第3章 オカルティック・サマーバケイション編

第1話 ジンクス

 とおは、割とジンクスや縁起物を信じる性格をしている。


 何となく見ている朝の情報番組の星座占いや、血液型による性格分類、数字や文字の並びなど。悪い結果を知っても『なんだ、今日は運勢が悪いんだ』と思うくらいなのだが、不幸を回避するためにラッキーカラーや所持品を意識する程度には気にしていた。


 重要なのは科学的な根拠に基づいた理屈ではなく、自分自身がどのように感じるか。


 普段は理論的な思考を重んじるようにしているのだが、本当に大切な時は直感に頼る事にしている。真っ先に思い付いた結論こそ、結局は自分が本当に求めている解答だと信じているからだ。そのせいで後悔する事も多いのだが、実行しないよりはやった方がマシだと考えられる性格であるため大きな問題になっていない。


 そんな遠江は、かみやなぎたかすみのとあるジンクスを心の底から信じていた。


 貧乏クジを引く。


 ホームルームでは面倒な当番に選ばれ、外れ無しのクジ引きでは人気のない景品を貰う羽目になり、ゲームをすれば最も不利な初期状態から始める事になる。運否天賦に任せた時には、『絶対にこれだけは選びたくないなあ』と全員が思う物を必ず引き寄せてしまうのである。


 それはもう、暇な神様が余計な気を回していると勘繰りたくなる程に。


 この抗いようのない運命の強制力によって、上柳は数々の面倒事に巻き込まれてきた。第一校区高等部一年A組の学級委員を押し付けられたのもそうだったりする。まあそのおかげで、色々な経験を積んで、降りかかる無理難題に対しても臨機応変に向き合えるだけの精神力を手に入れているのだろうし、決して悪い事だけではないのだろうが。


 さて。

 夏休みまで残り二週間を切った本日。一年A組の学級委員である上柳高澄と遠江真輝は、第一校区高等部一年生の他組の学級委員と共に、放課後の空き教室に集められていた。


「期待してろよマキ、絶対に俺は引いてみせる!」

「ハイハイ、頑張ってねー」


 ぐっと強く拳を握った上柳に対し、遠江は気の抜けた返事をした。

 背中まで伸びたライトブラウンの長髪を優しく払い、細い腕で頬杖を付いて机の上のプリントに目を通す。すぅ、と綺麗なラインを描く鼻梁に、弓型の柳眉。身に纏う雰囲気は同年代と比べて頭一つ抜けて大人びているが、整った容姿には制服を着ていても違和感のないあどけなさも同居していた。


「(まったく、先生方も適当よねー)」


 夏期休暇に入るに当たって。


 そう題された通り、プリントの内容は夏休みに入っても気を緩め過ぎるなよーと注意を喚起するもの。内容に文句はないのだが、書類の作成日を示す西暦表記は昨年の日付だった。


「(こういうのは内容よりも、実施したって事実が大切なのは分かるんだけどさ……もう少し本音を隠して欲しいかな)」


 いつもは篝火のように輝く大きな瞳にも、今ばかりは翳りが見られた。物事の裏側に隠された『大人の事情』。毎週楽しみに視聴していたバラエティ番組にヤラセが発覚したように気持ちが盛り下がっていく。


 窓際の席に座っている遠江は、隣の席から立ち上がってマウンドに向かう投手のようにグルグルと肩を回す上柳を見て、


「大体、どうして高澄君はそんなにやる気なのよ?」

「ハッ、マキは何も分かってないな」


 やれやれと上柳は嘆息する。

 向かい風を受けたように逆立った髪に、クッキリとした印象の顔付き。五月の新緑を思わせるほど活力に満ちた少年である。プリントを掴むと遠江の眼前に突き出し、半袖のカッターシャツから伸びる意外と引き締まった右腕でビシッバシッ!! と叩く。


 あまかぜじま宿泊施設を利用した一泊二日の研修。

 プリントにはそう書かれていた。


「旅行だぞ、旅行! お金を使わずに行けるってなりゃ俄然やる気も出るだろ!」


 あまかぜじま

 伊豆諸島に存在する有人島だ。面積は約20キロ平方メートル。徒歩でも一日掛からずに島を一周できる程度の小さな島。ほぼ円形の形をしており、中央には標高541メートルのあらしやまが聳え立つ。全体的に豊かな原生林に覆われており、離島としては珍しく淡水に恵まれている事が特徴である。


 ろっカイじゅつれんめいが所有しており、関係者以外の立入が禁止されていた。ラクニルに通う生徒が外部研修で利用する宿泊施設があった事もあり、世間的には『界術師の島』という認識である。今年の十月から一般公開が決まって来島者の急激な増加を見込まれるため、観光施設や交通、ライフラインの敷設が急ピッチで進められているのが現状だ。


 今回の宿泊研修はその準備の一環。正式にオープンして忙しくなる前に、ラクニルの生徒を使って色々と確認をしたいのだろう。宿泊や食費は全て無料タダである。


「でも高澄君、これ最後まで読んだ? 参加した生徒はアンケートに答えたり、場合によってはその後の会議に参加したりしなくちゃいけないらしいけど?」

「そんな小さな事はどうでもいい!! 離島での一泊二日なんだ、きっと夏らしいイベントが山盛りに違いない! 青い海、浜辺でバーベキュー、花火に肝試し……こんな絶好の機会を逃せる訳ないだろうがっ!!」


 旅行ではなくて研修だし、夏らしいイベントがあるとは書いてないし、花火や肝試しを準備してくれる人はいないし……と即座に反論が浮かんだが、遠江は大人の対応で黙っておいた。

 それにきっと両目をキラキラ輝かせたこの少年は、今日の集まりで生徒指導の教師から受けた夏休みの注意喚起を、来週のホームルームでクラスメイトに発表する事を認識していない。色々と必要な準備を脳内に羅列するだけで今から気が重かった。


「だけどマキ、いいのか? こんな大切なクジを俺が引いても」

「ええ、だって私はどっちでもいいもの。だったらやる気に満ちあふれた高澄君が引いた方がいいでしょ?」

「そういう事なら!」


 いくぜッ!! とスポーツで試合開始と同時にポジションへ走る選手よりも元気よく黒板へと向かって行く。他クラスの学級委員もやる気に満ち溢れた様子だ。我先にと教壇に置かれたクジ箱に手を伸ばす様子からは、昼食を買うために購買へ殺到する生徒と同等の熱量を感じた。


「(まあ確かに、ラクニルの場合は夏休みに入れば友達と遊びにくくなるか)」


 ラクニルに通う生徒は、日本全国から集められた界術師の素質を持った少年少女だ。仲の良いクラスメイトの実家が遠く離れていた、なんて事は当たり前。長期休暇に何か思い出を作りたいのなら、確かにこういう機会を利用するしかない。


 普段の遠江なら、この手の行事や催し物には積極的に参加する。この何気ない日常こそ、『裏側』から抜け出してようやく手に入れた宝物なのだから。


 あの地獄にいた頃は、想像すらできなかった当たり前の幸福。外の世界から隔離され、研究のために体と心を消費されていた頃は知らなかった景色。学級委員をしたり、誰かの相談に乗ったりという人から頼られる生き方は、全て自分の日常を豊かにするためという理由があるのだ。


 だが、今だけは気乗りがしなかった。

 突き放したはずの『裏側』が、悪意を持って忍び寄っているから。


「(高澄君には悪いけど、今回はクジを外してもらいましょう。こんなテンションで参加しても雰囲気を悪くするだけだし)」


 幸い、上柳には貧乏クジを引くというジンクスがある。

 面倒な当番や余り物の貰い手といったハズレを決めるなら絶大な信頼を持てるが、今回は大勢の中からアタリを選び出すクジだ。残念ながら、上柳がどれだけ気張った所で当たりクジを引き当てる事はできない――


 はずだった。


「おっしゃぁぁああああああああああああああああああッ!!」


 付箋程の紙切れを持って全力で吼える上柳を見て、頬杖を付いていた遠江の顎がガクンッと擦り落ちる。その大きな両眼が、目の前で飼い主にエサを奪い取られた犬のように丸く見開かれていった。


「……な、なな」


 なんでよおーっ!! と心の中で叫んでも結果は変わらない。かくして、天風島への宿泊研修への参加が決まったのだった。


 上柳高澄が手にしたものが、貧乏クジか、当たりクジか——この時点において、二人が知るよしもなかった。

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