少女は困惑していた。

 というのも、少女には少年が混乱した場面を見ることが出来ていたから。

 そして同じように、少女にもその行動が理解できなかった。少年とは違い、少女の意識は男の子を守っていた魔物の方に向けられていた。

 なぜ人間などを守るのか。そんな下等な生物すぐにでもひねりつぶしてしまえばいいのにと思った。

 だが、いくら時間が経とうとも、その魔物が男の子を襲うことはなかった。

 ましてや、自分の仲間でもある魔物から、男の子を守っている。

 理解が及ばない。訳が分からない。

 人間を守る価値など何もないというのに、こいつはなにをやっているのか。

 少女は頭を押さえる。

 頭痛がする。なにかを忘れているようなそんな感覚だ。

 だが、今ではもう誰にも聞けない。

 なぜなら、すでに少女に命を与えた神様は消えてしまっているからだ。少女の疑問に答えてくれるものなど誰一人としていなかった。この世に誰一人も。

 少女は頑なに、己の真意を曲げない。

 頭痛など吹き飛ばすかのように激しく首を振ると、その視線を一点に集中させた。


「あの救世主とかいう男。全部、お前のせいだ」


 少女の低い声が、少女のいる空間に響き渡った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 少年は体力が続く限り、足を動かし続けた。

 砂に足をとられ何度も止まりそうになるが、それでも足を動かし続けた。じゃないと、自分が壊れてしまいそうな、そんな気がしたから。

 油断するとまた男の子の言葉がよみがえってくる。

 そのたびに、少年は激しい頭痛に襲われた。

 分からない。魔物は悪だ。人間は善だ。それは誰だって知っている当たり前のこと。なのに、男の子を守ったのは母親ではなく魔物だ。そして男の子を殺そうとしたのは、母親本人だった。

 どうして、なぜ……。そんなことが頭の中で繰り返されていた。

 答えのない自問自答。いや、答えはすぐそこにあるのだ。

 だが、人間を善だと疑わない、疑えない少年にはまるで答えのない難解にでもぶつかったかのような、そんな気分だった。

 旅に出た手前、簡単に国には戻れないし、仲間など作らなかった少年にはそれに答えてくれる人などどこにもいない。ただ砂漠のど真ん中で、ひたすら歩くのみ。答えが見るかるまで、ひたすらに。


「おや? ずいぶんと辛そうな顔をしているじゃないか」


 そんな折、少年に声をかけてきた人がいた。

 顔は分からない。砂漠の中、砂から身を守るために全身を布で覆っている人物。男か女なのかも、その声では判断がつかないほどの、中世的な声をしていた。

 少年の前に現れた謎の人物は、砂漠だというのにテントを張り、野宿しているようだった。

 気づけは砂漠は夜のとばりをおろしていた。


「このまま進んでも何もないよ。なんだったら、一緒にどうかな」


 その人物は少年に自分の体面に座るように促した。

 少年は疲れた体を休める様に、言われた通りに砂の上に敷かれたシートに座り込んだ。まるで、少年が現れることを予見していたかのような、ちょうどいい場所に敷かれている。


「どうかしたの? まるで理解できないことにでも出会った、というような酷い顔だけど」


 謎の人物は少年にそう言って、飲み物を手渡してきた。

 仄かに良い香りが漂う、暖かいハーブティーだ。

 ゆっくりとそれを口の含んだ少年は、今までの葛藤が嘘だったかのようにすっと心が落ち着いた。

 頭痛も治まっている。


「落ち着いた?」

「はい……。あの、あなたは誰です?」

「僕かい? 僕はそうだな……旅人、とでも呼んでくれ」

「旅人さんですか」

「そうだよ」


 表情が見えない旅人が笑ったように、少年には感じられた。


「僕って言うことは、男なんですね」

「それはどうだろうか。分からないよ。僕は男でもあるし、同時に女でもある」

「はぁ」


 旅人は訳の分からないことを言っているのに、なんだか不思議と納得できた。

 そんなような雰囲気を旅人からは感じた。


「こんなところに来るってことは君も旅人?」

「一応、違います。俺は救世主をやっているんです」

「ああそうか! 君があの有名な救世主君だったのか」


 旅人は子供の様にはしゃいでいた。


「いやー会えて光栄だよ」

「そんな、まったく」

「またまた謙遜しちゃって。だけど、なんで救世主の君がこんな人も魔物も寄り付かないような辺境の地へ? それになんだか浮かない顔をしていたね」

「それがその、分からなくなって」

「分からない? なにが? よかったら僕が話を聞こう」

 

 旅人に言われるまま、少年は自分の体験したことを話した。

 母親が自分の子供を捨てたこと。その子供が、魔物に守られ、そして家族だと言って魔物を少年の剣から身をていして守ったこと。

 人間が善で、魔物が悪だということ。

 その全てを少年は旅人に話した。

 旅人は少年の話を聞いたのち、こう答えた。


「そりゃあ分からなくなって当然だ」

「でしょう。なんであの子は魔物を守るなんて間違ったこと」

「いや、間違っているのは君だよ。救世主君」


 旅人は少年を指をさす。


「分かっていないようだから教えてあげよう。人間は全てにおいて善だというのはあり得ない話だ。誰にだって、憎む気持ちはある。どんな善人にだって、殺してやりたいほど邪魔な存在だっている。必ず、とは言わないけどね」

「それは……分かっているつもり」

「本当にそうかい? 君の話を聞いていると、人間は全てにおいて善であり、魔物は全てにおいて悪であるというように聞こえる。善は助け、悪は倒す。まるでおとぎ話かのようなありがちなセリフだ。それって、本当に君が、君自身が考えた言葉かい?」

「俺が考えた言葉……」


 少年は頷くことが出来なかった。

 自分で考えるなど、思ってもみなかったことだから。

 自分は救世主で、善である人間を救い、悪である魔物を滅ぼす。それが当たり前で、少年にとっては絶対的な考えだった。

 だって、物心ついたときにそう教わったから。


「おっとすまない。少々君には刺激が強すぎたようだね。だけど、覚えておくといい。この世に完全な善も、完全な悪も存在しない。人間にだって魔物と同等に悪い奴はいるし、魔物にだって優しい奴もいる。被害者と加害者の割合が違うだけの問題だ。どちらも、この世界にとっては些細な問題でしかない」


 そうして旅人は天を仰ぐように見上げる。


「そして、君も、もう一人も、この世界に利用されたかわいそうな被害者だ。特に君はね。救世主なんて重い使命を背負わされ、自分で考えることも許されてこなかった哀れな異国の少年」

「あんたなにを言って」

「分からないのも無理もない。あの当時の君は、感情がなかったから。だけど、今なら考える力が備わっている。僕が教えてあげた。人間は考えることのできる世界で唯一の生物だ。この意味、分かるかな」


 旅人の言っていることは、少年には何一つとして理解できなかった。

 それでも、旅人から少年は目を離せなくなる。


「この世界には君と同じように、純粋で無知な心を利用された哀れな少女がいる。その少女を救えるのは、同じ運命を背負った君だけだ。君が少女を救うんだよ。この世界と共に、救世主として、哀れにも魔王に利用されている少女も救うんだ」

「魔王だと」

「そうさ。君が倒すべき悪だという魔物の親玉は、君と同じ人間さ」


 少年は驚愕する。

 魔王が人間で、しかも少女だという事実に、少年の頭は追い付いていない。


「救う方法は君に任せる。自分で考えて動くんだな」


 旅人はそれきり、少年に話しかけてはこなかった。

 少年は必死に考えた。

 魔物は悪であり、人間は救わなければならない。それが、少年に課せられた使命であり、何度も聞かされた言葉だ。

 しかし、旅人はその言葉を全てではないが、ほとんどを否定した。

 人間にも悪なるものがいて、魔物にも善なるものがいる。

 そして、そんな魔物の親玉、世界を恐怖のどん底へと落とした張本人は、少年と同じ人間だった。

 突拍子もない旅人の言葉は、しかし、少年の心に不思議とすとんと落とし込まれていた。人間なら助けなければならない。たとえ、魔物と呼ばれる存在であっても。

 しかし、本当に救っていいのだろうか。

 旅人曰く少女は魔王に利用されているという。それが本当だとして、数々の村や国を襲い、多くの人間を殺したのもまた利用されているからだろうか。いや、違う。こればっかりはその少女自らの命令によってだ。

 少年は初めて考えた。自分の意思で、物事の本質をとらえるかのように、ずっと考え続けた。

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