疫病神×必殺技

 六畳一間の部屋で、一応キッチントイレ付きの古ぼけたアパートに成人男性が2人。ただ一方の1人はアパートの入り口付近に座り込みをさせられている。

 その座り込みをさせられているのがカラミティだ。先の戦いの後、彼はずっと男の後を付いて行き、自宅まで来てしまったのである。そんなカラミティに対し、男は家に上げることまでは許しても、寝泊まりさせるスペースはないので玄関に押し止めさせた。それが最大限の譲歩ということだろう。

 カラミティは人型マジンとはいえ、エネルギー補給は食物するし、睡眠でエネルギー効率化を図ることができる。食べないで死ぬことはないが、人間と同じように飢餓感は煽られる。明確に腹が鳴ることはないが、自身で腹が減っていることは理解できる。

 その日のカラミティは持ち合わせがなかった。魔術結社に追われていてそれどころではなかった。住所不定無職が銀行口座を持てるわけがないし、金を借りられるわけでもない。むしろ借りる方法を知らない。

 つまりカラミティは他人の厚意を受け取って日銭を稼ぐか、最低限の生活を送るしかなかった。それでいて純粋でいられるのは、ひとえに人間でないからかもしれない。

 ともかく、人の生きる力を吸い取る呪いのカラミティに搭乗してなお平然としていられる男を追ってきたカラミティ。家まで辿り着いて、中に入るまで強引に行けたもののそれまでだった。男はもうカラミティに何も言うことはない。近づいたり、物を言おうとすると睨みつけて威嚇してくる。

 徹底して、こちらに心を開く様子はない。カラミティがオープンすぎるのを自身が気付いていないのだが。無思慮に他人に踏み込もうとする行動は指摘されたことはあるが、何がどう悪いのか理解できていないのである。

 カラミティ自身知らないことだが、彼は歪んでいる。戦闘で予測や結果想定ができるにも関わらず、対人関係の行動予測ができない。行動の倫理や論理が、お子様なのだ。それもそのはずで、彼は生まれて数年。容貌こそ20代頃の青年だが、精神的には子供そのものなのだ。

 だから、気持ちの勢いに任せて行動するし、論理的に事を解決しようという気にまるでならないのだ。何事も正直で、嘘をつけないのもそれに拍車をかけている。

 ともあれ、カラミティと男の距離は開いたまま時間が経ち、カラミティはその場で寝ることになる。彼が男と会話のきっかけを掴むことができたのは、次の日の朝のことになる。

「なんで荷物をまとめているの?」

 男は衣類や身の回りのものを大型のスポーツバッグに詰め、部屋内を綺麗に片付けていた。

「この部屋を借りる期限が今日までだからだ」

 カラミティは非常に間が悪かった。男はすでに街を出ていこうとしていた。昨日の騒ぎは、男にとっては出ていくにはいい口実だった。

「俺には珍しく運がいい、な」

 独りごちる男はカラミティを見ていない。スポーツバッグを肩に掛けて部屋を出ていく。もちろんカラミティは彼に付いて行く。

「いつまでついて来るつもりだ」

「一緒に戦ってくれるまでだ!」

「何のために?」

 街の交通機関が集中する中心部に向かって歩きながら、男は振り返らずに聞く。カラミティは即答するが、男も即返事する。間髪のない返答に、多少びっくりしながらカラミティは答える。

「マジンで傷つく弱い人たちを助けるためだ」

 カラミティは本心でそう答えた。人型マジンだから自分が傷つくのは構わない。魔狩りの真似事でもいいから弱者を救いたい、と。

「ご立派なことだ。悪いがそういう話はパスだ」

 男はやはり振り向かず、立ち止まらず返答して歩き続ける。

「何でだ!」

 カラミティは食い下がる。男の歩みに走って追いついて、彼の顔を見やる。彼の表情は笑っても怒ってもいない。感情を推し量れない。

「俺にメリットがないだろう」

 男は極めて現実的な返答をした。カラミティは若者にありがちな、若さゆえに自己犠牲心に満ち溢れている。他人の幸せのためなら飢餓感も埋められる、と本気で思っている。

 それをバカにした人々はこれまでたくさんいた。カラミティは彼らを論破したことはなかったが、行動で示せば分かってくれると思っていた。しかし、理解されたことはほとんどない。だがそれでも、と今まで生きている。

「幸せな生活を守る。それは強さを持つ人ができ、務めだ。見返りなんてそれから後からついて来る」

 今までそうしてきたし、それ以外ない。カラミティは正直に話す。それを聞き届けてか男は立ち止まる。ようやく聞いてくれるかと、カラミティは彼を追い越しつつ立ち止まる。だが返答はカラミティの期待するところではなく、逆に襟首を掴まれた。

「俺はもう他人の幸福のために生きるつもりはない」

 男の怒りの琴線に触れたらしい。眉間に皺を寄せた怖い顔で凄みながら言って、カラミティを振り払う。カラミティは人型でいれば通常の成人男性の平均身長、平均体重のそれだ。だが、成人男性の体重を片手でどうにかしてしまうのは難しい。

 男は昨日奪った銃を普通に片手で撃っていたし、やっぱりポテンシャルが高い。だから、邪険に扱われたとしても、カラミティが引き下がる理由にはならない。

 乱暴にされても、諦めないとばかりにカラミティは男を追おうとする。男は立ち止まったままだった。それもそのはず、朝の通勤者が行き交う大通りの真ん中で、半裸マッチョが現れるのだから。

「では、我々と共に欲望のまま生きるのはいかがか?」

 半裸マッチョ、レイヴンは一人で現れて言う。昨日の今日で現れるということは、またかと思いカラミティが反射的に身構える。

 その予想を裏切り、レイヴンはカラミティには何も反応しない。

「お前が何者かはこの短い時間では分かりかねる。が、纏うものはどちらかといえば我々と似たようなもの。そう思って、網を張らせてもらった。」

 妖しく笑うレイヴン。道行く人は関わり合いにならないよう見て見ぬふりをして足早に歩き去っていく。マジン犯罪や魔術師が公然と出歩いていても、それが通常の反応である。時間も時間なので、商店など開いておらず、野次馬ができることもない。

「消えろ、木っ端野郎」

 男は深いため息をついて言ってのけた。

「なんだと?」

 大物ぶっていたレイヴンとしては予想しなかった言葉であるらしい。

「真の魔術師は自己研鑽と研究で秘術を生み出していくものだ。秘術をタダで手に入れたり、暴力で奪い取るような人種じゃない。そんなヤクザもどきの仲間入りさせられるなんてまっぴらゴメンだ」

 男は真っ向から正論を叩きつける。それは真にレイヴンへの侮辱である。

 魔術師とは男の言う通りの存在だ。しかしいつの頃か、屋内に引きこもっていた魔術師が外に現れ、今では我が物顔で往来を歩き、マジン犯罪に関わっている。本当のヤクザはそういう魔術師の手下に成り下がっている。それらを魔術師と呼ばないことは、確かにあるだろう。

「仲間に欲しい豪運と力の高さであったが、ただのバカか。で、あれば消すしかありえないな!」

 侮辱されては黙っていられない。カラミティと違い、交渉を早々に打ち切り、レイヴンは叫ぶ。すると大通りが揺れ動く。地震ではない。レイヴンの後ろに何かがすでにいる。それはか陽炎のようなゆらめきがある。昨日のマジンの伏兵もこのように隠していたのだろう。レイヴンは後ろに跳んで、現れるマジンに乗る。そのマジンは昨日と同じくニアクロウ。ブリキ人形のように曲がらない脚と曲がらない腕を持つ不格好なマジンだ。

『我が不老不死の探求を邪魔したことを後悔させやろう!!』

 マジンに自ら乗り込んだレイヴンはそう言って、大通りに機銃を降り注がせた。

 数秒もたたず、その場は地獄と化す。悲鳴を上げられるならまだいい。道路に停車する車は一瞬で穴だらけになり、最悪火花が燃料に引火した。銃撃に巻き込まれる不運な通行人や、逃げられても火に巻かれた車に退路を塞がれ、生きたまま焼かれてしまう者もいる。日常は一瞬で変転した。

 その中で、男とカラミティは幸いにも無傷だった。むしろ、見せしめのために彼らを撃たなかったか。言うことを聞かないなら周囲の人間を虐殺するぞ、とでも言うのか。

「やめろー!!」

 カラミティは目の色を変えて叫ぶ。彼はこんなことを望まないから、防ごうと思うから男を説得しようとしていた。だがこうなっては悠長に説得をしている場合ではない。たとえどんな人間でもこの場から一人でも救わなければと、身体を突き動かされた。

 男の方はその場から動かない。何かを考えている風でもある。その姿にカラミティは我慢できずに叫ぶ。

「君は、こんなことになっても見て見ぬふりを続けるのか! それとも自分だけが助かりたいと思うのか!」

 カラミティは説得に応じないことは、男が自分だけの安全を考えていたり、見返りがなければ動けないとしか思っていなかった。それぐらいしか理由を思いつけなかったし、無思慮であったことが原因にある。

「まだ分からないのか」

 男からの返答は冷たい。周囲の惨状を何とも思っていないかのようだった。

「俺が死ぬと思う状況は、俺は死なない。俺に撃たれる弾は流れ弾になって周りを殺す。お前は運がいい。俺の近くにいて死にもしない」

 男は何とも思っていないわけではなかった。諦めだ。こんなことは慣れっこだと言いたげだった。それを素直に聞き分けるカラミティではない。

「ふざけるな。君の運が悪いから何もできない人が死ぬのか。そんなことあってはならない。現に僕を救った。僕の運は悪くない。僕と一緒に戦い、君は僕の特性で死ぬようなことはなかった。それは僕にとって初めてで、僕はその幸運に感謝しているんだ!」

 カラミティは共に戦える人間を探してきた。数年とはいえ、十分に長い時と感じられた。たとえ突発的な出来事だったとしても、いつ次に幸運は出会えるか分からない。今この時、この男の存在を逃すわけにはいかないのだ。この惨状を悪運にさせてはいけない。

 そう言われて、男は嘲笑か自嘲ともつかない笑みを浮かべる。カラミティはその態度に直情的に腹が立ち、手を出そうとするが、男はいとも簡単に受け止める。

「運がいいのか悪いのか。それは俺にも判断がつかない。まず間違いなく、こんな現場に遭遇するのは運が悪いし、いつでも奴を倒せる状況にあるのは運がいい」

 男はこの期に及んで冷静だ。笑っているのも自嘲の可能性が高い。それらをカラミティは理解できない。狂っているとしか思えない。そんなカラミティの様子も関係なく、男は続ける。

「俺はただ運が悪いわけじゃない。厄を集める体質がある。常に不運を付きまとわせる地獄を歩かされている」

 男は自分が疫病神であることを明かした。その言葉全てをカラミティが理解できることはないが、頷ける部分もある。

 幸運とは運命天賦であろう。ただどうも、この男はそれが偏っているように思える。良い偶然、悪い偶然が折り重なりすぎる。それはカラミティにとってもだ。

「どんな地獄であろうと、俺は死にはしない。見も知らない誰かは死ぬ。今までそうしてきたのに、今更守れと?」

 この男はとっくの昔に絶望していたのかもしれない。男一人で何ができるわけもなく。ただ、それはカラミティも同じ。誰かがいなければ、呪いのカラミティは力を発揮できない。だからこそ、男の力は今更必要なのだ。

「今更でもいい。できるなら、今が一番だ!」

 カラミティの叫びに、ついに男は根負けしたかのように目を閉じた。

「ヒビキだ」

 男はついに名乗った。しかし、唐突すぎてカラミティは呆気に取られる。

「行くぞ。マジンを呼べ」

「あ、ああ!」

 男が、いやヒビキがどのような帰結を得たのかは分からない。ただ名乗ったということはカラミティとの戦いを承諾したことになる。

 ヒビキの同意を得て、カラミティは再び自らのマジンを呼び出す。火と悲鳴包む街の大通りで、マジン戦闘が始まる。


              *****


 小日向響は不幸の星の下に生きている。生まれ自体が疎まれ、そうあるようにされた。その原因は父親がやらかしたせいだが、今の流浪の生活にはあまり関係ない。

 ともかく疫病神の化身か、厄神かの扱いを受けて育ち、周囲の不幸不運を受け持つことで、相対的に周りを幸福にさせる役目を長らくしてきた。だから、人並みの幸福をなんとしても手に入れたいと一回は思った。魔が差した、とでも言うのか。

 ヒビキは生け贄として捧げられた娘と結婚し、生活したことがあった。ささやかな幸福を知るものの、娘と子を作った後で、その両方を失った。

 ヒビキの片耳のイヤリングは娘との婚約指輪だ。彼女と共にあるという、未練の証とも言える。

 短い結婚生活の思い出が辛くなり、その家から去り、今の流浪の生活になった。

 日銭を稼ぎ、その日暮らしを続ける。何も生産することがなく、誰にも後ろ指を指されることのない生活を続けていた。

 もちろんそんな生活を続けていては、死を考えることも少なくはない。だが、彼の厄運吸収体質は唯一死を寄せ付けなかった。生きながら苦しみ続けろというつもりらしく、向かってくる死は悉くが全て彼を避けた。

 服毒死を選ぼうとすれば腹を壊すだけで済まされるし、道路に飛び出してみれば目の前で車両の多重追突事故が起きる。高層ビルから飛び降りようとして、不法侵入でどうしても警備員に見つかって捕まるところで、死ぬのはほぼ諦めた。

 そこからだろうか。偶然の殺意に祈りを込め始めたのは。

 コンビニに行けばアクセルとブレーキの踏み間違えで建物に突っ込む車両をよく目撃する。ヒビキは直接的な死を迎えることができない故、自分の厄集めによって巻き込まれる他人の不運死に巻き込まれることはできないかと考えた。

 カラミティとの出会いはそんな最中での出来事だった。謎の秘密結社との遭遇。いつものヒビキなら生きて帰る幸運に遭遇できるはずもない。カラミティのいざこざで巻き込まれ死を願った。

 だがレイヴンは言った。消せ、と。前述の通り、直接的にヒビキを殺すことはできない。カラミティの不運によって流れ弾が当たれば、ヒビキに死のワンチャンがあったのだ。一言を言ってしまったために、偶然にも銃の射撃精度は悪くなり、射線が荒れる。最悪、不発弾が発生したり、弾詰まりが発生する。

 ただ、この出会いの時に予想外であったのは、ヒビキに幸運が発生したことだ。その時はヒビキにとってもただの偶然としか思っていなかった。

 何しろ、ヒビキがマジンに乗って戦ったことを誰も目撃していないし、その次の日がアパートの引き上げ日であったことは、偶然でしか思っていなかったのだ。

 カラミティと幸運の因果関係は後述するとして、結局不運はじんわり戻ってきた。再びレイヴンと出会ったのがそうだ。

 ヒビキは他人の厄を吸って、他人を幸福にしてしまう。生きているだけでそれができる。それはもうまっぴらだ。

 しかし逆にそれを利用することは彼自身考えもした。考えて、やめた。嫁との思い出がある限り、真っ当な人間に害為すのはお門違いだと考えた。たとえ、嫁の死にヒトの害意が一分でも認められていたとしても、憎悪を抱くのは今更だと思ったのだ。

「真の魔術師は自己研鑽と研究で秘術を生み出していくものだ。秘術をタダで手に入れたり、暴力で奪い取るような人種じゃない。そんなヤクザもどきの仲間入りさせられるなんてまっぴらゴメンだ」

 安く見られているようなので売り言葉に買い言葉をしてみたが、結社のボスはヒビキの思うより小者だった。即交渉をストップさせ、暴力行為に切り替える。まるで子供の相手をしているかのようだった。

 とはいえ、起こったことは久しぶりの地獄。人間が生きながら焼かれる匂いは久しぶりだった。一方的な暴力によって上がる悲鳴の多重演奏。耳に良いものでは無いが、年間に一回は聞く。

「君は、こんなことになっても見て見ぬふりを続けるのか! それとも自分だけが助かりたいと思うのか!」

 カラミティの非難は空虚にしか聞こえなかった。彼にとってヒビキはようやく見出した相棒だろうが、ヒビキにとっては歩いてればたまに遭遇する出来事だ。特にマジン犯罪が横行するこの時代は、民間人の命など安いものだろう。

「まだ分からないのか」

 ヒビキは自分に言い聞かせるように説明してやった。

「俺が死ぬと思う状況は、俺は死なない。俺に撃たれる弾は流れ弾になって周りを殺す。お前は運がいい。俺の近くにいて死にもしない」

 カラミティが思ったように、ヒビキは半ば諦めがついていた。カラミティはちょっとやそっとで死ぬ体でないが、それもいくら持つか分からない。

「ふざけるな。君の運が悪いから何もできない人が死ぬのか。そんなことあってはならない。現に僕を救った。僕の運は悪くない。僕と一緒に戦い、君は僕の特性で死ぬようなことはなかった。それは僕にとって初めてで、僕はその幸運に感謝しているんだ!」

『私はあの日、社で出会った時のことを絶対に忘れない。あれは運命の日。それは不運だなんて決してない』

 カラミティの言葉で思い出される嫁の言葉。嫁はヒビキに対して捧げられた生贄。物心付くか付かないかの年齢で捧げられた彼女はヒビキと出会い、彼の元で成長し、結婚した。言葉はその時のことだ。彼女の献身に、ヒビキは救われていた。ヒトを憎むに憎めないのはそれが原因でもある。

 カラミティが煮え切らないヒビキに対して苛ついて殴りかかってくるが、考え事をしていても受け止められるぬるい拳だった。受け止めて、拳の力の入れようからほぼ本気であることは推し量れた。

「運がいいのか悪いのか。それは俺にも判断がつかない。まず間違いなく、こんな現場に遭遇するのは運が悪いし、いつでも奴を倒せる状況にあるのは運がいい」

 ヒビキにとってはいつものことではあるが、カラミティと共に戦えば、レイヴンが倒せる。チャンスが存在していることは幸運であろうか。

「俺はただ運が悪いわけじゃない。厄を集める体質がある。常に不運を付きまとわせる地獄を歩かされている」 

 幸運とは運命天賦。だがヒビキにとっては他人にとっての偶然が、自らには必然となって降りかかる。ただし、死以外は。

「どんな地獄であろうと、俺は死にはしない。見も知らない誰かは死ぬ。今までそうしてきたのに、今更守れと?」

 嫁への未練だけで虚ろに生きてきた毎日。何も変わらないと思っていた。ただ、変えられるかもしれないという希望の一縷はカラミティに対して感じ始めてはいた。

「今更でもいい。できるなら、今が一番だ!」

『ヒビキ様は自分を可哀想だなんて思わないで生き続けて来たでしょうけど、私はヒビキ様が可哀想だと思う。だから今更でもいいから、幸せに生きてみたいと思わない?』

 目を閉じる。その一瞬で、脳裏に声が流れてくる。そう言われたら、縋り付いてしまう。

 ヒビキはカラミティに対するある疑念を解決するため、あるいは心の中の未練に勇気をもらった。

「ヒビキだ」

 目を見開き、昨日した約束は蹴って、自己紹介する。今更だが、君とかお前呼ばわりされ続けるのも気持ちが悪い。

「行くぞ。マジンを呼べ」

「あ、ああ!」

 カラミティは呆気に取られたようだが、すぐに呪いのカラミティを呼び出す。

 昨日に引き続き、二度目のマジン搭乗。コクピット内の地に足の付かない中空状態にはやはり戸惑うものの、昨日ほど気にすることではない。

 眼前のニアクロウに対して、先手必勝とばかりに左フックするものの、思ったよりパワーが出ない。昨日のようにニアクロウが吹っ飛ばず、後退りしかしない。

「ククッ、どうやら全力を出せていないようだな!」

 正面から声が響き、ニアクロウが光弾を放ってくる。

「ただの戦闘員が搭乗するニアクロウとは違う。これが魔術師の乗るマジンだ!」

 ご丁寧に説明してくれるレイヴン。魔力の光弾は昨日受けた実弾と違い明確にカラミティの装甲を削り取る。呪いのカラミティ自身である彼が痛みを受け、喘ぐ。

「チィッ…!」

 昨日のように圧倒できるわけではないらしい。ヒビキは舌打ちする。スペックで圧倒できていても、人間と同じく本調子でないと本来のパワーを出せないということだろう。ヒビキには理解できなくもなかった。カラミティは人型マジンである。食事も睡眠も取るのだろうと容易に気付いた。そのどちらもをしっかり与えていない。ヒビキが勝手に付いて来たカラミティに対して、最低限の扱いしかしなかったせいだ。当然といえば当然だし、後悔したところでどうしようもない。

「一気に決めれば!」

 呪いのカラミティは本調子ではない。ニアクロウは格闘戦でどうにもならない。ならば、昨日と同じく武器で勝負を決めれば良いと考える。ショーテルを呼び出し、ニアクロウに振り下ろす。だがこれも防がれる。魔術師特有の魔術障壁が刃を防いでしまっている。

「ふははははは!!」

 レイヴンの哄笑が轟き、返す刀の光弾が乱射され、またもカラミティにダメージが出る。身をよじって回避しようにも動きが鈍くてあまり関係ない。当たらなかった流れ弾は被害の少ない周囲の市街に直撃して倒壊する。そちらに避難していた人々は運悪く巻き込まれ、命を落としていく。

「これがマジン!これが魔術兵装というものだ!魔術師でない貴様等ではもはや勝ち目はない!」

「…無いのか?」

 レイヴンの言い分を聞く気はないが、手立てがないのなら詰みだ。このままではただジリ貧である。後ろのカラミティに聞いて、答えを待つ。

「呪いのカラミティは負の力を糧に動く。ほぼ無尽蔵に。それさえあれば瞬間的にパワーは上がる。今の所のパワーダウンはお腹が減って力が出ないだけだから。」

 アホくさいパワーダウン理由だが、ヒビキでも腹が減っては力が出ない。そこを気合いと根性で、などと言いはしない。

 とはいえ、ようやくヒビキにも理解ができた。運が妙に向いていることや、自身が呪いのカラミティに合っている理由が。

 このマジンはヒビキの集めた厄を吸っている。それが、呪いのカラミティに搭乗しても安定したパワーを出せる理由だ。

「負の力か。それがあれば、魔術兵装とやら、使えるのか?」

 これまでのことから逆転の一手は容易に思いつく。カラミティの方は察しが悪いのか、後手に回って弱気なのか覇気のない返事をしてくる。

「あるにはある。確かに、使える」

「意地を張るなら弱気な声を出すな。ピンチの時こそ笑え。逆転は諦めなかったからできるわけじゃない。自分に負けなかったから手繰り寄せられるんだ」

 彼自身はスペックだけでニアクロウを上回れると思っていたようだが、存外厳しかったようだ。だからこそ、共に戦うことにしたヒビキが弱気になるわけにはいかない。

「どうした、打つ手無しか!?」

 レイヴンが下手な煽りを打ってくる。一方的に攻撃できるはずだが、してこない。舐められているのか、勝ち誇っているのか。どちらもだろう。昨日の今日のことだ。どうやら、優位に立ったらいくらでも慢心できるタイプであるらしい。小者だ。

「利用できる負の力なら、周りにある」

 ヒビキは答えを導く。本当は外道だろう。だが、死んだものの魂が本当にあるなら、カラミティで利用できる。自身の集めた厄を吸ってしまうマジンであるなら、人々の死もまた吸える、と。

「僕は他人の死を利用したくないのに」

 甘いことを言っているが、マジンは気付けばパワーを一時的に上げている。この場における死やカラミティ、ニアクロウに対する第三者の憎しみなどを呪いのカラミティは吸っている。本当に呪いのカラミティの魔力炉はカラミティ自身の意志とは無関係にエネルギーを欲するらしい。もちろん彼は抵抗しているだろうが、その意志は危機的状況においては紙の如しであろう。

「お前の力を見せろ、呪いのカラミティ!

呪いで身を焦がすのは、俺達とあいつだ!」

 ヒビキの決意に、呪いのカラミティ自身が呼応したかのようにさらにパワーが上がる。

「くっ…封縛弾!」

 カラミティはギリギリまで抵抗してか、あるいは制御しようとしてか、喘ぎながら操作する。呪いのカラミティの右手から発せられた一つだけの禍々しい紫色の光弾は、ニアクロウに向かって行く。弾速が乏しいが、ヒビキたちを舐めきっているニアクロウとレイヴンはそれを無抵抗に受ける。

「何をするかと思えば強めのバインド術か。こんなものすぐに解呪してしまえば」

 レイヴンは依然として侮っている。多分解呪なんてしないだろう。

「なるほど、動きを止めて斬る、そういうことだな?」

 ヒビキはなんとなく納得した。これが呪いのカラミティの必殺技、いや魔術兵装だ。初めての時は捨ててしまった手持ち武器が自動で現れる。サイズランチャー…長柄の射撃武器だが、近接武器にもなる。死神の鎌の形の強い光が銃口とは逆位置から現れる。

「ならば!」

 後は昨日と同じ。距離を詰めて、斬る。距離を詰める間にも鎌の光は強くなる。

「悪足掻きを。そんな攻撃が効くと」

 レイヴンの言葉の途中で、ニアクロウは下から上へ縦に真っ二つになる。

「バ、バカなぁぁぁぁぁ!!」

 侮った挙げ句にテンプレート通りの捨て台詞を残して、倒れるニアクロウを尻目にレイヴンは脱出ポッドで離脱していく。

 サイズランチャーの鎌の光がなくなると、呪いのカラミティに無尽蔵に集まっていたパワーも下がっていく。

「よくやったな、呪いのカラミティ」

 ヒビキは呟く。消え入りそうな声だったが、カラミティには聞こえていた。

 戦いは終わり、一瞬の静寂の後に救急車や消防車のドップラー効果が辺りを騒がし始める。

 呪いのカラミティは姿を消し、元の赤毛の青年へと戻る。ヒビキは負の力を吸われすぎて死ぬことはなく、乗る前の精力的姿のまま自立していた。戦闘で体力を消耗している風でもない。むしろカラミティのほうが倒れそうに短く息をし続けていた。

「行くぞ」

 ヒビキは疲労困憊のカラミティに、無情にも歩くことを促す。昨日は一方的に突き放していたから、ヒビキとしては最大の譲歩であり、進歩である。

「一体どこに」

 当然といえば当然に、カラミティは行き先を聞いてくる。

 本来は新しい場所に流れるつもりだった。だがカラミティと共に行くことにした以上、他の市街地は行きにくい。レイヴンがまた襲ってくるかもしれない。

 そういう可能性を考え、適当な山奥である実家へと戻ろうと思った。実家というか育った場所というか、疫病神として押し込められていた神社というか。

「田舎だよ」

 ヒビキは頭の中で思い出がぐるぐるして、具体的な答えを出さなかった。にわか仕込みの相棒関係だ。詳しく言う必要はない、と思った。だが、育った場所に行く以上、話さなければならないこともある。それを棚上げにして、ヒビキは先を歩く。


                *****


「おのれぇ…」

 ニアクロウから射出された脱出ポッドから出て、レイヴンは歯噛みする。

 こんなことにさせる気は毛頭なかったという思いだけが駆け巡り、慢心した事実を忘れる。

「だがあの周囲の死を取り込む力こそが私の求めてきた力!

必ず手に入れるぞ、カラミティ!」

 決意も新たに拳を握り締める。そんな彼の元に一団が近づいてくる。顔を隠したスーツ姿の下僕たちと、黒いボンテージ姿の仮面女だ。

 妖しさ爆発だが、プロポーションがはっきり見えるコスチュームのおかげで見目麗しい仮面の女が迎えの先頭に立っている。

「魔女か。迎えを寄越せなどと言った覚えはないぞ」

 ヒビキに関わって以降運が落ちているレイヴンには、警察に包囲される不運もあったはずだが、それに気付かず憎まれ口を叩く。あるいは結社総帥のプライドであろう。

「彼らへの追撃は私達に任せてもらいましょうか」

 彼女は女性的な声を通らせる。魔術師は性別偽装する者もいる。見た目に騙されてはいけない。

 とはいえ、彼女は結社にとって雇われた外様、魔女三姉妹の一人という名の通った女であった。

「どういう風の吹き回しだ?」

 魔女三姉妹はその名の通り3人の女性魔術師で行動するフリーランサーの魔術師だ。レイヴンのような現場に拘るタイプの魔術師を後方支援する雇われ者である。その筆頭が前線に出る提案をしてくるのは、魔術師らしい手柄の横取りを最初に警戒する。

「我々で追撃している間に戦力の再編を。心配せずとも、カラミティには興味はありません。私達としては一緒にいた男のほうが興味深い」

 彼女はそう言って、マスクの下から微笑みを浮かべる。見た目の妖しさ故に淫蕩に見えるが、周囲の男たちは反応することはない。レイヴンの方はカラミティにしか興味を示さないため、なおのこと反応しない。

「よかろう。貴様たちに任せる」

「その言葉を待っていました。では、失礼」

 自身のセクシーポーズをガン無視さるても気を悪くした様子はなく、レイヴンの同意を待って、彼女はその場を去った。


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