優しい死



「それより見てよ、この馬すごいんだよ。全然足音が聞こえないの!」

「だからそう言ったろ。で、なにか聞き出せたか?」

「んにゃ、まったく。ありゃ相当訓練されてるよね。時間の無駄だと思ったからすぐ楽にしてあげた」

「まぁ、いいさ。いきなり襲われるのは今に始まったことじゃないしな」

「ずいぶん楽しめたみたいだね」

「上出来さ。でも、もう終わったことだ」


 平原を南下すると雑木林が見えてきた。マエーラ村はその中にある。近隣の街から離れているせいか、観光目的で訪れる者は皆無だ。

 だがここ数年は訪問者が絶えなかった。村人と同じ色の髪と瞳をもつ者らと、頻繁に交流をおこなっていたのだ。

 それがなにを意味するのか……現在それを知っているのは、諸国の要人に限られる。黒髪と茶髪もいずれ知ることになるが、そのときにはもう、二人は傭兵ではなくなっていた。

「──前から聞きたかったんだけどさ」

 林に入ったところで茶髪が尋ねた。陽はまだ沈んでいないが木々に遮られ、地面は薄闇に包まれている。

「キミの言う、呼吸を読むってのは、どういうことなの?」

「話したことなかったか?」

「飲みの席で聞いたかもしれんけど、さっぱり覚えてません」

「簡単に言えば、相手の呼吸のリズムを知ることだ。それが掴めれば、相手の初動がなんとなく読める」

「なんとなくって、ずいぶん曖昧だね」

「お前にだけはそれ言われたくねぇよ」

「具体的には?」

「初動の際の呼吸は、大きく分けて二つ。息を強く吐くか、息を止めるか。さっき戦った奴のパターンは後者だ。これはほとんどそいつの趣味嗜好の問題だから、メシの食い方や女抱くそれと一緒で、生まれつきやり方が決まってる。努力すれば矯正できるが、右利きを左利きにするよりも数倍面倒だ。中には数分息を止めたり不規則に呼吸する奴もいるが、それでも独自の癖ってのは必ず現れる。それさえ掴めれば、後の先を合わすことは難しくない」

 茶髪は感嘆の息をついてこう言った。

「キミを敵に回さないよう気をつけることにするよ」

「それもお前には言われ──」

 黒髪は鼻頭をピクッとさせると、前方をじっと見つめた。彼が嗅覚も優れていることを茶髪は知っている。

「なんか匂う?」と茶髪。

「血の臭いがする……一人や二人じゃねぇな」

「やっぱりキナ臭かったね」

「くせぇのは死臭だ。ここんとこそればっかでうんざりする」

「まあまあ、とりあえず行ってみましょ。食い物あったらいただかないと」

「泥棒はしない主義じゃなかったか?」

「死人から金品奪ったら泥棒だけど、食い物いただくのはむしろ当然。皿に乗せられた鳥や豚さんたちに申し訳ないでしょ」

 村には死体がゴロゴロ転がっていた。首を折られた者、斬られた者、そして身体に穴を空けた者……。

 死因は様々だが、共通するのはその髪と目。艶のあるブロンドと、青白い瞳。イルーシャ人だ。年齢性別問わずむくろと化している。

「隠密のやり方だな」

 殺しの手口や現場の様子から、黒髪はそう推測する。

「人数は多いが、どの気配もほとんど残ってない。一人一人が相当な手練れだよ」

「さっきの奴らとは違うのかな?」

 血以外にわずかに臭うのは、苦味を含んだ甘い香り。香水ではなく、女独特の体臭。

 黒髪があることを思い出す。

「民家のガキが言ってたこと、覚えてるか?」

「ザンブロアの美女たちが来たって話?」

「女は男には出せない匂いを無意識に出してる。殺気立ってるときや、抱かれてるときなんかは特にな」

「嗅いでみたいもんだねぇ」

「あとは……少し火薬の臭いがするな」

 黒髪はうつ伏せになっていた少年をひっくり返し、よく観察した。額の穴になにかが詰まってるのを見つけては指で掴み上げる。

「これは……鉄か?」

「見せて」

 飴玉ほどの鉄の塊を、茶髪は入念にたしかめる。

 そして珍しくかしこまった顔をしては、こう言った。

「まさか……完成してたとはね」

「兵器か?」

「矢よりも速く、投石よりも威力の出る射撃兵器を開発してる国があると聞いたことがある」

「それがザンブロアってわけか」

「ん~、それは分かんないね。『梟』を始めとする秘密部隊も、国政や軍の指揮系統からは独立してるって話だし」

「どのみちここで考えてても意味ねぇな」

「そゆこと。さっさと食料かき集めてずらかりましょ」

 二人は手分けして食料を集めた。寂れた村だった。木造家屋はどれもくたびれ、村人の服装は質素でみすぼらしい。日々慎ましく、教典に殉じ、博愛と尊厳を重んじる民族……そんな世間の評判に違えずひっそりとしている。夕暮れと死臭がそれを助長していた。

 生き残りの存在に気づいたのは、村の中央で茶髪を待っていたときだ。近くの家屋から蚊の鳴くようなか弱い息づかいが聞こえた。悲痛と絶望を滲ませた、言葉にならない掠れ声。

 突然聞こえてきた理由は、屋内に入って納得できた。声の主である若い女は、激痛の中で昏睡と覚醒を繰り返していた。クリーム色のワンピースを赤黒く染めて。

 槍のような棒が、胸を守った右手から腰まで貫通し、床へと深く刺さっていた。そのため身動きが取れない状態でのあぐらを余儀なくされている。白く細長い足の一本は曲がってはいけない方向に折れ曲がり、左腕は上腕部から先がない。元からないようだ。

 安堵の死と無慈悲な蘇生。彼女の意思に反して、それが繰り返される。肉体はときに残酷だ。生きたくても生きれない者がいるように、死にたくてもさっさと死ねるわけではない。

 そんな地獄の中で、彼女の目には黒髪がどんなふうに映ったのだろう。溺れていく青白い瞳は、救済を懇願する涙なのか。浮かんだ光は、己と、彼に流れる血に対する贖罪の表れなのか……。

 黒髪はまだ、その答えを知らない。けれど背後にまわり調理用の短剣を取り出したのは、きっと特別なことではないのだろう。人は誰だって、楽になりたいときがある。なにもかもを放り投げてしまいたくなる。逃げ出したくなる。他人がそれをどう評しようとも、正解はいつだって千差万別だ。あらゆる哲学や教えに基づいたとしても、欺瞞に満ちた正義をいくら掲げようとも、答えは誰にも分からない。

 ただ世の中には、どうしようもないことがある。

 ゆえに、できることは限られてしまう。黒髪が分かっていたのはそれだけ。

 だから彼は、自分にできることをやろうと思った。たとえその結果、誰かの無念が呪いやら怨念やらに変わったとしても、後悔することはないだろう。

「楽しいことを考えろ」

 それが、黒髪という人間。鞘から抜いた短剣を逆手に構え、反対の手で女の顎を支えるように掴み、親指を口に入れる。そして耳元に、愛撫とも思えるような穏やかな声を囁く。

「今から楽しいことを考えろ。好きな食い物、綺麗な服、惚れた男、なんでもいい。いいか、楽しいことを考えろ。お前の頭の中を好きなもんで埋め尽くせ。そしたら俺の指を噛め。いいか、楽しいことを考えて、指を強く噛むんだ。死に損ないのお前でも、それくらいできるだろ」

 瞳からこぼれた想いが、頬に弾ける。親指が噛まれたのは、それからまもなくのことだ。前歯が肉と爪を優しく圧迫したその瞬間に、彼女の首がガクッと落ちた。うなじに刺さり抜かれた短剣の痛みに気づくことなく。



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