015 / 青い幻
《中等部三年生 十二月》
※ 前回のあらすじ
毎週土曜日の夜に行われるアイオライトの『集会』に参加した
その後、
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「随分とお疲れじゃねぇか、ショージュン」
「……アキラか」
錆びた青いベンチに座って夜空を見上げていた
いつもは自信に彩られた
中等部の制服の上に来ているのはパリッと襟の立った黒いロングコートだ。裾や胸元にベルトのような装飾が施されたデザイン。
「で、何を見ていたんだ?」
「……月を、見ていたんだ。ほら、今日は満月だから」
「本当だ-、すっごく大きい!」
隣にいた敷本小春がうっとりと目許を和ませて、満天の夜空を見上げた。水晶を細かく砕いて散りばめたように光り輝く藍色の天井。その中でも綺麗な円を描いた黄金が煌々と辺りを照らしていた。
少しだけ見蕩れてから、御代は藤郷の正面にある錆びた青いベンチに腰を掛けた。倉庫跡に残っているトラック運転手用の休憩所。壊れた自動販売機と古びた吸い殻入れが放置されている淋しい場所である事も相まって、藤郷の姿は暗闇に溶けて行きそうなほど弱々しく感じた。
「そんなに難航してるのか、第一校区との交渉は」
「……ああ、状況は厳しい。元々一筋縄で行くとは思っていなかったけど、まさかここまで拗れるとはな。風紀委員会が本腰を入れて抵抗してきてる。寺嶋家の圧力を使っても止まらないとは完全に予想外さ、どれだけ連中が
苦々しく唇を歪めた藤郷が、眉間に深い谷を刻んだ。
「じゃあ、本命の『ゴールド』との交渉は……」
「当分先になる、少なくとも今年中ってのはあり得ない。風紀委員会が黙らない限り、寺嶋家は首を縦に振らないからな。界力術の不正使用も
「すごいね、ショージュン。ウチらと同じ歳でそんな難しい話合いに参加してるんだもん。流石に高等部の先輩を差し置いて交渉人に選ばれた時は驚いたけどさ」
「まったくだぜ。今となっちゃ角宮先輩の英断に文句を言うヤツはいねぇけどな」
大きく頷く御代の隣に、目を丸くした敷本が腰を下ろした。二人して見詰めると、藤郷は眉を曇らせて
「やめてくれ、二人共。褒めてくれて嬉しいけど、残念ながら結果はこの様さ。円滑な交渉ができているとはお世辞にも言えないよ」
芳しくない戦況に直面した指揮官のように顔を曇らせた。
「寺嶋家の許可が得られるまではこのまま待機になる。士気と目的意識が下がらないことを祈るばかりだ。安定は巧妙な毒なんだ、蝕まれていると気付いた時には前進を止めてしまっている。束の間の休息が永遠の停滞になりかねない」
「だけど偶には息抜きも必要だぜ? そりゃあ本命の『ゴールド』とぶつかる時に気が抜けてたんじゃ元も子もねぇが、ずっと気張ってたらいざって時にエンジンが掛からなくなっちまう」
「その辺りの
賭け試合を取り仕切るため、人垣から少し離れた位置でメガホン片手に観客を大声で煽る二人の先輩を見ながら、
「普段は
「任せてよ! ね、アキラ!」
「いや俺は、どっちかって言うと裏方の方が……」
「ちょっとアキラっ!」
むー、と頬を膨らませる敷本から視線を逸らす。
できればあまり目立ちたくはないというのが本音だ。裏方として水面下で物事を進める方がスマートだし、多くの人の前に立つ自分を想像できなかった。
「それでショージュン、さっきからずっと気になっていたんだが……」
「なんだ?」
「いや、触れて良いのか解らねぇから訊かなかったんだけどよ……お前の腰に巻き付いている女子はなんだ?」
それは、全体的に小柄で、人形のようにこぢんまりとした中等部の女子生徒だった。
淡い髪色の前髪は眉のラインで真っ直ぐ切られ、立ち上がれば膝裏まで伸びていそうな長髪は丸い髪留めでツインテールに結われている。眠そうな半目には感情の色が薄い瞳。ぽわぽわとした雰囲気は、春の陽射しを浴びる桜の蕾のような可憐さを感じさせた。
「
寝起きと見紛うほどゆっくり首を動かした少女は、小さな口でそう告げた。
着ているのは毛足のあるシープ調のファーコート。サイズが合っていないのか、ピンク色のモコモコに鼻先まで埋もれている。膝裏まで垂れるツインテールも相まって、シルエット的には少女というよりも森の中で暮らす妖精と言った方が正しい。
ピンクの妖精は一人だけ生きている時間が違うと思わせるほどゆっくりとした動作で、眠たそうな半目を藤郷に向けた。
「わたしは、ショージュンの恋人」
「違う」
「……愛人?」
「それは問題になるから止めてくれ」
「むー」
むすっと眉根を寄せた雷峰がぐりぐりと脳天を藤郷の顔に擦りつける。怒りの感情表現なのだろうが、一般的な人間とは生態が違うようではっきりと断言できない。大きな犬が飼い主に構ってもらうためにじゃれついている光景が脳裏に浮かんでくる。隣で敷本がぱあと表情を明るくしてうずうずしているのも気になった。
ツインテールを揺らして接近してくるピンクの妖精を手で抑えながら、藤郷は両親よりも赤ちゃんに懐かれてしまった親戚のおじさんのような顔になって、
「色々と訳があってさ、俺が直接スカウトしてきたんだ。そうしたら、その……すごく懐かれた」
「要するに口説いたのか、やるなショージュン!」
「違う、俺はそんなつもりじゃ……っ!」
「情熱的に迫られた、すっごくドキドキした」
「だってよ」
「……、」
深い溜息を吐くと、藤郷はぐったりとした様子で青いベンチの背もたれに体重を預けて夜空を見上げた。全てを諦めたのか、顔には力ない笑みが浮かんでいる。すかさず幸せそうな表情の雷峰がべったりと引っ付いた。首に手を回したその様子は、木の枝にぶらさがるナマケモノのようだ。
「ウチ、あの可愛い生き物をぎゅっとしたい」
「……ハル?」
「贅沢は言わない、でもあの柔らかそうなほっぺを触りたいプニプニしたいっ!」
興奮気味に敷本は瞳をキラキラとさせ、余すことなく雷峰に熱い眼差しを注いだ。放っておけば本当に飛び付きそうな危うさがあったので、肩を揺すって我に返しておく。
賭け試合が白熱しているのか、広場の方からは大きな歓声が聞こえてくる。キャンプファイヤーの光に照らされて、長い影がアスファルトに幾つも揺れていた。
「……なんか、前よりも人数が増えてねぇか?」
白い吐息交じりに呟く御代に対して、敷本は不思議そうな表情で頷いた。
「ね、ウチもそう思う。知らない顔もチラホラ見かけるし」
「新しく
ピンクの妖精によるぐりぐり攻撃から解放された藤郷が真面目な顔になって、
「どこかのタイミングで名簿を作って管理した方がいいのかもな。今のままじゃ有象無象の集団になりかねない」
「別にそこまで真剣に管理ならなくてもいいんじゃねぇの? 俺達は好きでここに集まっているんだしよ、適当にやりたいようにやろうぜ。規則で締め付けたんじゃまたどっかに軋轢が生まれちまうしさ」
「それじゃあ寺嶋家が提示した条件をクリアできない。寺嶋家が求めているのは厳格な組織による
それにさ、と藤郷は
「やっぱり規則は必要だよ、特にこういう不特定多数が集まるような集団には。俺達が共有しているつもりになっている常識や倫理観なんて簡単にねじ曲る。醜い欲望、個人の
「ショー、ジュン?」
「人間の本質はどこまで言っても『悪』なんだよ、成長する過程で学んだ『善』なんか道端に転がる紙クズよりも軽い! 自分の欲望のためなら平然と裏切るし、要らなくなったら簡単に見捨てる! この世界は唾棄すべき偽善者で溢れている、それのせいで俺は、俺は……っ!!」
慌てて口を閉じた藤郷が、やり切れない感情を噛み潰すように俯いた。長い前髪がさらりと両眼に掛かる。
沈痛そうに顰められた顔を見た瞬間、ジクリと御代の脳が疼いた。
痛み……ではない。記憶を司る部分が熱を帯びるといったような曖昧な感覚。頭を押さえて違和感の正体を探ろうとするが、手を伸ばす前に霧散してしまった。
「俺はただ、この居場所を守りたいだけなんだよ」
楽しそうに騒ぐ
「失いたくない、なくしてしまうのが怖い……初めてなんだ、こんな気持ちは。終わりがあるのは解っている、思い出しか残らない事だって知っている。綺麗事だけじゃ世界は回らないから。それでも俺は、遙か先の未来よりも、眩しい今を大切にしたいって……きっともう二度と手に入らない青春の幻影を見続けていたいんだって、そう考えてしまうんだ。おかしいよな、長い先の未来から見れば、幼くて、愚かで、どうしようもない選択なのにさ」
「ショージュン、ちょっと手を出せ」
「……?」
きょとんとした顔になる藤郷に構わず、御代は青いリストバンドを重ね合わせた。
「アキラ……?」
「俺から言えるのは一つだけだ。お前が何をそんなに悩んでいるのか知らねぇけど、一人で抱え込んでんじゃねぇよ。苦しんでるなら、俺はお前の力になってやる。もっと頼ってくれよ、俺達は仲間なんだから」
「はは、アキラはよくそんな恥ずかしい事を真顔で言えるな。でも懐かしい……昔、同じことを友達に言われたから。あの時は解らなかったけど……こんなに頼もしいんだな、背中を預けられる仲間がいるっては」
藤郷は噛み締めて言うと、
「アキラ、俺が道を外れていると思ったら全力で止めてくれ。俺はずっと考えている、考えて、考えて……その結果で導き出した最適な未来を選択しているつもりなんだ。だけどいつも正しい選択をできるとは限らない、俺は角宮先輩みたいにはなれないよ……だから、」
「オーケー、ぶん殴ってでも間違いに気付かせてやる。それが右腕たる俺の仕事だ」
にっ、と快活に頬を持ち上げた御代は藤郷と笑みを交換する。気恥ずかしさと、嬉しさが入り交じった心地良い感情が胸の中に満ちていく。気付けば、二人して声を上げて笑い出していた。
「ビー、エル?」
「違うよ、あれはきっと青春だよ」
急に辺りに喧騒が満ちてきた。どうやら本日の賭けバトルが終了したようで、
「あれショージュン、恭介さんはどこにいるんだ? 一緒に交渉から帰ってきたんだろ?」
「角宮先輩なら『会議室』にいると思うけど。
「そっか、呼んでくるよ」
ベンチから立ち上がった御代は倉庫の中へと入っていく。
体育館程の大きさの広い空間だ。天井に付いた大きな電球は明かりを灯しておらず、天窓から入ってくる月明かりだけが暗闇を黄金に引き裂いていた。壁際には段ボールを乗せるパレットや錆びたコンテナが放置されいる。蓄積された土埃がふわふわと舞っていて空気が悪い。あまり長居したいとは思えなかった。
「……?」
倉庫の奥にある小部屋の前に着いた所で違和感に気付いた。少しだけ扉が開いているが、物音が全く聞こえてこないのだ。小窓からも明かりが漏れているため角宮と佳純がいるのは間違いがないのだが。
不審に思い、扉の隙間から小部屋を覗き込んで――絶句した。
「(な、なな――!?)」
ツヤのある整髪剤でオールバックに決めた角宮恭介は、実直さのある鋭い顔付きに優しい笑みを浮かべていた。その太い胸板に佳純は体を預けている。暗い色のショートカット、聡明さが滲み出る落ち着いた物腰。大人びた優美な顔付きを幸福色に染め上げるその姿は、まるで戦いから帰還した騎士を柔らかく包み込む姫のようだった。
「(なななななんだこの光景はあああああああ!?)」
慌てて扉の陰に身を隠す。バクバクともの凄い勢いで早鐘を打つ鼓動。見てはいけないモノを見てしまった罪悪感がぎゅっと心を締め付けてくる。
「(やっぱあの二人はデキてんのか!? いやそんな気はしてたけど!! 不意打ちにも程があんだろうがっ!!)」
ここは大人しく立ち去るべきだと良心が叫ぶが、御代も思春期ド真ん中の中等部三年生。色恋沙汰には色々と興味津々なお年頃である。理性が抵抗するも欲望には逆らえず、ギギギギギッと強力な磁石に引き付けられるように硬い首が扉の隙間へと向いてしまう。
ちらり、と。
佳純が妖艶な笑みをこちらに向けた。
「(気付かれた――!?)」
咄嗟の事で動けない。ただ気まずさが電流となって全身を痺れさせる。
しかし佳純は特に気にする様子なく、ふふっと頬を緩めて再び角宮へ向き直る。ほっと安堵に胸を撫で下ろしつつも、緊張でかあぁと顔に熱が集まった。
色々と謎の多い先輩だ。
初対面の時に名字は秘密と言われたせいか心に距離がある。アイオライトの創設メンバー。特に関わる事情がないこともあるが、まだあまり話した事はなかった。
「うわ、約束の時間を忘れて二人でイチャイチャしてるっス」
「ホントだねー、これはしっかりと後生まで記録に残しておかないと」
「!?」
いつの間にか背後に
「か、狩江先輩!? いいんですか、動画を撮っちゃっても!」
「いいんだよアッキー、色恋に
ふっふっふー、と何やら怪しい笑い声と共に狩江はピントを合わせていく。近所の仲の良いお姉さんという印象だったが、思った以上に精神年齢は幼いのかもしれない。隣では売れないバンドマンのような見た目の草薙が肩を竦めていた。
「アニキも基本的には真面目なんスけどね、たまあーにこうして流れとか感情に身を任せる時があるんスよね」
「そうそう、この前だってなかなか待ち合わせの時間に来ないと思ったらカスミンとべったりチューしてたし!」
携帯端末から視線を外した狩江が、隠してあったお菓子を家族に食べられたような声音で、
「そこまでイチャ付きたいならもう宣言しちゃえばいいんだ! 俺は佳純と付き合ってるんだ、だから邪魔しないでくれ……って! そこまで言えば考えてあげるのに!!」
「アニキ、これで周りには隠せているって思ってるみたいっスから。聞こうとしても適当にはぐらすし。佳純さんの方は色々全部理解した上で楽しんでいるみたいっスけど」
「何とかして認めさせたいね……あ、そうだ! いっその事、これまで撮った動画を編集して上映でもしちゃうってのはどう? これなら頑固な恭ちゃんも否定できないし!」
「いいっスね姐さん、あっしも手伝うっスよ!! あっしが撮り溜めたアニキの恥ずかしい動画フォルダが火を噴――」
「ほぅ、テメェら何を上映するって?」
怒りに満ちた低い声が倉庫内の薄暗い空気を静かに震わせた。
額に青筋を立てた角宮恭介が扉を開けて部屋から出てきた。茹でたように顔を真っ赤にしながら、ピクピクと眉を強張らせている。
……あ、終わった。
自然と、爆発までのカウントダウンが御代の脳内で響き始めた。
「うわあああ恭ちゃんに見つかった!! 逃げるよ二人とも!!」
「合点っス!! ほらアキラ君も早く!!」
「お、俺もなんですか!?」
草薙に手を引かれて立ち上がった御代は文句を口にしながらも走り出す。
「おいおいテメェら、人の秘密をからかったんだ――相応の覚悟はできてるんだよなあ?」
「いいじゃないっスか少しくらいからかっても!! あっしは羨ましくて嫉んでいるだけなんスから!!」
「そうだそうだ! 恭ちゃんの
「テメェら絶対……ぶちのめすッ!!」
怒りからか、恥ずかしさからか。顔を真っ赤にした角宮が、全身から紫色の
そして、数秒後。
三人は紫色という
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