その子も闇を受け入れる



 色のない顔だった。

 今にも破裂しそうなくらい鼓動する心臓とは裏腹に、粛然たる呼吸は深く、ゆっくりと繰り返されながら、血液を激しく体内に循環させていた。

 イルーシャの特徴であった青白い瞳は、虹彩が灰がかった白に減色し、外眼角からこめかみ、そして耳輪へと、発達した眼筋をくっきりと浮かばせた。

 色のない、静かな顔だった。

 双子が同時に、塀から芝へと着地する。ふわりと黒衣の裾を揺らしたその様は、まるで風に浮いた炭片のようだった。

 されど自重をまったく感じさせない一方、黒衣の中では筋肉がめきめきと、悲鳴と狂喜に包まれていた。ずっしりと重さを含んだ肉体が、宙すら駆けられそうな敏捷性と、鉄すら砕ける破壊力を備えていく。


 それを、継承者の瞳は見抜いていた。

 こいつらはもう、人ではないと。


 雲の割れ目が閉じ始め、月明かりがぐにゃりと歪んだその時、双子は並んで踏み出した。落ち着いた歩調は、まもなく無音のステップとなって、自らを闇へと隠す。

 女たちは唐突にイルーシャを見失った。彼らが最後にいた場所を起点に、芝草が次々と宙に舞う。それは二人の足音の代わりと言わんばかりに、数m間隔でまたたく間にソロへと近づいていく。

 ミサは唖然と口を開けたままだった。彼女はまばたきをしていない。にも関わらず、まったく目で追えていなかった。

 だが継承者の瞳は、その姿をありありと捉えていた。ブーツのつま先で地面を蹴りつけ、闇を選んで瞬時に移動する影の正体を。だらりと手を隠していた黒衣の両袖から、武器を晒したことを。

 どちらも逆手に握られたそれは、一般的な短剣とは異なるフォルムだった。剣身が三日月のごとく湾曲し、明らかに斬ることに特化された形状だ。常人なら肉で止まる重量だが、今の双子の肉体フィジカルならば易々と骨ごと断つだろう。

 ソロの間合いを迎えた時、双子はさらなる速さをもってサイドステップを繰り出した。俊敏性と破壊力を備えた四弧が、敵の前後から挟撃を目論む。

 雲の割れ目が閉じていく。

 双子が自身の間合いへと踏み入れる寸前、ソロは左足を大きく引きながら、ハの字に構えていた両の剣を内側に交差させ、身体を開いていく。

 雲が月を覆う。

 身体を開くと同時に、左右の払い斬りで迎撃を狙う。継承者の血にいざなわれたそのタイミングは、まさに完璧そのもの──。


 その時だった。


 ミサの目が、ようやく双子を捉えた。突如現れた二人の姿は、両の手に握った得物を交互に振り回した所作のままだった。

 ミサの脳が状況を懸命に処理していく。双子が現れたのは、ソロが立っていた場所……。

 だがそこに、ソロはいない。


 まもなく双子の視線が、一様に南へと向く。ミサも釣られて向いた先……数m離れた位置に、ソロはいた。咄嗟に迎撃を取りやめ、瞬時に間合いをとったのだと、彼女はだんだん理解していく。

 だが、言いようのない違和感が、彼女の下唇をぼんやりと垂れ下げていた。

 何だ……? いったい、どうした?

 継承者の様子が、ヘンだ。


 双子が平然とした顔で、ソロを見つめる。その蒼白した顔は、まるでどこかに失くした大事ななにかを探しているかのように、まごまごと視線をあたふたさせていた。

 ソロには見えていなかった。

 剣撃を繰り出すその間際、視界が突如、真っ暗になったからだ。

 ソロには見えていない。

 不意に襲われた暗闇に、彼は今なお混迷へと引きずり込まれている。

 色のなかった双子の顔が、揃って斜めに傾く。

 感情を失くした瞳に、まぶたがゆったりと垂れていく。

 まるで、憐れむように。

 同情するかの、ように。

 ソロには、見えていない。

 遅れて、女たちも気づく。

 ソロには、視えていなかった。

 その瞳は、すでに、青白い光を失っていたから。


 だんだんと、視力が戻ってくる。まるで悪夢でもみていたかのように。 

 だが光は宿らない。まるで悪夢の中にでもいるかのように。

 狼狽を必死に隠す、その見開いた瞳を、双子はその場でじっと眺めていた。

 ソロには聞こえていなかった。兄が小さく「"うらない"通りだな……」と呟いたのを。

 それでもソロには、顔色をまったく変えない敵の様子から、彼らがこうなることを知っていたように感じてならなかった。


 最後に未来が視えたのはいつだったろうか、とソロは短い時間で必死に記憶を辿る。あれは、そう……休息していた村を離れ、いざソプラへと旅立とうとした矢先のことだ。

 あの時に視えたのは、暗がりに倒れた自分の姿……。

「……なるほど……なるほど──」

 動揺が、誰の目にも明らかな、重いため息へと代わる。

「ここらでお役御免ってわけですかい……神様」

 力無くうつ向いたソロへと、双子が駆け出す。

 もはや目で追えなくなった敵が、斜め左右から容赦なく、間合いへと迫る。

 死活が、ソロの目の前に飛び込んでくる──。


 それでも、彼はソロ・グリーンウッド。


「勘違いしないでね」

 イルーシャとは違う。

 継承者、でもない。

 ソロの瞳が、ソロの脳が、ソロの肉体が、これまで培った経験が、ソロをかたちづくる血が、想いが、自らの足を死線へと踏み出させ、両の剣を繰り出させた時、女たちの耳に、今まで聞いたことのない重い音が打ちこまれた。




 火花のごとき一瞬の対峙を経て、双子が同時に距離を取った。程なくして兄のカチューシャが割れ落ち、整えていた長髪がはだける前に、右の額から血飛沫が勢いよく飛んだ。こぼれる髪が、頭蓋骨が見えるほどくっきり裂けた傷を隠していく。

 弟の黒衣の中からは、ボトッと塊が落ちた。右腕の、肘から少し上の部分を袖ごと斬り落とされていた。

「……勘違いするなよ」

 くぐもった声と共に、真っ白な息を吐くソロ。いっとき限界を超えた肉体が、両の剣を振り終えたその身を、みしみしと震わせる。死活を断ち斬った代償が、四肢にじくじくと痛みを走らせていく。

 それでも、その顔はひたすら前だけを向いていた。標を見失っても、その瞳が怯えに揺らぐことはない。

「俺は一度だって、あんたらのために戦ったことはないんだ」

 大きく一度深呼吸を挟んだソロは、何物にも動じない明確な意志を、はっきりと口にした。イルーシャでも継承者でもない、一人の人間・戦士おとこ……そして、姫の剣として──。

「勝つ」

 青白い輝きを失った瞳、その茶色い虹彩に、自身の確かな光を灯しながら。

「そうだろ? キースくん」


 ドボドボとくすんだ赤が芝に沈んでいく中、弟は涼しい顔で黒衣の裾の一部を斬り破き、左手と口を使って右肩を器用に止血した。身体の一部を失っても、彼には何の感慨もない。痛みすら感じない。あるのは目の前の敵をどう無力化するか、ただそれだけ──。

 この命が尽きる、あとわずかな時間をもってして。


 ソロは気づいていない。

 彼らに時間がないことを。

 ソロはまだ、気づいていない。

 残る二人のイルーシャが、この戦況を遠くから観察していることを。

 ソロはまもなく気づくだろう。

 先程の攻防で与えられた、一つの斬り傷を。

 かつてその瞳に視せられた、自身の光景と重ね合わせながら……。




 遠くの屋根上から、ヨルシュは見ていた。

 ソロの右肩に小さく浮かんだ、その斬り傷を。

 彼はそれを目に焼き付けながら、歓喜も恐怖も見当たらない冷ややかな声で、小さくこう呟いた。

「チェックメイト」





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