第10話 オーパーツ

「白い少女の、幽霊……?」


 がしっと両肩を掴んできた陣馬梶太バカにこれ以上なく真剣な顔で告げられて、かみやなぎたかすみは首を傾げて訊き返した。


「実は木の枝に引っ掛かった白い布だったとか、排水溝から漏れ出した湯気だったとか、そういうオチ?」

「そんな夢のない話ではない! 実際にこの島には幽霊が徘徊しているのだ!! 時折強い突風が吹いたり、少女の霊の目撃証言が後を絶たないのは、何らかの原因で封印が弱まっているせいだと言われているのでござるよっ!!」

「んな事を言われてもなー」


 あまかぜじまに上陸してすぐに翔子がそんな事を言っていたな、と思い出す。心霊現象など界力術以外のオカルト関係に滅法相性の良い幼馴染みは眉根を寄せて俯いていた。薄菫色ライトバイオレットの前髪が、目許に深い陰翳を落としている。


「やっぱり、見間違いじゃなかったのかな? すごく辛そうな顔で、何かを探しているように感じたけど」

「勘弁してくれよ……そもそも白い少女って何だ? ハクリュウ伝説にそんな女の子の記述はなかったはずだろ?」


 姿を見せると嵐を呼ぶと言われる邪竜を、有名なまじない師に頼んで封印してもらったと言う内容だったと記憶している。近隣の島の様子や人々の風俗などは記されているが、白い女の子などという登場人物はいなかったはずだ。


「それに封印が弱まってるってのも変だ。あまかぜじまに仕掛けられた術式は現代の知識じゃ解読できないんだろ? だったら、どうして封印が弱まってるって分かるんだよ?」

「……それは、」

「バカは少しビビり過ぎなんだって。怖いって気持ちが先行して事実が見えなくなってるだけさ。えない俺達が身構えても体力の無駄だよ」


 ……などと否定してはみたものの、上柳自身は片羽のせいもあって心霊現象の存在自体は否定してない。それに未だに正体の分からない片羽の『嫌な予感』もある。事実を並べて、不安な気持ちを和らげたいというのが本音だったりする。


 次の展示エリアに入ると、壁面一杯に飾られた巨大な絵画が目に飛び込んできた。


 どこかの岬だろうか。紫色と赤色の花が咲き乱れた天然の絨毯の上で、翼の生えた巨大な竜が青空を見上げていた。絵画であり正確な全長は分からないが、翼を閉じた状態でもちょっとしたクルーザーよりは大きそうだ。白銀の鱗に覆われた筋肉は強靱で、黄金の双眸が滲む精悍な顔付きからは賢者が如く聡明さを感じ取れる。


 膜質な白い翼の下にいるのは、淡い桃色のローブを羽織った少女だ。


 十歳くらいの見た目。ふんわりとした銀色の長髪は風に揺れ、華奢で小柄な身体の周りで踊っている。フリルの付いたピンクのワンピースに着て、手には節くれた木の枝を加工して作った背丈程の杖が握られていた。短いスカートに、リボンやレースがふんだんに取り入れられた意匠。歴史の教科書に真っ向からケンカを売るその服装は、日本の現代文化ポップカルチャーの中で熟成された意味での『魔法少女』を強く想起させた。


「……すごいな、この絵」


 ゆっくりと近づいた上柳が、感嘆の声を漏らす。

 全身を駆け巡る不思議な高揚感は、テレビや写真集でしか知らない宗教画を生で見た感覚に似ていた。知識のない上柳からすれば、この絵にどのような背景があって、どう凄いのか説明できない。だがそんな事は関係なく感情が揺さぶられるだけの『力』があった。


「明治時代に書かれたハクリュウ伝説の水彩画だね。作者はあさちゅう、江戸時代出身の画家だよ」

「詳しいな、ウィンター」

「僕は都市伝説とか好きだからさ、ハクリュウ伝説についても一通り知識があるのさ」


 女装させたら意外と似合うよなと噂されている友人は、上柳の隣で豪華な額縁に納められた西洋風の絵画を見上げる。

 鮮やかなタッチのリアル調で描かれた水彩画。写真を加工しただけですと言われても信じられそうな程に真に迫っており、仕草や視線、柔らかい風に揺れる竜の毛並みや岬に咲き誇る花々など、じっと見詰めていれば今にも動き出しそうだ。


「実はこの絵、一部ではかなり有名なんだ。明らかに不可解な点があるからね」

「不可解な点?」

「よく見てみてよタカ、あの白い少女を。この絵画は明治時代に描かれているのに、どうして現代で言う『魔法少女』みたいな格好をしているんだろうね?」

「……あ」

「いくら文明開化で西洋文化が急速に日本に輸入されてきたとは言え、今時のアニメや漫画の第一線でも通用しそうな衣装を着た少女が描かれるなんて不自然だ」


 地元民からの口伝というのは考えにくい。

 見た事がない物を目の当たりにすれば、人間は既存の常識に無理やり当て嵌めて理解しようとする。仮にあの魔法少女を見たとしても、あさちゅうに伝える頃には脳内で全くの別物へと変換される可能性が高い。かぐや姫に出てくる天女のような和風テイストになるはずだ。


「浅井鋳がこの水彩画を描いたのは明治時代中期で、呪い師が白竜を封印したのは明治時代の後期。あの『魔法少女』の衣装は当時の人々が想像で補える範囲を遙かに逸脱しているからね、充分に『当時代に存在しない物オーパーツ』と呼べる品だよ」

「てか、このドラゴンって確か邪竜とか呼ばれてなかったか? 嵐を起こすから漁に出られないとかで封印されたんだろ? だったら変だぞ、この絵に描かれたドラゴンは邪竜ってよりも人々の信仰を集める神様みたいだ。とても迷惑極まりない荒くれ者を表現してるようには見えない」

「他にもまだ白竜伝説には色々と曰くがあるよ」


 ウィンターは持っている通学鞄から手帳サイズのメモ帳を取り出して、


「嵐を呼ぶ邪竜を封印したまじない師が、実は歴史の裏で活動していた界術師で、現代の知識じゃ解明できない方式を使ったって都市伝説は知ってるよね?」

「ああ、有名な話だからな」

「だったらその謎の界力術が、実は何者かによって歴史から抹消された技術だって話はどう?」

「歴史から、抹消……?」

「六家連盟が主導して天風島に仕掛けられた界力術を解明しようと専門家が派遣された。後に公表されたメンバーは四人……だけど、実は五人目がいたんだ。名前はよしいく。どういう訳か最初から調査には参加してなくて、無関係な交通事故で死亡したと記録されている。ちなみに、この事実は一切報道されていないよ」


 神妙な顔付きになったウィンターが、ぺらっとメモ帳を捲った。


「残りの四人も調査結果を再提出させられている、『何も分からなかった』と発表させる内容にね。その理由は一切記録として残っていないし、四人とも頑として口を開かないんだ」

「口封じに、情報操作? でも、どうして……」

「残念だけど、そこから先は分からないんだ。軍隊を持てない日本が世界に対抗するために核を上回る兵器を造ってるとか、ネット以外の方法で世界中の人々の思考を操る研究をしてるとか……まあ、ハリウッド映画の敵役ヴィランもビックリするような目的のオンパレードさ」


 本命を隠すために黒幕が敢えて大きな話を流布してるのかもしれないけどね、とウィンターは肩を竦めた。


「にしても、よく調べ上げたな。好きだからって範疇を超えてないか?」

「僕の父さんがフリーの記者なんだ、どうしても手に入らない情報は『取引』で教えてもらってるよ」

「取引……って、お金?」

「まさか、ラクニルに通ったらバイトもできないし貯金なんてないだろ。情報だよ、父さんが欲しいけど手に入らない情報」

「そんなのあるのか、相手はプロの記者なんだろ?」

「例えば母さんとか妹の情報は鉄板かな。父さんは家を空ける事が多くてさ、昔から二人の機嫌を取るのには苦労してたし。……まあ今ならネットを叩けば報道されてない情報でも調べる事はできるし、余程の事がない限りは父さんに連絡しないけど。僕は父さんと違って自分の身を守る事ができないからね」


 ウィンターが中等部の頃から新聞部に所属していたのには、どうやら父親が大きく影響していそうだ。身を守る必要がある調査内容は少し気になったが、聞けば『取引』を持ちかけられると思って止めておく。


「……あの花って、アネモネ?」


 すぐ近くで絵画を見上げていたとおが、岬に咲き乱れる色鮮やかな花を指して呟いた。


「遠江さん、よく分かったね。その通り、ハクリュウ伝説にはアネモネが登場するんだよ。あまかぜしまには一年を通してアネモネが咲いている花畑がある。隠されたその場所を見つけ出し、まじないい師の神聖な気を吸って成長した花を持って帰れば幸せになれるって言い伝えがあるんだ」

「あー、なんか思い出してきた。あらしやまのハイキングの途中でコースから抜け出して探したりしたな。……結局誰も見つけられなかったけど」

「素敵ね、そういう綺麗なお話は好きよ」


 目許を和ませた遠江が、優しげに微笑んだ。


「(……あれ、翔子はどうしたんだ?)」


 先ほどから一言も発しない幼馴染みが気になって見てみる。

 片羽は、遠江の隣でじっと絵画を見上げていた。


「(……?)」


 何かがおかしい。


 少しして、ようやく気付いた。

 俯いたその顔が、交通事故の現場に居合わせたように蒼白だった事に。


「そんな、どうして今まで……一体誰が、こんな残酷な事を……」


 つー、と。

 少女の優しげな目許から、一条の雫が溢れ出る。


 声を掛けようとしたが、余りにも辛そうで迂闊に近づけない。周囲に居た人も同じなのか、怪訝そうな視線を寄越すだけだった――ただ一人を除いて。


「……へぇ」


 運動という言葉が似合わない細身の少年だ。

 腕のラインに沿って赤いラインの入ったデニムシャツに、グレーのスラックス。襟に付けた校章バッジは第二校区の物か。感情を映さない糸目にはスクエア型の黒縁眼鏡が掛かっている。口許を彩っているのは曖昧な微笑みで、彼が一流の詐欺師だと紹介されたら信じてしまえそうだった。


「驚いた、君はこの絵を見て涙を流すのか。とても『普通』じゃないね。気になるな、一体そので何をているんだい?」


 声変わりを終えたにしては高く、合唱団にいてもおかしくないほど綺麗なテノール声だった。鼻梁まで流れ落ちる黒髪を指で弄りながら、ゆっくりとした足取りで片羽に近づいて行く。


「(……あれは、ヤバい)」


 漠然とした危機感が、上柳の額に冷や汗を噴出させた。

 拳銃やナイフといった分かりやすい武器を持っている訳ではない。殺意を撒き散らしてもいなければ、奇声を発して我を忘れてもいない。それでもあの少年から発せられる謎の『圧』は異常だった――血を滴らせた鎌を携えた死神と同等の存在に思えてしまう程に。


「何か、翔子に用ですか?」


 床に縫い付けられそうになる足を無理やり動かして、片羽の前に移動する。両眼から涙を零したままの幼馴染みを背に隠して、第二校区の夏服を着た少年を正面から見据えた。


「……失敬、何か勘違いさせてしまったようだ」


 少年は頬を緩めて、曖昧な笑みに優しさを添えた。先ほどまで感じていた異常な『圧』は霧散している。


「だけど、君のそれはただの『勘』か? だとしたらセンスが良い、もしかしたら自力でも手が届くかもしれないな。これは思わぬ収穫だよ」


 女性のように長い睫毛に彩られた糸目を上柳に向けると、くつくつと嬉しそうに喉を鳴らす。警戒していると暗に伝えるために睨み続けていると、軽く手を振ってあっさり去って行った。残された上柳は首を捻る事しかできない。


「何だったんだ、あいつ……って、翔子!?」

「――っ!!」


 唐突に片羽が頭を抑えてその場に踞った。きゅっと瞼を閉じて、痛みに耐えるため唇は真一文字に引き結ばれている。


「しょ、翔子!? 一体どうした、あいつに何かされたのかっ!?」


 空気が、変わる。


 明確な異変。

 今までの和気藹々とした雰囲気を一瞬で塗り替える程の違和感。


 視線が。

 幼馴染みの恐怖に染まった瞳が、


「ダメだよ、これは本当にダメ! みんなが……もう間に合わないっ!!」


 伏せてっ!! と片羽が場違いなまでに切羽詰まった声で叫んだ直後だった。


 バズンッ!! と。

 猛烈な突風が博物館の強化ガラスに叩き付けられる。


 地震が起ったと錯覚する程の揺れがフロア全体にのし掛かった。大型トラックが高速道路から飛び出して激突すればこれだけの衝撃を与えられるかもしれない。ミシミシミシミシッ!! と建物全体が不自然に軋み、気付いた頃には無様に赤い絨毯の引かれた床に倒れていた。


イタっ……くそ、なんだよ急に」


 辺りを見回してみれば殆どの生徒が同じく床に転倒している。顔を見合わせたり、場違いにも笑い出したりと、靄のような困惑がフロア全体を覆っていた。そんな中でも霧沢と遠江だけは立ったまま警戒の視線を周囲に走らせている。


「翔子、大丈夫か? さっき何か様子が変だったけど……」

「ごめんタカ君……周波数が合わないの。さっきは合ったのに」

「しゅ、周波数……?」


 尻餅を付いた片羽は意味不明な事を口にするだけだった。ずれた紫縁の眼鏡を直して、ハクリュウ伝説の絵画をじっと見上げる。その眼差しは難病に冒されて動けない患者に向ける医者のそれと似ていた。


「私にしかできないなら、私が助けてあげないと……!」


 ぴしっ! と、突風が激突した強化ガラスに一条の亀裂が走る。

 だがその明確な異変さえも、次第に回復していく喧騒が掻き消した。まるで何事もなかったと言わんばかりに平穏が異常を呑み込んでいく。


 ただ一人。

 かたばねしょうだけが、『何か』と真正面から向き合っていた。


 それはきっと。

 一人の少女が、主人公になった瞬間だった。

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