第7話 到着
ホワイト・アロー号は、無事に
入り江に造られた波止場に接岸し、タラップを使って生徒を順に船から降ろしていく。カン、カン、と金属を鳴らす音が
「にしても暑いなー、いよいよ離島での夏休み開始って感じか」
大型バスを停めておくための広い駐車場である。
敷地の端に植えられたヤシの樹の影に避難しつつ、
駐車場にはバスの他にもダンプカーや平ボディの大型トラックの姿を確認できた。工事中の観光施設やインフラ設備に資材を運搬するのだろう。ぱっと見ただけでは運転するのに必要な免許が分からない大型車がひっきりなしに駐車場を出入りしている。
「タカ君、お待たせー」
イルカやタコのデフォルメされたキャラクターがあしらわれた
「翔子、相変わらずその麦わら帽子が好きだよな。俺が本土にいた頃も被ってたろ?」
「うん、なんかもう夏は被ってないと落ち着かなくてさ」
紫縁の眼鏡を掛けた幼馴染みは、麦わら帽子の広いつばを撫でて微笑んだ。背中には一泊分の荷物が入るくらいの小さなリュックサックを背負っている。残りはホワイト・アロー号に置いてきたのだろう。
「んで、マキはなんでそんな眠そうなんだ?」
「……仕方ないじゃない、お昼ご飯を食べてすぐにあんな長話を聞かされたんだから」
ふわあ、と
「界力術を使うなとか、勝手な行動をするなとか、初等部の遠足じゃないんだからイチイチ言わなくても分かってるのに。注意喚起をしておかないと何か起きた時に問題になるってのは分かるんだけどさ」
「案外必要なのかもしれないぞ。ほら、旅行でテンションが上がって羽目を外す奴がいてもおかしくないし」
実際に
「ラクニルでも界術師は使用禁止だけど、
「何か問題が起って、その原因に界力術が絡んでたら面倒な事になるってこと?」
「そういう事。一般人に怪我でもさせたら大問題だぞ、冗談じゃなく新聞の一面を飾れるかもしれない。自転車と同じさ。子どもだって使える安全な乗り物も、気を抜けばナイフや弾丸と同じ凶器になる。俺達が当たり前だと思ってるモンがどれだけ危険なのか知っておく必要があるよ。ただでさえ界術師に対する風当たりは強いままなんだから、学校側も慎重にいきたいんだろうな」
こんな感じで割と真面目な話を昼食後に聞いていた訳だが、睡魔に負けて舟を漕いでいた
「あれ、どうしてこんな所に……?」
不意に、片羽が駐車場の方へ視線を向けた。
「どうした翔子?」
「あそこに、女の子が居なかった? 白い服を着た、小さな子」
「見てないな。てかそもそも、ラクニルの生徒以外はここに居ないと思うけど……っておいおい、まさか翔子にしか
小学生の思い出が蘇ってきて、ブルリと上柳が体を震わせる。
「勘違い、なのかな……?」
未だに眉を顰めたまま周囲を見渡している。どうか気のせいであってくれと天に祈るばかりだった。
少しすると、離れた位置にいた
上柳がヤシの木の影から出た――その瞬間だった。
「きゃっ!?」
突風。
矢のように過ぎ去っていった熱い空気の
「わ、私の麦わら帽子が……っ!」
台風の日に吹き飛ばされる木の葉と同じく錐揉み状に回転しながら、片羽が被っていたつば広の麦わら帽子が夏空へと押し上げられる。咄嗟に伸ばした片羽の手は届かず、一瞬にして波に揺れる海の上まで運ばれた。
「待ってろ!」
迷う事なく上柳が走り出す。
精神内に存在する『
ゴォッ!! と。
闘術『
記憶次元に『
全身から黄色い
海面に着水する直前に体を一回転させ、だんっ!! とトランポリンでも踏む勢いで両足を突き出す。海面に深く穴が穿たれ、大きな波紋と水飛沫が撒き散らされた。跳ね返った力の流れを利用し、
「……っと、はい翔子。もう飛ばされんなよ」
「あ、ありがとう!」
ぱあと顔を明るくした片羽が麦わら帽子を抱き締める。その隣では遠江が目を丸くして驚いていた。
「……高澄君、また腕を上げた?」
「まあそりゃ、学内リーグのためにほぼ毎日練習してるから少しは上達してるだろうけど……だけど、まだ全然足りないよ。トライアルの合格基準をギリギリ満たしたから学内リーグに選手登録ができただけで、どこかのチームに所属できた訳じゃないんだ。こんな低次元で満足する訳にはいかない」
今の一連の流れにも無駄な部分があった。
加速と減速、それに麦わら帽子までの距離感。
「プロ野球の育成選手みたいなモンでさ、結果を出さないと存在を認知すらしてもらえない。ワゴンセールで値引きされる売れ残りと同じだよ。そんな一山いくらの連中にだって、俺よりも強いヤツも
「……高澄君、決意を新たにしているところ悪いんだけど」
つん、と遠江に肩を小突かれて、上柳は首を向ける。
そこには――
「真っ先に越えなくちゃいけない壁ができたみたいだし頑張ってね」
ジャージを着た強面サングラス――
素手で熊を倒せそうな巨体。右手には竹刀、左手には生気を抜かれてゲッソリした
ポキ、パキ、と。
左右に首を振って小気味良い音を鳴らした完全にそっち系の人が、サングラスの奥にある双眸で上柳を睨み付ける。
醸し出す怒りのオーラが語っていた。
界力術を使うなって言ったよな? と。
「ちょ、ちょっと先生? 話を聞いてください、悪意はなかったんです! ただちょっと風に飛ばされた麦わら帽子を取ろうとしただけで……え、そういう油断が事故に繋がるから問答無用? そりゃないって!! イヤだ、ホントに待って!! あのバカが痩せるような説教なんか受けたくないっ!!」
助けてくれぇぇええええええええええ!! と情けない絶叫が駐車場に響き渡った。
だが、ズルズルと熱せられたアスファルトの上を引き摺られて行く罪人に手を差し伸べる愚か者は一人もいない。
× × ×
「……悪いな氷華、俺の荷物を持ってもらって」
「お安いご用です! どれだけ先輩が軟弱だとしても、いつでも氷華が隣で支えてあげますからね!」
ふふん、と得意げに胸を張ってみせると、「……頼もしいな」と霧沢の顔がぎこちなく綻んだ。よっぽど船酔いが辛かったのか、いつも感じていた刀剣のように鋭い印象には翳りがあった。タラップの手すりに体重を預けて、一歩、また一歩、ゆっくり下りていく。
「(ふふふ、計算通りですっ!)」
霧沢に背を向けて唇に薄い笑みを浮かべる。
船を下りる前に尊敬すべき先輩――
『いいですか、氷華さん。大切なのは
ドーン! という効果音でも聞こえてきそうな勢いで放たれた名言に、心の底から感銘を受けていた。
要約すれば、人間関係的に代替の利かない存在になれという意味だ。
後輩、という要素ではアクセントにはなるかもしれないが、メインを張るだけの力はない。目指すべきはもっと限定的。更に深く踏み込まなければ有象無象の一人で終わってしまう。
「(その点、氷華には最強の切り札があります! ずばり特班で一緒に悪と戦う仲間同士! 背中を預ける信頼感を恋愛感情に変換するのは容易いですし、後輩なのについつい頼ってしまうというギャップもポイントが高いはずっ! これ以上に強烈なポジションは他にないはずですよ!!)」
何やらライバルは霧沢の
「さあ先輩、あと少しですよ。氷華も手伝ってあげますから頑張りましょう!」
「……陸まで、あともう少し。ようやく、乗り物から解放される……」
炎天下に晒されている事も相まって、覚束ない足取りでタラップを下りていく霧沢の姿は、何日も砂漠を彷徨った末にオアシスを見つけた旅人のようにも見えた。
「……ちなみに氷華、この後の予定はどうなってるんだ?」
「えーと、つい先日に完成したばかりの国立
言っている途中で気付いた。
霧沢直也は長時間の船酔いからようやく解放されたばかりではなかったか? そして、バスも立派な乗り物ではないのか?
案の定、霧沢は駐車場で乗客を待っているバスを見て固まっていた。倒したはずのラスボスがパワーアップして目の前に現れたらこんな顔になるのかもしれない。
「……先輩どうしたんですか? 急に御守りなんか取り出して……え、
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