男の戦い
マッチアップが決まってからの展開は早かった。黒髪は馬を反転させようと試みるも失敗。向かってくる槍騎兵に脇腹を見せるかたちで立ち止まり、先攻を許す。
槍の間合いは、長剣を武器とする黒髪の倍。そして威力も。片手で払った攻撃が、剣の腹で防いだ黒髪を軽々と落馬させる。
その一部始終を眺めていた茶髪からため息が漏れる。
「ホント、馬の扱いはダメダメだねぇ。センスの欠片もありゃしない」
相棒には既知であるように、落馬は慣れっこだ。ゆえに受け身もこなれている。何度か転がりながらも着地に成功。だが馬は走り去り、イニシアチブも奪われたままだ。
槍騎兵の馬術は巧みだ。黒髪に態勢を戻す
騎馬は右後足を失っていた。黒髪に斬られた。それに気づいた槍騎兵の判断は早い。動揺することなく馬を降り捨て、敵を正面に迎える。
双方の下馬とともに、主導権は宙に浮いた。
「あ~もうっ、なにやってんのさぁ! 馬は殺すなっていつも言ってるだろぉ!? 高く売れるんだからぁ!」
茶髪の怒声は聞こえていたが、意識には届いていない。両者の頭はすでに、敵の倒し方だけを思索している。硬い静寂が、7mの距離を保つ。命のやり取りにおいてつまらない言葉は無粋、むしろ思考の邪魔だ。
先の攻防から得られた材料を吟味し、互いが互いの実力をはかる。想定するのだ、敵がどんなことができるのかを。その仮想と現実の差が少ないほど、勝利を手にする可能性が高い。こと均衡した戦いにおいては尚更。
黒髪の口元がほころぶ。こいつはアタリだ。槍を使うヤツとは散々戦ったが、その中でも間違いなく一番。ありがてぇ、また強くなれる。
敵の笑みを目にしても、槍騎兵は動じない。
槍騎兵も黒髪同様に、相手のできることをシミュレーションし、戦術を構築していく。
先に動いたのは黒髪だ。まず頭を振り子のように揺らし、身体へと浸透させる。関節が増えたように見えては、骨が堅さを忘れる。全身が水のような柔軟性に満ちると、正面からまっすぐ槍騎兵に向かった。
槍の間合いは長剣の倍。ゆえに剣を振るう前に突きが飛んで来る。骨を容易に貫く鋭い突きが、幾度も。黒髪が攻撃するには、まずその雨をくぐり抜けねばならない。
そのための柔軟性。首をひねり皮一枚でかわし、反撃を試みる。が、次手が恐ろしく速い。間を置かずに繰り出される数々の槍が、間合いを詰めさせてはくれない。
黒髪のステップが多様に変化する。だが敵の槍術もアイデアに富む。当たりこそしないが、近寄ることもできない。一進一退の攻防は数十手続くも戦況は変わらず、再び静寂が距離を生んでいく。肉体の一息も束の間、思考は休むことを許されない。
沈黙。仮想と現実の答え合わせが行われている。採点を
致命傷を負うリスクのあった攻防から、黒髪は多くのデータを獲得した。敵の体格は目測で190cm100kg(装備含む)。フィジカルは到底及ばない。敏捷性こそやや勝るが、こちらは一撃でもくらえば致命的。落馬の際に防いだ手の痺れも、今ようやくおさまってきたほどだ。
なにより問題はあの全身を纏う甲冑。長剣で切断するのは不可能だし、肌の露出も正面からではほとんど見つけられない。それでも、と危険を冒して探ったのは関節部分。機敏な動きを可能にするために、裏側までは鉄に覆われていない。
黒髪の戦術がかたちを成していく。長剣がくるくる回りだす。手のひらと甲を使い、
一対一の拮抗する戦闘では、何千何万が入り乱れる前線よりも建設的な戦術構築が求められる。士気や瞬発力はあまり作用せず、手持ちカードを出す順番が勝敗を分ける。想定力、戦術考察力……つまり"読み"。それを磨くには経験のみ、ゆえに黒髪はそれに長ける。
そして、数少ない楽しみでもある。強い奴をどうやって倒すか!
いわば男の性。生命が持つ純粋な本能への帰依。むろん、槍騎兵にも少なからずある。『梟』部隊長として重責な任務の最中ではあれど、磨きあげてきた武が掻き立てられるのはむしろ当然だ。彼の本質は、黒髪と同じく、強さという頂を目指すものだったから。
それでも彼は『梟』。冷静に敵の排除に努め、得られたデータを戦術の基盤へと変えていく。
黒髪に対する彼の印象はこうだ。とても"難解"な敵。フィジカルはこちらが上だが、"身体の使い方"は比べるまでもない。動きは特別速くないのに"速く見えてしまう"。こういう敵は死角を突いてくるから厄介だ。
黒髪の動きからは、芸術的な美すら感じた。パッと浮かんだのが、宮廷楽士の演奏。あの指使いの熟練さが、身体全体に行き渡っている。そう見えるほど動きに無駄がない。
先手で仕留めるのは難しい。ならば、と槍騎兵は腰を落とし、槍を短めに構える。間合いの利点を多少失うが、速度と変化に長けた持ち方。
長剣は回り続けている。頭の回転にリンクするみたいに、さまざまな戦術が生まれては血に溶け、全身を駆け巡る。爪先まで行き届くと剣は止まり、両者の距離が少しずつ縮まっていく。槍騎兵は中段に、黒髪は下段に武器を構えて。
どちらも地を噛むようなゆっくりとした歩調。夕陽が平原に二つの影を伸ばす。6m、5m、4m……。静寂の中、黒髪だけが"ある音"を聴き取っている。
間合いは目前。槍をくり出したそのとき、黒髪もまた動いていた。頭をひねりながら前方に傾いてくる。"攻撃のタイミングが完全に読まれていた"。
それでも槍騎兵は動じない。その日最速の突きが、冷静に先を取りに行く。ひねられた頭から髪の毛をかすめ取るに終わるも、後の先に上手く繋げることができた。
その証拠に槍は蛇のようにうねり、黒髪の背後から後頭部目掛け伸びていく。短く握った前手で速さを維持し、後手で軌道を変える。何年もの鍛練と幾度の実戦とで得た、彼の一番の技が──。
伸びていく、はずだった。
技をくり出す寸前、黒い影がうねった。それは瞬時に伸び縮みをしながら、槍騎兵の意識から消える。時が動き出したとき、黒髪は"そこ"にいない。
人の反応速度の限界はおよそコンマ2秒と言われている。ゆえに人は経験で培われる読みを駆使し、敵の攻撃を防いだりかわしている。それが技量。わずかでもズレが生じれば、当然どこかしらに傷を負う。
だが黒髪だけは、そのズレを限りなく0に近づけることができる。可能にするのは、その優れた聴力。
彼はずっと、槍騎兵の呼吸を確かめていた。呼吸には独自の癖があり、いわば血のようなもの。つまり、呼吸を読むことにより、敵の攻撃のタイミングが分かる。
そして槍騎兵同様、黒髪も後の先を狙っていた。ただ同じカウンターでも、前者の出したカードは追撃型。先手を放ち、避けた敵に槍を合わせるという二段階の動作。
対して黒髪はいたってシンプル。避けて、斬る。熟練された"身体の使い方"にくわえ、攻撃のタイミングを読めていたからこそ、避けてから斬るまでのロスが限りなく小さい。そして──。
ノイズ、を相手に生む。
穂先は薄闇が滲む空に向いたまま止まっていた。その原因となったのは、前手。前手が槍から離れてしまっている。激痛を従えながら。
親指が千切れかけていた。鉄の覆われていないところに斬撃の跡が見える。突きをかわした黒髪が斬ったのだ。
その黒髪の姿が、ない。痛みに唖然とする前から、視界から消えている。見失ったのは、彼が動体視力を遥かに上回るスピードで動いたから、ではなく、脳にノイズを潜まされたからだ。
人の情報処理能力は、視界に近ければ近いほど困難になる。カウンターを主とする黒髪はそれをよく知っている。先の攻防で一度も間合いを踏み越えなかったのは、危険を恐れたからではなく、距離を大事にしたかったから。
その伏線がここで生かされる。槍騎兵が最速の突きを温存していたように、黒髪も最速をここで使った。視界に近づかれたことと、これまで"見せられていた"速さと相まって、脳にノイズが発生。親指の傷も円滑な処理を妨げる要因となった。
くわえて、黒髪が一度も剣を放たなかったことも挙げられる。主導権を握ったのは、より多くのデータを獲得し、それを生かした黒髪。
槍騎兵に焦りと困惑が込み上げる。だが瞬時に払い退ける彼は優秀だ。即座に敵の姿を捉える。
こういう敵は死角を突いてくるから厄介だ。その想定通り、黒髪は背後にいた。地から2mほど離れた宙で逆さに漂いながら、長剣を構え、関節の裏側を狙っている。
その、何物にも染まらない黒い瞳を目にするや、たちまち背筋が凍てついた。
恐怖ではない。どこか畏敬の念にすら思えるのは、自身の目指す領域に黒髪がいたからだろう。必殺の突きをかわすと同時に親指を斬り、すぐさま背後へと跳躍できる肉体。その身体の使い方……それが可能になるまでに費やされた時間、汗、血、そして、想い……。澄んだ瞳から、それらを瞬時に読み取ることができたから。
"お前は文官になれ"
見とれていた、と言ってもいいだろう。その間、槍騎兵の脳裏に言葉がよぎる。幼い頃から憧れ続けた次兄の声。他国に恐れられ、祖国では英雄と称えられる男。
ずっと次兄に憧れていた。自分に次兄のような武の才能が無いと気づいてからも。
それでも武の道を選んだのは、彼にとって、憧れを捨てることは死ぬことと同義だったから。そして才能だけでは得られない強さがあると信じ、それにすがってみたくもあったから。
『梟』の部隊長になっても、次兄の背中は果てしなく遠かった。だが費やした労力だけは裏切らないことを学んだ。その努力の先に次兄の立つ場所があると信じて、血を流し続けてきた。
そんな槍騎兵だからこそ、黒髪の動きは称賛以外の何物でもない。その戦略は、動きは、たしかに自分の努力の先にあるものだ。才能が無かったからこそ分かる。この敵がどれだけの血を捧げて、今ここで剣を握っているのかを。
一対一の戦闘において、コンマ数秒のロスは致命的だ。槍騎兵の反撃を待たずして、長剣が彼の右膝を捉える。裏側からの剣撃は靭帯を切断し、腰をガクッと落とさせる。勝敗は決した。
親指は千切れ、片足は使えない。それでも槍を離そうとしないのは、いまだ武の道を進んでいたから。次兄の助言に逆らって生きた人生を後悔したくなかったから。後悔の念が、少しも浮かばなかったから。
「……なあ──」
そんな敵に言葉をかける黒髪もまた、彼と同じ道を進んでいるからだ。
「あんた、名前なんてんだ?」
終わりがそこまで来ていても、槍騎兵に恐怖はない。重責ある任務もすでに蚊帳の外だ。どこか満足気な高揚感が、次兄への想いへと繋がる。
どうしてだろうな……、と彼は兜を脱いだ。全然後悔がないんだよ。兄さんに憧れたことも、この道に進んだことも、ここでこの男と戦うことを選んだ自分にも……。
あなたの弟に生まれてきてよかった。そんな想いで、槍騎兵は笑みを浮かべる。それは憧れとの惜別であり、勝者への賛辞でもあった。
「フィル・フェルヴェールだ」
黒髪の笑みも、賛辞以外の何物でもなかった。
「俺はキースだ。楽しかったぜ、フィル」
夕陽が身体を半分沈めた頃、茶髪が戻ってきた。外傷はなく、黒毛馬を一頭連れている。
「ごめん、一頭逃げられちゃったよ」
「いいさ、俺も斬っちまったからな」
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