第9話 遺跡

 かみやなぎたかすみを含めた一年A組の面々は、博物館一階の真面目なフロアを抜けて二階へとやって来た。


 どうやらここはあまかぜじまに関する事を展示するフロアらしい。説明が書かれた文字盤や古めかしい展示物だけだった一階とは打って変わり、全体的に明るくて楽しげな雰囲気に包まれていた。入口近くの壁には天風島に伝わる『ハクリュウ伝説』を元ネタにした映画や舞台のポスターが記念に掲示されている。


ハクリュウ伝説、ね」


 上柳は入ってすぐにある島のパノラマ模型を眺めて呟いた。

 本物の土や枝葉を使って天風島の外観を再現しているから驚きだ。観光地や景観ポイントなどに旗が立っているのだが、それ以上に目を引くのは、円形の島の中央に聳えるあらしやまに降り立った白い翼竜のフィギアである。


 隣で立ち止まった実国冬樹ウィンターが、模型の精工な出来映えに目を丸くしつつ、


「中等部の校外研修であまかぜじまに来た時に調べたよね。確か班ごとにクイズを出し合った記憶があるよ」

「……私、それ詳しく知らないんだけど、そんなに有名なの?」

「有名だと思うよ、絵本や映画の元ネタにもなってるくらいだし。それにほら、有名な都市伝説があるじゃん」

「都市伝説?」


 小首を傾げたとおに対し、かたばねしょうは紫縁眼鏡の位置を直して、


ハクリュウ伝説で使われた界力術が、現代の技術では解読できないって話。何年か前に六家連盟の調査団が公式なコメントを発表していたような……?」

「気になるならあそこに言ってみたらどう? その都市伝説についてまとめられているよ」


 ウィンターが指した方向にはひとだかりがあった。

 その一角だけ意図的に照明が絞られた怪しさ満点の空間だ。入口には都市伝説や心霊現象のテレビ特番でよく見る芸能人のパネルが立っており、『テレビじゃ放映できない秘密をここだけで!!』と吹き出しが添えられている。


 遠江、片羽、ウィンター、バカの四人がそちらへ歩いて行く。何となく出遅れた上柳はその場に留まり、答えの出ない難問に出会したみたいに眉根を寄せるきりさわなおに体を向けた。


「で、霧沢はさっきからどうしたんだよ? ずっとパノラマ模型を見て難しい顔をしてるけど」

「……ちょっと、気になる事があってさ」

「気になる?」

「この島には界力術的な『記号』が異常なほど設置されているんだよ。電化製品の内部みたいに効率的に詰め込まれていると言ってもいい、誰かが意図的に手を加えたとしか思えない」


 霧沢は事件の証拠を集める探偵のように、円形の島の周りをゆっくり回って、


「まず目を引くのがドラゴンって記号だ。召喚術式では絶大な意味を持っている。なにせ、『天城家』が目標としている二つの到達点の一つだからな」

「……二つの到達点?」

「一つはドラゴン、天城家が最終的に召喚しようとしているじゅうだよ。そして二つ目は『ひょう』。これは界力術の授業でもやるんじゃないか?」

「ええと、召喚したじゅうを術者の肉体に纏わせる技術だっけ?」

「そう、『人間という枠組みを破壊する』というテーマの先で行き着いた解答さ。人間よりもじゅうの方が高い出力で界力術を使えるからな、じゅうを身に宿せばすいたい実力カラーといういった限界を無視して界力術を使える可能性がある。突き詰めれば、


 それに、とパノラマ模型を流れる細い水の流れを指した。あらしやまの模型の中にポンプでも仕込んであるのか、数ミリしかない幅の中を本物の水が流れていた。


「この島全体を巡る川……というか水路も妙だ」

「水路?」

ちん西ぜいの『結界術式』的に見れば、人工的な水路ってのは意図的な『力の流れ』。それが『島』、『海』、『山』、『森』……様々な自然を表す記号の中に存在している。自然は結界術式にとってホームグラウンドだ、囓った程度の俺じゃなくて知識のある人間が見たら何か答えが出てきそうなんだけど……」


 鋭く目を細めた友人を見て、上柳は驚愕を隠せなかった。


「(……霧沢、こんな知識をどこで身に付けたんだ?)」


 霧沢の事情が一般生徒と異なっている事は何となく察していた。詳しい話を聞いた訳ではないが、高等部一年生から第一校区に転入してきて、分家関係者よりも遙かに上の腕前を持っている時点で何か裏があると考えるのが普通だ。


 戦闘技術ならまだ分かる。分家関係者なら幼い頃からの英才教育で、一般生徒でも界力術系の部活動に参加すれば自然と腕が上達していく。


 だが、霧沢がまるで英文法の構文みたいにスラスラと口にしたのは『知識』だ。それも示された証拠から推論を積み上げていく『逆算』。戦場で聞こえてくる発砲音や地面に落ちている弾丸から敵の素性や規模を推測して作戦を組み立てるのと同じ。ただ机に囓り付いて、資料や参考書を頭に詰め込んでも手に入らない現場の感覚である。


「(つまり、そんな普通じゃない感覚が必要な場所に居たって事か……?)」


 まるで映画の登場人物だ、と上柳は思う。

 ラクニルでも商業地区マーケットの裏通りには本土の裏組織が入り込んでいるとか、学校と取引をすると『リスト』に名前が載ったりするという噂を聞いた事はあった。だが、あくまで噂。そんな事が本当に起きているとは思えないし、仮に現実に存在していたとしても、どこか掛け離れた場所にあるものだと思い込んでいた。


 だが、しかし。

 霧沢直也を見ていると、その思い込みも揺らいでくる。


 親友の知らない一面を見て背筋を冷たくしていると、都市伝説の展示エリアに行っていた四人が出てきた。次のエリアに移動するよー、と片羽に手招きされたため、未だに難しい顔をしている霧沢を引っ張って行く。

 合流すると、何故かバカが贅肉に覆われた体をガクブルと震わせていた。


「タ、タカ殿……拙者、本当に今夜トイレに行けなくなったかもしれない」

「なんだよ、藪から棒に」

「興味本位で深淵を覗くべきではなかった……あれはまさしく都市伝説、拙者が迂闊に触れていいべき闇ではなかったのだ」


 がしっ、と強く上柳の両肩を掴んだバカが切羽詰まった口調で言い放つ。


「幽霊だ……白い少女の霊が、この島を歩き回っているのだ!!」



      ×   ×   ×



 いまりょうが国立がく博物館の館長であるおくひとに連れて行かれたのは、応接室から歩いて十分程の森の中だった。


「ここって、あらしやまのハイキングコース入口の近くよね?」


 黒いハイヒールで石壇を登る特班顧問の早乙女さおとめみやが周囲の森を見回しながら呟いた。やはり歩きにくいのか、面長で整った顔には汗の粒が浮かんでいる。


「明日はあらしやまに登るんでしたっけ? 中等部の研修でも似たような事をやりましたよ。チェックポイントにはハクリュウ伝説に関わるクイズがあって、全問正解すると麓に帰ってきた時に景品が貰えたはずです」


 早乙女の隣を歩きながら、顔に落ちる木漏れ日を片手で遮る。さりげなく早乙女の隣を歩いているのは、万が一にもヒールで石壇を踏み外して転倒するのを防ぐため。早乙女も気遣いを理解した上で好意に甘えているようだ。


「あとはみんなでアネモネの花を必死に探しましたね」

「……どうして?」

ハクリュウ伝説に記述があるんですよ、天風島には一年を通してアネモネが咲いている場所があるって。そこには邪竜を封印したまじない師の神聖な力が満ちていて、聖なる気を吸い取って成長した花を持って帰ってくる事ができれば幸せになれるらしいですよ」

「それで、見つかったの?」

「いえ。先生には内緒でハイキングコースから外れて探したんですけど、手掛かりすら掴めなかったです。まあみんな本気じゃなかったですから、退屈な研修の良い思い出くらいにはなりましたよ」


 研修を担当した職員に聞いてみても、今までアネモネの花を持ち帰ってきた人はいないそうだ。職員自身もアネモネの花畑を見た事がないらしく、実在しているのかは確かめる術がないらしい。


 奥田に後に付いて森の中にある石壇を登り切ると、全面が白いコンクリート製の平屋が見えてきた。台風の被害を抑えるための造りになっている沖縄の建物に似ているだろうか。


「これが『遺跡』を保管するための建物です」


 立ち止まった奥田が、神妙な表情を浮かべて振り返る。


「確認にはなるけど、これから見せる物は一般には公開されていない六家連盟の絶対秘密トップシークレットだ。何を見たとしても絶対に喋らないように」

「承知してます。親父おやじの顔に泥を塗る訳にはいきませんから」


 今津が真面目な顔で頷くのを確認してから、奥田は平屋の鍵を外し始めた。南京錠や鎖を外していき、最後には翡翠のような界力石クォーツを扉の中央へと押し当てる。その途端、回路図と同じく直線や記号を組み合わせた光の絵画が壁面に浮かび上がった。


「……こくいんじゅつしき、ですか?」

「物理的な方法だけでは強度的にどうしても限界があるからね。この術式なら携行ミサイルくらいは余裕で防げると思うよ。侵入者感知とかは機械類を使うようにしてるんだけど」

「何故です?」

「この遺跡に踏みは入ろうとするのは界術師だろ? なら、界力術的な感知術式は意味を為さない可能性が高い。適材適所ってやつだよ。今だって私がセンサーを切っていなければ、ここに立った時点で警報が鳴っているね」


 喋っている内に淡い赤色の刻印はみるみる内に建物全体へ広がっていき、ぱっと弾け飛ぶ。

 奥田は界力石クォーツをしまい、両開きの扉を押した。


「あれが、遺跡だよ」


 狭い室内にあったのは、西洋剣でも突き刺さっていそうな石の台座だった。床は打ちっ放しのコンクリートだが、台座の周りだけ囲炉裏と同じく穴が開いている。切り株のように床下から伸びる円筒形の台座には、何やらびっしりと見た事のない文字が刻まれていた。


「(……これだけ、か?)」


 それが、正直な感想だった。

 立ち止まっていると、奥田が可笑しそうに頬を震わせた。 


「どうだい、拍子抜けしただろ?」

「いえ、そういう訳では……」

「悪魔の銅像とか、不気味な絵画とか、そういう分かりやすいものがあったら面白いんだけどね……でも、これだけでも六家連盟は一般公開を禁じたんだし、何らかの意味があるんだと思うよ」


 奥田に招かれて、今津と早乙女は遠慮気味に室内へと入って行く。

 台座以外には何もない狭い室内は、それはそれで重要な品を祀る宗教の儀式場を想起させた。違和感があるとすれば、石の台座には明らかに何かを差し込むような窪みがあるのに何も刺さっていないという点か。小さな窓から差し込む光だけでは薄暗く、目が慣れるまで時間が掛かった。


「この台座には、始めから何も刺さっていなかったのですか?」

「さあ、僕がここに来た時にはすでにこの状態だったよ。でも、台座に何もないせいでハクリュウ伝説の封印が上手く機能してないなんて言われてるね。島には時折強い突風が吹く事があるんだけど、それが実は白竜の怒りだとか。あとは白い少女の幽霊の噂か」

「……幽霊、ですか?」

「眉唾だとは思うんだけどね。でも稜護君達が泊まるホテルの従業員に、この手の話に詳しい婆さんがいるんだ。生まれた時から天風島の近くの島で過ごしてきたらしくてさ、やたらと説得力だけはあるんだよ。おかげで他の従業員が怖がってるらしい。ハクリュウ伝説は捏造された偽物だとか言ってたな」


 ハハハ、と奥田は苦笑いを浮かべた。


「幽霊に関しては、本当にえる人にはえるみたいだね。奇妙な事に目撃した人は全員が口を揃えてこう言うんだ……まるで、誰かを探しているみたいだって。迷子になった子どもが母親を探すように、泣き出しそうな顔になりながらも、小さな体で島中を必死に駆け回ってる。まあ被害が出てる訳じゃないし、夏らしい怪談だと思えば良いんじゃないかな?」


 しゃがみ込んだ奥田が、鏡と同様に景色を反射する台座の表面をさっと撫でた。


「さて、じゃあ話をこちらに戻そうか。調査団のメンバー全員はけっかいじゅつしきが使われていると推測した。この台座が『さいだん』に似ていたからね。当初はまだちん西ぜいも連盟に属して、派遣された専門家も同じ見解だった」


『始まりの八家』の一つであるちん西ぜい。生み出した方式は結界術式。空間に満ちている界力の流れ――界力稜カイドラインを操作する事で、様々な効果を帯びた『場』を形成する方式である。


「でも、不可解な点もあった。通常『祭壇』は結界の中央に配置するんだけど、この台座があるのはあまかぜしまの端。設計思想が違う訳うんだ。たとえるなら、建物という括りは同じでも建築様式が違うようなものかな。知識のない人間からすれば違いに気付けても、その背景に存在する理屈や歴史は見えてこない」


 奥田はわずかに皺の寄った目許を細め、事件の詳細を同僚に伝える刑事のような口調で、


「この島には結界術式で利用される界力術的な『記号』が沢山あるけど、それを繋げる方法がまるで見えてこない。他の方式にしても同様さ。唯一のヒントであるこの台座もどういう風に利用されるか不明。私達が知っている界力術だけでは、この問題を解くための『法則』が足りていないという訳だね」


 解くべき暗号文と与えられたヒントが噛み合っていないという事か。あるいは、まだ未知の法則があって、それを理解していないからヒントを上手く利用できないのか。何にせよ、格となる知識が欠落している状況ではどれだけ考えても答えには辿り着けない。


「それでひと先生、親父おやじの言っていた俺が見ておくべき物とは?」

「その台座に界力を流し込んでみて欲しい、界力武装カイドアーツを発動させるようにね。それから先の事は聞いていないよ、ただ稜護君には伝わるとしか」

「……分かりました」


 緊張した面持ちでしゃがみ込んだ今津の体から、ぽわっと紫色の界力光ラクスが漏れ出す。眉間の辺りに存在する脳の器官『すいたい』に神経を集中させ、生命力ナマを操作して界力次元から界力を引き落とす。わずかに躊躇ってから、石の台座へと一気に流し込んだ。


 直後だった。

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっっ!! と猛烈な悪寒が背筋を走り抜ける。


 遺体の入った棺の蓋に触れる、またはパンドラの箱に指を掛けるのと同じ。理屈や知識ではなく、先天的に本能に刻まれていた忌避感が脳の内側で炸裂した。


「――ごぉッがッァァああああああああああああああああああああっ!?」


 電動ドリルで穿たれるような激痛が頭蓋骨に突き刺さった。

 界力演算領域インカイドと界力次元を繋ぐパスを通じて、何かが脳内へと侵入してくる感覚。反射的に締め出そうとしても勢いを止められない。石の台座に触れた手の甲の血管が不自然に浮かび上がり、熱された鉄板に落ちた蛇を想起させるほど盛大にのたうち回る。


「稜護君っ!!」


 真っ先に動いたのは早乙女だった。

 一本に括った長髪を振り乱して、しゃがみ込んだまま動けない今津の肩を掴む。そのまま剣を鞘から引き抜くのと同じ要領で体を後ろに引いた。


 今津の大柄な体が打ちっ放しのコンクリートを転がり、壁に激突する。座り込んだ今津の顔にはぐっしょりと冷や汗が浮かんでいた。緩くうねった前髪はシャワーを浴びた後と同じく額にくっついている。


「ありがとございます、助かりました……」

「何があったの? 凄い悲鳴だったし、それに顔色だって悪いわよ」

「……分かりません、オレにも何が何だか――」


 立ち上がろうと足に力を入れて、今津は更なる違和感に襲われた。


「(……この倦怠感、?)」


 闘術の真骨頂である『英雄化』。世界の記憶メモリアとして記憶次元に保管された英雄『そのもの』を肉体に宿す最終奥義だ。

 絶大なる戦闘力を得られるが、その高みに至れる界術師は一握りの天才だけ。公の場で英雄化に至った界術師の名前を教科書に載せていると言えば、それがどれだけの偉業か分かるだろうか。


 四月末、特班の設立を賭けて行われたきりさわなおとの模擬戦。追い詰められた今津は、最後の賭けとしてまだ出来が不十分な『英雄化』に手を出した。その結果として、酷い反動に襲われてしばらく動く事すらままならなかったのだ。


「(すいたいの痺れ方、体の気怠さ、界力演算領域インカイドの乱れ方……全てあの時と同じだ)」


 普通の界力術を使い過ぎても、筋肉痛と同じですいたいは痛みを発するし、テスト前に一夜漬けして脳が疲れるのと同じく界力演算領域インカイドは活動が鈍る。これも立派な『反動』だろう。


 だが、英雄化とは非常に特殊な技術だ。

 反動だって普通とは違って、言葉にしにくい『癖』のようなものがある。今津を襲った未知の術式による反動は、どこか中途半端な英雄化を発動した時のそれと同等の『何か』を含んでいるような気がした。


「(まさか親父おやじは、この感覚をオレに味わせるために……?)」


 ゆっくりと立ち上がり、神妙な顔付きで石の台座を見下ろす。

 まだ知らない世界の秘密に触れた気がして、少しだけ背筋が冷たくなった。

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