疫病神×魔女三姉妹
二度のマジン戦闘を経た市街から電車を乗り継ぐこと半日。それから更にバスに乗って二時間。都心の明かりが懐かしいぐらいの真っ暗な場所に辿り着く。つまりは灯りの点いた人家がなく、また街灯もない、人の気配がない場所にヒビキはカラミティを連れてきた。
空気が澄んでおり、それと共に寒さが肌を刺してくる。冬本番であるが、運良く雪が降っていない。
そう、いつものヒビキであれば新しい土地に来れば豪雪、豪雨などザラだった。それが今や晴天に恵まれている。
「ちゃんと着いて来いよ。足踏み外すぞ」
見えないくせに周りをきょろきょろ見回している赤毛の青年に警告する。辛うじてバスが通っているものの、ここらにはもはや何もないとされている。チェックしたことはないが、ヒビキが育った神社が地図に載っているか不明だ。
というのも、この村にもはや人は住んでいない。ヒビキが村を出た後に豪雨が襲い、近くの川が氾濫、人家を沈めるほどの洪水となった。
村民人口のほとんどが犠牲になったと話に聞くだけである。そしてそれは数年前の話である。
その水に沈んだ村に唯一残る、舗装されていないあぜ道を歩き、登ること十数分。やはり、人の気配のない朽ちつつある社が姿を現す。たとえ真っ暗闇でも、ヒビキの目には、はっきりと判別できた。ぼうっと淡い光を放ち、幻か陽炎のように揺らめく社。
「ちょ、ちょちょ!光ってる!何あれ!?何もないのに光ってる!!」
と、不意にカラミティがしがみついてくる。
「お前あれが何もないってのが分かるのか。というか子供かお前は」
カラミティは実年齢では幼児だ。子供に違いない。魔術科学の化身のような存在なのに異常現象を怖がるとはシュールである。
「何もない。それだけの話だ。行くぞ」
怖がるカラミティの肩口を無理矢理引っ張り、光を放つ社へと足を踏み入れる。ヒビキはこの光がこけおどしでしかないことを知っている。歩行者にセンサーが感知して自動で明かりを照らす自動装置の魔術版である。
むしろ気にすべきはこんな田舎のボロボロの神社にそんな魔術を仕掛ける酔狂な輩がいることだ。もっとも、そういう酔狂な輩をヒビキは良く知っている。それは人間社会に潜んでおり、この魔法科学時代においても神秘性を保つ存在たちだ。
「おう、ババアいるんだろ!」
神社正面から入っていく。建てつけが悪くなり軋んで重い引き戸を力ずくで引き、ヒビキは暗がりに向かって大声で言う。言い方がかなり悪いが、ヒビキよりもはるかに年上の女性故にそうなる。一応、育ての
「ひっ!」
すっかり及び腰のカラミティが小さく悲鳴を上げて服を引っ張る。彼やヒビキの目の前に人魂か鬼火かつかぬ火の玉が2,3浮かび上がる。ヒビキの目にはちゃちな演出にしか見えないが、カラミティには効果が抜群だ。むしろそういうつもりなのだろう。
「そういうのいいっつうの」
ヒビキは呆れて言うと人魂はぱったりと消える。
「ノリが悪すぎるのう」
「ひぇっ!!」
裸電球の明かりが急に点き、一人の女性が姿を現す。腰まで伸びた長い黒髪をした物憂げで古風な口調の女性だ。ただ急に現れたせいでついにカラミティが縁側に尻持ちを付いて腰を抜かしてしまった。
「久しぶりに帰ってきたかと思えば、なんじゃい。変なもん連れて来よって」
女性はカラミティを見て、正体を察した。カラミティの方は妖怪かお化けでも見たようにひきつっている。
ヒビキは彼女のことを当然知っている。彼女は色んな呼び名があるが、ヒビキには
「思うところがあって帰ってきただけだ。用事が済んだら出て行く」
ヒビキは彼女を母と呼ばない。かといって名前もほとんど呼ばない。関連があるというだけだからだ。育ての母というが、彼女は放蕩で、母らしいことなどほとんど見せなかった。母性を見せるよりも、本質故に性的で、嫌悪感があった方だ。彼女は狐の妖怪。かなり長い方なので、仙狐や天狐と呼ばれてもいい。ただ、ヒビキにとっては若いツバメをつまみ食いしに行きがちな若作り商売女でしかなかった。もっとも、死んだ嫁が貞淑だったことも嫌悪の理由だろうが。
「それで男連れ? 何の冗談だ」
彼女は鼻で笑って、何も動かずに屋敷内の明かりを点ける。明かるくなった部屋内は畳張りの座敷であることが判明する。旅館の和室のそれであり、ゆったりとした空間がカラミティを落ち着かせる。
「迷惑をかけるつもりはない」
「掛けられたことなどないよ」
少ない荷物を置いて、座敷の座布団に腰を落ち着けたヒビキに対し、彼女は和装を着崩し、艶っぽくしなだれかかる。視線を落としさえすれば、美麗な双丘はすぐそこだ。
「悪いな」
うなじから見える肌は綺麗で張りがあり、見た目の若さは少女と大人の女の狭間にも見える。通常の男なら据え膳にも等しい行為だが、ヒビキはその姿を直視しないどころか、見ようともせず、拒否する。反応していないのではなく、反応する気がない。
「未練がましいのう」
彼女は通じないところを見て、すっぱりと誘惑を諦める。佇まいを直し、静かに立ち上がって座敷を出て行くのだった。
「そろそろ落ち着いたか」
妖怪狐が気配を消したところで、腰を抜かしていたカラミティに声を掛ける。赤毛の美丈夫が何とも情けない姿だが、別に笑おうとは思わない。そんな余裕はなかった。
「君は本当に一体何者なんだ?」
そうあるべき、あるいはそうせざるべき質問がやってきた。カラミティは怪現象の数々に見慣れはしないものの、ひとまずの恐怖は去ったことで息をついている。彼が落ち着き、座布団にあぐらを掻き始める頃、質問は向けられた。
聞かれたヒビキは即座には答えなかった。答えにくかったと言っていい。視線を一度はずして、目を伏せて考えて、改めてカラミティを見据えて答える。
「さぁ分からん。俺は自分でも、俺という存在が一体何を意味するのか分からん」
はぐらかしたような感じだが、ヒビキ自身があやふやなのは真実だ。カラミティの方はバカにされたと思ったのか不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「俺の親父はただの人間だったという。だが、当時のどんな悪鬼羅刹も調伏して見せたのだそうだ。それ故に各地での美しい精霊や妖怪の姫君からの絶大な信頼を得た。しかし親父の種は子が生まれにくく、俺が生まれる頃には、親父は戦いのさなかに病に倒れていた。俺が自ら立って歩く前に親父は逝ったそうだから、俺は親父の顔を知らん」
言い訳するつもりではないがカラミティに昔話を語る。月夜の又聞きなので、本当は間違っているかもしれない。
「本当かどうかは分からないが、超絶無双の子という俺を自らの手で育てようという各地の姫君たちが大戦争を起こし、血で血を争ったという。これに怒った精霊王は、争いの火種となった俺に不幸を集める呪いを掛けたそうだ。これが俺の厄集めの原因だ」
月夜から聞かされた話だ。本当はそうじゃないかもしれない。しかし、真実としてヒビキは疫病神だ。原因はさほど重要な事ではない。本来ならば、妙な事をした精霊王とやらに恨みを抱くが、ヒビキに考えることや行動できる力や心が備わった時点で、世の中は大きく変わった。科学と魔導の発展。マジンの登場がもっともたるところだろう。精霊などというあやふやな存在は信仰を失い、その力を喪失してしまった。
「俺は俺の意志とは無関係に他者から与えられたもので生かされていた。俺自身に何の責もないが、憎む相手もいなくなって、俺はただ生きているだけだった。誰も寄り付かないここで、世界を見続けるだけで良かった。この社の下にあった村は、不幸があると思い出したかのように魔除けと称して祭を行った。しかし唐突に生贄なるものが差し出されることがあった。年端のいかない幼い女の子だった。今まで客観的に見続けた人間を直接触れた最初の出来事だった」
ヒビキは遠い昔のようで、今でも思い出せる過去を語る。ヒビキは世界というものに絶望している。しかし、憎んでいるわけではない。人間を、他者を、憎むほどに思い入れはない。あの日拾い上げた幼い命以外は。
*****
その子は
ヒビキは取り残されただけだとばかり思っていたが、月夜の話では村の方で不幸が続き、何を思ったのか疫病神に生贄を捧げて幸運を呼び込もうとしたらしい。理不尽な論理だ。生贄として選ばれたのも、後で知ったことだが、片親が事故死して親戚に預けられたことからだった。
彼女自身に罪はなく、彼女もまた不運であった。ヒビキに子どもを育てたことはもちろん無いが、不運な命を見捨てることなど出来なかった。
それからは奇妙な親子生活だった。ヒビキが親元へ返そうという気はさらさらなかったが、数日は彼女も帰宅を願っていた。だが10日も過ぎると現実を理解したようで、泣くのを止めた。それから数ヶ月が経つと屋敷の中に慣れた。子供は適応力が高い。どのようにしていればいいか自然に分かるらしい。
ヒビキも他人にしかも子供にここまで世話を焼いたのは初めてだった。試行錯誤の毎日であったが、本を読んで隠居同然の生活をするよりはマシであった。
ヒビキは成長していく彼女に対して何も思わなかったが、成人した後のこともあまり考えていなかった。そして彼女の方は父親でない育ての親に近しい男性を感じ取るのは仕方のない話であった。二人は世間の体裁上不適切な関係であることをそれほど疑問視せず、男女として生活し始めてしまった。
だが、そんな幸福の二人に最悪の不運が襲いかかる。
彼女の妊娠後に入院した病院で院内感染し、出産後も医療ミスで胎児死亡、彼女の方も病気が悪化してまもなく亡くなった。
一人残されたヒビキは何も憎むことができずに、自ら彼女を埋葬し、一緒に自分の結婚指輪を埋めた。彼女のはめていた結婚指輪を片耳イヤリングにした。
それは信頼し合うパートナーを作らず、彼女の思い出とともに生きて行こうというヒビキの願掛けだった。
*****
『悲しいよ。そして感謝しかないよ。そんな状態なのに共に戦ってくれるなんて。』
と、カラミティは涙ながらに語った後に眠った。ヒビキが他人に過去を語ることは初めてだったが、不思議とすっきりしていた。
慰められたとも、励まされたとも思ってはいない。話したことで鬱屈していた重荷から多少解放されたというところか。
ヒビキは眠りもそこそこに、夜明け前から社を出て、周囲の林の中に入る。他人にとっては獣道もない鬱蒼とした林だが、ここはヒビキの庭のようなもので、何もかもが分かる。
そんな林の中を抜けると開けた場所に墓所がある。開けているとはいえ、もはや管理が届かず、あちこちに草木が生えてしまい、石材は欠けたり黒くなったりしてしまっている。
そんな墓所の名も刻まれていない、盛り土と丸石が置かれているだけの無縁仏よりはマシな埋葬の墓の前にヒビキは跪く。
片耳のイヤリングにそっと触れて、黙祷。神に祈るつもりはない。ただ目を閉じ、妻の少女の頃から大人の姿に思いを馳せる。
目を開けながら立ち上がると、草木を踏み分ける音が背後で響く。
自分が起き抜けてきたことをカラミティが知って追いついてきたのかと思って振り返ると、しなる黒い何かが襲いかかっていた。
「ッ!?」
息を吐いて、声にならない声を上げる。間一髪の回避が出来るが、風を切り、頬を掠める何かの存在に背筋を冷やした。
(ここではダメだ)
たとえ襲われるとしても、背後に彼女の墓がある状態で敵対するわけにはいかない。それを本能的に考え、雑草ばかりの石畳を踏み出す。ただ何となく左へ駆けると、黒い何かが飛んできた方向から真っ直ぐかっ飛んでくる人影が見えた。駆ける勢いで突っ込んで来た人影は避けられる。人影は朽ちた墓石を砕いて壊し、ヒビキの方へと向き直る。
砂と土の埃で見えにくいが、仮面を被っているのが見えた。朽ちていたとはいえ石の塊を破壊できるとは思えない細腕。何より男っぽさを感じさせない女性的なスレンダーな体型をしている。
レスリング選手のようなタイトでぴっちりとした青いコスチュームをしており、更に顔の上半分を覆い隠した青い仮面をしている。赤いグローブを着けている様子は本当に女子レスラーかのようだった。
彼女は口角を上げ、笑っている。それはいまだに獲物を狙って楽しめるかのように思える。
再び死角から風を切る音。視線をそこに向ける前に、左腕に黒くしなる何かがきつく巻き付いてくる。
「鞭!?」
ようやく先程も飛んできた、その正体に気付く。普通に生活していたら知識として知っていても、実際に目にすることのないものの一つである。無論、ヒビキは何となくそう言ってるにすぎない。実際に見るのは初めてだ。
「終わったぜ!!」
女性的でありながら男性的な低い声音で言いながら、青い仮面が鉄拳を繰り出している。
何者か分からないが、ヒビキに殺意を持って攻撃しているということだ。その前提条件がクリアか、あるいは不運にも選ばれたことにより、彼女らへの不運は発動する。
*****
改めて説明しよう。
ヒビキへの殺意を持った行動は常に失敗する。ヒビキは自らの不運によって死ぬことはない。それが必然性を持つ限り、必然を発動させたものに対して死なない程度の偶然性で反射する。
万に一つの偶然が連発されるのである。自動銃は詰まりが発生したり、反動でブレて当たらないなど。ただ通常はヒビキによって発生する偶然によって、周囲の他者が不幸を被る。跳弾によって自爆することもあろう。一緒にいた者が代わりに撃たれることもある。
ヒビキ自身は偶然死なないが、周囲の人間がその不幸を更に請け負ってしまうことになるのだ。
*****
ヒビキの腕には鞭が巻き付いている。それによって彼の動きは一瞬だけ止まる。仮面のファイターの必殺の一撃はその一瞬を隙を突かれて彼に叩き込まれる、はずだった。
だが拳は空を切った。ヒビキの姿はファイターの前で消えたように見えた。実際は直前で視界から消えるように体を反らしただけに過ぎない。
ここで起きた偶然は鞭の主がコケて転び、たまたま避けられたということになる。ファイターにはそれを一瞬では理解できず、ヒビキの姿を見失って困惑する。仮面であるが故にいつもより視界が圧迫されるということもある。焦って周りを見回し、その虚を突かれて、ヒビキに背中を突き飛ばされる。
「あっ!?」
女性のような高い声を上げて、前へコケるファイター。
二人のフォローはない、と思い込んで、安堵の一息を吐く。自分の悪運を考えれば油断せざるえない。仮に今の時点で攻撃されたにしろ、すごく痛い思いをするだけで、死にはしない。
だから改めて状況を俯瞰する。仮面をした不審者が二人。そばに倒れる空手の者と、遠くでぬかるみに足を滑らせた黒い女だ。
仮面で顔を隠しているものの、当然、面識はない。いきなり襲撃を受ける理由も思いつかない。ただ、考えられるとしたら、レイヴンの手の者達だろう。現場で陣頭指揮を取る彼に幹部がいるとは到底思えないが。
ヒビキはその場をすぐ逃げようとせず、興味本位から黒い女の方に近づく。ぬかるみに足を滑らせ、固い地面に体を意識外から打ちつけて気絶したようだ。黒い服はエナメルか皮材質であろうボンテージだ。その手の店に入ったことはないので、本職の方かどうかは分からない。
倒れた姿からでも胸部から谷間にボリュームが有るのが見える。黒髪がポニーテールで、背丈はヒビキよりも頭一つ分低い程度だろうかと試算する。
その彼女の仮面を、ヒビキは興味本位で取ってしまう。格好が面白いが、体型は美女の要件を満たしている。これで素顔も美形なら、ヒビキ好みであることも完成だ。
ゴム止めしてある目だけ仮面を外し、素顔を晒させると、ヒビキは驚愕した。仮面を落とし、じっくりと素顔を凝視してしまう。
その顔は亡き妻、風吹によく似ていた。ポニーテールではなく、ショートヘアなら遠目で見間違うこともあろう。
「う」
体が痛くてだろうか、呻きながらボンテージ女が目を覚ます。
「確か足を滑らせて」
自分がなぜ地面に倒れたか確認しつつ、砂埃を体から払う。そして髪の砂埃も払いながら、違和感に気付くだろう。付けているものがなく、それが目の前に落ちていて、そばには誰かがいることを。
「あ、あなた!?」
落ちた仮面を素早く拾い、空いた手で美しい顔つきを隠して彼女は後退る。
それでようやく彼女のプロボーションの全容が把握できた。
(胸がでかい。ちょっとだけ背がでかいか。細身すぎるな。でも尻は大きいな。)
と、全て風吹と比べて判断する。失礼な考えだが、生き写しとはいかないまでも、よく似た女性がいれば、どうしても比べてしまうというのが男というものだ。
「多少痛めつけて言うことを聞かせようと思ったけど、計画変更よ。マオ!」
顔を隠しながら物騒なことを言い始める。誰かの名前を呼んでいたので、ヒビキは背後を一瞥する。青いタイトスーツの者は頭を振って今から起き上がるところだ。名前に反応した様子はない。
「フレア、ここは退く。マジンに乗りなさい!」
「あ、ああ!」
そばにいたもう一人はフレアというらしい。となればマオという者は別のところにいる支援者か。ともかく、彼女らはマジンを呼んだ。逃げるためではないことは明確だ。
ゆっくりと現れ、その場を覆う黒い影。静かに脈動する機関音と共に、背後にマジンは現れた。
どうやって浮いているのか知らないが、ずんぐりむっくりのマジンがやってきた。人の形をしているものの、脚部も腕部も、もちろん手もない。土偶かダルマと言っても間違いないマジンがやってきた。
『予定は変更。許しを請うまで焼き尽くす!マオ、全火器をこちらのコントロールに!』
『知らないよー』
怒気のこもった先ほどの女の声。ヒビキの行為がかなりの怒りを募らせてしまったらしいことは、彼自身にも理解できた。ここでどうしてそこまで怒っているのか、などと思う彼ではない。隠してある理由はそれぞれあるだろう。それに対し、ヒビキが逆鱗に触れた結果であるだけだ。
とはいえ。
『死ねぇ!』
許しを請わせると言ったのを忘れたのだろうか。殺意のある弾幕がヒビキに降り注いだ。ヒビキに避ける間もなかったが、それらの弾幕を受けても彼は無傷だった。周囲の墓場は穴だらけだ。以前と同じく、弾がヒビキから逸れてくれたわけだが、果たして本当にそれだけだろうかと彼も疑問に思う。
(ここで襲われ続けるわけにもいかない)
ヒビキは一瞬だけ、名無しの墓を一瞥し、踵を返す。墓として十分な機能を果たしているわけではないが、それでも思い出の詰まった場所である。無用に破壊されるのは御免被りたい。何より、自分の不運によって愛した者を再び不幸にさせたくない。
『腕や脚が千切れ飛んでもおかしくないのに、かすりもしないなんてどういうことよ!?』
物騒な声を背中に受けながら、ヒビキは森の中を走る。でこぼこした道のりではあるが、知っている場所だ。足を取られることなく、森を抜けてしまう。
(ヤバい)
本当はもっと走り回って土偶マジンから逃げるつもりだった。それもヒビキの不運だろうか。まったくもって撒いてすらいない。未だにマジンはヒビキを捕捉し続けている。
『逃げても無駄!』
土偶マジンの弾幕が再び降り注ぐ。ヒビキが森を抜けた先、彼が今まで住んでいた神社を含む、周辺が無残にも弾痕を付けていく。神社も見ただけでは様子が分からないが、屋根が落ちたり、ガラスがあちこち割れたりしている。
長い間の空虚な時間、それに比べると短い間の幸せな時間だったが、それらいっぱいの思い出が詰まる生家だ。これもヒビキにとって破壊されたくない一部である。
《いいえ、ヒビキ様でいいですか?》
《大人になったらヒビキ様のお嫁さんがいいな》
《わたし、大人になったでしょう? いいですよねヒビキ様》
脳裏に残る風吹の声。熱くなる目頭。奮い立たせられた身体と心。それらがヒビキに叫ばせる。
「やめろ! 俺はここだぞ!」
思い出を潰させるくらいなら死んでも構わない、とここでは本気で思った。長く生きてきた自分だから、死を感じ取りたいという蛮勇もあったかもしれない。
「この馬鹿!」
再びの機銃掃射は本当に当たるかと思えたが、叫んで出てきたカラミティに
体ごと突き飛ばされて九死に一生を得た。ヒビキのいた場所は大きく弾痕が残っている。あの場にいたら、本当に死んでいたかもしれない。
「いたた。ああもう、君はどうして。」
ヒビキをかばったカラミティは石畳から体を起こしながらヒビキを非難する。彼にはそうする理由がある。ヒビキの境遇に同情したのもそうだが、カラミティにとって運命の相棒をみすみす殺させるわけにはいかなかった。
「あ、すまん、悪かったな」
ヒビキはカラミティの行動に対して素直に謝罪した。危うく本当に死んでいたこともそうだが、思い出を大事にする余り、自分を見失っていたこともある。ヒビキ自身あっての思い出の風吹だ。
ヒビキはカラミティを助け起こすと、カラミティの方は呆けていた。カラミティはヒビキのほうを角のある男だと思っていた。それは彼の境遇から誤解であったのは分かっていた。とはいえ、こうして素直にカラミティに手を伸ばすことができ、素直に謝れる彼が、本来の彼であるとやっと分かった。
「行くぞ」
少し心を開いてくれたのかと驚くカラミティに対し、ヒビキは笑いかける。ヒビキが思い出を守るためにはカラミティを頼りにするしかない。自分の不幸を少しでも武器にできる彼と共に戦うしかない。
だがそれとは別に、風吹とは違うかけがえのないものを手に入れたような気がして、ヒビキは素直に喜んでしまったのだ。
ヒビキはカラミティの胸を手の甲で軽くノックする。呆けていたカラミティは、それで我に返り、気を取り直す。
「あ、ああ、行こう。呪いのカラミティ!!」
カラミティの呼びかけで、光の柱が突き刺さり、光は【呪いのカラミティ】を出現させる。神社の境内を挟んで、二つのマジンが対峙する。
「先手必勝っ!」
『対マジン戦ならオレだぁ!』
カラミティの大鎌で先手を取ろうとするヒビキに対し、パンチファイターの声がする。土偶マジンには手も足も無い。それを逆手にとったとでも言うのか、土偶マジンの前に赤色の魔法陣が編まれ、そこから実体のない拳が現れ、振り下ろされた大鎌を弾いた。
「何!?」
『あのマジン、見た目だけじゃない。力を持った魔術師も乗っている!』
レイヴンとの戦いは所詮おままごとだったかもしれない。あの土偶マジンには三人の魔術師が乗っている。普通に考えれば、3倍の幅がある。それに加え、ヒビキは魔術師ではない。戦力比は話にならないことになる。
あの土偶マジンにはフレア、マオと呼ばれる女の魔術師が乗っていることは容易に想像がついた。風吹に似た顔つきの女がリーダーということなのだろう。
「おい、なんで俺を狙った!?」
ともすれば、こんな状況だがリーダーから話を聞くこともできるだろう。
『私は不老不死に興味がない。死なないという幸運を宿すお前に興味がある。』
魔力の拳がカラミティを追い詰める。前と違い、呪いのカラミティの能力は万全だ。それなのに、土偶マジンを押し切れない。
「こっちは死なないんじゃない。死ぬ不運をずっと避けているだけだ!」
勘違いの興味のために襲撃されるのは心外な事だ。とはいえ、彼女ら魔女三姉妹にとっては関係のないことだ。どっちも同じだというところだろう。
(それにしても興味か。そっくりさんとはいえ、同じ顔に迫られると悪い気はしないな。)
「そうさな。まずは友達から始まるってのはどうだい。こっちはお前の素顔を知ってるしな。」
冗談混じりに言ってやると、魔力拳の猛攻が停止し、土偶マジンの前進も停止する。もっと怒られるかと思ったが、むしろ怒らせてどうするんだと言ったところだが、マジン戦闘越しの意外な反応にヒビキは調子に乗ってしまった。
「俺は素直に君が美人だと思った。良ければ、名前を聞かせてくれないか。」
我ながらキザなセリフだが、昔はもっと芝居かかった台詞を言っていた。他人との交わりがないのも困ったものである。何せ注意する者がいない。
『リリィ、いえ本当はタカ』
『流石にそれはダメでしょ』
リリィと名乗った女の声を遮り、マオと呼ばれた低い声の女が土偶から火球を発射させる。
『あんな見え見えの口説きに乗せられないでよ』
『いや、実際言われてみてちょっとどきどきしちゃったし』
『それはオレも』
『どいつもこいつも』
マオの制止も束の間、妙な事情が拡声されている。そういう経験に薄いのか、ただちょろいだけなのか見当はつかない。ともあれ、会話で気を惹くのもここまでのようだ。
『時間を稼いでくれたおかげで、こちらのパワーも安定しはじめた。一気に決めよう、ヒビキ!』
「人の魂ってのにはここらへんでは不自由しないし、使ったところで嫌悪もない。行くぞ、カラミティ!!」
この場所はヒビキが去ってから滅んだ村だ。その後でダム開発で村はダム湖で沈んだ。恨み、悔やみ、惜しみ、そういった念が積もっている。昨夜、神社に浮かんだ鬼火はあながち間違いではない。そしてそれらは、図らずもヒビキたちにとって力となる。初めて、ヒビキとカラミティは一つになった。
『封縛弾!!』
以前は弾速の遅い術弾だったが、今回は速い。これが本来の【呪いのカラミティ】だ。暗黒の術弾は土偶マジンを魔力で拘束する。
『失敗ね。脱出っと。』
『マオ、ちょっと勝手に!』
魔力で拘束しても脱出装置は動くらしい。土偶マジンの上部からカプセルのようなものが射出される。脱出されても、【呪いのカラミティ】は動きを止めない。
「両断刃!」
負の力を集めた大鎌は光を放ちながら、土偶マジンを横一文字の真っ二つに切り裂くのであった。
「やれやれ」
スクラップになった土偶マジンを墓所に始末してから、ヒビキは壊れた神社を見てひとりごちた。直すには時間と予算がかかるだろう。あいにくとそんな余裕は弁解の余地もない。
(余裕ができたらな)
片耳のイヤリングを撫でて、昨日来た道を戻る。
自分が戻ってきたせいで、また故郷は不幸になったかもしれない。だが今のヒビキは少なくとも不運ではない。
「レイヴンって奴、ちゃんと倒さないとこっちは狙われっぱなしらしいな」
隣で付いて来るカラミティに苦笑する。カラミティといえば軟化したヒビキの態度に驚くものの、釣られて微笑む。
「君が協力してくれるなら、倒せるさ」
「魔術師でもないのにか」
「僕に乗って生き残ってるんだ。大丈夫だよ。」
おどけるヒビキにクソ真面目に同意するカラミティ。期待してくれている彼にヒビキは笑ってやることしかできないが、悪くない晴れやかな気持ちがあった。
(風吹、また来るよ)
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