第2話 罰ゲーム

 そこはオシャレな図書室みたいな部屋だった。

 レクリエーションルームという名前らしい。木目調のフローリングに、白亜の壁。教室二つ分くらいの広さで、所々に観葉植物が置かれてる。個人、グループ双方の利用を想定しているのか、置かれている机の形状は様々だ。感覚としては多くの客層に利用される駅構内の喫茶店に近い。大きな丸窓からは高速で流れていく太平洋を眺める事ができ、近くには多くの生徒が集まっていた。


 ゴオオオオ、と船全体に響き渡るのは低いエンジン音。

 ラクニル南端にある『港湾地区ハーバー』を出港してからすでに一時間近くが経過していた。時刻は午前十時。真夏の強烈な陽射しが丸窓から差し込んでいるが、空調が効いた室内にはあまり影響がない。時折船が揺れる事を除けば、文句なく快適な船旅である。


 そんな楽しい旅行の真っ只中。

 かみやなぎたかすみは額から冷や汗がダラダラ垂れてくる程の危機的状況に直面していた。


「ぐはははは! これにて拙者は手札がゼロ枚!! タカ殿、お先に失礼するでござるよ」

「ぐはっ、バカまで先にアガっただと!?」


 ババ抜きであった。


 手札に残ったのはハートのエース。丸テーブルにうずたかく積まれたカードの山と手札を交互に見て、上柳は重たい溜息をいた。対してニタニタと粘度の高い笑みを浮かべた陣馬梶太バカは、贅肉を蓄えた右手でペアになったカードを放り捨てて、


「いやあ、本当に良かったでござるよ。旅行の初日から罰ゲームでテンションを下げたくないからな。そうは思わないか、タカ殿ぉ?」

「クソ、バカの分際で……っ!」


 天然クルクルパーマと、風船のように膨らんでズボンのベルトを押し隠した腹回りの脂肪。ぐふふふと余った頬肉を吊り上げて勝ち誇るバカは、まさしく税金が払えない貧民に対して無理難題を要求する中世の無能貴族。今すぐグーで殴り跳ばしたいが、残念ながら手札の残っている上柳にその資格はない。


「タカ、覚えている? 負けた人が全員のジュースを奢りだって」


 対岸の火事を眺めるような口調で言ったのは、これと言って特徴のない事が特徴の同級生――実国冬樹ウィンターだ。運動とは縁遠い細い体に、子供っぽさを残した顔付き。女装させたら案外似合うんじゃね、と密かにクラスメイトから噂されていたりする。


「タカ殿、拙者はコーラを頼む」

「あ、だったら僕は緑茶で。とおさんは?」

「……私? そうね、」


 丸窓の向こうに広がる大海原を眺めていたとおが、半テンポ遅れてこちらに向き直った。ライトブラウンの長髪が小さく揺れる。心なしかいつもの明るさがないような気がした。まるで日が暮れて花弁の萎んだ朝顔だ。


「なら、紅茶をお願い。無糖のやつね」

「おいおいテメェら、ちょっと気が早過ぎるぜ! まだ勝負は終わってない、翔子との一騎打ちが残ってる!」

「わ、私だって負けないもん!」


 むふー、と息巻いたかたばねしょうが、残った二枚の手札を上柳の眼前に突き付けた。


 さらりとした薄菫色ライトバイオレットのショートカットに、穢れを知らない新雪のような幼い顔付き。紫縁の眼鏡が知的さを添えている。小柄で細身だが、第一校区高等部の夏服の下には凶悪な女性らしさを隠している事を、幼馴染みである上柳は知っていた。


「さあタカ君、好きな方を引くがいい!」


 きゅっと淡い色の唇を引き結んだ片羽が、レンズの奥の瞳に力を入れる。

 片羽の手札は二枚。どちらかのカードが当たりで、もう片方がジョーカーという事になる。


「僕は何をしても無駄だと思うけどなー」


 ウィンターが両手を頭の後ろで組みながら、


「タカには貧乏クジを引くってジンクスがあるんだよ。ババ抜きなんて、タカが絶対に勝てないゲームじゃん」

「ふっ、それは違うぜウィンター。俺はすでに克服したんだよ、その忌々しいジンクスを! この旅行を引き当てた事が何よりの証拠!! 今更ババ抜き程度の試練を恐れる道理はないっ!!」


 正直な話、上柳には確実な勝算があった。


「(翔子はすぐに顔に出る。駆け引きが必要な勝負は俺以上に苦手なんだよ)」


 右側のカードに触れようとすると、ぱあとスイッチを入れたように顔が明るくなる。一方で左側に触れようとすると、今度は眉尻を下げてあわあわと視線を泳がし始めた。これではどちらがジョーカーか一目瞭然である。


 それでも男か卑怯者っ!! と何やらバカから罵倒された気もするが無視。左側のカードに手を伸ばすと、片羽はうるうると無垢な瞳を潤し始める。拾ってくださいと書かれた札の下にいる捨て犬みたいな顔だった。


「悪いな翔子、これは真剣な勝負なんだ」


 わずかに心に刺さる罪悪感を振り払い、左側のカードに触れ――


 がうんっ!! と。

 船体が大きく揺れたのは、まさしくその瞬間。


「……、」


 右側。

 照準がずれたまま引き抜いてしまったのは、想定とは逆のカード。


「ノォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

「や、やった! タカ君がババを引いたよ!!」


 ぐっとガッツポーズを決めた片羽の顔に明るい光が戻っていく。手札にやって来たのは嘲笑する道化師がクネクネと踊っているイラスト。『見ろ、天罰が下ったぞ!』と腹を抱えて笑うバカにギロリと一瞥を喰らわせる。


「まだだ……まだ終わってない!」


 背中に回してシャッフルした二枚のカードを、浮かれる片羽の眼前に突き付ける。右側がハートのエース、左側がジョーカーである。


「このターンで翔子がジョーカーを引けば勝負は振り出しに戻る! 勝ち誇るのはまだ早いぜ、この50%さえ乗り越えれば次のターンで俺が勝――」

「えい」


 何の躊躇もなく。

 片羽は右側のカード――ハートのエースを正確に引き抜いた。


「うん、やっぱり私の勝ちだね」

「なん、で……?」

「簡単な予想だよ、タカ君は昔から大切な物は絶対に右側に隠す癖があるからね。私には確信があったの、タカ君と一対一になれば絶対に勝てるって」


 はらり、と上柳の手から道化師のカードが丸テーブルに舞い落ちる。わなわなと唇を振わせていると、紫縁の眼鏡をくいっと持ち上げた片羽が、読み合いを制した策士のように告げた。


「タカ君、幼馴染みをめたらいけない」



      ×   ×   ×



 ガコン、と自動販売機の取出口にペットボトルが転がり落ちた。


「えーと、翔子はアイスココアで……マキは無糖の紅茶か」


 携帯端末にメモした各自の注文を確認しながら、上柳は小銭を投入していく。


 バカの分だけは注文されたコーラとは別に、旅行のハイテンションでなければ絶対に買おうとは思わないゲテモノ缶ジュース『ドリアンサイダー』を買ってやった。先ほどの意趣返しだ、飲料メーカーの無謀な挑戦を受けて存分に絶望すればいい。


 レジ袋に人数分のジュースを入れて、レクリエーションルームへと戻っていく。


 ここは客室エリアの二階だ。

 三階まで筒状に吹き抜けており、それを軸として左右に二本ずつ客室へ繋がる通路が伸びていた。一階部分は食堂や浴室などの共同スペースで、二階以降が客室になる。エリアの違いで部屋のランクが分かれているらしい。


 ガサガサ、とレジ袋を鳴らしながら、上柳は赤い絨毯が敷かれた階段を下りていく。


「(やっぱり乗客はあまかぜじまに向かう生徒だけか)」


 階段の下は観光ホテルのフロントみたいになっていた。

 ソファやテーブルが置かれた雑談スペースが端に寄せられ、反対側には半円形の受付カウンターがある。船の玄関も兼ねているため、多くの人が一度に通れるように広めの造りだ。雑談スペースの隣にある人工池や南国の観葉植物が、屋内の閉塞感を明るく打ち消していた。


「(当たり前だけど、他の校区の生徒もいるんだよな)」


 冬服ほどではないが、夏服でも各校区ごとにデザインが違う。襟に付ける校章バッジを見れば校区が判別できるが、ぱっと見るだけでも複数の校区の夏服を見て取れた。学区は普段の学校生活では滅多に関わる事がないため、こうしてただ姿を見ただけでも少し緊張してしまう。


 校区によって校風や景観に大きな違いがある。

 第一校区は世間的に見ても標準的スタンダードなのだが、中には異世界ファンタジーの街並みを再現した校区や、時代劇と見紛う和風テイストな校区もあったりする。それぞれ学校行事や評価基準で独自のルールが存在しているらしいが、交流する機会が乏しいため、たまに新聞部が組む特集程度の知識しかないのが現状だ。


 和風や西洋軍服の要素を取り入れた制服は、見慣れない上柳の目にはどうしてもコスプレチックに映ってしまう。珍しい制服として本土には熱烈なファンもいるらしい。恥ずかしくないのかな、というのが正直な感想だった。


 階段を降りると、何やら怒鳴り声が聞こえて来た。旅行で羽目を外した生徒数人をジャージを着た男性が説教しているらしい。あの素手で熊を殴り飛ばせそうな巨体は間違いなく第一校区高等部の生徒指導――岩本先生ゴリラだ。一喝するだけで人を気絶させられそうな強面にサングラスを掛けて竹刀を振り回すその姿は、もはや教師というよりも完全に『そっち』の人である。

 余りにも強烈な『指導』で、手の付けられなかった不良生徒ストリーデントに泣いて許しを請わせたという逸話もあるそうだ。恐怖を植え付けられた生徒が口を閉じてしまうため、実際にどのような教育的指導が行われているか誰も知らないが、学生時代にプロレスをやっていたという情報だけで嫌な予感がビンビンである。


 関わり合いにならないために、そそくさと受付のカウンターがある方へと歩いて行く。


 現在は時間外なのか、受付には誰もいなかった。代わりにAIを搭載した最新人型案内ロボット『パッピー君』が乗客の質問に答える仕組みになっている。数人の生徒が面白がって質問を繰り返していた。


 パッピー君の後ろにある大型ディスプレイでは、この船の説明が映し出されていた。


 ホワイト・アロー号、という名前らしい。

 全長130メートル、全幅22メートル、総重量9,853トン。高速ディーゼルエンジン四基を搭載した高速フェリーだ。超細長双胴船スーパー・カタマランという船型を採用しており、造波抵抗を減らす事によって速度と直進性に優れた性能を持つ。大海原を走り抜ける流線型の船体はまさしく『アロー』と呼ぶにふさわしい外見である。


 ディスプレイに表示された情報によれば、あまかぜじまはラクニルから約150キロ離れており、六時間程度の船旅になるらしい。研修後は再びホワイト・アロー号に乗って700キロ程離れた本土に帰省する予定になっていた。


「ちょっと、いいか?」


 船体情報の次に映し出された天気予報を眺めていると、背後から誰かに声を掛けられる。


 針金細工のように痩躯の男子生徒だった。

 明るい色の長髪は男のくせに一本に括られて腰まで伸びているが、鼻の高い顔付きには似合っていて違和感がない。手足の長い颯爽たる長身。飄々とした佇まいは、川面を流れる草舟を思わせる程に爽やかだった。


「突然悪いな。俺はしろあきら、第一校区の高等部二年だ。アンタ、確かナオヤの友達だろ?」

「ナオヤ……もしかして、きりさわの事ですか?」

「そうそう。良かったぜ、勘違いだったらどうしようかと思ってたんだ」


 にっ、と御代は快活に頬を持ち上げて笑ってみせた。


「霧沢の知り合い……って、もしかして風紀委員会の関係ですか?」


 きりさわなおが風紀委員会の絡みで何らかの活動をしている事は知っていた。だが、具体的な内容までは聞けていない。以前に一度訊いたところ、今は言えないと答えをはぐらかされてしまったからだ。


「あー、それ知ってんのか」


 しまった、と御代は苦々しく顔を顰めた。


「隠すつもりはなかったんだが……やっぱりまだ俺自身が慣れてねぇのかもな。その通り、俺は風紀委員さ。でも安心してくれ。取締点数ポイントを気にするクソ野郎共とは違うよ、出身だって普通な一般生徒だし」


 観念したように両手をひらひらと振ってみせる。


 気さくな上級生だった。

 風紀委員と聞いただけで無意識に警戒していたが、言葉の通り毛色が違うのかもしれない。本人も霧沢の友達と言っているし、悪い人じゃないのかなー、と考えながら上柳は長身痩躯の上級生に向き直る。


「俺はかみやなぎたかすみです。何か用ですか?」

「訊きたい事があってさ。本当ならナオヤの弱点とか、恥ずかしい過去とか、根掘り葉掘り教えてもらおうと思ってたんだが……」


 え、なんで? という困惑を余所に、御代の視線が上柳の持っているレジ袋に向けられる。


「あんまり時間を取るのは悪そうだしな、一つだけ教えてくれ。ナオヤが今どこにいるか解るか?」

「休憩室だと思いますよ。船酔いで気持ち悪くなって、死にそうな顔で酔い止めを貰いに行ってましたから」


 これが霧沢から来た最後の連絡です、と携帯端末の画面に通話アプリの履歴を表示する。


「アイツ、ここまで乗り物に弱かったのかよ。言われてみれば、今まで何かと理由を付けて徒歩で移動したがってたか……オッケー、助かった。あ、そうだ」


 御代は携帯端末を取り出すと、通話アプリで自分のアカウントのQRコードを表示させた。


「せっかくだ、連絡先を交換しておこうぜ。何かで役に立つかもしんねぇしさ」

「いいですよ」


 慣れた手付きで携帯端末を操作する。ピロン、という電子音の後に『しろあきら』のアカウントが表示された。


「ありがとよ。んじゃ、また今度ゆっくりナオヤの弱点とか恥ずかしい過去を教えてくれ」


 だからなんで? と小首を傾げる上柳を尻目に、御代はホテルのフロントのような空間を横切って船の奥へと歩いていった。長細い背中では一本に括った長髪が左右に揺れている。


「(霧沢……もしかして、風紀委員の人達と上手くいってないのかな?)」


 船酔いでダウンした親友の事を気にしながら、上柳もレクリエーションルームへと戻っていった。

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