高嶺の花
立花高嶺は通常の家庭で生まれた。母は一般人。父は警視庁のエリート。考えてみればそれが原因だった。母は姉と高嶺を生み、父と離婚した。別れた原因は今にしても分からない。ともかく、高嶺は物心つかぬ内に姉と引き離され、父の元で育った。通常親権はどちらか一方になるはずだが、そうはならなかった。
ともかく高嶺は父の元で育ち、父と同じく国家公務員になった。氷室栄治は配属された時の初めての上司だった。
そして、程なくして父は亡くなった。重大なマジン犯罪の捜査本部を受け持っていた。そこで敵対派閥と対立し、何らかの責任を取らされる形で始末されたのだ。
公安第六室、通称【灰滅】。国家として出来のいい魔術師やそれに伴う組織の探査と潜入を行う部署になる。聞こえはいいが、結局空き地部署だ。第一から第五でできていることを第六がいなければならないことはなかった。それでもなんとか活動できていたのはある種の幸運で、不幸だった。
だから神がかりな悪運を持つ小向響という人物を求めたのだ。
ただ高嶺は、それとは別にヒビキに惚れてしまった。高嶺は男性経験がなかった。男性といえば父親か栄治であった。警察のエライ人の娘、ということが分かっていた彼女は男性から避けられていた。故に、御飯を奢られたり、デートに誘われたりしたら、一瞬で堕ちた。つまり、彼女はチョロかった。
*****
「何かお手伝いしましょうか」
タカネは恐る恐る、ヒビキに声を掛けた。料理の心得はない。声を掛けるなら、それしか言葉が見つからなかっただけだ。
ヒビキは大鍋に八分目か九分目のところまで水を貯め、電気コンロで火にかける。
「とりあえずは必要ない」
彼はタカネに背を向けながら言う。今度は小松菜の根本を包丁で切っている。
「話したいのはそういうことじゃないんだろう?」
彼は見透かしたように言ってきた。タカネは心臓が止まるかと思った。
「間接的にヒビキさんの身の上を聞きました」
「ああ」
「その、奥さんがいらっしゃったから女性の扱いが上手いんでしょうか。」
「いや、そんなことはねぇよ」
ヒビキは切った小松菜をステンレスボウルに入れて水に浸している。
「カラミティに話した俺の過去には言ってないことがある」
冷蔵庫から大根を出してぶつ切りにする。話しながらでも皮を剥いている。
「実はな。風吹とお前は顔がよく似ているんだ。だから、余計優しくしたくてな。」
皮を剥いた大根をミキサーに入れて、電源を入れる前にタカネに振り向いて彼は言った。
「えっ」
「だからキスしたんだ。弄んだつもりはない。」
驚くタカネに一方的に言ってから彼はミキサーを動かし始めた。しばし、ミキサーが動く音だけが場を支配する。
彼が既婚者だった事実にショックを受けていた。顔も知らない女性に敗北感を持っていた。だが、その女性と自分が似ていると言われて、タカネ自身、気が楽になっていた。
ミキサーの音が止まり、彼は大根おろしの水分を取っている。
「それは私を好きになってくれるということでしょうか」
タカネは恋をしたことがない。異性と考えた人とどういう言葉をかわしたらいいか分からない。ハニートラップならそれっぽいことを言っていればよかった。恋愛は本当に分からなかった。
彼は作業する手を止めた。改めてタカネに振り返る。
「それは今の所ないな」
言って、片耳のイヤリングを撫でている。
「俺の嫁は俺の未練なんだ。当然だ。こんなイヤリングしてまで心残りなんだ。女々しいと笑わば笑え。俺にとっては、カラミティと戦うだけ、精一杯前向きになってるだけなんだ。」
彼は苦笑か自嘲か、笑っている。タカネからは何も言えない。初めて想った男性が重すぎるからではない。それでも恋しているからである。
「その気にさせてしまってたら、気長に待ってくれないか」
その言葉は、既婚者故か。タカネにはとても希望があるように感じた。この男性が自分のことしか考えられないようにしたいと心底思った。ロクな経験がないのに、チャンスはあると思った。
「あと、君の本名、教えてもらってない」
「あ、はい。名乗っていませんでしたね。立花高嶺と申します。」
「タカネか。これからよろしくな?」
改めて自己紹介すると、彼は思わせぶりにウィンクして見せた。
「よ、よろしくお願いします」
タカネは気が気でなかった。若干噛み気味に返事をしてしまった。もはや心臓が限界だった。このままでは爆発して倒れてしまいそうだ。
「さぁテーブルに着いて待っていなさい。エイジやカラミティたちも呼んできてね。」
彼はそう言いながら、作業場へまた振り返り、乾麺の袋を開けた。
タカネは限界故にふらふらとキッチンを離れた。酔っ払っているかのように焦点の合わない目つきでリビングにやって来て、ソファーへと座る。
スマホを弄りながらテレビを見るカノは、特に反応しない。姉貴分の奇行は今に始まった話ではない。
「聞いて、フレア」
「ああ」
タカネの口調そのものは平常と同じだ。彼女は天井を仰ぎながら、自らの顔を両手で覆っている。カノは話半分で聞いていた。
「ヒビキさんが私を愛してもいいって言ってくれた」
「へー」
「嬉しすぎて、心臓爆発しそう」
「おう」
「今夜には死ぬかもしれない」
「おっさんが気を悪くするからやめとけよ」
「やばい。死ぬに死ねなくなった。」
「今心底死んでほしいって思ったわ」
売り言葉に買い言葉と言ったところか。カノから見るに、タカネの反応はいちいち過剰であった。黙ってれば冷徹な姉さんに見える。ヒビキに出会ってから、おかしくなった。カノは恋愛経験があるから、余計そう思った。
「ヒビキさんを早急に振り向かせるならどうすればいいのかしら」
「男の好みに合わせていけばいいんじゃねぇの?」
と、カノは軽い気持ちで言った。どうでもよかった。男の趣味に合わせて男言葉になったり、格闘技をかじったりした。結局失敗した。その影響で、大人から非行を疑われ、両親を殴った。それ以来、恋をしていない。
「容姿はヒビキさんの好みだから、もう変えようがないなんて!」
「うるせえ死ね」
勝手なことを言って悶えている姉貴分をカノは罵倒する。ここまで鬱陶しいのは初めてだった。
「ちょっとマオにも言ってくる!」
「勝手にしろよ」
好き放題見悶えていたタカネは急に立ち上がった。もはや付き合っていられない。面倒になったカノは突き放した。多分タカネは人の話を聞いていないだろうが、部屋を出て、一直線に隣室へ向かった。隣室の玄関から一直線にマオの部屋へ向かう。大変失礼ながら、ノックもせずにマオの部屋に侵入する。
少女の部屋は、どこも少女らしくなかった。本棚には分厚い本や外語の背表紙の本が並べられている。パソコンは当然のように複数台あり、モニターも複数ある。
そんな部屋に、少女と青年がいた。少女は青年を半裸にしていた。
「ま、マオ、流石にそれは早くない!?」
「何を勘違いしてるか知らんけど、ノックぐらいしろよ」
青年は当然カラミティ。上半身は無駄な肉がどこにもない。かといって痩せているわけではない。
「そんなことより聞いてちょうだい」
「そんなことよりってお前」
マオから見るタカネは尊敬できないが、それなりに使える大人だ。行動力は認めている。そうでなければ、あちこち違法クラッキングしていたマオを仲間に加えようとはしなかっただろう。タカネが警察関係者と知り、司法取引を持ち出して来るかと思ったが、通常の契約を持ち出して来た。だから信用はしている。
「ヒビキさんの心を奪うためにはどうすればいいのかしら!?」
「は?」
「えっ」
タカネの言葉に目が点になるマオとカラミティ。特にカラミティは、何言ってんだコイツ、という目でしか見ていない。
「っていうかもはや私が奪われてるんですけど、あっは、笑える!」
不条理で勢いしかないタカネ。マオは今までしていたことの手を止める他ない。
人型マジンは人間と同じ体調調整をする。それがマジンとして性能発揮される。カラミティ自身は、食物によるエネルギー補給とマイナスエネルギーの補給の2種類でエネルギーを得る。そのためか、基本性能が設定されていない。
つまりマジンなのにほぼ人間と同等故、戦闘性能にゆらぎが生じてしまう。それはいくらなんでも信頼性が低すぎるので、マオはカラミティに対し健康診断を行っていたのだ。
「ヒビキに何言われたか分からないけど、あんまり信用しないほうが」
「弄んでないって言ってくれたし、大丈夫。ううん、あんまり大丈夫じゃない。もうどうにかなりそうだから教えに来た。」
「ああもうやかましい! ならとっとと帰れ!」
感情がコロコロ変わるタカネに対し、マオはイライラした。タカネは重傷だ。マオの罵声が罵声に聞こえない。むしろ人の話を聞いてるかどうか怪しい。
「あ、ヒビキさんがお昼ごはん作ってるから、困らせないように!」
言いたいことを言えて満足したのかタカネは伝言を残して部屋を出ていく。
マオは彼女に対する認識を改めなければいけないと思った。
*****
テーブルに出された皿にスパゲティが盛られている。茹でた後に、冷水で締めたものだ。そこに缶詰のシャケと大根おろしを盛り付け、市販の醤油オイルが掛けられている。副菜に小松菜のおひたしがある。
何はなくとも好評だった。それと同時に、彼女らの食生活に不安を覚えた。
「ところで話は」
「問題ない。寝ろ。」
「ありがとう。寝る。」
昼飯のために起きてきて、特に話を進めずにエイジを寝かせる。寝られるのかという疑問はあるが、寝られると言うのだから寝られるのだろう。いや、分からない。
かくして舌鼓を打った一同。食事し終わった皿を片付けたヒビキがリビングに戻るとマオやカノがヒビキを見つめている。特にマオは睨みつけてすらある。
「何だよ?」
急な心変わりにヒビキは首を傾げる。微妙なお年頃故の理解もある。
「お前こいつに何言ったんだ。躁病みたいになってるんだが!」
と、マオはお構いなしにタカネを指さして言う。タカネはニコニコしながら缶ビールを飲んでいる。
「酒のせいじゃねぇの?」
「や、多分違う」
カノが手を振って否定する。
「何を言った、とは言ってもな」
ヒビキは特に問題ないことを言っていたと思っていた。無論、思わせぶりなことは並べ立てたと自覚はしている。それが問題であるなら、確かにすまないことであろう、と。
「俺としては、タカネと嫁は似てるから、付き合ってやるにしても今のままでは好き合うのは無理じゃないかな、というニュアンスは言った。」
彼女と風吹を同等として見るのはタカネに失礼だろうと考えた。だが、その言葉でタカネは顔を真っ赤にしている。酔っているのかそうでないかが区別付かない。
「だ・か・ら、それがダメだったわけだ!」
「お、おう」
マオは怒っている。その剣幕に、カラミティはテンションを下げるようにジェスチャーしているが、彼女はそのまま続ける。
「こいつは身体だけはいいからハニトラしたりしてるが、経験なんてものは皆無なんだよ!」
「それは気の毒だな。もらってやろうか。なんてな」
マオの怒りにヒビキはキザっぽく言ってみる。もちろん冗談である。
「ふおおおおおおお!!」
タカネが意味不明な叫びを上げてテーブルに突っ伏した。マオを超えるテンションに、マオはテンションが下がり、ヒビキは内心ドン引きする。
「その気にさせた責任は取れよ。お前たちが今後矢面に立つなら、私達は【魔女三姉妹】なんぞ珍妙なことしなくてよくなるからいいがな。」
「責任ねぇ。一緒に寝たりとか。」
「ほおおおおおおん!!」
ヒビキが余計な事を言うとタカネが呻き声を上げている。これ以上の燃料投入は危ないかもしれない。
「とりあえず私は今、カラミティの術式プログラムに異常がないかどうか検査を進めているところだ。これからの戦いは万全にしてもらわないといけないからな。お前で、カラミティに何か気付いたことはないか?」
マオはカラミティをちらりと見て、話す。見られたカラミティが小さく手を振っている。だいぶ打ち解けたらしいことはヒビキから見ても分かった。
「そうだな。特に何、いや、アレがあったな。」
「どうした」
直近の搭乗時を思い出して変わりはないと思ったが、記憶を遡って、一つ違和感に辿り着く。それはレイヴンを倒した時のことだ。
「カラミティと【呪いのカラミティ】が追従していないのに、【呪いのカラミティ】側が俺の言うことを聞いたことだな」
朦朧としていたヒビキの意識でも覚えていた。あの時以来、【呪いのカラミティ】が別個にヒビキの指示を受けたことはなかった。それは調べて分かる事なのだろうか。
「ふむ、興味深い現象だ。では、続けるぞ、カラミティ。」
「はーい」
マオはヒビキの言うことを疑わずよく聞き、カラミティと共に玄関へ行き、部屋を出ていく。本当に歳の離れた姉弟になってしまったかのようだ。
「そんじゃあオレも戻るか」
「何だお前、戻って何か用事あんのか?」
カノは立ち上がり、出ていこうとする。ヒビキは一応呼び止める。
「オレは暴力担当だかんな。暇なときにやることはトレーニングかゲームかぐらいしかねーんだよ。タカネの大声聞く趣味はねぇ。」
と男っぽく振舞う彼女。
「今度付き合ってやる」
と、ヒビキが彼女の背中に言ってやると、彼女は立ち止まった。
「へっ、楽しみにしておくぜ」
と、振り返り笑顔で言った。初対面であれほど暴れた女の子が見せなかった可愛い女の子っぽい笑顔であった。
さっさと女の子たちとカラミティが消え、ヒビキとタカネがリビングに残される。彼女の方は、未だにテーブルに突っ伏して身悶えている。
ヒビキはため息をついて、彼女に近寄った。
「お客さん、あんまり飲み過ぎんなよ?」
と、肩を叩く。
「ふぁい、すみません!」
反射的か知らないが、彼女は急に起き上がり謝った。顔は依然真っ赤だ。やはり酔っ払っている。昼からこんなにも酒を飲むとはだらしないことだが、ヒビキは特に気にしない。ヒビキも風吹も昼から酒盛りしたことはないが、タカネが可愛いので許した。
「酒はそれぐらいにしておけ。いくらなんでも飲み過ぎだろう。」
「えっ、あ、ちょっ」
純粋に心配から、ヒビキはタカネの手から缶ビールを取り、飲み干してしまう。
「さて、と。夕飯までにはアルコール抜いとけよ?」
ヒビキは気安くタカネの肩を叩き、キッチンへと向かった。
まずは洗い物を片付ける。そして夕飯の準備や、それに伴う作り置きの準備。
やる事は山積みだった。
*****
これ以上飲むな、と言われてしまった以上、タカネは酒を飲むことができなくなってしまった。酒は恋しいが、ヒビキの言うことは聞かねばならない。勝手にそう考え、一日ぶりの自室へ帰った。特にカギがかかっているわけではないが、入った自室は他人が入った形跡がないことを把握し、息を吐きながらベッドへと倒れ込む。
仮に入れるとしたらヒビキの仕業だろう。部屋の中は小奇麗にしてあるつもりだ。汚くしているのはカノだ。
『随分ファンシーな趣味のベッドだな』
タカネの妄想の中でヒビキが言う。ピンク地の布団やシーツだからだ。妄想しながら彼女は枕に突っ伏した。
『悪くない。悪くないと言えば、さっきの間接キスはどうだ?』
「さ、最高です!」
妄想の中で受け答えしてしまっている。周りに誰もいないとはいえ、マオやカノがドン引きするのも無理なかった。
ヒビキとあの日にデートしてからというもの、彼女は妄想に明け暮れた。一緒に撮った写真をネタに悶々と過ごした。
エイジにヒビキとカラミティをスカウトするよう進言したのは、マオの意見もあったが、8割はヒビキと一緒にいたいからである。それは上手くいった。
そして昨夜、久しぶりに出会って、変わらないヒビキの姿を見て、あまりの顔の良さに直視ができなかった。多分おかしな子だと思われただろうが、見ていたらさっきのように確実に取り乱してしまう。自分でもよく我慢できたものだと思う。
昨日だけ隣で寝ることにしたのも、暴走しないようにしたためである。ただこれは結果的に良くなかった。ヒビキは心配をしてしまい、仕方なくカノを買い物の相手に選んでしまった。自分の慎重さが起こしたミスを悔いた。
ただそれにより他人の口から、ヒビキの過去を知った。マオの調査とは別に、ヒビキのプロフィールを調査してみたものの、小向響という人物は戸籍以上のプロフィールを手に入れられなかったのだ。
ヒビキの過去は一度はタカネ自身を打ちのめすものだったが、ヒビキが持つタカネに対する気持ちに触れたことで、彼女は有頂天になった。タカネ自身は2番目以降の女ではなく、2番目の嫁になれる可能性があるということだ。彼女はそれだけで喜んだ。
『これから一緒に寝てあげよう』
マオのせいとは言わないが、それによって引き出されたヒビキの言葉は妄想となって反芻する。2人きりでデートもしていないのに一足飛びで同衾する妄想を抱き、彼女は興奮する。
『初めてぇ? すぐ気持ちよくしてやるよ』
「おほおおおおお」
ヒビキの方は冗談混じりだっただろうが、彼女の中のヒビキはそう言っていない。枕に突っ伏しながら気持ち悪く呻く彼女は捧げる準備が万端だ。
「このままでは本当にどうにかなってしまう」
妄想だけで頭が爆発してしまう感覚に陥った彼女は、落ち着くためにまず深呼吸をし始めた。
*****
洗い物を済ませ、キッチンの中に包丁の切断音が響いたり、油が跳ねる音がしたりする。ここに入ってくる者はいない。確実にヒビキしかいない。
「満足いく仕事はできたか」
誰かに声をかけるように彼は言った。ここに別の誰かなどいない。
「返事はしなくていい。今の所、布石程度だろうしな。」
彼は続ける。
「そのためにエイジを1人にさせ続けた。お前は女に手を付けそうにないしな。」
今日だけで目の届く範囲にほぼいなかったのはエイジだけだ。変調が起きたとしたら、何かあると気付くだろう。
「ただエイジを傀儡にしたところで、今の所は何もできやしない。」
ヒビキの口振りは確実に誰かに向けられている。やり口を知っている何者かだ。
「数日の内に仕事でここを出る。何か言うことはないか?」
彼はそう言うと、誰もいなかったキッチンに滲み出るように何者かが現れる。
流麗な着物を着た黒髪の女性だ。妖艶なほどに伸びている黒髪に目を奪われるが、それと同じくらい、人間とは思えない赤い眼に恐怖感すらある。
「そこまで言われたら出なければあるまい」
彼女は月夜だ。ヒビキの育ての親。ヒビキの生家である神社にいたはずなのだが。
「いつからいると分かっていた?」
「前から監視されていると思っただけだ」
お互いだけが通じる言葉。もちろん、ヒビキは気にした覚えはない。ただ、ヒビキなら気にしなければならないことが1つある。
ヒビキ自身の不運だ。彼が厄を集めやすいことは変わらない。彼の身体に貯まった厄を、【呪いのカラミティ】に搭乗してエネルギーとして消費する。それにより、彼の運力は正常あるいは幸運へと転化していた。
正常化するのは大体一日がリミット。だが、前回搭乗から1日以上経っているにも関わらず、ヒビキの不運は特に発動していない。ここに来て、ズレが生じているのである。
「誰かが俺に憑いて厄を操作していると考えるのが自然じゃないか」
「それだけの違和感で。いいえ、だからこそ?」
月夜は妖しく笑う。彼の言うことは半分当たっていた。ヒビキがあの日、戻ってきた時から彼の動きを監視していた。ただ厄は操作していない。
月夜の集める厄のせいでヒビキが代わりに不幸を受けることはあっても、だ。
「カラミティの意思に反して、【呪いのカラミティ】が動いた件も、か」
「お前に死なれるわけにはいかなかったのでな。マジンとかいうのはよく分からんが、お膳立ては上手かったろう?」
ヒビキのふとした疑問に、月夜はすらすらと述べる。
「お前が妾の元へと帰ってくれば、こんなことはせぬのだがなぁ」
「悪いが、俺はお前の魅力にすぐ堕ちるほど軽薄な男じゃあない。好きになるまで待っておいて欲しい。お互い時間はあるだろ?」
彼の示した好意の欠片に、月夜は満足する。それはヒビキがタカネに掛けた言葉と似たようなものだったが、その光景は監視していなかったために聞いていなかった。それに時間がある、ということもある。ヒビキが風吹などという生贄に捧げられた娘に必要以上の愛を注いだ時は、怒髪天だった。風吹をただ始末するだけに飽き足らず、人間の闇を見せてヒビキに絶望というものを見せた。
予定とは違ったが、絶望から立ち上がったヒビキの姿は惚れ直すものであった。
ただヒビキの女好きには困ったものだ。戦い合った三姉妹とやらを口説こうとしていた。だから、天罰を与えた。それにより、三姉妹の1人を始末できそうだったが、他人頼りでは駄目だった。
戦いが終わり、戯れの旅をいつ終えるのかと見ていた。
だが再び三姉妹の関係者とやらが接触してきた。監視の中継役に女は相性が悪い。だから酒酔いに倒れていた男の方をじっくり中継役にしていた。
「分かっておるようじゃの。あまり妾を心配させるなよ。お前は妾の元でしか生きていけぬのだからの。」
月夜は一方的に言って、その場から掻き消えた。何もなかったかのように、ヒビキが1人残された。
*****
ようやく確信に至れた、とヒビキは思う。そもそも月夜を召喚することが賭けだった。狐の妖怪だ。頭が回って当然である。慢心をして出てくるか、計算高くして出てこないか、あるいは監視なんてされていないかの3つだった。ヒビキは3分の1を見事引き当てた。だからこそ得られた情報は貴重であり、口に出したり、態度を表したりはできない。
ヒビキ自身の厄は、周りよりも極端に貯まりやすいとはいえ、また極端に集めやすいわけではないということが分かった。条件もさほど変わらないだろう。
例えば、相手の殺意によってどれほど死に近くなっても生きられるという現象になることだ。これは直近だとレイヴンとの戦いがそうだ。あれほど、死ね死ね言われたら、どれほど三途の川を見ても引き戻されるということだろう。
そして、肝心の月夜は、上手いこと口説いとけば何とかなりそうであった。
ただ時間はありそうで、ないというところか。
ヒビキは憶測であるが、月夜が風吹を殺したのではないか、という推測にまで至っていた。月夜の独占欲ならば、ヒビキと風吹の愛は到底許せるものではないはずだからだ。
お互い時間はある。だからこそ気の長い話だが、タイムリミットはあるということでもある。月夜の怒りゲージが貯まらないように立ち回る必要もあるが、それ以上に根本的解決しなければならないかもしれない。
そう、ヒビキは将来の為にも、月夜を倒さなければならない。
生まれた目的に、昏いながらも明るい希望が満ちて来た。風吹が死んだのは、きっとあの狐のせいだとしか思えないからだった。
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