魔狩り

 別に行くアテがあるわけではない。

 疫病神でなければただのおっさんでしかないヒビキにとって、世間は単純にできていた。

 すなわち金である。

 多少の命以外は何でも金で何とかなる。隣の赤毛の青年の顔をした幼児に何度も言い聞かせた。金さえあれば何とでもなる、と。

 だが頑なに首を縦に振ろうとしなかった。生みの親の教育が良かったと言うべきなのか悪かったというべきなのか。権藤博士はただのマッドサイエンティストだと思う。最高にして最強のマジンを設計したのだから。

 結局、自分の命を生贄にすることでしかその最強マジンは生まれなかった。

 【呪いのカラミティ】。そのような忌み名になった原因は同情するが、倫理感覚についてもう少し考えて欲しかったと思うばかりだ。

 さて、何はなくとも金である。あるのとないのとでは話が違う。あるようにするためには、また貯めるようにするためには、このご時世大変である。

 何しろマジン犯罪が横行している。そのマジンやそれに付随する魔術師の犯罪によって、一般の人間の命はいとも簡単に奪われる。儚きは人の命か。

 人々は明日も運が良ければと、その命ある日々を過ごすのだ。健気なものだ。こちらは死ねない故に金がないと死にそうな思いをするというのに。

「そういう余裕のないところ、ヒビキの格好悪いところだよね」

 最近カラミティも言うようになった。生死の境を彷徨い、激戦を潜り抜けた信頼関係と言えばいい話だ。結局の所、お互いのために融和共存しているだけに過ぎない。

 ヒビキは腹が減ると死にそうになる。カラミティは腹が減っても死にはしない。

 カラミティは腹が減ってると戦闘で本来の力を出せない。ヒビキは戦闘をしないと悪運で次々に厄ネタを呼び込む。

 とまぁ、噛み合っているようで噛み合ってない間柄だ。正直余裕なんて無いのだ。

 そういうお互いの生きるために、金のために、そして世の中のためにもなる仕事がある。

 それが【魔狩り】だ。

 横行するマジン犯罪への対処が民間に委託される【魔狩り】という、マジンやそれに付随する魔術師狩りを目的とした仕事だ。マジン犯罪相手となると警察組織では対処しえない。先のレイヴンのような組織も本来は魔狩り対象であったろう。

 だが、レイヴンのような魔術師も政府からしてみると小さいものであるようだ。小さいもので、多少できた組織であるからこそ、政府側に目を付けられ、利用された。この国にそんな組織がまだいくつかあるのだろうか。

 ただそれで迷惑するのは一般の人間だ。魔狩りしてもらいたい魔術師たちは大勢いる。だが魔狩りはかなりできる魔術師しか狙わない。政府もコントロールできない魔術師を優先的に狩らせている。

 だから仕事になる。魔狩りに狙われない小者を狩って金にする。

 ヒビキとカラミティが手を出した仕事はそういうものだ。結局、困った人間を食い物にするあたり、小者魔術師と違いはないが、少なくともカラミティの自己満足は満たされた。

 ただこれらの仕事は政府から認定されている魔狩りのやることでないので、無許可無免許のモグリとなる。いずれ足がつくし、逆に魔狩りから狙われる可能性もあった。

 ヒビキは良いことをしているとカラミティに言い聞かせているし、ヒビキは金になるのなら引き受けた。金にならなくても、パンと水で引き受けたこともある。

 そんな彼らが魔狩りや政府に目を付けられないなんてことありえなかったのだ。



 深夜。中心街から離れた場末の食券購入型飲食店。正直電気が届いているかも怪しい店だった。通常は飲食店でもこんな時間開いていないが、このチェーン店は国内でも珍しい深夜でも空いている店だ。キッチン以外の光はほとんど落としており、食える奴が食えればいいという環境で開店されている。それでも客はいる。深夜でも仕事をしないと食っていけなかったり、帰宅が深夜になったりの、孤独な労働者が主だった客だ。

 ヒビキとカラミティのような連れの客が入るのは物珍しく見えるが、他の客は他人の事を気にする余裕はないため、早々に興味を失う。

 カラミティはこのような店でも初めはやかましかったが、今は慣れたものだし、静かなものだ。

 買った食券を店員に渡し、数分後、出て来た丼をこの時間では不人気なテーブル席に着いて食べる。こういう店で少なくとも明るいのはカウンター席だからだ。テーブル席だと明かりがない。街灯だけが頼りになるが、今回の席はそれもなかった。それでも座る理由は、カラミティには関係ないことと、周りを気にすることなく話しやすいことからだ。

 カラミティは人型マジンである。つまり暗視ができるのだ。

「今日はどこで寝ようか」

「ホテル空いてるといいんだけどな」

 流浪するようになってからは寝泊まりをその都度変えるようになった。固定にすると襲撃された時困るからだ。子供のカラミティがその時々に臍を曲げてしまう。

 宿泊場所を変えるとどうなるか。ビジネスホテルやカプセルホテルが主な寝泊まり場所になる。よほどのことが無い限り空いてないことはないのだが、空いてないとなるとラブホテルか野宿になる。ラブホテルは同性お断りがほとんどなので、カラミティを女性と言い張るほかない。

 それでもだめなら野宿なのだが、カラミティがナイーブなのでほとんど休めないようだ。お前それで会うまでよく生活できたな、と聞くと、『住み込みバイトを頼んだり、廃墟に隠れた』と言った。廃墟という発想はなかった。今使えないのが残念だ。

「んー」

「どうした」

 こうした店に物珍しい反応をしていたカラミティが黙るようになったのは、単純に飽きたからだ。カラミティを叱れる人間はヒビキしかいない。ヒビキの言うことは基本的によく聞くようになった。ヒビキが女性にナンパじみた世間話に興じる以外は。

 それに、この飲食店に漂う雰囲気の重さは、カラミティの本来の食事となる負の感情だらけだ。彼の明るい性格からすれば好むものでは無いだろう。

 そんな彼が食器を空にしながら外を見て声を発した。

「外にこう、高そうな車が停まってる」

「ほう」

 駐車場のある飲食店だ。車ぐらい停まるだろう。高級車というのが気になる所だ。こんなところに来る金持ちがいるのか。ヒビキは味噌汁を飲んで、カラミティの視線の先を追う。

 店先の駐車場は空。二車線の道路は交通量が無く、カラミティの言う高級車とやらは街灯の手前に停まっていた。

 ヒビキの記憶通りなら店に入る時は停まっていなかった車だ。ヒビキの視力では運転席に誰かいるかは見えない。見えたとしても防護ガラスで中は見えなかっただろうが。

「出るぞ」

「ちょっとお客さん、食券買ってよ」

「すぐに出るから勘弁してよ」

 ヒビキは嫌な予感がして席を立つが、その前にスーツ姿で身なりの良さそうな顔つきの若い男性が店内へ入って来ていた。彼は食券を買わずに店内に入ったために呼び止められるが、惜しげもなく高額札をチップ代わりに出して店員のストップをかわす。

 そして、男がやってきたのはヒビキとカラミティのテーブル席だった。

「警戒しないでほしい。君たちと話をしたい。」

 ヒビキの遠目には若く見えたが、近くで見ると線が細く、少々痩せこけた30代風の男が言って来た。スーツの生地は暗くてよく分からないが、ネクタイにはネクタイピンがあり、余裕のある経済状況の男性というのが分かる。

「私は氷室栄治ひむろえいじ。しがない公務員だ。」

 と、名刺を出してくる。公務員などと言っているが、名刺には公安第六室室長と書いてある。

「その肩書を名乗るのは苦手で」

 と、苦笑する。

「スカウト、断れば賞金首。そんなところか。」

 ヒビキは頭の中に浮かぶ2つの可能性を言葉で示す。正直言って、カラミティには頭の回らない事案だ。この場でヒビキとカラミティに用事がある公務員なら、それらしか考えられないのだが。

「断られたらどうしようかと思っている」

「は?」

 エイジは頬を掻いて、苦笑し続ける。モグリの魔狩りに対する反応ではない。どうもおかしい。

「私は君が知る所の魔女三姉妹、あるいはリリィと名乗る女性の上司なのだが」

 と、明かしてきた。名を聞いて、カラミティがなんとか思い出そうとしている。彼は面識があっても、記憶と一致しないはずだ。思い出そうにも思い出せないはずだ。ヒビキは違う。一度戦い、一度デートした。レイヴンとの戦いで巻き込まれたずに助かったと思われる。

「その縁から君を雇うというのはどうかと、彼女から相談されてね。実際に会ってみようかと。」

 警戒していた雰囲気とは違うことに、ヒビキは呆れる。もっと、モグリの魔狩りというヤクザめいた仕事を盾に言いがかりを付けられ、政府の言うことを聞けと言われるのかと思っていた。

「俺か、カラミティ、どっちが目的だ」

「もちろん、両方」

 ヒビキは意地悪な質問をするが、即答される。

 最強のマジンの呪いのカラミティは戦力として重要だろう。カラミティの心証を無視しなければならないが、乗り手の生命維持を無視し続けることで最強の力が手に入る。

 ヒビキだけでもそれなりに重要とは、リリィも言っていた。カラミティに厄を吸ってもらわなければ、誰かに幸運を呼び込むことはできるはずだ。それこそ子宝を恵ませることすらできるだろう。

 だが両方となると、真に呪いのカラミティの乗り手としてのヒビキを必要とするということである。

「ところで、俺たちは今日の宿泊場所に困ってるんだが」

「ふむ。保養区内で構わないなら連れて行こう。」

 ヒビキの条件の提示にも、彼は特に気にすることはなく即答した。

 保養区というのは、この国で人口密集地のみに存在するエリアである。ここでの戦闘及び反社会活動は一発で指名手配犯扱いであり、国外追放もありうる。まともな税金を納めていれば住めると言われるが、商業には条件が多く付加されるため、ほぼ住宅区というつまらない区画になる。

 店の前に停めてあった車はやはりエイジの車であった。カラミティは初めて乗り込む高級車に目を輝かせている。ヒビキが当たり前のように後部座席に乗ると、助手席にいる女性と目が合う。レイヴンのアジトでヒビキやカラミティを救ってくれたというリリィだ。先のデート以来、ヒビキは目にしていなかった。

「ん、久しぶりだな」

 と、一応は声をかける。

「ええ」

 彼女はすぐに視線を外し、返事だけしてくる。無表情だった。3ヶ月ぶりぐらいだろうか。相変わらず、ヒビキを気にしないようにしている顔が風吹に似ている。

「お前さん、室長だろう。逆じゃないか?」

「そうかな。まあ私は運転が好きだよ。」

 運転席に座るエイジに、疑問を投げる。しかし彼は動じていなかった。

 恐らくは、エイジ自身が会いに来たことと関係があるのだろう。

 車が動き出し、交通量の無い深夜の道路を走る。車の灯りの先は対向車の無い道路が続く。カラミティはもっと騒ぐかと思ったが、いつのまにか寝息を立てていた。ラジオも付けず、車の音もないからであろう。

「寝ても構わんよ。まだしばらくかかる。」

「そこまで疲れちゃいない」

 運転しつつ、エイジが声をかけてくる。様子を観察しているようにも見えた。

「となると、立花君は何か無いか」

 彼は助手席で前を見続けている女性に目配せして話す。彼女は言葉を選んでいるのか少し間を空ける。

「ありません」

 と、最初以外ヒビキを見ようせず冷たく言った。

「ふむ」

 エイジが話を切ったかと思ったが、すぐに口を開く。

「名刺にもあったが公安第六室はあっても、公安では窓際でね。予算は下りてくるが、先の魔術師組織に潜入させて情報収集させるのが関の山だ。虎の子のマジンも潰されてしまった。」

「謝らんぞ」

「構わない。維持費で困っていた。」

 彼の口から説明が入る。襲って来た土偶型マジンについても言及するが、ヒビキは謝罪しない。それについて気にしてもいないようだった。ただ、リリィが露骨に男2人の反応を気にし始めている。

「それで、俺たちに代わりをさせようと?」

「大体は合っている」

 その歯切れの悪さがヒビキの違和感の正体だろう。

「こちらがさせようと思っているのは、政府が重要と思っていない小者の魔術師の掃除や、こちらが独自に危ういと思っている組織の打倒だ。」

「独自、と来たか」

 小者掃除は良しとしよう。恐らくはカラミティへの配慮だろう。だが組織の打倒となると話が違ってくる。

「君が知る所のマオ君。本名、マオ・クライスナーの調査で、権藤博士の作った人型マジンがあと3体いることが分かった。そのマジンたちが人間を下に付け、慈善事業をしている。」

「言い様は分かる」

 カラミティは最強だが、権藤博士は完成を一度断念し、マジンという技術を世に知らしめた。カラミティ以外の人型マジンを作り出していても不思議ではないだろう。ただその人型マジンがカラミティよりも知識や経験を持ち、人間を率いるなら危うさがある。人間の姿をしているロボットが人間を支配するというのは、まるっきり質の悪いSFな話だ。醜くも美しい人間社会としては認められないことであろう。

 それにしてもあの頭の良さそうな少女の名前が出てくるとは思わなかった。マオを名乗っていると言っていたが本名だったとは。

「独自ということは、国は危険視してすらいないわけか」

「彼らを支持しようという動きすらある。使えば票も集めやすいという理由からだろうが。」

 マジン犯罪の横行は、国を変えた。まともな選挙権を持つのはこの国の戸籍を持つ魔術師でない生きた人間だ。信用できる生きた人間は保養区にしかいない。だから票集めでしか政治活動をしていない。政治家にとって、生きていても信用できない区外の人間は人間としてすら認められていない。

 彼は公務員ながらそういう世情を認めていないらしい。終始、明るかった彼の声音が低くなったのがいい証拠だ。

「そんなことを考えているから窓際か」

「結果的には」

 ヒビキの言葉に、彼は苦笑して声音を戻した。

「目的は分かった。推薦理由もな。だが、なんで断らないと思った?」

 ヒビキの中では、信用できる部類と思いつつあった。だが決め手が足らない。

 そんなヒビキの疑問に、彼は驚いたようだった。しばし答えに窮するので、ヒビキは思わず、目の前の運転席を蹴る。

「おい」

「あ、いやいや真面目に言うと恥ずかしくてね」

 席を蹴られているのに彼はまた苦笑している。どうにも間の抜けた人物だ。良く言えば掴みどころがないと言えようが、小馬鹿にされているようで怒りが貯まる。

「ウチのオフィスはマンションの一室でね。1つのフロア全部六室の貸し切り。もちろん衣食住を用意しよう。そして何より、魔女三姉妹などと呼ばれた美人3人をアシスタントに付けるぞ~。」

 なるほど、真面目に言うと恥ずかしい文句である。わざわざ間延びした口調でアピールしているのがなお恥ずかしい。大の大人には言いにくいだろう。

「で、そういうセールスポイントに対して、そこの子はどう思っているんだ?」

 ヒビキはエイジへ返事する前に、リリィに答えを求めた。彼女は今まで無表情だったが、売り文句に関してバックミラー越しにヒビキを気にしていた。ヒビキを推薦したのは彼女だろう。その彼女が、ヒビキについて無反応は考えにくい。以前のデートでもかなり女性らしい反応をしていた。何かある、としか思えない。

「そういうのもあるかもしれません」

 リリィはあくまでヒビキを見ず、どうとでも取れる回答をした。

「なんだかな」

 彼女の答えはヒビキにとって落胆するものだった。もっと可愛い反応をしてほしかったのだが、好みではなかった。なので、前部座席へ身を乗り出す。

「危ないよ」

「本名教えて?」

 エイジは言葉だけ注意してくる。ヒビキはそれを無視して、彼女に顔を近づける。

「リリィと呼んで、くれれば」

 彼女は露骨に目を合わせようとしない。歯切れの悪さが物語っている。この子は今、ヒビキを直視できない。恥ずかしがっている。

「マオちゃんだけ本名じゃ不平等だろ。それにおじさんは君の名前が知りたい。」

 後半の言葉をわざわざ彼女の耳元で囁く。すると彼女は、急にヒビキを押し戻そうと動く。

「あの、危ないですから、戻って下さい。お願いします。」

 極力見ないという決意からなのか、目を閉じて彼女は押し戻してくるので、ヒビキは素直に従う。可愛いので素直に従ったともいう。

「彼女は、私と同じように窓際に飛ばされた。私の恩師の娘でね。」

 公権力内の権力闘争というのはヒビキには分からないが、派閥ということなら分かる。本の知識だ。だから理解しても同情はしない。関係の無い話だ。

「彼女が言えないのなら、私から彼女を紹介するのも違うだろう。この関係性だから、同僚以上の関係にもなりきれないからな。」

 彼にも守るべき一線というものがあるらしい。ただしそうなるとヒビキは彼女の本名を是が非でも聞き出さなくてはいけなくなった。カラミティが聞いていないからこそ、大人として女性関係は爛れたものでなければならない、というヒビキの自負からだ。なお妄想で風吹に怒られているという設定にしている。悲しくも哀れな妄想だと自覚している。

「まぁ、三姉妹が付くかどうかは別にいい。内容は俺向きだ。あとは、カラミティが頷くかどうかだ。嫌だと言えばそこまでだ。いいな?」

「仕方あるまいね」

 エイジは運転しながら頷いた。納得が早すぎる。

「お前、それでいいのか?」

「普通じゃないかな。君は彼を一個の人間として扱っている。私はそれらを尊重する。私が話を出したことで、その彼が自分の弟たちに会いたいと言えばそれまでだろうし。」

 あきらめが早いというわけではなく、合理的なのだろう。にしても覇気がない。勧誘する気があるのか分からなくなってくる。

「そろそろ着くよ」

 保養区への検問に近くなり、彼は声をかけてくる。

 検問はゲートと自動扉の二重構造になっており、カードキーを差し込むタイプのものだ。防犯カメラとセントリーガンが常に警戒している。一応のセキュリティはできているということだ。

 とはいえ、それもここを通過する人間がいれば無視できる程度だ。

 彼の言う通り検問を通過するとすぐに車が停まった。区外から見えるマンションが目的地だった。保養区内となると勝手に停める車がないのか、チェーンも仕切りもない駐車場に車が停まる。ただ、電灯は自動で点く。

「手伝おうか?」

「慣れたもんさ」

 眠るカラミティをおぶって、車から出す。カラミティ自身の体重は軽い。成人男性の体重より軽いだけで、重いことに変わりないが、ヒビキは苦としない。

「最上階?」

「正解。最上階。」

 ヒビキの問いに、エイジは先導しながら友達かのように答えてくる。ヒビキとしても、彼の適応力の高さは、違和感を持たないほどである。

 そういう人間なのか、そういう風にしているのか。

 対して、リリィは後ろからついてきて何も口を開かない。

 カラミティをおぶっている状態なので、気にすることができないのが辛い所だ。

 マンションロビーをセキュリティキーで通り抜け、エレベーターで最上階へ。中心が吹き抜けになっているタイプのマンションであった。最上階のフロアにある部屋は全部で6つ。天井は高く作られており、屋根の高さが窮屈に感じ得ない。案内された部屋はホテルの写真で見るVIPルーム並かのごとく思える、広い4LDKだった。一人で住む部屋ではない。

「ここをオフィスに?」

「寝泊まりしつつね。それじゃあ、ね?」

 ヒビキの疑問に彼はまた苦笑する。癖になっているのだろうか。そして、後ろにいたリリィに声をかけ、目配せした。

「あ、はい、おやすみなさい」

 どこか寂しそうに会釈して、彼女は隣の部屋のドアを開けて姿を消してしまった。

「何だ一緒に住んではいないのか?」

「いや、今日だけ」

「配慮すんのかよ!」

「そうじゃなくて、君が来るから起き抜けの姿は見せられないって」

「そっちか! 仕方ねぇな!」

 冗談交じりに言ったつもりだが、ツッコミ漫才と化していた。リリィに乙女らしい感情があったのは可愛い限りだ。多分彼女は現在のヒビキとの距離を測りかねているようだ。ヒビキをビジネス相手と推薦しつつも、一日デートしてしまった男性にどう接していいか分からなくなっている。プライベートの姿は見せたくないというのが、その証拠だろう。

「まぁいい。寝て良いベッドは?」

「カギ閉めてる所以外は好きな所をどうぞ」

「カギ閉めてるところはあの子の部屋か。分かった。」

 エイジの案内に従い、適当な部屋のベッドにカラミティを寝かせてしまう。1人で寝るには大きいが、2人で寝るには狭すぎる絶妙な大きさのベッドだった。

 重りから解放され、大理石床のリビングに戻るとエイジは小さめの冷蔵庫を漁っていた。

「君は寝ないのかい?」

「お前こそ寝たらどうだ」

 とお互い言いながら、エイジがロングサイズ缶ビールを出してきたので受け取ってしまう。缶特有のプルタブ開閉音が2つ、リビングに鳴り響く。

「飲めるほうかい」

「ビールはあんまりな」

「同じだ」

「じゃあ何で、ってあの子が飲むのか」

 固くもなく柔らかすぎもない気楽なソファに座り、缶ビールを飲む。今日会ったにしては他愛のなさすぎる会話だ。好きでもない種類の酒を飲みつつ、2人共に息を吐く。苦味が殊更苦く感じる。

「男の、いや、大人の見栄か?」

「まねっこさ。偉そうなことは言えない。」

 公務員となれば絶対的な年功序列の縦社会だ。酒は飲めなければならないし、上司を立てなければならないだろう。ただエイジの年齢かつ、この自称オフィスでは窓際どころかはずされているとしか思えない。一応、部下としてリリィがいるのかもしれないが、それだけで見栄を張るには不十分であろう。

「君こそ、慣れない見栄を張っているのでは?」

 彼はすでに若干赤い顔を晒している。ヒビキも火照っているからお互い様であろう。

 ヒビキの見栄。カラミティに大人として振舞うことだろうか。それとも、女の子たちに『おじさん』を示すことだろうか。

「慣れてないなんてことはない」

 ヒビキの大人っぽい振舞いは、風吹に対して慣らしたものだ。逆に言えば、あの子で振舞ったことでしか、ヒビキは大人になれない。だからか、ヒビキはカラミティを無用に子ども扱いしてしまうのかもしれない。

「父親らしい正しいことなんて知ったことかよ」

 それがヒビキにとっての本音だ。ヒビキに父親はいない。母親はあってないようなものだ。ヒビキにとっての正しい大人像、父親像は己の経験からだ。間違いがあるなら、間違ってから正せばいい。

「うらやましい感じもある。私は自分が良い大人などと思ったことはない。」

 卑屈なことを言ってくる。それも仕方ないことかもしれない。自分で面会を求め、運転をし、嫌いな酒を飲む。自分だけで何事もしなくてはいけない無茶な見栄の張り方だ。これが間違いであることなど、気付いて然るべきだろう。

「俺が入ってきて、その負担も軽減されると思っているか?」

「そこまで強いる気はない。が、助けてはもらいたいか、な。」

 酒が入って余計に弱い部分もさらけ出してしまっているのだろう。同性であることもある。女子校の男性教師みたいなものだろうか。

「明日カラミティがうんと言えば済む話だ。ごちそうさま。寝ろよ、お前。」

「はぁい」

 ヒビキは受け入れる話だ。だがカラミティが頷く話かどうかは、ヒビキにも予想がつかない。カラミティがどう答えるかで、考えが透ける。出会った頃のまま成長していなければ、感情的にノーと言うはずだ、と。

 ビール缶をくしゃりと潰し、目につくゴミ箱に捨ててしまう。そして、エイジに睡眠を促し、ヒビキは空いている寝室のベッドに横になった。ホテルでない寝心地のいいベッドの感触に、ヒビキはすぐに意識を落としてしまった。

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