憧れとの対面



 ザンブロアは広大で自然豊かな国だ。背となる北には鉱山が連なり、西には盾のように森林が、南の緩やかな傾斜では果樹が栄えている。東の関所に至るには、見渡す限りの草原を越えなくてはならない。

 中立時代、この国は戦とは無縁だった。民の暮らしは慎み深く、主な政策は農産業にインフラ整備、そして布教。だが現国王の世襲とともに、方針は一変する。過度な資源採取を否とする信仰に反し、鉱山から銀を採取。これが国益を目まぐるしく上昇させた。

 当初は本流だった批判の声も、国が潤えば流れは変わる。目に見える豊かさは、人の心の鎖を解き放つ。異議を唱えていた保守派も次第に世論の波にのまれ、女王率いる革新派に圧倒された。布教は徐々に軍事へと、信仰は侵攻へとかたちを変え、一山が痩せ細った頃には、大陸有数の軍事国家として名を馳せるようになった。

 そんなザンブロアの次なる標的が、西のガラドと東のカボク。ガラドは大陸主要四ヵ国とされる大国。対してカボクは山岳に建つ小国だが、大陸に根深く浸透するイルーシャ教を国教とし、その始祖となったイルーシャ人を多く抱えている。

 黒髪と茶髪が参加するのが、このカボク戦。散らばっていた物語の糸が、ここから紡がれていくことになる。



 およそ同数の兵で始まったカボクとの戦いは、終始ザンブロアの優勢だった。初日こそ自領の地形を利用したカボク軍に苦戦し左翼の一部を失うも、ザンブロア第二将軍プルプトゥンスの知略により形勢を逆転。また一部の傭兵たちの活躍も目覚ましく、その部隊長マブトゥールは昇進を約束されたほどだった。

「──ねぇ、俺たちがこの大陸に来てどのくらいたつかなぁ?」

 開戦4日目の夜。戦の立役者に、と部隊長から届けられた酒を飲んでいたときだ。瞳を焚き火で虚ろに照らす茶髪の言葉に、愛用の長剣をいでいた黒髪の手が止まる。

 時折、茶髪がそんな目をするのを黒髪は知っている。そんなとき彼はたいてい火を見ている。火を恐れているというよりは、火のなかに、なにか恐ろしいものが見える、という目だ。

「もうすぐ一年ってとこだろ」

 黒髪はいつものように何も聞かない。裸で出歩く人がいないように、秘密は誰しも身に付けているものと知っているから。酒を一口すすって、また長剣を研ぐ。

「一年かぁ……どうにも雲の流れが悪いねぇ」

「なんかえたのか?」

「んにゃ、そういうわけじゃないんだけどね。でもたまにあるっしょ? なんかこう、落ち着かない感じ」

「豚肉を目の前にするときみたいにか?」

「いや、あれはワクワクだから。おっし食うぞ~って張り切ってるときだから。そうじゃなくて、胸の辺りがソワソワする感じ。な~んか嫌な予感がすんのよね」

「お前の勘は悪いほうばかり当たるから嫌なんだ」

「またまたぁ、なんだかんだでいつも役に立ってるでしょ?」

「お前の道案内に従ってたら野盗の隠れ家に着いたことは忘れてねぇよ」

「あはは、あれめっちゃ大変だったよね。敵じゃないって何度も言ったのに信じてくれなくて。結局壊滅させちゃったんだよねぇ」

「傭兵がタダ働きしてどうすんだよ」

 山岳の夜空は星が綺麗だ。茶髪はしばらく茶色い瞳を輝かせてから、いくらか真面目な口調で尋ねた。

「ねぇ、キミは今日何人殺った?」

「快楽殺人者じゃないからいちいち数えてないな」

「イルーシャ人はいた?」

 イルーシャ人の特徴は、ブロンドの髪に青白い瞳。

「記憶にないな」と黒髪。

「俺も今日、イルーシャ人は一人も殺ってない。っていうか、今回の戦でイルーシャ人は一人も見ていない」

 カボクにはイルーシャ人が多くいるにも関わらずである。

「どう思う?」

「別に。敵がどんな見た目だろうが、敵である以上斬るだけだ」

 茶髪は呆れたように、そしてどこかホッとしたように吹き出す。

「キミって相変わらずだよねぇ」

「そのイルーシャ人が何か関係あるのか?」

「んにゃ、別にぃ……ただ、キミはあんまり興味ないだろうけど、イルーシャ人には何かと色々あるからね。少し気になっただけさ」

 たしかに黒髪には興味がなかった。長剣を綺麗に研ぎ終えては、ゆっくりと酒にありつく。彼の数少ない楽しみでもあるのが晩酌。だから部隊長の使いから招聘を言い渡されると、辛辣に舌を鳴らした。

「クソ面倒くせぇ」

「最近有名になった気がするよね俺たち。活躍してるキミなんか特にさ」

「それを言うなら今日指揮官を3人殺ったお前だろ」

「や~、キミが楽に邪魔くっさい騎兵を処分してくれたからさぁ、つい張り切っちゃって」

「別に楽ってわけでもないけどな……はぁ、酒くらいゆっくり飲ませろってんだ」

「まあまあ、この前みたいにシカトすると後でグチグチ言われちゃうから、さっさと行って済ましましょ。高価な酒いただいた手前もあるし」

 黒髪の背中を押しながら、ふと、夜空に目を向ける。星々は変わらず輝いているが、光明の兆しを見つけるとこは、やはりできなかった。

「ん~、やっぱり良くないねぇ」


 女かと思った。それが兜を脱いだマブトゥールを間近で見た茶髪の印象。背は二人より少し高いが、高価な刺突剣エストックを携えた腰は細く、長い手足がより強調されて見える。枝毛一つない赤茶色の長い髪は後ろで一つに束ねられ、端正な目鼻立ちには軍人特有の堅さが浮かぶも、年上の異性を無条件にときめかせてしまうような丸い瞳はまだ幼さを捨てきれていない。

 そして何より、黒髪に向けられたその眼差しが、天幕テントから吊るされたランプの淡い灯りみたいに色めかしく映る。

 茶髪は、そっち系の話だったら嫌だなあ、と目を薄くしたが、杞憂と分かるまでに時間はかからなかった。

 マブトゥールは上官にやるみたいに踵を揃え、二人に敬礼した。

「貴君らの働きには大変感謝しています。おかげで局面を優位に進められている」

 茶髪は笑って、黒髪は無愛想のまま会釈した。マブトゥールは緊張と高揚を織り混ぜた顔で続ける。

「さて、貴君らに一つお願い事があるのだが、聞いていただけるか?」

「伺いましょう」と茶髪。

「貴君らも承知のとおり、我がザンブロアは常勝国だ。ここ数年、領土を拡大してはその名を轟かせている。だがそのせいもあってか、我が国には敵が多い。侵略した国、征服した国、はたまた盟を結んだ国もが、我が国の寝首を掻こうとしている」

「強国の宿命ですね」

「うん。打ち負かした国を支配するのも、同盟国の手綱をしっかりと握っておくのも、我が国の重大な使命だ。それをおろそかにするつもりはない。ただ、我が国は軍事国家として活動を始めてからまだ日が浅い。側面的な視野から見れば、まだまだ完全とは言いがたい部分もある。その一つが人材だ」

 マブトゥールの熱い視線は黒髪から離れない。

「我が国は現在、優秀な人材を求めている。心技体に優れている者、そして少なからず功績を上げた者には快く門戸を開くよう努めている。そこに身分や国籍の是非を問わないのが女王陛下の御意向だ」

「つまり、貴国の一員になれと」

「以前から貴君らの活躍は風の頼りで聞いていたが、今日の働きぶりを見て確信した。貴君らにはぜひザンブロアに骨を埋めてほしい」

 茶髪は聞かなくても分かっていたが、一応目で黒髪に問いかけてみる。

 返答は予想通りのものだった。黒髪は無愛敬な口調でさらりと答える。

「遠慮しときます。話はそれだけなら戻りますよ」

「悪くない条件は与えられるつもりだが?」

「部隊長殿。俺は人を殺すことに執着はないですが、戦うのは好きだ。金を儲けたい気持ちはありますが、人に指図されるのは好きじゃない。そもそもザンブロアに何の忠義も感心もない、ただの傭兵だ。酒が飲みたいんで、これで」

 黒髪が天幕を出ていくと、茶髪は持ち前の人懐っこさで謝罪した。

「申し訳ありませんね。気難しい男なもんで」

「いや、誰しも己の生き方と哲学がある」

「ところで、今の熱心な登用も女王様の御意向で?」

 マブトゥールは気恥ずかしそうに咳払いしてから答えた。

「……それもないことはないが、半分は私情かな。彼を最初に見たのは3ヶ月前のランパーダ戦だったが、いまだに鮮明に覚えているよ。あんなに美しく動き剣を振る人間を見たのは初めてだったから」

「芸術的だったでしょう」

「うん、しばし指揮を忘れて目を奪われた」

 あんたまったく役に立たなかったけどね、と茶髪は笑った。

「それじゃ、俺もそろそろ……あ、ついでにもう一つ伺っても?」

「どうぞ」

「貴国は世界征服でもするつもりですか?」

 マブトゥールが言葉につまったのは、茶髪の声にわずかな侮蔑が滲んでいたから、ではないのだろう。

「我が国が侵攻をつづけるのは、この世から戦をなくすためだ」

 本当は、なんとか口にしたその言葉を、彼もまだ信用できていないからだ。

「そう、女王陛下は仰られた」

「なるほど。それじゃ」

「あっ、ま、待ってくれ」

「なにか?」

「あ、あの……彼は、どこの国の出身なんだ?」

「さあ、聞いたことないんで」

「そうか……ご苦労だった。明日に備えてゆっくり身体を休めてくれ」

 茶髪は自分たちのテントに戻ると、黒髪にこう耳打ちした。

「あんまり関わらないほうがいいね」

 黒髪はそれには答えず、今後の活動を提案する。

「この戦が終わったら、船に乗って別の大陸にでも行くか」

「そうだね、俺たちもずいぶん有名になってきちゃったし」

「もう一度聞くけど、なにかえたか?」

「んにゃ、でもこの国はなんかヤバい。俺の勘がそう言ってる」


 戦の終結は、7日目の朝に突然やってきた。日の出とともに両軍の本陣が慌ただしくなると、まもなく双方の兵に報せが届く。ザンブロア・カボク両国は和睦を結んだ、と。

 兵たちは歓喜するも、一部の者は眉を寄せた。優勢を維持し勝利は目前だったのに、なぜ和睦という面倒な約定を交わさなければならないのか。

 その理由を知る者は軍上層部のみで、名家出身のマブトゥールもその限りではなかった。女王陛下の御意向。得られた返答はそれだけ。

 茶髪も気にはなったが、ザンブロアから離れるつもりだったので詮索しなかった。傭兵部隊が解体されると、マブトゥールに報酬の相談をし、数百枚の銀貨と引き換えに馬を二頭もらう。どちらも血統書付の名馬だ。名残惜しむマブトゥールに見送られ、二人は南へと馬を走らせた。

「どこ行く?」と茶髪。

「東の大陸がいいな」

「あ~、向こうはおしとやかな女がたくさんいるって誰かが言ってたねぇ。そういうのが好みなん?」

「女は静かってだけで可愛く見えるもんさ」

「そんじゃ南東の港町に行きましょうかね。でもその前に食料調達しなきゃ。結構距離あるし」

「近くに町は?」

「南に少し行ったところにマエーラって町があるって聞いた。ん、村だったかな? とりあえずそこで一泊しましょ。カボク領に近いけど、まぁ大丈夫っしょ」


 山岳を下り乾燥地帯を抜けたのは昼過ぎ。そこから2時間ほど草原を駆けていくと、民家がまばらに建っているのが見えてきた。二人はそこで井戸を借り、食料を分けてもらう。銀貨を一枚受け取った赤髪の一家は、喜んで握り飯を振る舞ってくれた。

 その家の少女が、絵本の中の王子様でも見るような顔で、握り飯をほうばる茶髪にこんな話をした。

「そういえばね~、何時間か前に来たザンブロアの人も井戸を借りてたよ」

「兵隊さん?」

「たぶん違うと思う、女の人だったし。綺麗な人たちだったなぁ」

「キミも大きくなったら綺麗になるよ」

「ホント!?」

「うん、毎日ご飯もりもり食べればね」

「あはは、太るからヤダー!」

 それから一時間ほど南に進むと、丘隆地帯に入った。傾斜はなだらかだが岩や崖が多く、見通しも悪い。人気もまったくない。山賊あたりが好みそうな道だ。

「ゴロツキの気配とかする?」

「誰もいねぇよ」と黒髪は眠そうにまぶたを擦った。

 日が暮れ始めている。道は上りから下りになり、険しいところで黒髪の馬が何度も立ち往生した。

 黒髪がため息混じりに嘆く。

「動物ってのはなんでこう、人の言うこと聞かねぇんだろな」

「戦場で散々斬ってきたから呪われてんじゃないの?」

「だったらお前は豚に呪われてなきゃおかしいな」

「あはは、ここんとこ食えてないんだから豚肉の話はやめてよぉ」

 平地に差し掛かる頃、黒髪がキョロキョロし始めた。彼が尋常ではない優れた耳を持っていることを茶髪は知っている。

「なんか聞こえる?」

「馬の足音だ。二つか三つ……そんなに離れてないな」

「近くにいるってこと? ずいぶん気づくまで時間かかったじゃないの」

「普通の馬よりも足音が聞こえにくいんだよ」

「どっち?」

「そっちのほ━━」

 指した先は、ちょうど岩の斜面が抜け視界が開けた場所。そこから黒い塊が三つ、平地へと飛び出してきた。黒毛馬だ。それに股がるのは、漆黒の甲冑で顔まで隠した大柄な者たち。一般的なサイズよりも一回り太いスピアを携えた者が、頭目のように二騎を引き連れている。

 彼らが二人を標的に捉えたのは、視線が交錯してからほんの数秒のことだ。

「おい、こっち来るぞ」と黒髪。

 視力の優れた茶髪が目を凝らす。甲冑の肩当に、何やら模様が見える。

 紋章。×印に交錯させた剣の刻印。

「あれは……あいつら、梟だ」

「ふくろう?」

「ザンブロア三大名家お抱え部隊の呼び名。『剣』のフェルヴェール家、『盾』のムーラルト家、『忠』のケルフェベント家の三家が、それぞれ『ふくろう』『からす』『蝙蝠こうもり』って秘密部隊を持ってる。こいつらはフェルヴェール家の指揮下だったかな?」

「お前は頭が悪いくせにつまらねぇ知識だけはあるよな」

「逆にキミは頭良いのに雑学がなさすぎ。つ~か覚える気すらないよね」

「男は剣の振り方と女の抱き方さえ知ってりゃ意外に生きていけるもんだよ」

「女に乗る前に馬の乗り方覚えてほしいもんだけどね~。そんで、どうします? 殺る気満々って感じで追ってきてるけど」

 こうして話してる間にも距離は縮まってきている。

 だが二人はひどく平常だ。楽観的ではなく、これが二人にとっての普通なのだ。

「ここでやらない選択ができるんなら、傭兵にはなってねぇよ」

「だよね~」と茶髪は楽しそうに肩を回した。

「しかし、なんだってザンブロアの部隊に狙われるんだか」

「勧誘を断ったからかなぁ。あっ、もしかしてこれじゃない?」

 茶髪が指したのは、下鞍(鞍橋くらぼねの下に敷くクッション)。ザンブロアの国章が刺繍されている。

「キナ臭さがぷんぷんしますね~」

 そう言った茶髪につられて口元がほころぶ。無愛想な顔に笑みが滲むのは、たいていこんなときだ。

「まあ、いいさ。戦場の大雑把な戦いに飽きてたところだしな」

「キミは誰やる?」

 黒い瞳が、敵を鑑定する。

「俺は先頭の槍の奴をやる。お前は後ろの二人をやれ」

「りょうか~い。あ、念のため言っとくけど、なるべく立ち技にもっていきなよ」

「御忠告、痛みいるよ。馬上じゃ蝿も殺せる気がしないしな」

 二人はY字に馬を走らせた。すかさず敵も二手に分かれる。黒髪を追うのは、彼に指で招かれた槍騎兵。

「いいね」

 挑発に乗せたことにではなく、敵の迷いなき判断に対しての呟き。強者の一面として、判断と行動の直結がある。戦場では選択肢を悠長に見比べている暇などないのだ。



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