第8話 国立界力学博物館

 国立がく博物館

 あまかぜじまが一般公開されるに当たって新たに設立された観光施設の一つだ。展示物は界術師の歴史に関する資料や最新の研究成果など。国立という冠の通り、設立は全てしょうの主導によって行われていた。


 つい先日にしゅんこうしきを迎えたばかりであり、非常に綺麗で現代的なデザインの建物だ。形状はかなり長細い楕円形。贅沢に高さを使った四階建てであり、正面から見上げれば巨大な豪華客船の船首だと錯覚するかもしれない。壁面の半分はガラス張りで、容赦なく降り注ぐ夏の陽射しを受けてCDの表面と同じくキラキラと光っていた。


 バスから下りたかみやなぎたかすみは一年A組の面々と一緒に館内へと入っていく。自動ドアを通って空調の効いた室内に踏み入った途端、体の奥からどっと疲労が溢れ出した。


「あー、死ぬかと思った……岩本先生ゴリラめ、全然容赦してくれなかった」


 入場ゲートを通る順番待ちをするために、ロビーには自然と列ができ上がっている。最後尾に並んだところで、隣に立っているかたばねしょうに遠慮気味に腕をつつかれた。レンズの奥にある両眼は、申し訳なさそうに伏せられている。


「……ごめんねタカ君、私が麦わら帽子を飛ばしちゃったばっかりに」

「いや、翔子は悪くないよ。ああいう場面でも界力術を使うべきじゃないのは確かなんだ……岩本先生ゴリラの言う通りってのが癪だけど。実際に事故が起きたら、善意とか悪意とかは関係なくて界術師側の立場がどうしても弱くなっちまうんだから」


 この辺りの感覚は、交通事故と似ている。

 どれだけ歩行者が交通ルールを無視していたとしても、事故を起こせば責任を追及されるのは運転手だ。界術師と一般人の事件でもそこは同じ。理不尽に聞こえるかもしれないが、物理的な弱者を守るように日本の法律は作られている。


「それにやっぱり、咄嗟に界力術を使っちまったのは俺の判断ミスだ。今はまだ学生って事で許してもらえても、ラクニルを卒業したらそうもいかない。気を引き締める意味でも良い経験になったよ」


 だから気にすんな、と微笑みかけて、片羽の背中を軽く叩いてやる。完全に納得した訳ではなさそうだが、片羽はこくりと小さく頷いて薄菫色ライトバイオレットのショートカットを揺らした。柔らかく綻んだ唇には安堵の色が浮かんでいる。


「ちなみにタカ君、岩本先生にはどんな風に『指導』されたの?」

「……翔子、この世には知らない方が良い事だってあるんだぜ」


 ビクッと近くにいた陣馬梶太バカの肩が震えた。きっとバカも『指導』の恐怖を思い出しているのだろう。


「んで、霧沢は大丈夫なのか? なんかまだ辛そうだけど」

「……大分、マシにはなってきた」


 覚束ない足取りで後ろを歩いていたきりさわなおがぎこちない笑みを浮かべた。バスを降りた直後は風邪を引いたと思うほど真っ青だった顔色も、少しは良くなってきているようだ。


 霧沢の顔を覗き込んだバカと実国冬樹ウィンターが意外そうな表情を浮かべて、


「にしても、霧沢殿が乗り物に弱いとは聞き及んでいたが、まさかここまでとは……これは思わぬ弱点にござるな」

「本当だね。今まで困らなかったの?」

「移動は基本的に徒歩だったよ、金もなかったしな。どうしようもなくなった時は風坊を召……いや、何でもない」


 何やら噛み合っていない会話を聞いていると順番が回ってきた。バスでの移動中に配布された博物館のチケットを使い、自動改札機を抜けて一階の展示エリアへと入っていく。


 全体的に遊びがなく、真面目な雰囲気に満ちていた。


 壁には界術師の歴史を記した年表が貼られ、その前には関係のある品々が展示されている。ショーケースには有名人が使っていた界力武装カイドアーツや著書が収められているが、旅行気分で島にやって来た生徒達の興味を引くことはできなかったようだ。ほぼ全ての生徒が軽く一周しただけで次のフロアに向かっている。


「うーん、なんかいまいちだね。これじゃあ本土の博物館の方が面白いよ」


 入口で無料配布されていたパンプレットを眺めていたウィンターの呟きに対して、バカが深く頷いた。


「左様、ここまで真面目一辺倒だと眠くなってくる」

「本土の方は界力に興味を持ってもらう事に注力してるみたいだからね。最近じゃ拡張現実ARを利用した界力術体験スペースとかあるらしいよ。界力省の働き掛けで小学校の遠足の行き先にも優先的に選ばれてるらしいし」


 そもそも対象年齢が違うと思うぞ、と上柳が最新の研究成果を展示するエリアを退屈そうに眺めながら会話に入る。


「本土から離れた島にわざわざ来るくらいなんだから、ある程度は界力に詳しいって前提なんだろ? 家族連れで旅行に来たなら他の観光施設に行くだろうしな。ほら、プールとかゴルフ場も建設してるみたいだぞ」

「あとは立派な会議室も造るらしいよ。国際会議で各国の首脳や大臣を呼べるレベルの。六家連盟の会議もあまかぜじまでやるようになるんじゃないかな」


 展示物には全く足を止めず、順路に沿って一階のフロアを進んでいく。二階へ続く階段の手前には、一体の銅像が建っていた。


「お、この銅像は見た事があるのでござるよ。確か歴史の教科書に載っているはず」


 さめたかなが

 界術師として最初の内閣総理大臣になった男であり、界術師の差別問題に対して数々の功績を打ち立てた『伝説の革命家』。そして、最期は謎の事故死によって歴史から姿を消した非業の男でもある。


 一振りの日本刀を地面に突き刺し、鋭い眼光で前を見据えた初老の男性。引き締まった肉体をストライプの入った高級スーツに包んで刀を握る姿はアンバランスだと感じるかもしれないが、年齢を感じさせない耽美な顔付きには違和感なく当て嵌まっているから不思議だ。


現代の侍ラスト・サムライ、か。確かにこうして改めて見ると、現代に蘇った武士という感じでござるな」

「実際に外交や国の重要な場面では真剣を持って出席してたみたいだからね、これがこの国古来から伝わる正装だって感じで。勿論反対の声もあったみたいだけど、最終的にはその例外を諸外国や国民に認めさせてしまう程の交渉力と魅力を持っていたんだよ」


 さめたかながが歴史に登場していなければ、界術師から人権が剥奪されていたはずだ。とある著名な有識者がさめたかながの葬儀で述べた言葉である。


 国内でも界術師への差別は存在したが、それ以上に酷かったのが海外での反応だ。


 悪魔の末裔。亜人類ミュータント。異端者。


 何故か日本にしか誕生しない不思議な存在を受け入れられる程、世界は優しくなかった。中には神の遣いや新人類といって崇める一派もいたらしいが、国際的な風当たりは厳しくなる一方だったらしい。界術師の入国を認めない国もあったし、国際的な会議の場でも界術師が居るという理由で日本の立場が悪くなる事もあった。


 銅像を見上げていたウィンターが、絵本に登場する英雄を子どもに語るような口調で、


さめたかながが世界中を回って、界術師も一人の人間なんだって説明し続けてくれなかったら、今頃僕らは隔離施設に閉じ込められて解剖でもされてたんじゃないかな。新型ウイルスに冒された患者のようにさ」

「時にはその国の酒を地元の人々と飲み交わし、時には紛争地帯に踏み入って血を流してでも民衆を救い出す。大仰なパフォーマンスという声も大きかったようだが、それを認めさせるだけの人柄があったという訳でござるな」


 当時の国連安全保障理事会にて、界術師を隔離して『管理』するべきだと議論された事があった。現代からすれば考えられない事態だが、さめたかながが活躍するまで、世界各国は界術師を同じ人間として見ていなかったのである。


「……どうした霧沢、先に行くぞ」


 銅像を見上げたまま足を止めていた霧沢に声を掛ける。「分かった」と頷いた霧沢は、もう一度だけさめたかながの銅像を見上げて真剣な表情を浮かべた。


「……オッサン、俺も必ずそこに行くからな」



      ×   ×   ×



 いまりょう

 風紀委員会副委員長にして『とくはん』の班長。更に夏越御三家の長男でもある彼は、界術師の世界では将来を担う事を期待されたサラブレッドとして扱われる。よって学生という身分でありながら、学業よりも夏越家の一員として公務を優先しなければならない場面も出てくるのだ。


 そして、今回もその一端。

 夏越家の界術師として役割を果たすため、今津は他の生徒とは別行動をしていた。


「お久しぶりです、ひと先生」

「大きくなりましたね稜護殿、見違えるようですよ」


 正面の黒いソファに座っているのは人の良さそうなおじさんだった。

 おくひと、四十五歳。博物館の館長である。まだ正式なオープン前なのか、白いポロシャツにグレーのスラックスとかなりの軽装だ。


 ここは国立界力学博物館の別館にある応接室。完成して間もないため、まだ室内には木の香りが残っていた。窓に掛かったブラインドからは夏の陽射しが差し込み、埃一つ付いていない調度品を明るく照らしている。


 居住まいを正した今津は、苦笑いを浮かべて、


「敬語はやめてください、公務とは言え殆どプライベートみたいなものなんですから」

「そうかい、なら遠慮なく。早乙女さんも構わないですかな?」

「ええ、勿論です」


 特班の顧問である早乙女さおとめみやは軽く頷くと、にこりと微笑んだ。


「助かります」


 奥田は座卓から氷の入ったグラスを持ち上げて口に含んだ。

 今津も倣ってブラックコーヒーで唇を湿らせる。程良い苦味を舌の上で転がしていると、隣に座った早乙女がミルクと砂糖を入れて掻き混ぜ始めた。どうやらブラックは好みではないらしい。


「立派な博物館ですね、館長を任されるとは流石です」

「表向きはね。運営が安定すれば三年を目処に本部に帰してくれると言われているが、僕にはていの良い左遷にしか思えないよ。上は僕がいない間に他の人間を昇級させるつもりなのさ」

「考え過ぎです、先生の腕前なら安心して任せられると信頼されているんですよ」

「だといいんだけどね」


 おくひとしょうに属する国家公務員である。今津は、父親の紹介で過去に奥田と面識を持っていた。今津の父親も六家界術師連盟では役職と責任を持ったかなりの重鎮なのだ。


 今回の仕事は、夏越家を代表して奥田仁史に祝辞を伝える事だった。奥田は将来的に界力省の高官になる可能性が高い。夏越家として、更には今津個人としても奥田との間に密接な繋がりを築いておく事は、長い目で見た時に間違いなく意味のある行為だ。


「こんな暗い話は終わりにしよう。せっかく早乙女さんもいるんだ、ラクニルの話を聞かせてくれないかい? 特班だったかな、精鋭部隊を結成して、あの腐敗した第一校区の風紀委員会に喧嘩をふっかけているんだろ?」


 どうやら奥田は第一校区の生徒だったらしく、現在のラクニルの様子が気になるようだ。三人はしらばく歓談を楽しんだ。


「さて、ではそろそろ本題に入ろうか」


 グラスに入ったコーヒーが半分くらいになった所で、奥田が切り出した。


「稜護君、早乙女さん、お二人ともあまかぜじまに存在する『ハクリュウ伝説』はご存じかな?」

「ええ、存じ上げております」


 真っ先に反応したのは早乙女だった。ストライプの入った白いワイシャツと黒いタイトスカートを着た特班顧問は、退屈な歴史の授業で急に好きな武将が出てきたような顔になって、


「姿を見せると嵐を巻き起こすと言われる白い邪竜を、有名なまじない師の力を借りてあまかぜじまに封印したという伝説ですよね? 絵本や映画の元ネタにもなっている英雄譚。物語としての他にも、当時の様子や風俗を知る歴史的な資料としての側面も持っているとか」

「そのまじない師が実は界術師だったという都市伝説は?」

「……聞いた事はありますが、六家連盟も界力省も公式にはコメントを控えているはずです。使われていた界力術の方式が、現代の技術では解読できないからという理由で」

「その通りです。では、訊ねたいのですが、」


 一呼吸置いた奥田は、わずかに皺の寄った目許を細めて告げる。


「もし、その解読できない界力術の方式がある場所――『遺跡』をお見せできると言ったら?」

「!?」


 早乙女が目を見開いて固まる。隣では今津も口を半開きにしていた。


ひと先生、本当に可能なんですか? 『遺跡』は六家連盟のトップシークレット……国宝級の仏像や歴史的建築物と同じで、許可なく見せる事はできなかったはずですが」

「稜護君の言う通りさ。あまかぜしまの遺跡は現在も調査中のままだし、テレビ局に交渉されても中を見せる事はなかった。だけど、今回は稜護君のお父さんからのお願いなんだ」

「……親父おやじが?」

「『夏越家』の名前を使ってお願いされたよ。僕にも良く分からないんだけど、何でも稜護君は遺跡を見ておくべきだって言ってたね。説明をしなくても伝わることがあるからって」


 今津は首を捻る。

 別に『遺跡』や界力術の理論について、人並み以上に詳しいつもりはない。それなのに、『遺跡』を見ておくべきだという父親の言葉の意味が分からなかった。


 グラスに残っていたコーヒーを飲み干して、奥田がソファから立ち上がる。


「それでは向かいましょうか、解明されていない神秘をご覧に入れよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る