受け取っておけ。最後に行政部から、証明証を発行してもらえば、一通り終わりだ」
「は、諒解しました」
「――それと」
一息。
「調子に乗り過ぎて、お前を巻き込んだ。すまなかった――それが、野郎が言っていた、最期の言葉だ」
「――」
どう、返事をすべきか、柴田は迷った。
確かに結果的にそうなってしまったが、きっと、彼との関係は、それだけじゃなかった。巻き込まれたとも思わない。むしろ、それ以上に助かったことがあったけれど。
でも、友人はもういない。
そして柴田は、もう、昔の柴田ではない――・
「……ありがとうございます。いつか、自分から、謝る必要などないと、言ってやります」
「それでいい」
そうか、これでいいのかと、少し気が楽になった。
そういうものなのだと、思うことができた。
――まったく。
柴田の方が年上だ、なんてことは、これから先も意識することがなさそうである。
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