金獅子隊と腿赤鵟



 民の大半が思っていた。次期皇帝はライゼル第二皇子が相応しいと。彼の英俊豪傑は、幼少時から国内外に轟いていたから。

 その事実は、前皇帝派の者にとっては驚異でしかなかった。だから保守派の要人たちは、彼の些細な動向にも目を配り続けた。

 それが、第一皇子筆頭の革命派に遅れを取ったもっともな要因となることも知らずに。


 エクストスの戦い方は、結果から見れば極めて単純だった。

 ライゼルを表に立たせ、自身は裏で事を進める。調略・謀略・懐柔・暗殺……保守派は誰一人として、その全容を垣間見ることができなかった。

 すべては、あまりの王たる器に相応しき男に気を取られていたから。そう、それはまるで──。


 今、この時の、彼らの"陣形"のごとく。




 開戦から?分。

 町北西部。



 時計塔に面する大通りの北には、石造りの倉庫が密集している。工房に搬入する素材はもちろん、保存の効く穀物など飲食物も多く保管されている。近辺は運搬に適した広さに舗道され、屋根上はもちろん、大通りからの見通しも良い。


 そんな人気のない道を、ライゼルは抜いた長剣片手に悠然と南へ歩んでいた。

 決戦を促した『腿赤鵟』の北部潜入班(残り4名)は、しばらく前から彼の一挙一動を注視していたが、一向に手は出せずにいた。なぜなら、イングリッドの武の双璧とも呼べる二人の姿が、彼の隣から消えていたから。

 単独行動は明らかに陽動……だが普通、皇弟を囮に使うか? そのあまりに突飛した戦術に、陰に忍んだ四人は目を輝かせずにはいられなかった。


 どれだけ哨戒に時間を費やしただろう。南の工房地帯で最後の爆発が起きてから数分が経過した。いまだ『金獅子隊』の二人は見つからず、ライゼルの足取りも止まることはない。

 部隊長たちはどうなっただろうか。『腿赤鵟』にとって詳細なプランの無い戦争なんて初めてだから、困惑混じる胸の高鳴りが、逆に失うもの無き者たちの足を止めていた。

 事が動いたのは、北部潜入班の班長が、突如ライゼルの視界の先に建つ屋根上に現れてみせた時だ。ウェーブがかった長髪を後ろで一つに結びながら、彼は意気揚々と口を開いた。

「これが最後なんだ。どうせなら楽しもうぜ」

 その言葉が隊員だけではなく、自身にも向けられたと気づくや、ライゼルは好戦的に唇の端を持ち上げた。

 班長の言葉を契機に『腿赤鵟』が動き出す。狙いは部隊長たちが黒髪を苦しめた『四獣の陣』。包囲に応じて『金獅子隊』がどう動くのかも、楽しみの一つとなっていた。

 だが彼らの目論見は叶うことなく、そのまま一気に終幕へと向かっていく。


 それは、軒先から班長がライゼルの立つ大通りへと飛び降りた瞬間だった。

 戦闘の常識として『足止め』がある。跳躍した人間は、着地まで自由に動けない。

 そこを、三本の矢がほぼ同時に、トライアングルを形成する角度をもって、班長に飛びかかってきた。


 『腿赤鵟』には、滞空時間を調整できるコートと秘技がある。それをもってしても、意識の外から放たれし三矢すべてをかわすことはできなかった。宙で懸命に体勢をひねった班長の右脛に、一矢が突き刺さる。

 激痛と混乱も束の間、彼のおぼつかない着地と同時に、建物の陰から現れた巨躯が羽交い締めにする。ガイラルドだ。

 完全に虚を衝かれた班長は、抵抗の余地すら与えられないまま両肩を脱臼させられ、そのまま後頭部を掴まれた力を遮る手段も見つからない内に、ボキリ、と首を折られた。

「まずは一人」とガイラルドは余裕綽綽に顎をさすった。

 その一瞬の極め技に、ライゼルは呆れたように失笑した。

「相変わらず人間離ふざけた力だ」


 足元をすくわれた班長に対し、別の場所にいた『腿赤鵟』は発射地点を捉えていた。ライゼルの後方に位置する小路。弓弩ボーガンの矢はそこから放たれた。

 即座に追跡しながら、彼は一つの疑惑に襲われていた。

 三本……?

 同時に、三本だって?


 ……やられた、と彼は思った。

 そして省みる。少し頭を働かせれば自然なことじゃないか、と。

 皇弟が、たった二人の護衛だけでこんな遠方の戦地に来るはずがないではないか。

 伏兵がいたのだ。少なくとも、あと二人。

 でなければ、同時に三本の矢が放たれるわけがない。


 その推測は、彼に慎重さを強いた。発射地点の小路に曲がる建物に背中をつけ、角からそっと顔を出す。

 まっすぐ伸びた小路に、人影は見当たらなかった。

 その時、ゾクッ、と頭頂から冷気が背中を伝う。修羅場をくぐってきた経験値が、ただちに彼を建物から離しては、視線を上方へといざなった。

 裾を優雅になびかせる白の法服姿が屋根上に見えた時、彼は察した。敵は矢を放った後すぐさま小路の壁を駆け上がって、ここへ移動したのだと。

 過程の認識と同時に、彼は驚愕せざるをえなかった。

 そこに立っていたのは、エリザベスただ一人。

 『腿赤鵟』の見開いた目が、0コンマ数秒、その光景に固まる。

 彼女が向けた右手……そこに装着された、見慣れない武器に。




 『金獅子隊』の戦いは、誰も見たことがない。

 正確には、見た者はすでにこの世にいない。

 先の革命で圧倒的な武力を見せつけたこの隊は、二班という少数精鋭で敵の主力を無力化した。

 それらを率いていたのが、副隊長であるガイラルド・シュタリウス。

 そして隊長の、エリザベス・ビム。

 エリザベスとガイラルドが真価を発揮するのは、いつだって隣に互いがいる時。

 すなわち、この二人が組んだ『金獅子隊』は、無敗だった。


 加えて、エリザベスの右手には『腿赤鵟』の目を丸くさせたものあった。スティルラップの付いた一般的な弓弩ではなく、ボウストリングも小型化されたシンプルな形状で、腕に台座ティラーを乗せたかたちで装着する。台座には弾倉となる長方形の矢箱が備えられ、指に絡めたトリガーを引くだけで、片手での連射が可能となる。

 エリザベスがこれを使用することで、天才(変態)帝国技術士の奇作が、最強の射撃武器へと変わる。




 まもなく、バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ、とバネの弾む音が、ほぼ同時に鳴り響いた。本能に導かれ咄嗟に回避へ移行した『腿赤鵟』の肉体に、一本の矢が埋まる。被弾箇所は機動力を大きく損なわせる、右太腿の内側。

 やられた……! と彼は痛みすら忘れる口惜しさで歯を食いしばりながら、小路へと身を隠そうとした。が、一呼吸遅かった。上方から標的を完全に捉えていたエリザベスが、死角となる背後からすでに跳躍していた。

 颯爽と忍び寄るエリザベスは、法服の裾をめくり、左腰に逆さに装着した長剣を抜くや、そのまま逆手斬りで敵の首をはねてみせた。

 そんな息もつかせぬ一瞬の出来事を、3人目の『腿赤鵟』が見ていた。何だよ、あれは? 片手で使える連弩なんて聞いたことねーぞ?

 彼の困惑は当然だった。この時代、連弩はすでに発明されていたが、大掛かりな設置式でもなく、また片手で使用可能なものなど存在していなかったのだから。


 新兵器というのは、いつの世も戦場を支配する。真新しさは敵のターンを飛び越え、対策を講じさせる猶予を生み、たびたび局面を有利に展開させていく。

 常人ならば、そんな相手には近づけない。臆して逃げても不思議はない。

 それでも、彼らは『腿赤鵟』。

 3人目の『腿赤鵟』が、すかさず『縮地』を用いてエリザベスに接近していく。死角を狙われた彼女は、ただちに距離を取り始める。二人は一定の間合いを保ち、互いの胸を向けながら並行して大通りを駆けていく。

 『角行』が『歩』に仕留められるように、何物にも長短は存在する。そう言わんばかりに近接戦を狙った『腿赤鵟』の戦略は、概ね正しい。遠距離武器には距離を詰める。それはいつの時代でも鉄則だ。

 だがそれは、相手がエリザベスでなければ、の話である。


 イングリッドで武を突き詰めている者ならば、エリザベスの噂は嫌でも耳に入ってくる。この国随一の剣術家は誰かと問われれば、彼女の名を挙げる者が少なくないだろう。今しがた『腿赤鵟』を一振りで無力化した事実も、その根拠を後押しするはずだ。

 だがエリザベスの恐ろしいところは、それだけではなかった。


 彼女の剣の間合い二つ分を空けた『腿赤鵟』は、彼女の左手だけを警戒していた。対弓弩の基礎戦術は「相手を動かす」こと。エリザベスの剣技を前にしてこれを実践することは、並大抵の精神力では叶わない。

 されど一旦動かせてしまえば、彼女の連弩の脅威は半減できる……彼はそう考えていた。そして、それは常識と言える思考でもあった。

 なぜなら射撃の大前提として、自身の固定があるからだ。

 それは流鏑馬やぶさめのような騎射にさえも当てはまる。馬は移動しても、その背中にがっしりと膝を固めるのは、体幹の維持が目標を狙う際に不可欠だからだ。

 だがエリザベスの射撃には、この固定を必要としない。

 程なくして、バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ、とまたもや三矢が『腿赤鵟』へと放たれた。




 エリザベス曰く、敵の回避方向に三射放てば一射は当たる。人の咄嗟の行動は、武の心得が有る無し関わらず、ひどく限定されるからだ。むしろ鍛えられた者ほど刹那の判断には偏りが表れるものだと、彼女は生来の天稟と経験則から、その根拠を確立している。

 ソロが二つの爆弾を同時に無力化した事実をロットたちが恐れたように、常人の反射では、自分に向かってくる複数の物体すべてに対応することは不可能なのだ。

 つまりは、彼女がこれまでに経験してきたさまざまなタイプの回避行動の平均的な射撃箇所ポイント、その三箇所へと、同時に打ち込む。その一瞬の判断力と射撃力が、エリザベスにはあった。

 さらに彼女の真価はそれだけにとどまらない。恐るべきは、彼女は自ら駆走しながらそれらを同時に行うことができるということ──。

 それが、何を意味するか。




 『腿赤鵟』は我が目を疑っていた。右手を向けられた瞬間、何の脈絡なく自身の回避方向へとピンポイントに放たれし三矢の光景に、愕然とせざるをえなかった。

 エリザベスの射程は、常人の数倍を超えていた。

 エリザベスの先読みと空間把握能力は、宙をフィールドにする猛禽類に匹敵するものだった。

 エリザベスの射撃能力と風を読む才能は、もはや、人のそれではなかった。

 そんな彼女の能力を最大限に引出すのが、従来のものに比べても威力は損なわず、かつ連射を可能にする、新時代の連弩。

 これが、何を意味するか。

 エリザベス・ビムという武人は、片手剣の使い手かつ、移動しながら矢を正確に当てることができるということ。

 つまりは、近・中・遠のすべての距離を支配できるということ。

 すなわちそれは、彼女の放つ三矢をかわすことは、『腿赤鵟』の能力をもってしても、不可能だということであった。


 一対一の戦闘では、一射でも当たれば勝敗に直結してしまう。三矢が同時に放たれる恐ろしさは、まさにそこに凝縮されていた。

 『腿赤鵟』の身体能力と精神力をもってしても、被弾した肉体で再び最速へとギアを入れ換えるには、いくつかの深い息継ぎが必要だった。

 そんな体勢を崩したところに、ライゼルが音もなく現れる。またたく間に敵を間合いに捉えた彼は、大きく振りかぶった袈裟斬りを放つや、首の左付け根から右腰へと、縫いようのない深い斬り傷を入れた。


 仰向けに倒れた『腿赤鵟』の、吐血に溺れた咳がむなしく静寂に漂う。

 言葉すら発せられない苦痛の最中、彼は自分を見下ろすライゼルに、そっと微笑んでみせた。

 生殺与奪権を握った皇弟は、まだ気づいていないように彼には見えた。最後の抵抗として、腰の後ろでマッチを擦ろうとしているのを。懐に隠した最後の爆弾に火を点け、相打ちを目論んでいることを。

 目の前のライゼルは、やはり気づいていないように見えてならなかった。その希望が、息も絶え絶えとなった肉体に最後の力を与える。出血過多による痺れに包まれた手を、死物狂いで操る。

 気づくな、気づくな……!

 願いが通じたのか、ようやくマッチ箱を開けられたその時だった。新たな矢がドスドスと、彼の余力をたちどころに奪っていった。

 『腿赤鵟』が動かなくなると、その正確無比な射撃に、たまらずライゼルは感嘆のため息をついた。

「何度見ても惚れ惚れするな。そなたの腕は」

 歩み寄ったエリザベスが、表情一つ変えずに指摘する。

「踏み込みが浅い」

「フッ、手厳しいところも相変わらずか。実戦は2年ぶりなんだ、大目に見ろ」




 師弟が仲睦まじいやり取りをする一方、最後の『腿赤鵟』は正面からガイラルドと対峙していた。両手に短剣を握りながら、自身の偽りない気持ちを端的に言葉へと代える。

「楽しんでるか、ガイラルド?」

 ガイラルドは首を横に振りながら、眉をひそめて笑った。

「楽しいわけないでしょうよ。寒い中こんなとこまで遠征させられて。ま、故郷の寒さに比べたら全然マシだがね」

「俺は楽しいぜ。ずっと、こんな展開を望んでた」

「こんな展開ねえ……他国の被戦地にイングリッド人の遺体が転がってたなんて事実が、外交上にどれだけ影響を与えるか痛いくらい理解してるでしょうに」

「俺たちの尻拭いで来てくれたんだな」

「少しは感謝してもらいたいもんだよ」

「礼は武で返すよ」

 ハハハ、とガイラルドは観念したように笑った。

「まったく。男ってのはいくつになっても男子だなあ」


 勝負は一瞬だった。

 戦場での狡猾さは美徳と考える『腿赤鵟』の彼は、一切の小細工を用いることなく、真正面からガイラルドへ突撃した。

 それは彼の人生の中で、最も速い踏み込みとなって、短剣にかつてない疾さと残虐性を染み込ませる──。


 だが、相手は怪物、ガイラルド・シュタリウス。


 赤子の手をひねるように『腿赤鵟』の両の手首を掴むと、そのまま有無を言わさぬ剛力で抱きついた。脇腹から背中にかけてガッチリと締め上げられた彼は、言葉はおろか、息を吸うことさえ許されなかった。

 力を込める間際、ガイラルドはねぎらいの言葉を囁いた。

「おたくらはもう十分戦ってくれたよ。あとはワタシらに任せな」

 ガイラルドの鯖折りが、一瞬で上半身の骨という骨を砕くと、『腿赤鵟』はその場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。




 二人に合流したガイラルドが、一仕事終えた顔で口を開いた。

「しっかし何度見てもえげつないですねえ、隊長の連弩それ

「現時点では私以外に扱えないがな」とエリザベスは腕を上下させ、その重量を強調した。

「でも、そのうち素人でも使えるように改良されてくでしょ。おたくの旦那様はイカれてるから」

 キッ、と鋭い眼差しを向けてから、エリザベスは問いただした。

「それは、褒めてるのか?」

 ガイラルドはたじろぎながら「ええ、もちろん」と答えた。

「ならいい」

 なんであんな変態と結婚したんだろ……。ガイラルドのその疑問は、彼の永遠の謎であった。


 近辺の哨戒をあらかた済ませると、エリザベスが淡々と口を開いた。

「目標制圧。ライゼル、指揮権を返還する」

「了解。ガイラルド、『腿赤鵟』はどれだけ回収できる?」

「三分の一ってところですかね。さすがに中央部なかまでは」

「だな……」

 短い思案を挟んだのち、ライゼルは指揮を執った。

「私とリズは先程爆発のあった西門近辺へ向かう。ガイは町外へ遺体の運搬および退路確保に務めろ」

「こりゃまた大仕事だ」とガイラルドは陽気に肩をすくめた。

「力仕事はいつの世もデカブツの役目だ」とエリザベス。

「はいはい……ところでライゼル様──」

 とある方角を向いたガイラルドは、一転して真面目な声で主君に問いかけた。

「"あっち"はどうなさいます?」

 一拍置いてから、ライゼルは答えた。

「君子危うきに近寄らず、と言うだろう」

「まったくですな」

 出発前、ライゼルも同じ方角を一瞥してから、小さく呟いた。

「……正直、見てみたかったがな。御伽話の戦いを」





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