1-03『俺が生きて帰ったら続きを話そう』

霊吸たますい?」


 湊が聞き返すと、春は頷いた。


「なにそれ、うなぎの肝吸いみたいなやつ?」

「ギャグにしてはキレがありませんね湊くん。違いますよ。なんていうのかな、ざっくり言うと妖怪の一種になるんですかね」


 やや腹立たしい物言いとともに、春は説明をしてくれる。


 霊吸いは、英訳するとソウルイーターとかになるのだろうか。要するに人間の精力、生命力といった類のものを糧に生きる生命体のことだ。姿は人間とあまり変わらず、人間社会に溶け込んでいる。太古から現代に至るまで、ひっそりと血脈をつなげている一族であるとも言われているし、人間の中に先天的あるいは後天的に出現する突然変異体であるとも言われている。


 要するにその実態はまったく掴めていない未知の存在だ。


 湊と春が高校に入学した頃には、この街には霊吸いが出るという噂がまことしやかに囁かれていたらしく(湊は完全に初耳だった)、春が最初に都市伝説研究会を立ち上げた理由もそこにある。


「山添先輩に研究レポートをビリビリに引き裂かれていらい停滞していたこの研究ですが、夏休み期間中に十分な資料が集まりましてね。いよいよ研究再開といきたいんですよ。というわけで湊くん、明日からの土日、暇ですか?」

「接続詞の前後に因果関係を感じない……。いや、そもそもおまえさ」


 湊は、ぴったりと春に額をくっつけながら、言った。


「今この状況でそれを言う必要あった?」


「たあああああかあああああみいいいいいねえええええええッ!!!」


 空気を思いっきり震わせて、野獣のような咆哮が響き渡った。思わず身を竦めて動きが止まる。2人はこの咆哮の主から逃れるため、新校舎と旧校舎の間にある茂みの中で、先程から息を潜めているのであった。


 ラグビー部主将、山添猛先輩である。


「どこだッ! 出てきやがれ、鷹峰ェッ!!」


 声からわかる通り、そうとうご立腹でいらっしゃる。


 声のした方向を2人でじっと見てから、湊と春はまた向き合った。春はいけしゃあしゃあと、自分の言い分を口にする。


「こういう時は、楽しいことを考えた方が良いと何かで読んだもので」

「そっかー! 俺にはそんな楽しい話題ではなかったかなー!」


 そうこうしている間にも、山添先輩率いる運動部連は、着実に包囲の輪を狭めつつある。もしも彼らに捕まれば、地獄のような拷問に付き合わされるか、悪夢のような辱めを受けるか、あるいはその両方が待ち構えている。


「春、ここは俺が囮になる。おまえは逃げろ」

「そうします」

「躊躇なしかー」


 まぁ正直、春を山添先輩と鉢合わせさせたくない。山添先輩を怒らせるとわかっておきながら、ここに彼女を巻き込んでしまったのは湊の失態である。

 湊は、覚悟を決めて茂みから出ようとし、そして、服の裾を引っ張る春の存在に気づいた。


「なんだ」

「それで湊くん、明日からの土日は暇ですか?」

「用事と言える用事はないよ。俺が生きて帰ったら続きを話そう」

「わかりました。ご武運を」


 ピッ、と敬礼のポーズを取る春。湊は改めて茂みからごそごそと這い出した。


「鷹峰、どこにいやがる! 出てこォいッ!」

「ここにいるぞーッ!!」

「なにィッ!」


 ゴミ焼却炉の上にあがって腕を組む湊を、山添先輩含む運動部連の連中が、一斉に振り返る。


 野球部主将、六甲道先輩。サッカー部キャプテン、水元先輩。バスケ部主将、籠原先輩。剣道部主将、宮本先輩。レスリング部主将、マスク・ド・ソレイユ先輩。錚々たる面子を揃えたといった感じだ。


「山添先輩、俺は逃げも隠れもしない!」

「逃げも隠れもしてなかったらこんなところまで探しに来るか! デタラメふかすな! とにかくその焼却炉は古くて危ないから降りてこい!」

「そうしよう」


 よっこらせ、と慎重にゴミ焼却炉から降りる湊。運動部連の主将たちは、そうこうしているうちに焼却炉をずらりと取り囲んだ。


 配下の主将たちを押しのけるように、山添先輩の巨体が姿を見せる。


 私立マキノ学院高校は、運動部の活動に力を入れている学校だ。中でも花園の常連であるラグビー部の活躍は目覚ましく、その頂点に立つということはすなわち、マキノ学院の王となることに等しい。

 ジョックス・オブ・ジョックス。運動部連よりが生徒会よりも強力な権力を有するこの学校において、山添先輩に口答えできる人間は決して多くはない。


 山添先輩はその野獣のような肉体と顔面に相応しい、野獣並の知性と人格を有している。そして腹立たしいことに、久住葵先輩となんか仲が良さそうである。


 湊と山添先輩の間で繰り広げられる抗争は、もはやマキノ学院の名物だ。


 ある識者は、山添先輩の横暴に義憤を燃やした湊のレジスタンス活動であると認識し、またある識者はこの高校に古くから根付く運動部と文化部の溝が表面化したものであると分析しているが、そのいずれも正確ではない。

 当初はそういった真実もあったのかもしれないが、いつしかこの2人の稚拙な争いは本質から逸脱し、いまや『相手がなんか久住葵と仲良さそうに話していたからムカつく』という個人的な怨恨を中核に置いたものへと変化している。


「鷹峰、なぜ俺がここまで怒っているか、わかるな?」

「わかりますよ。あんたは俺が下駄箱に入れた偽のラブレターを読み、そしてまんまと騙された。ラグビー部の練習をサボり、放課後校舎裏で3時間も待ちぼうけを食らい、そして一杯食わされたとわかった時はどんな気分でしたか? ククク、見物でしたよ。ウキウキしたあなたの笑顔がだんだん不安に彩られていく過程はね……」

「男の純情をもてあそびやがって! 人間の心がねぇのか!」

「そんな余計なものは中学校に置いてきましたね」


 口の減らない湊ではあるが、その間にも山添先輩率いる主将軍団によって、ロープでぐるぐる巻きにされている。基本的に、湊と山添先輩の抗争は8:2の割合で湊の方がエグい攻撃をするので、先輩の報復は割と妥当なものであると見る向きが強い。

 しかし、その湊のエグさが、特権階級たる山添先輩をおちょくる様は痛快であるとして、多くの文化部および一部の運動部から絶大な支持を受けているというわけだ。


「貴様には、これから我がマキノ学院運動部連に伝わる伝統的な制裁を受けてもらう。準備しろ」

「ハッ!」


 山添先輩の手下たちは、簀巻きにされ動けなくなった湊をさらに取り押さえ、カチャカチャとベルトを取り外しにかかった。ズボンを勢いよくズリ卸すと、湊のあられもない下着姿が露わになる。


「鷹峰、おまえ、まだ白ブリーフ履いてるのか……」

「そうだ。何者にも染まらない俺の生き方を象徴するものだ」

「そうか。ではさぞかしこれもお似合いだろうよ」


 山添先輩がパチンと指を鳴らすと、レスリング部のマスク・ド・ソレイユ先輩が、一着のパンツを持って現れた。それはただのパンツではなく、左右には翼の衣装がつけられ、股間部には鳥の首が設えられている。


 それを見て、さすがに湊も表情を歪めた。


「今から貴様にはこのアヒルパンツを履いてもらう。以降、校内引き回しの刑に処す。自分が行った罪の重さを悔いるが良い」

「なんだよ山添先輩! ラブレターに騙されたからって大人げねぇぞ! そもそも個人的な怨恨を晴らすために伝統的な制裁方法を取るってどういうことだよ! 公私混同だろそんなの!」

「見苦しいぞ鷹峰! おとなしくしろ!」


 さすがにアヒルパンツは嫌なので、大暴れする湊だが、文化部のモヤシである彼には運動部主将たちの鍛え抜かれた肉体から脱する術はない。あっさりと純白のブリーフを引きずり降ろされ、伝統的なアヒルパンツを履かされた。


「先輩、このアヒルパンツちゃんと洗濯してんだろうな!」

「毎回新しいアヒルパンツを用意している。心配するな」

「なら良いけど!」


 湊は簀巻きは解かれたが、腕を縛りあげられ、結局身体の自由は奪われたままだ。さらに縄はアヒルパンツの首にも巻きつけられ、犬の散歩でもするかのようである。縄をぐいと引っ張られると、湊の身体はアヒルパンツから引っ張られる形になった。


「連れて行け!」


 山添先輩がそのように宣言し、湊への制裁が執行された。





 受刑は過酷を極めた。山添先輩は丁寧に1階から順番に学校の隅々を引きまわし、湊は『くすくす』『やだー』『なにあれー』などといった嘲笑にさらされることに耐えなければならなかった。世の中にはこれを性的興奮に変換できる能力者が存在すると聞いているが、あいにくそういったものは湊に備わっていない。


 しかしここで羞恥から顔をうつむかせては完膚なきまでの敗北である。湊は顔をあげて胸を張り、もっと見ろと言わんばかりに股間のアヒルさんを突きだすことで、山添先輩の横暴に対するせめてもの抵抗とした。


 というか最初は周りの目ばっかり気になって恥ずかしかったが、割とだんだん慣れてくる。人間として慣れてしまって良いのかはわからないが、気を張り続けるのも疲れたので、湊は山添先輩に声をかけた。


「先輩、今日は久住先輩は来てないんですか」


 ぴくり、と、山添先輩にはわずかな反応があった。


「……ああ。風邪、だな」


 こいつ何か知ってるな、と湊は思った。しかしそれ以上追及はしない。


 久住先輩は山添先輩とはキスをしていないという。山添先輩が嫌がるからだと聞いた。あの久住先輩の接吻を嫌がるとはどういう了見なのか。問いただしたい気持ちもあるが、しかしここでその話を出すのは久住先輩に対してあまりにも不義理だ。


「先輩は、久住先輩とは付き合ってんですか?」


 ぎろり。振り返った山添先輩は、ものすごい形相をしている。しかし湊があまりにも動じず、平然としているものだから、山添先輩は小さくため息をついて、首を横に振った。


「おまえが考えてるような意味で付き合ったことは一度もない」

「含みのある言い方しますね」

「いろいろあるんだ。あのな、あんまり久住の周りを、その、うろちょろするな」


 山添先輩は、どうやら珍しく言葉を選んで発言しているようだった。その意図を汲もうと思えば汲めたのかもしれないが、それでも湊には、反発心の方が先に来た。


「嫌です」


 大きくため息をつく山添先輩。


「ったく、おまえらはどうしてそう……」


 その後、特に湊と山添先輩が言葉をかわすことはなく、制裁はつつがなく執行された。


 後ほど、運動部軍団の手で白ブリーフを脱がされアヒルパンツを履かされるまでの一部始終を、克明におさめた動画が春から送られてきたので、湊は明日、彼女に烈風堂のクレープを奢らせることを決めた。

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