第8話 国立界力学博物館
国立
つい先日に
バスから下りた
「あー、死ぬかと思った……
入場ゲートを通る順番待ちをするために、ロビーには自然と列ができ上がっている。最後尾に並んだところで、隣に立っている
「……ごめんねタカ君、私が麦わら帽子を飛ばしちゃったばっかりに」
「いや、翔子は悪くないよ。ああいう場面でも界力術を使うべきじゃないのは確かなんだ……
この辺りの感覚は、交通事故と似ている。
どれだけ歩行者が交通ルールを無視していたとしても、事故を起こせば責任を追及されるのは運転手だ。界術師と一般人の事件でもそこは同じ。理不尽に聞こえるかもしれないが、物理的な弱者を守るように日本の法律は作られている。
「それにやっぱり、咄嗟に界力術を使っちまったのは俺の判断ミスだ。今はまだ学生って事で許してもらえても、ラクニルを卒業したらそうもいかない。気を引き締める意味でも良い経験になったよ」
だから気にすんな、と微笑みかけて、片羽の背中を軽く叩いてやる。完全に納得した訳ではなさそうだが、片羽はこくりと小さく頷いて
「ちなみにタカ君、岩本先生にはどんな風に『指導』されたの?」
「……翔子、この世には知らない方が良い事だってあるんだぜ」
ビクッと近くにいた
「んで、霧沢は大丈夫なのか? なんかまだ辛そうだけど」
「……大分、マシにはなってきた」
覚束ない足取りで後ろを歩いていた
霧沢の顔を覗き込んだバカと
「にしても、霧沢殿が乗り物に弱いとは聞き及んでいたが、まさかここまでとは……これは思わぬ弱点にござるな」
「本当だね。今まで困らなかったの?」
「移動は基本的に徒歩だったよ、金もなかったしな。どうしようもなくなった時は風坊を召……いや、何でもない」
何やら噛み合っていない会話を聞いていると順番が回ってきた。バスでの移動中に配布された博物館のチケットを使い、自動改札機を抜けて一階の展示エリアへと入っていく。
全体的に遊びがなく、真面目な雰囲気に満ちていた。
壁には界術師の歴史を記した年表が貼られ、その前には関係のある品々が展示されている。ショーケースには有名人が使っていた
「うーん、なんかいまいちだね。これじゃあ本土の博物館の方が面白いよ」
入口で無料配布されていたパンプレットを眺めていたウィンターの呟きに対して、バカが深く頷いた。
「左様、ここまで真面目一辺倒だと眠くなってくる」
「本土の方は界力に興味を持ってもらう事に注力してるみたいだからね。最近じゃ
そもそも対象年齢が違うと思うぞ、と上柳が最新の研究成果を展示するエリアを退屈そうに眺めながら会話に入る。
「本土から離れた島にわざわざ来るくらいなんだから、ある程度は界力に詳しいって前提なんだろ? 家族連れで旅行に来たなら他の観光施設に行くだろうしな。ほら、プールとかゴルフ場も建設してるみたいだぞ」
「あとは立派な会議室も造るらしいよ。国際会議で各国の首脳や大臣を呼べるレベルの。六家連盟の会議も
展示物には全く足を止めず、順路に沿って一階のフロアを進んでいく。二階へ続く階段の手前には、一体の銅像が建っていた。
「お、この銅像は見た事があるのでござるよ。確か歴史の教科書に載っているはず」
界術師として最初の内閣総理大臣になった男であり、界術師の差別問題に対して数々の功績を打ち立てた『伝説の革命家』。そして、最期は謎の事故死によって歴史から姿を消した非業の男でもある。
一振りの日本刀を地面に突き刺し、鋭い眼光で前を見据えた初老の男性。引き締まった肉体をストライプの入った高級スーツに包んで刀を握る姿はアンバランスだと感じるかもしれないが、年齢を感じさせない耽美な顔付きには違和感なく当て嵌まっているから不思議だ。
「
「実際に外交や国の重要な場面では真剣を持って出席してたみたいだからね、これがこの国古来から伝わる正装だって感じで。勿論反対の声もあったみたいだけど、最終的にはその例外を諸外国や国民に認めさせてしまう程の交渉力と魅力を持っていたんだよ」
国内でも界術師への差別は存在したが、それ以上に酷かったのが海外での反応だ。
悪魔の末裔。
何故か日本にしか誕生しない不思議な存在を受け入れられる程、世界は優しくなかった。中には神の遣いや新人類といって崇める一派もいたらしいが、国際的な風当たりは厳しくなる一方だったらしい。界術師の入国を認めない国もあったし、国際的な会議の場でも界術師が居るという理由で日本の立場が悪くなる事もあった。
銅像を見上げていたウィンターが、絵本に登場する英雄を子どもに語るような口調で、
「
「時にはその国の酒を地元の人々と飲み交わし、時には紛争地帯に踏み入って血を流してでも民衆を救い出す。大仰なパフォーマンスという声も大きかったようだが、それを認めさせるだけの人柄があったという訳でござるな」
当時の国連安全保障理事会にて、界術師を隔離して『管理』するべきだと議論された事があった。現代からすれば考えられない事態だが、
「……どうした霧沢、先に行くぞ」
銅像を見上げたまま足を止めていた霧沢に声を掛ける。「分かった」と頷いた霧沢は、もう一度だけ
「……オッサン、俺も必ずそこに行くからな」
× × ×
風紀委員会副委員長にして『
そして、今回もその一端。
夏越家の界術師として役割を果たすため、今津は他の生徒とは別行動をしていた。
「お久しぶりです、
「大きくなりましたね稜護殿、見違えるようですよ」
正面の黒いソファに座っているのは人の良さそうなおじさんだった。
ここは国立界力学博物館の別館にある応接室。完成して間もないため、まだ室内には木の香りが残っていた。窓に掛かったブラインドからは夏の陽射しが差し込み、埃一つ付いていない調度品を明るく照らしている。
居住まいを正した今津は、苦笑いを浮かべて、
「敬語はやめてください、公務とは言え殆どプライベートみたいなものなんですから」
「そうかい、なら遠慮なく。早乙女さんも構わないですかな?」
「ええ、勿論です」
特班の顧問である
「助かります」
奥田は座卓から氷の入ったグラスを持ち上げて口に含んだ。
今津も倣ってブラックコーヒーで唇を湿らせる。程良い苦味を舌の上で転がしていると、隣に座った早乙女がミルクと砂糖を入れて掻き混ぜ始めた。どうやらブラックは好みではないらしい。
「立派な博物館ですね、館長を任されるとは流石です」
「表向きはね。運営が安定すれば三年を目処に本部に帰してくれると言われているが、僕には
「考え過ぎです、先生の腕前なら安心して任せられると信頼されているんですよ」
「だといいんだけどね」
今回の仕事は、夏越家を代表して奥田仁史に祝辞を伝える事だった。奥田は将来的に界力省の高官になる可能性が高い。夏越家として、更には今津個人としても奥田との間に密接な繋がりを築いておく事は、長い目で見た時に間違いなく意味のある行為だ。
「こんな暗い話は終わりにしよう。せっかく早乙女さんもいるんだ、ラクニルの話を聞かせてくれないかい? 特班だったかな、精鋭部隊を結成して、あの腐敗した第一校区の風紀委員会に喧嘩をふっかけているんだろ?」
どうやら奥田は第一校区の生徒だったらしく、現在のラクニルの様子が気になるようだ。三人はしらばく歓談を楽しんだ。
「さて、ではそろそろ本題に入ろうか」
グラスに入ったコーヒーが半分くらいになった所で、奥田が切り出した。
「稜護君、早乙女さん、お二人とも
「ええ、存じ上げております」
真っ先に反応したのは早乙女だった。ストライプの入った白いワイシャツと黒いタイトスカートを着た特班顧問は、退屈な歴史の授業で急に好きな武将が出てきたような顔になって、
「姿を見せると嵐を巻き起こすと言われる白い邪竜を、有名な
「その
「……聞いた事はありますが、六家連盟も界力省も公式にはコメントを控えているはずです。使われていた界力術の方式が、現代の技術では解読できないからという理由で」
「その通りです。では、訊ねたいのですが、」
一呼吸置いた奥田は、わずかに皺の寄った目許を細めて告げる。
「もし、その解読できない界力術の方式がある場所――『遺跡』をお見せできると言ったら?」
「!?」
早乙女が目を見開いて固まる。隣では今津も口を半開きにしていた。
「
「稜護君の言う通りさ。
「……
「『夏越家』の名前を使ってお願いされたよ。僕にも良く分からないんだけど、何でも稜護君は遺跡を見ておくべきだって言ってたね。説明をしなくても伝わることがあるからって」
今津は首を捻る。
別に『遺跡』や界力術の理論について、人並み以上に詳しいつもりはない。それなのに、『遺跡』を見ておくべきだという父親の言葉の意味が分からなかった。
グラスに残っていたコーヒーを飲み干して、奥田がソファから立ち上がる。
「それでは向かいましょうか、解明されていない神秘をご覧に入れよう」
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