ある時、少年は嘆いた。

 国を出てから数か月。魔物をいくら倒しても、その被害は留まることを知らない。

 数々の小さな村を魔物から救って、少年は救世主として有名になった。

 しかし、それでも魔物の被害は増える一方だし、魔物に足止めされて上手いように旅路も進んでいない。

 

 同じとき、少女も嘆いた。

 どれだけ殺しても人間の数は減らないし、配下の魔物は倒されていく。

 ましてや、最近は救世主なるものが出てきて、上手く物事が進んでいない。

 忌々しいったらない。

 いっそ自分が出て殺してやろうかとすら思っていた。

 しかし、それは先代の魔王として最後の手段として教わっていた。

 だから、少女はただ見守るしかなかった。


「なぜだ。どうして」

「なんで。どうして」


 少年と少女は項垂れる。

 なぜこんなにも上手くいかない。


「俺はただ」

「私はただ」

『世界を救いたいだけなのに』


 場所も違う。目的も違う。正反対の二人。

 なのに、二人は同じとき、皮肉にもまったく同じことを思っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 少年はこの日、大陸外れの小さな村に来ていた。

 救世主として名が通っていた少年は村に着くなり、村長の家へとあがり込んだ。

 そうして少年の名前を聞いた村長から、一つ頼みごとをされる。


「最近、村のある家の子供が帰って来ないのです」


 村長は項垂れ、辛そうに少年に助けを求めた。

 少年は村長から事の詳細を聞くと、ただちに立ち上がり、村長の頼みを快く引き受けた。


「そんな悪いことをする奴、魔物の仕業に違いありません」


 少年は高らかにそう言うと、くだんの家へと向かい話を聞いた。

 しかし、聞けども聞けどもいなくなった子供の母親は口を割らなかった。

 ただ、

「救世主様の手をわずらわせることではございません」

 というだけだ。

 しかし、少年には母親の発言は本心には思えなかった。

 子供がいなくなるなんて、なんて悲しいことなんだ。きっと、魔物に脅されて本当のことを言えないんだろう。

 そう思っていた。

 少年は無理にでも母親から最後に子供を見た場所を聞き出すと、そこに向かって駆け出して行った。

 場所は近くの森だという。

 子供一人では生きられないであろう、魔物が多く巣くう危険な森だ。

 少年はひたすらに走った。

 ただ、助けなければという思いのまま。

 立ち向かってくる魔物をどうにか倒し、少年はついに人間の子供を発見した。男の子だ。

 近くには魔物の姿もある。

 少年は男の子に向かって叫ぶ。


「さぁ! もう安心していい。君を助けに来た」

「兄ちゃん……だれ?」


 男の子は混乱しているのか、少年と魔物を交互に見る。

 かわいそうに。あんなに近くに魔物がいれば、どうしていいのか分からなくても仕方がない。

 少年はすかさず腰に据えていた剣を抜き取ると、少年の近くを離れない魔物に向かって挑んでいく。

 男の子は少年の突飛な行動に驚いた。目を見開き、少年の向かう先を見る。

 男の子の近くにいた魔物は男の子の視線を感じると、首を横に振り「来るな」と意思表示した。

 しかし、すでに男の子は走り出していた。

 少年の剣がその魔物を切ろうとしているのが分かったから。そして同時に、魔物が自分の死を悟ったのが分かったから。

 少年の剣が魔物に届く寸でのところで止まる。

 少年は目の前に現れた人物に向かって、驚きの表情を浮かべている。

 少年と魔物に間に入ったのは、さっきの男の子だ。間一髪、間に合ったのだ。

 手を広げ、魔物を庇うかのように立っている。


「な、なんで……」


 少年はあまりのことに動けなくなる。

 思考が止まり、冷静な判断が出来なくなっていた。


「兄ちゃんが何者かなんて知らない。だけど! だけど、この子だけは殺させない!」

「な、なにを言っているんだ君は。魔物だぞ。君が今庇っているのは魔物なんだぞ」

「だからなに!? 魔物だろうが、人間だろうが関係ない。おらはこの子の友達だ。家族なんだ。この森がおらの故郷だ」

「寝ぼけてないで目を覚ませ。君は帰らないといけない。あの村の子供なんだろ。俺は、村長に頼まれて君を……」

「おらは帰らない!! あんな村になんて帰るもんか!!」

「そんな……でも、君のお母さんも君が帰ってくることを望んで」

「望んでなんかない! だって、だって、おらをこの森に捨てたのは母ちゃんなんだから!!!」


 男の子の悲痛な叫びに少年は雷にでもあったかのような衝撃を受ける。


「母ちゃんはおらが邪魔だった! だから、魔物がたくさんいるこの森の置き去りにしたんだ。でも、この子だけは一人のおらを他の魔物から守ってくれた。唯一の大切な存在なんだ。だから、なにがあってもこの子は殺させない。たとえ、見ず知らずの兄ちゃんだろうが、殺させやしない」


 男の子は確固たる意志で魔物の前に立っていた。

 男の子の行動が理解できない。言っていることが信じられない。

 頭が痛い。割れるように痛い。

 親が子供を捨てる? 魔物が人間を守った?

 信じられない。信じたくない。あり得るはずはない。だって、魔物は悪だから。人間を襲う悪い奴なんだから。

 しかし、少年の心とは裏腹に目の前の男の子はいっこうに魔物の前から退こうとはしなかった。

 男の子の目には絶対に魔物を守るという強い炎が見えた。

 少年はその場から逃げるように駆けだした。

 見ていられなかった。どうしても、男の子の言っている意味が理解できなかった。

 だが、男の子の言っていることは本当だし、母親のあの発言は本心から来るものだった。

 少年があの村で出会ってきた中で、誰一人として嘘を言っているものなど、初めから存在しなかったのだ。

 村長は本当に帰って来なくなった男の子の安否を心配していた。救世主なら救ってくれると思っていた。

 母親は救世主の存在が鬱陶うっとうしかった。せっかくうまいこと邪魔な子供が排除出来たというのに、今更になって見つけられでもしたらたまったもんじゃない。場所を言ったのも、早く子供の死体を見つけて諦めてほしかったからだ。なにせ森には多くの魔物が徘徊している。母親は子供が生きているとは思ってもみなかったから。

 そうして、男の子はそんな母親から捨てられた自分を、これまでずっと守ってくれていた魔物を、今度は少年の手から守った。大切な存在だったから。

 普通の人なら、ここまでで男の子の母親が歪んだ人間であると、察することができただろう。

 しかし、少年には無理だった。ここまでの思考力が少年には欠けていた。

 これが、人間が善であり、魔物が悪だと教え込まれた少年の限界だった。

 自分で考えることを放棄した人間の限界でもあった。

 少年はただ走った。

 頭痛が止むまでひたすらに走り続けた。

 いつしか、風景は変わり、果てのない砂漠へと差し掛かった。

 もう、男の子のいた森など見る影もない。

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