第4話 サバイバル訓練2

 柴田が作った寝所というのは、熟睡こそ難しかったものの、かなり快適であった。

 太い木の間に竹を通して固定したあと、その上にはコケを敷き詰めてクッションにして、漂着物の投網を乗せる。更にその上には斜めに通した竹に雨除けの天井を作れば、それはもう立派な寝所だろう。地面との高さは一メートルと少し、飛び降りることもできるし、火の熱も軽く感じるほどだった。

 お陰で、ストレスなく二日目に入れたのだから、感謝するしかない。

 対して柴田は竹を裂いてハンモックを作り、そちらで横になっていた――らしい。らしいというのも、昨夜は火の様子を見ながらあまり寝ていないようだったし、夕方からは罠の配置をすると言って、しばらく離れていた。

 蚊や小さい虫というのは、火に寄って来る性質がある。特に蚊が厄介だったけれど、柴田が持ってきたシロアリの巣を燃やすようになってから、匂いこそ強くなったものの、蚊が逃げたのは助かった――が。

 食料が枯れた木の中にいた虫を、鍋で熱しただけ、というのが問題だったか。

 二日目の午前中は、それぞれ別行動。チェシャはとりあえず魚でもと、漂着物の糸と針を使って、ミミズを餌にして粘ったが、二十センチほどの魚が一匹だけ。ミミズだって食料だ、魚に食べさせずに自分の腹に入れた方が、良かったんじゃないかと思うが、今更だろう。

 小さめのバケツに海水を入れて、生きたまま持ち帰れば、柴田が火の周囲に囲いを作っていた。

「ただいま。何してんの?」

「おかえりなさい、ラッコルト殿。雨の気配が強くなってきたので、火を守ろうかと。昨夜の罠にねずみと、それから蛇を見つけました」

「おお、いいね。こっちは小さい魚が一匹。すぐさばいて焼こう」

 砂浜に落ちていたもので作ったお手製の網を火の上に設置し、それぞれ手際よく食料を焼く。味付けは海の塩だ、天然ものである。もっとも、本来のサバイバルでは、塩分の取り過ぎは体内機能の低下を促すため、厳禁だ。塩水を飲んではいけないのも、そういった理由である――が、水はあるし食料もそう少なくないため、軽くならば問題ないだろう。

 食料を焼いて食べれば、ぽつぽつと雨が落ちてきて、次第に強くなった。森の中であるため、やや雨音がうるさい。

「どのくらい続くんだろ」

「わかりませんが――ラッコルト殿」

「ん?」

 名前を呼ばれてそちらを向けば、柴田が指を三度ほど耳に当てるような仕草をした。

「そちらの寝所の下ならば、多少の雨は防げますよ」

「ああうん、そうね」

 会話の流れは変わらず、しかし続いて示されたのはチェシャの持っているナイフ。立ち上がり、ナイフをリュックの中に入れ、視線を合わせて頷いて、寝所の下へ。

「柴田もおいでよ」

「では失礼して」

 言いながら、柴田は自分のリュックも傍に置き、上に笹を複数置く。

 つまり――。

「……盗聴?」

 やや小声で、肘が当たるような距離で呟けば、雨音にかき消されてほとんど第三者には聞こえないはずで。

「可能性です。少なくとも発信機はあるはずだと思っています」

「――どうして?」

「これは訓練である、その上で考察しました」

「続けて」

「その前に、ラッコルト殿は自分のお目付け役ではないのですか?」

「なに、そんなこと疑ってたの? そりゃまあ、私が参加したのは明松かがり先輩……あんたを拾った人の指示だし、あるいはそうなのかもだけど、監視しろとは一言も聞いてないし、警備部との繋がりもないから。情報屋をやってるから、そっちのことは多少知ってるけど」

「なるほど。いや失礼、ほとんどその可能性は消えましたが、念のためです」

「いいけど、可能性は消えたの?」

「ええ。これが訓練である以上、死人が出るのは避けたい――それが前提でした。自分はそもそも経験がなく、知識だけですし、それはラッコルト殿も同じでしょう」

「そう言ったし、その通りだったでしょ」

「しかし――逆に、それは訓練としての危険性が高い。本来ならば、そうですね、サバイバル教官がいてこその訓練ではないのか? いないのならば、どう安全を確保する?」

「ん……発信機で居場所の特定、状況に応じて会話を拾って無事かどうか?」

「そう考えました――が、どちらかといえば、この場合は後者の方が重要でしょう。ナイフなら柄の中でしょうけれど、まあ、確認は野暮ですね」

「分解したら元に戻せない?」

「名目上はバカンスなので」

 それはそれで、どうなんだろうとは思うが、それが柴田の判断であるのならば、口を挟まない。

「一番の危険性は毒蛇です。それほど種類は多くなさそうですが、この島にはいますからね。先ほど食べた蛇もそうでしたし」

「いわゆるガラガラ蛇よね。鶏肉に近い味とか言われてるけど、そうでもないよね蛇って……」

「まあ本来の食用ではありませんから。結論から言いますが、この島には三人目がいます」

「――いるの?」

「います。おそらく警備部から派遣された人員だとは思いますが、自分たちが危険な状態に陥った際に救助する役目と、様子見を兼ねているはずです」

「ちょっと待って。今の話の流れから、確かに三人目の存在に疑いを持つことは、まあ、頷ける。でも、いるって断言できる要素はどこ?」

「どこと言われても……昨夜、罠を仕掛けておいたので」

「動物用じゃなく?」

「いえ、動物用ですよ。ただ、いくつかの通り道には、人間が通ったら不自然さが残るような細工をしておきました」

「初日からもう疑ってたんだ……?」

「はあ、その、もちろん救助の役目がラッコルト殿にあると、そういう考えもありましたが、念のために。森の中にシェルターを作ったのも、罠の一つです」

「接近しなくちゃ目視が難しいから?」

「はい。双眼鏡があったとしても、それなりに近くないと、難しいでしょう。午前中はそれらの確認と、三人目がどのあたりにいるのか、その当たりをつけました。当たりというか、洞窟の入り口からぎりぎりまで近づいて、目視確認だけしたのですが……」

「見つけてんじゃん、それ」

「顔までは見てませんよ、お休み中だったようなので。存在を隠したいのか、罠の類もありませんでしたから――もっとも、気付かれなかったのは幸運です。ロープで山肌を降りないと、たどり着けませんでしたし」

「足跡を追ったの?」

「いえ、足跡は森を抜けた位置で消えていました。そこからだいたいの方角と、僅かな痕跡を辿ったんです。といっても、高台から見下ろした際に、当たりはつけていましたから」

「呆れた……どういう思考回路してんの」

「はあ、いえ、臆病なだけかと」

「ん、ああ、だから発信機ね? 三人目がこっちの居場所を特定できるように?」

「はい、そうです。仮に三人目を捕まえようと思うのならば、ナイフなどをすべて置いたまま行動すれば、その不自然さに緊急性を感じて、顔を出してくれると思いますよ。実際、午前中はずっと、荷物を置いたままでしたから」

「ナイフないと不便でしょ」

「携帯用の小型ナイフを、こっそり持ち込んでいましたから」

 なるほど。

 つまり。

「この状況は想定してたってわけ……?」

「想定というか、あまり意味はなかったですよ? 三人目とはいえ、こちらの安全を確保していただけるのですから、敵ではありませんし」

「そりゃそうだけど」

 少なくとも、チェシャの知っている警備部の訓練内容に、そこまでの想定は含まれていない。

「確保すれば帰れるよ?」

「けれど、彼の仕事も終わってしまいますよ」

「……まあ、その判断は任せる」

「わかりました。しかし――情報屋なのでありますか?」

「うんそう。まだ高校一年だけど」

「自分は知識がないのですが、そもそも、情報屋とは何でありますか?」

「あーうん、そうね、私は店舗持ちじゃないけど」

「店舗持ち……失礼、よろしければお聞かせ願えますか」

「チェシャでいいからね?」

「わかりました。ではチェシャ殿、よろしくお願いします」

「殿は……ああ、まあいいか、うん。情報が商売になるのは、昔からなんだけど――たとえば、酒場に行けば情報があるって、聞いたことは?」

「それはよく聞きます」

「それって、アルコールで口の滑りが良くなるってのもそうだけど、そもそも、人が集まって好き勝手話してるからって理由が大きいのね。でも、逆に言うと望んだ情報があるとは限らない。おおよそすべての話を聞ける店主は、基本的に口が堅い。どういう手を使っても、せいぜい聞けるのは、あの人が話してましたよ、みたいな仲介人の役目みたいな台詞」

「その場合、自分で調べなくてはなりませんね」

「そう、だから、本来はそこに着目すべきなの。情報屋に金を払うって、自分で調べる手間を省くみたいな認識が強いんだけど、実際には、に対してなのね」

「失礼ながら、こう、印象の話なのですが――情報屋と聞くと、どうしても入り口をノックして、この情報が欲しいと、金を支払うイメージがあるのですが」

「店舗持ちの場合は、居場所がはっきりしてるからね。でも、現実にそういう手順を踏むと、いや店舗持ちに限らないけど、返答は二つ。情報をすぐに教えてくれるか――その情報を集める時間を寄越せか、どっちかなのね」

「……、わかりますが、ではどうやって情報を集めるのですか?」

「んー、私みたいなのは、自分の足で日頃から集めてるし、店舗持ちの場合は、私みたいなやつから買う場合もある。つまり、店舗を持ってる場合は、ほかとの繋がりが一番なわけ。どの情報なら誰が持ってそうだ――とか、そういうの」

「人のネットワークですね」

「そう。元より情報屋って、持ってる情報に傾向があるから。簡単に言うと、ほかの情報屋の紹介ってかたちになる場合もあるわけ。というか、それがほとんど。まあ明松かがり先輩みたいに、ピンポイントでを訪ねるような人もいるけど」

「買う、という表現が先ほどありましたが、では、売りを専門にしている方も?」

「もちろん、いるよ。そっちの方が特定は難しいけどね。情報を持ち込んで売りを専門にしてる連中は、こっちじゃ聞耳屋ききみみやなんて通称で呼んでる。本土じゃ、スキャンダルの持ち込み場所みたいな役目?」

「足で情報を集めて、それを情報屋へ売るんですか。その場合、意図して拡散するような?」

「そうそう。情報屋の中じゃ一定の信頼がないと、そもそも買おうとは思わないし、ハイエナなんて呼ばれ方もしてる。そのぶん、労力に見合わないリスクも背負ってるんだけどね、彼らも」

「なるほど、全体的な流れがだいたいわかってきました。であるのならば、ラッコル――失礼、チェシャ殿も、何かしらの傾向が?」

「私は学生と両立してるから、そこらは適当に。学内の情報を求められることもあるけど、そっちは明かさないし、ほかの情報屋が持ってる情報を、我先にと手を伸ばすような仕事でもない。むしろ、情報屋が持たない、どうでもいい情報を拾ったりとか」

 それこそ、自由気ままに、たまに頼まれて情報を集めるくらいなものだ。

「収入が安定しないから、道楽でやるもんじゃないけどね」

「はあ、なるほど、そんなものですか」

 どこか、ぼんやりとした顔で視線を遠くへ向けたので、さすがに気付いてチェシャは苦笑する。

「――そんな私が、どうして今、ここにいるのか?」

「ええ、それを考えてます。何もなければ、それで良いのですが」

……って、顔に書いてあるけど?」

「自分の立場は、警備部預かりの訓練生です。繋がりがあるとすれば、立場が変わった時では?」

「つまり、先の話だから、可能性はあるってこと? 考えてるのは、じゃあ、その可能性がどういうものか、特に悪い方向に転がった時?」

「いえいえ、さすがにそこまでは。何しろ、まだそんな立場を得ていません」

「それもそっか。んーでも……発信機がナイフってことは、予備も含めて四本?」

「おそらくは」

「それらを〝餌〟にすれば、姿くらい拝めそうね。やろうとは思わないけど」

「罠の基本ですからね。しかしまあ、とりあえず今を楽しみましょう。雨上がりに周囲を探索してみます。どうやらイノシシがいるようなんですよ、捕まえれば肉です、肉」

「いいね。呼び戻される前に食べたいかな。私も手を貸すよ」

「……、こう言ってはなんですが」

「ん?」

「猫族というのは、立体運動がお得意なのですか?」

「――へ? いつ気付いた?」

「はあ……昨夜、尻尾を両手で抱えるようにして眠っていましたが」

「ぬお……!」

 それが油断だったのか、それとも無意識だったのか。

 いずれにせよ、顔を真っ赤にしたチェシャは、飛び跳ねるようにして距離を取り、雨の中で頭を抱えたのだった。



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