016 / 揺れ動く想い
《中等部三年生 十二月》
※ 前回のあらすじ
三大勢力統一に向けて交渉が難航する中、
----------------------------------------------------------
十二月のとある休日の午後。
日曜日ということもあり、本日は私服である。
英字が印刷された黒のパーカーとジーパン。上着として青色のダウンを羽織り、少しくたびれたブラウンの革靴を履いている。
壊れた自動販売機と
「あれ、アキラ君じゃない」
暗い色のショートカットに溌剌さを感じさせる顔立ち。一本の芯が通ったような佇まいと女性らしいふくよかな体付きは、
「珍しいですね、日曜日に来るなんて。土曜日の集会後はみんな来ないのに」
「ショージュン君に呼ばれちゃってね、何か話があるんだって」
「へぇー……あ、もしかして浮気ですか?」
「違うよ、私は恭介君に一途だからさ」
御代のからかいに対して、佳純は顔色一つ変えず笑顔のまま返した。動揺した気配は微塵も感じない。
――名字は秘密ね、知らない方が身のためだから。
ふと、佳純の自己紹介を思い出す。
名字を秘密にしたいという事は、本家か分家関係者という事になるのだろうか。アイオライトの創設メンバーということ以外で佳純という生徒に関する情報は一切持っていない。色々と謎の多い先輩だった。
「そういうアキラ君は? 誰かを待ってるって感じかな?」
「はい、ハルと待ち合わせを……って、別に深い意味はないですよ。
「へぇー」
細長い指を唇に添えた佳純は、楽しそうに両目を細めて、
「周りに人のいない
「意趣返しのつもりですか? 残念ながら、俺とハルはそんな関係じゃないですよ」
「……なるほど、これはハルちゃんも苦労しそうだ」
うんうん、と佳純は一人で頷いて納得している様子だった。暗い色のショートカットが小さく揺れている。
「先輩こそ、ショージュンとはよく会っているんですか?」
「うーん、どうだろ。用があったら会うくらいだし、そんな頻繁でもないと思うよ」
「どんな用なんですか?」
「寺嶋家との交渉とか、アイオライトの今後とか、色々かな」
どこか的を得ない答えだった。輪郭をなぞっただけで、本質には触れようとしない。どうやって赤ちゃんができるのか聞かれて答えを誤魔化す母親のようだ。
「あ、ショージュン君だ」
おーい、と佳純が手を振って歩いて来た
品のある顔立ちに垂れる長めの黒髪に、鋭い光が溶けた
「なんだ、アキラも来ていたのか」
佳純に会釈してから、藤郷が意外そうな視線を寄越してきた。
「ああ、ハルとの待ち合わせでな」
「相変わらず仲が良いな、二人は。俺と佳純先輩で倉庫の会議室を使うつもりなんだけど、問題はないか?」
「大丈夫だ、俺達は
「
「偶然な。古びちゃいるけど、少し前まで誰かが使っていたのか思った以上に綺麗なモンだぜ。電気だって通ってるし、設備だって生きている。あそこでアクディートを改造したから、前の賭け試合で岩石野郎に勝てたんだよ」
誇らしげに語っていると、何故か藤郷の表情が曇っていった。それはまるで、知られたらまずい秘密が親にバレそうになった子どものような――
「ショージュン君」
「……すいません、先輩。悪いなアキラ、実はあんまり時間がないんだ。
「ああ、解った」
早足で倉庫の中へと入っていく二人の背中を、御代はじっと見詰めてしまう。何か隠し事をされているような気がして、少しだけ胸がざわついた。
それから少し待つと、
「ごめん、遅れたっ!」
赤っぽいタートルネックのセーターに黒いタイトデニム。羽織っているのはこの前と同じく淡い白色のトレンチコートである。首元では銀色のネックレスが冬の陽射しを受けてキラリと輝き、細い腕にはオレンジのポーチが掛けられていた。
相当慌てて来たのだろう。頬は薄く上気して赤く、セットしていたであろう明るい色のクセ毛は風で乱れていた。敷本は視線を泳がして、照れを誤魔化すようにいそいそと前髪を直しながら、
「少し準備に手間取っちゃってさ……えーと、待った?」
「大丈夫だよ、気にすんな」
錆びた青いベンチから立ち上がり、得意げに片頬を持ち上げた。
「さあ行こうか、注文の品はきっちり完成してるぜ」
× × ×
冬の空気に冷やされた森の中に姿を見せた小さな木造建築。小屋というよりも納屋といった方が正確かもしれない。丸太を組み合わせて壁と屋根を作っただけと手作り感満載なのだが、触れてみれば造りがしっかりしていることはすぐに解る。御代が定期的に来て管理しているおかげで廃墟感は一切なかった。
「どうぞ、狭いけど綺麗に整理はしてあるぜ」
「お、お邪魔します」
ガラガラと立て付けの悪い木製引き戸を開け、御代と敷本は
薄暗い室内。採光用の天窓から薄い陽射しは入り込んでいるが、森の木々に阻まれているせいか光量は少なかった。塗装が取れて剥き出しになった木材の表面はギザギザと削れており、壁や調度品を素手で触れると怪我をしそうだ。
入口近くにあったスイッチを操作して、天井に吊された裸電球を点灯させる。
部屋の中央には木造のテーブルが置かれ、壁際には
「座って待っていてくれ」
引き戸を閉めると、外の音が聞こえなくなって一気に静かになる。
ビクッ、と敷本が肩を縮めた。
「……ハル?」
「ううん、なんでもないよ! 気にしないで!」
ぶんぶん、と敷本が勢いよく首を振っていた。
首を傾げながらも、御代は棚に置いておいた敷本小春の
ジクッ、と。
脳が疼いた。
輪郭を持たない曖昧な幻影が視界に重なる。胸を衝くのは言葉にならない程の焦燥感。だが、その正体を知る前に違和感は霧散してしまった。
「……アキラ?」
「悪い、なんでもねぇ」
脳に残った違和感を振り払い、柄に巻き付けた状態で保管しておいた二本の鎖を木製テーブルまで持って行く。
「これが……ウチの新しい
「ああ、見た目は殆ど変わってねぇけどな。機能を増やしたというよりは、術式の精度を高めたって感じかな。雑な大量生産の弊害で術式に残っていた脆弱性を排除したんだ」
言いながら、御代は精密ドライバーを使って『
「ハル、前に俺と戦った時の事を覚えているか?」
「うん。アスファルトの破片を巻き込んじゃって、急に鎖が動かなくなったから負けちゃったんだよね?」
「そう。前にも説明したが、あれは刻印されていた術式のレベルが低くて小さな
「何か新しく機能も追加してくれたの?」
「少しはな。本当は色々と変更したかったんだが、
「だったらさ、
「それも一つの方法だが、あんまりオススメはしねぇな。『
術式の難易度が上がっていくほど、少ない容量で大量の情報を刻印できる。
「色んな術式が使いたいなら、
「そ、そこまでしてもらわなくても大丈夫! 言ってみただけだし!」
慌てて首を横に振った敷本は、興味深そうに鎖の柄に触りながら、
「アキラはすごいね、まだ中等部三年なのに色々知ってるし。これだけ創れるなら将来は本土で
「少し前までは本気で目指していたよ……諦めちまったけどさ。界術師の腐った世界じゃ、一般生徒である俺がどれだけ優れた作品を作ったとしても正当に評価される事はねぇからな。まあでも、
無駄だと思う事にはなるべく時間を掛けたくない。
効率的な生き方を信条とする御代は、界術師の世界の理不尽と戦う道を選択できなかった。だからこそ、自己満足を突き詰める事で心に空いた穴を埋めようとした。他人からすれば、何も生産性のない行為に見えていると知っていても。
「じゃあさ、どうしてウチの
「それは……、」
視線を逸らして、照れを隠すようにボリボリと頬を掻く。
「実はこの前さ、
「み、みみみ見てたのっ!?」
身を乗り出した敷本が、隠しておいたプレゼントの存在をばらされたような顔になって、
「どうして言ってくれなかったの!? 変な声出してたはずだし、下手くそだったはずだし、そもそもダサいジャージだったし……見てるなら見てるって言ってよもうっ!!」
「わ、悪かった。でも声を掛けられなかったんだよ……その、
顔に熱が溜まっていくのを自覚しながらも、ぎこちなく頬を持ち上げてみる。
「俺は諦めた側の人間だからさ、諦めずに立ち向かっていくハルの姿が眩しく見えたんだ。ハルが何を目指して頑張ってるかは知らねぇけどさ、それを諦めて欲しくねぇんだよ。そう思ったら、自然と言葉が口に出てた」
「……、」
きょとん、と敷本が処理不良を起こした電子機器のようにフリーズした。数秒後、ぼふっ!! と唐突に湯気を立てて顔が真っ赤に色付く。
「えとっ、あの……そのでもっ!」
視線を盛大に泳がし、あたふたと両手を振る。それでも溢れ出した感情を制御できなかったのか、きゅーっと鉄板の上で焼かれたイカのように小さく萎んでいった。
「……ずるいよ、アキラは」
「ずるい?」
「そう! ずるいの、すっっっごくずるいっ!! いっつも急に踏み込んできて、何でもないって顔して手を差し伸べるんだ!! こっちの気も知らないくせに!! ウチがどれだけ悩んでいるかなんて気付いていないのに!! ――でも、」
敷本の顔に満面の笑みが咲き乱れる。木漏れ日のように暖かく、羽毛のように柔らかい光が、優しげな瞳に差し込んだ。
「うん、決めた! もうこの気持ちは変わらない!!」
「決めたって……何を?」
「ナイショ!!」
にしし、と敷本はイタズラっぽく
「……? まあ、頑張ってくれ。俺は応援してるからさ」
「ふンすッ!」
「痛ぁっ!?」
アイスピックが如く尖った敷本の右手が脇腹に炸裂する。
「なにすんだよハル!」
「さすがに今のは少しイラッとしたのっ!」
ぷいっと顎のラインを反るように首を逸らした。唇を尖らせて仏頂面を浮かべている。理解できない御代はただ首を捻る事しかできなかった。
「なんかよく解らんねぇけど、最後にハルが
「……名前?」
「ああ。
「それもそっか。ちなみに、アキラの
「ああ、それは――」
言葉が、止まってしまった。
思い出せないのだ、どうして『アクディート』という名前を付けたのか。
「あれ、なんでだ? 確か、誰かから名前を貰ったような気がするんだけど」
ジクリ、と脳の記憶を司る部分が炙られるような感覚。それは最近よく味わう
「名前って、今決めないとダメなの?」
「絶対って訳じゃねぇけど、ここで言ってもらえると助かるな。
「入力……?」
「
敷本が知らないのも無理はないかもしれない。
「でも名前かー、そんなの急に言われても」
「何でもいいんだ、ハルがぱっと思い付いたもので」
「そんな事を言って……あ、」
何かを思い付いたように目を見開いた敷本は、少し恥ずかしそうな声で、
「じゃ、じゃあ……『ヴィントーク』で」
「ヴィントーク? 何語?」
「な、何語でもいいじゃん! ほら、早く入力して!」
顔を真っ赤に染めた敷本に急かされて、御代は首を傾げたまま
「ありがと、アキラ!」
敷本は幸せそうな顔でそう告げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます