仔猫

 一夜明け、カラミティは知らない天井、知らないベッド、知らない匂いで目を覚ました。記憶を辿って、車の中で眠ったことは思い出した。

 光が射す窓の先を見ると、高さがあった。住宅街が広がり、眼下には緑もある。ホテルからでも、マジンからでも見ない光景にしばし呆気に取られる。

 恐る恐るドアノブを捻って部屋から出ると、開けたリビングに出る。木製のテーブルには少女が1人着いており、朝食を摂っていた。左のソファーでは昨夜ヒビキやカラミティに会いに来た男が無防備に眠りこけている。側のテーブルにビール缶が置かれていることから、酒を飲んでそのまま眠ったようだ。

「ん、起きてきたか」

 と、右方向からやってきたのはヒビキ。彼の手にはフライパンがある。

「座れ。まともで普通の朝食ってのを食わせてやる。」

 彼は持つフライパンからベーコンと共に焼いた片面の目玉焼きを皿に移す。テーブルには少女が食べている以外に3人分の皿が置かれている。目玉焼きの皿には他にソーセージや水で洗ったらしき葉物が添えられている。そのほかにキツネ色に焼けたトーストが置かれている。マーガリンやジャムは好きにしろと言わんばかりにテーブル中央に容器やビンが置かれている。

 朝食と言えば購入するパンかおにぎりだった毎日に比べればかなり上等な食事である。ヒビキが料理できるのは知っていたが、材料さえあれば綺麗に盛り付けられるとは今知った。

「あなたたちこんなモノで上等だなんて、貧しい暮らしねぇ」

「お前の食ってるソレは、リリィに用意したんだがな。まったく。」

 少女は見たことはないが、声は聞いたことがある。カラミティは思い出せないことにもやもやしながら、席に着く。ヒビキと少女は面識があるらしい。

 そのヒビキはフライパンをキッチンに置いてきて、すぐにはテーブルに着かず、ソファーの男を起こしに行った。

「あれほどちゃんと寝ろと言ったのに。オラ、起きろ!」

「頭、痛い」

「飲んだ後にすぐ寝るからだ。胸焼けしてないなら朝食は摂れ。食ってから好きなだけ寝ろ。」

 男はだらだらと起き上がる。ヒビキの叱り方に既視感がある。男は大人に見えるが、ヒビキの前ではどんな人も子供なのかと見間違う。

「おや、こんな時間にマオ君、おはよう」

「だらしない姿も久しぶりね。ご相伴に預かってるわ。」

「面目ないね」

 男は苦笑して少女に挨拶している。少女は表情に揺らぎがない。どういった関係なのかはカラミティには分からない。口調からして大人びて見える。年の頃は10代前半くらいだろう。金髪が混じる栗色の髪が腰ぐらいまで伸びている。

「いやぁ、私もこんなに豪勢なのは久しぶりだ」

「室長さんもリリィも料理なんて満足にできないから、おじさんがいてくれると助かるわ」

「その生活力の無さが逆に驚きだよ」

 席に着いた男、そう確か氷室栄治と名乗っていた。彼もこのような手が入った糧食は久しいらしい。このような家に住んでいる者は当たり前に食べているかと思っていたが、そうではないことを初めて知る。

 マオという少女は、ヒビキを自然におじさん呼びしていた。ある程度親しいということは、どこか別の所で知り合った少女なのだろうか。しかしそうすると、カラミティが声を聞くはずがないのだが。

 ヒビキも自然にマオにツッコミを入れている。本当にどこで聞いたのだろうか。

「例の権藤のマジンのことを聞かないの?」

「食事中に話すことじゃない。それに、カラミティの意思を確認していない。」

「気の長い話ね。私としては引き受けてもらわなきゃ困るのだけど。」

 ヒビキとマオは、カラミティの知らない話をしている。顔は似ていないが、親子か歳の離れた兄妹にも見えなくはない。

「ねぇ、ヒビキ、話って」

「先に飯を食え。時間はある。」

「あ、ああ」

 我慢しきれずヒビキに聞こうとするも、彼はカラミティに視線を移すことなく、トーストを頬張る。仕方なくカラミティは朝食を平らげる。いつもより量が多い食事に、心なしか満腹になる。

「コーヒーは奥の棚に粉末がある。紅茶の茶葉もそこ。私はコーヒーね。」

「お前はミックスジュースでも飲んでろ。その方が美容にいい。」

 朝食の皿を片付けると、マオは食後の飲み物をねだる。知らないはずの家の料理ができたのは彼女の助言ありきであったらしい。ヒビキはマオの言うことを聞かず、グラスに3つミックスジュースを入れてテーブルに持ってきた。

「じゃ、ちょっと横になってるから」

「おう」

 エイジは自分の頭を撫でながら寝室に行く。リビングには少女とヒビキとカラミティだけになる。

「さて、さっきの奴が俺らを雇いたいという話は聞いたな」

「あ、うん」

 名刺をもらっていたのはヒビキだ。エイジと言う人がどのような肩書かは知らない。公務員というが、全然イメージが湧かない。

「半分は普段やってることと同じだ。人様に迷惑かける魔術師を倒す。」

「うん。あとの半分は?」

「権藤の作った人型マジンがコミュニティを作って、そこに人間を住まわせることをしている。それは不味いから潰せということだ。」

 カラミティのメモリーには確かにほかの人型マジンのデータがある。製作順からいえば兄や姉に等しい。彼らがコミュニティを形成していることも驚きだが、それが不味いとはどういうことなのか。

「彼ら人型マジンは乗り手を必要としないのが更にマズイわ。どんな対人プログラムされてるのかまでは分からなかったけど、宗教の真似事らしいわ。」

「結構なことだ」

 マオも危険視している。ヒビキはそれに対し淡白な反応だった。

「その兄弟たちは悪いことをしているのかな?」

 素朴な疑問だ。人型マジンが人間と仲良くすることが悪いとは思えない。現に、仲良くとは違うかもしれないが、カラミティはヒビキと協力し合っている。それと同じではないかと言いたいのだ。

「善悪じゃあない。俺たちと条件が違う。お前は俺を必要としている。俺はお前がいると助かっている。そういう相互関係だ。例の人型マジンはそういう関係性を必要としない。一個のマジンとして自立できるのに、そいつらは人間を率いるコミュニティを作り出してしまった、ということだ。」

 ヒビキはマオを手で制しながら、優しくゆっくりと説明する。

「人間の社会は人が人を支配する理屈で成り立っている。その社会で、マジンが人を支配するような社会を作ろうしているのではないかと、ここの人たちは危惧しているわけだ。」

 そう説明されてカラミティはすぐには理解できなかった。

「お前に分かりやすく言えば、魔術師が研究のために普通の人間を犠牲にするように、人型マジンが同じことをしやしないか、ということだ」

 カラミティの思案顔を見かねたか、すぐに説明を切り替えるヒビキ。それなら理解できるとカラミティはゆっくり頷いた。危険性を理解できたところで、新たな疑問も湧く。

「どうして兄弟たちはそんなことを」

「さぁな。聞こうにも、お前のために権藤博士は命を落としたからな。」

 ヒビキの答えに、当然の事実が返ってくる。ここ最近忘れてしまっていたことだ。人間の命をカラミティ自身のために利用したくないと流浪していたことを思い出した。

「まぁ、聞けばいいんじゃないか、直接な。そのためにここの奴らを利用すればいいと思うがね。」

 とヒビキは無責任に言ってくる。そしてここまで手で制されていたマオが、我慢ならずと身を乗り出して口を開く。

「私は貴方の存在も許せないのよ」

「えっ」

「私を生んだ半分の血は、あの権藤雷生よ。あいつの研究のせいで、私とママは苦しくて仕方なかった。私はあの男の研究を全て許せない。」

 少女の怒りは唐突な事実を突きつけられる。この少女が権藤の娘。言われればどことなく似ている気がする。

「でかい弟だな」

「冗談でもそんなこと言わないで!」

 ヒビキの軽口に、彼女は叫び、本気で怒った。彼女が本当に権藤博士の娘ということなら確かにカラミティにとって姉と言えるだろう。ただ彼女は、権藤のマジンによって幸せにはならなかった。マジンの存在は人々の迷惑にしかなっていない。普通の人のためにマジンを使って悪を為す魔術師を何人か倒してきたが、そもそもマジンさえなければ酷い目に遭わなかったはずだ。

「お前はとりあえずの形としてカラミティ以外の人型マジンをカラミティや俺を利用して倒したい。でもこの時点でもカラミティは感情的に許せない、と。」

「そうよ!」

「その人型マジンを全て倒したとして、お前はカラミティをどうしようと思っている。今の考えでいいから聞かせてくれないか?」

 悩むカラミティの横で別の話が展開されている。それはカラミティにとっても関係の無い話ではなかった。彼女はヒビキの疑問を最後まで聞いて、カラミティを見た。

「どこへなりとも行けばいい。あの男を殺した十字架でも勝手に背負って。」

 そう言った彼女の言葉は冷たいが、表情は冷たくはなかった。眉間に皺を寄せ、怒りとも悲しみともつかない顔をしていた。

「大人みたいなことを言っておいて、子供なのは変わらんか」

「何よ」

 彼女の思いをヒビキは別に受容したようだ。カラミティにとってはショックの連続で返答しようがなかった。

「父親の研究が許せない。潰すべきだが、その力はない。許せないけどカラミティを使う。終わったら後は知らん。随分都合のいい話をする。」

「できればやっているわ! でも用意したマジンはおじさんに倒された。私の今はあれで精一杯よ!」

 ヤケクソ気味に言い放つ少女。カラミティはようやく思い出す。彼女の声を聞いた覚えがあったのは、彼女らと対決したからだ。以前戦った土偶型のマジンから彼女の声を聞いたのだ。

「そうつまり、お前は結局自分の命が惜しい。自分の頭では父親の作ったマジンの問題点はクリアできないから誰かにやってもらうしかない。」

「違う。そうじゃない。」

 ヒビキの話に彼女は図星を突かれたかのように勢いを失くす。首を横に振って否定する。

「カラミティは自分の頭の中では失敗作である。だから、本当はどうでもいい。上手くやってくれればそれでいい。違うか?」

「ち、ちが――」

 少女は否定しようとして口ごもる。それまでの勢いが嘘のように、肩を縮こまらせる。押し黙った彼女を見て、ヒビキはため息混じりに息を吐いた。彼は立ち上がり、少女の肩に手を置く。

「別にいじめようと思ったわけじゃない。君は頭がいい。合理的な判断とやらは、これから出せばいい。」

 その言葉を聞いているのか聞いていないのかは分からない。俯いている。

「カラミティ。お前はお前の結論を出せ。俺はちょっと出てくる。」

 ヒビキは少女から離れると、対面のカラミティに一方的に言う。状況に流されていたカラミティは、その言葉に吃驚して呼び止めようとするが、ヒビキは手だけで別れ、外に出ていってしまった。

 ヒビキはカラミティ自身の結論を出せと言った。雇われるからには、兄弟のマジンを倒さねばならないだろう。それはヒビキにとって問題ないことなのだろうと思う。彼はカラミティに感情的な配慮をしているのだ。

 出会った時は他人なんてどうでもいいように考えていたヒビキ。そのスタンスは今でも変わらないが、お金と理由というメリットさえあれば彼は動く。だがそれ以上に、ヒビキという人間の善性を感じていた。

 何を置いても、他人に強制をしないのだ。無論、決定を促すことや誘導することはある。それでも決定を強制しない。他人の口からしっかり決定させる。

 そのための情報や心情を解説してくれる。カラミティにとって、相棒であると同時に父親めいた背中を感じるようになっていた。とはいえ、妙に子ども扱いされるのは反発する。

「ええと、お姉ちゃん?」

 彼女のことをどう呼ぶべきか迷い、思い浮かんだ言葉で呼ぶ。すると彼女は吃驚したのか顔を上げて、しんみりしていた逆を行く。

「勘弁してよ! マオではいいわ!」

「ご、ごめんなさい。マオ、さん。」

 カラミティは悪くないのだが、彼女の勢いから反射的に謝ってしまう。ただ謝ったせいか、彼女も冷静さを取り戻したようだ。

「貴方確か実働年数3年だったわね。本当にもう、でかい弟だこと。」

 彼女はため息を吐きながら、確認を取る。その意図をカラミティはつかめない。

「3歳ねぇ。そりゃあ善悪でしか判断できないか。」

 呟くように言ったことをカラミティは聞き逃さなかった。

「マオさんは違う?」

「違うわよ」

「マオさんは、権藤博士が悪いから許さないんじゃない?」

「そ、れ、は」

 カラミティの善悪の疑問に対して、マオは言葉に詰まった。

 マオは天才であるという自負はあった。頭がいいということで自分を満足させていた節はあった。ただそれ以上に、実際に自分の知性は大人に負けなかった。だからその知性をして、父親の研究は家族が犠牲になっているから許せないと結論付けていた。事が感情的であることが先立ち、論理に善悪も含んでいないかということを考えてもいなかった。

「合理的な判断、か」

 マオはヒビキとカラミティが去った後、権藤の秘密研究所を調査した。他に人型マジンがいて、ネットで名前の挙がる慈善団体の代表者に似ていることから事実に気付いた。それをリリィやエイジにすぐ報告した。

 その時点では、マジンが人間を支配する非合理性に憤っていた気がする。だから、自分が権藤に怒りを覚えているのは後付けなのだろうか。

 いや違う。そもそも秘密研究所を調べようとしたのは、権藤の研究を調べて、自分の天才ぶりを確認しようとしたからだ。魔術師無しでマジンを操る理論、その一つの答えとして、乗り手を必要としないマジンを完成させていた。

 そうだ。マオはその人型マジンを潰してしまって、自分が新しく成果を出せば皆が私を認める、と思ったのだ。

 汚い承認欲求を思い出した。権藤は死んだのだ。家庭を省みようとせず、自分の命をマジンに捧げた。その考えはまったく理解できない。最強のマジン、カラミティが一体何だと言うのだろう。他人の命を吸わなければ力を出すことのできないマジンが最強などと笑わせる。権藤の人型マジンと戦って壊れてしまえばいい。もし生き残ったとしても知ったことではない。私がきっと必ず最強のマジンを作り出すのだ。そうすれば私が一番なのだから。

 マオは思い出した。父親よりも認めてもらいたい欲求を。

 そこまで考えだして、玄関の開閉音が聞こえた。誰かが入ってきた。出ていったヒビキが帰ってきたのか。他で入ってくるとしたらリリィ。フレアは稀だ。

「あら、珍しいわね。引きこもりの貴女がいるなんて。」

 入ってきたのはリリィだ。余所行きのウェーブのかかった髪型をしており、眼鏡を掛けている。出かけようとした風貌だ。

「おじさんたちが来たからよ。ついでに朝食も食べたわ。おじさん、貴女を待ってたようだけど。」

 飲んでいなかったミックスジュースを一口飲んで、一回り年上の女性にタメ口で話す。出会った頃からそうしている。自分は頭がいいと自負している。自分より下なら敬語は必要ない、と。

 言われたリリィはなぜか言葉に詰まった。アテが外れた。苦しい所を突かれた。そんな苦し気な顔をしている。

「そもそもおじさん出かけたけど」

「室長は?」

 リリィは話題を無視してエイジの所在を聞いて来た。論理的ではないが、ちゃんと答えるマオ。

「二日酔いで横になってるわ。おじさんとお酒を飲んで寝たのに、おじさんはちゃんと起きてる。どうして同じ男でそういう違いが出るのか。」

「あああああ。もう!」

 マオはスポンサーであるエイジには一応敬語は使っていた。それもやめようと思っていた。彼女の周りには尊敬できない大人ばかりだ。リリィも訳の分からない声を上げている。リビングにある小さな冷蔵庫から缶ビールを出し、開けてソファーで飲み始めた。

 これである。ヒビキの前ではお淑やかに演じていた。リリィの正体は冴えない女だ。上司の姿が見えなければ昼間から酒を飲むほどの。

「フラれでもした?」

 リリィがヒビキに気があるのは誰が見ても明らかだった。エイジは知らないフリをしているか、本当に知らないかのどちらだろう。自分の上司以外と男とまともに付き合ったことのないリリィなら、仕事とおなじようにうっかりしていてもおかしくはない。

「ヒビキさんなら、フレアと買い物に行ったわよ!」

 酒をあおって叫ぶ女。そこらの酔っ払いと変わらない。マオの嫌いな大人そのままだ。ヒビキもそういうところを見抜いてフレアと外出したのだろうか。

 ただそれにしてはフレアと外出したのが解せないが。フレアはヒビキに懐いている印象ではなかった。ヒビキからしてみれば、マオもフレアも同じ年下の娘でしかないのか。そう考えると、

「そうやってヤケになったところを見られるほうがマズイでしょ」

 一応、リリィのためと思って釘を刺しておく。少なくとも、こんな女と同じように見られるのは嫌だからだ。

「何だか皆、ヒビキが好きみたいだね」

 今まで黙っていたカラミティがぽつりと漏らす。相棒として黙っていられないというところだろうか。いや、これは青年の姿をした幼児だ。そこまでの感情は育っていないはずだ。良く見積もって保護者ぐらいだろう。

「君たち前に襲って来た人たちだろう? ヒビキといつのまに仲良くなったのか分からないんだけど。」

 と、カラミティはそもそもの話を理解していなかったようだ。マオは3人一緒とはいえ、動物園に行ったことを思い出す。動物を見ることの感慨はなかったが、自分の話を聞き、その都度褒めてくれるヒビキと一緒にいて楽しかった。あんな父親が居ればよかったと今まで何度も思った。

 ヒビキはそういうことがあったことを、カラミティに何も話していなかったらしい。話すことも自慢することでもないという出来事なのだろうか。マオは好感が持てた。

「あの戦った後、リリィの伝手でメール打って、会ったのよ。ちゃんと会うまで、あんな男とは思わなかったけど、今にしてみればいい思い出ね。」

 カラミティはここでようやくヒビキとの空白の一日について知った。リリィの色仕掛けに従わず、なぜか動物園デートを敢行したことや、目的を忘れて別れていたことを知った。

「そっか。バカだな、ヒビキは。」

 話を聞いてカラミティはため息を吐いた。その言葉にマオは我慢ならなかった。

「おじさんと四六時中一緒にいながら知らなかったことがあってショック?」

 と、皮肉交じりに煽りを入れる。だがカラミティの反応は薄かった。

「僕は君たちと亡くなった奥さんを重ねたんだと思って。あんな田舎に押し込まれていなければ、彼は奥さんとそういう遊びがしたかったんじゃないかな。」

 彼が語る言葉は知らない事実だった。ヒビキに襲撃する前に、プロフィール調査はしている。個人を示す情報はほとんど手に入らなかったことが癪だった記憶はある。

 そういう知らない事実がカラミティの口から漏らされた。父性を感じる男性が既婚者だったことは別に良かった。単に自分の知らないことがカラミティから知ってしまうという事実が嫌だった。

「ただでさえ不運人生だ。若い子たちと1日付き合える日なんて早々なかったろう。そっか。だからこの話を請けたのか。料理もできる。女の子たちと一緒に居れる。寝る場所もある。言うことないよね。」

「やめて!」

 再びマオは感情的になっていた。制止というより嫉妬と独占欲が露わになり、怒っていた。

「おじさんが、そんなさもしいわけないでしょ」

 マオはいつのまにかヒビキを神聖視していたのかもしれない。父親と違う、かつエイジとも違う大人の男性だからだ。自分だけに優しい男性に触れたからそう思い込んだ。

「ヒビキは金に汚いんだ。それに、やることないと寝てるだけだし、御飯は大人数じゃないと作ってくれないし、何かと力で解決するし、酷いんだ。」

 カラミティはマオの言葉を否定するかのように悪い所を羅列する。嫌がらせではない。ただヒビキは決して聖人ではない。付き合いが長い方であるわけではないが、彼と出会い、彼の過去を知り、共にレイヴンを倒して、数か月旅をした。

 カラミティ自身が抱いたヒビキへの幻想が彼女にもあるのだと思ったのだ。その幻想は打ち砕かれたのではない。ただ、カラミティの彼への思慕は、彼女も持っているのだと感じたのだ。

「親とかよく分からないけど、お父さんってそんな感じじゃないかなって」

 カラミティの言葉に、マオはさらに怒りを爆発させようと握りしめた拳が緩んだ。

「世間知らずでバカにされたり、子ども扱いされたりするけど。それは正しいんだ。僕は人間のいいところしか知ろうとしない。だからヒビキは、例を示して悪い所を考えさせようとしてくれる。直接教えてくれないから、意地悪だと思うけどさ。」

 自分で考えさせるのは教育の一つだ。そのためのヒントも散らばせている。やっていることはヒビキにとって教育だろう。ただ、こんなでかいカラミティを子ども扱いするのはすごいと素直に思った。そして、自分はどうだったろうとマオは思う。

『別にいじめようと思ったわけじゃない。君は頭がいい。合理的な判断とやらは、これから出せばいい。』

 ヒビキの言葉を思い出す。大人のように扱いつつも、マオの論理は穴だらけだったことも指摘していた。彼女はそれに対して反発しきれなかった。もっと自分を認めて欲しいという欲求が勝った。

「ただまぁ、ヒビキに面と向かってお父さんとかって呼べないよね」

 カラミティは苦笑する。彼の純粋な気持ちだろう。彼が呼べないのは気恥ずかしさか、弄られたくないからか。マオにしてみれば気恥ずかしさだけだ。だからおじさんと呼ぶのが限界だ。本当はパパがいい。

「それは賛成」

 マオは気持ちを素直に認めた。このでかい弟に意地を張っていたことを認める。それが最良の答えではないことは分かっている。ただ、ヒビキという人に対して思い込みを持っていたことの吐露だ。

「いいでしょう。そういうことなら、マオお姉ちゃんと呼ぶことを許可します。」

「えっ」

 マオはすぐに留飲を下げ、落ち着く。そしてお姉ちゃん面し始める。あの父親の子供の1人というのが癪だが、序列的に姉であることは揺らぎようがない。ともすれば、ヒビキをお父さんとするなら、カラミティはマオの弟であることは揺らぎないと結論付けたのだ。

 言われたカラミティはそんな暴論に気付きようがない。怒ったり落ち着いたり忙しない子だなとしか思わない。

「私がお姉ちゃんなので、弟は私の言うことを聞くべきですね。分かりますか?」

「ちっとも分からない」

 当然である。カラミティの目から、いきなり偉そうにされている。ただちに説明して欲しい。まったく理解ができない。

「遊び相手が増えたようで何より。別の所でやってちょうだい。」

 酒を飲んで静かにしていたリリィが口を開く。子供の遊びには興味がないと言いたげだ。炭酸が抜ける音。彼女は2本目を飲み始めてしまっている。

「さぁ来なさい。貴方の調子が良くないと、困るのはヒビキさんですからね!」

「えっ、あっはい」

 自分より頭二つ分は低い身長の女の子は、偉そうに言ってカラミティの所にやってきて腕を引っ張る。偉そうにされる理由は分からないが、言い様は理解できた。

 降って湧いた自称お姉ちゃんを理解できぬまま、カラミティは引っ張られ、家を出て、同じ階層の隣の部屋へと連れ込まれる。先ほどいた家とほぼ同じ間取りの家だった。カラミティはこの移動でようやくマンションの最上階にいたことを理解した。



 少女に引っ張られ、人型マジンが出ていく音がして、リリィは飲んでいる途中の缶を置いて、ソファに横になる。そして彼女の感情は爆発した。涙がとめどなく溢れてくる。

「ヒビキさん」

 人型マジンの話で、ヒビキが既婚者だったことがショックだった。しかも奥さんを亡くしているという。ようやく片耳のイヤリングの意味を理解した。あれは多分奥さんとの思い出の品なんだと考えた。

 ようやくまともに付き合える男性だと思ったのに、と彼女は失恋に涙を流していた。遊ばれたから悲しいわけではない。ショックだから悲しいわけではない。

 リリィ、本名、立花高嶺たちばなたかねは卑屈な女性であった。仮面と妙なボンテージコスチュームを包むのはその反動だった。

 奥さんを亡くしたヒビキの二番目の女になるには、自分は何もかも足りていないと思い、どうしようもなくダメな自分が悲しかったのだ。

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