第17話 変わらないもの

《高等部二年生 六月》


 ※前回のあらすじ


 パトロールをしていたしろあきら――アキラは、一年後輩のであるきりさわなお――ナオヤと共に投棄地区ゲットーの端へとやって来る。第二校区との緩衝地帯への境界線である金網フェンスを見た途端、強烈な既視感デジャビュに襲われて膝を付いてしまった。

 そこへ偶然現れたらいほう――ライメイとうえごう――ゴウキ。争う気はないという立場を示した後で、ライメイは真剣な表情で告げたのだった。


「アイオライトに戻って来てよ、それがショージュンの願いなんだから」


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 六月のとある土曜日の午前中。

 薄っすらと灰色の雲が掛かる青空の下、アキラは『アイオライト』のメンバーであるライメイとゴウキと向き合っていた。少し離れた場所ではナオヤがじっと三人の会話を見守っている。


 場所は第一校区の投棄地区ゲットーの端。膝下まで伸びた下草がじっとりと湿度を含む南風に揺らされている。周りを森に囲まれた開けた場所に広がる草の湖。中央には樹齢百年を超えると思われる老木が立ち、その少し先では第二校区との緩衝地帯の境界線を示す金網フェンスが伸びていた。


「俺にアイオライトに戻って欲しい? それが、ショージュンの願いだと……?」


 アキラは顎を伝う汗を夏服の裾で拭いながら、眠たそうな半目に力を入れたライメイに問い掛けた。


 それは、アキラが望んでいた結末。

 風紀委員会と協力するという最悪の選択肢を取り下げさせる。かどみやきょうすけが残した理想を取り戻すためには、ショージュンと和解するしかないと考えていたところなのだ。向こうから歩みよってくれるなら願ったり叶ったりである。

 

「それ、本当にショージュンがそう言ったのか?」

「言った訳じゃない……でも、私には解る。いつもショージュンの隣にいるから」

「……悪いなライメイ、そんな都合の良い話は信じられねぇよ」


 アキラの低い声を受けても、ライメイは一切表情を動かさなかった。膝裏まで伸びるツインテールが梅雨の風に揺れている。


「俺はショージュンの意見に真っ向から反発したんだぞ、それも会議の途中で無理やり退室する形でな。俺達の意見には妥協点が見えない程に深い溝がある。アイツからすれば俺は邪魔者だ、戻って来て欲しいなんて思う訳ねぇだろうが」

「今はそうかもしれない……でも、これからは? 私が言っているのは全ての問題が解決した後の話」


 しかし、ライメイは一歩も引かなかった。


「ショージュンにはアキラが必要だよ。困った時、悩んだ時、立ち止まった時……いっつもアキラを頼ってた。自然と二人は並んで歩いていた。それに、どれだけ望んでも私達じゃあアキラの代わりにはなれないの。ショージュンが倒れないように支えてあげることはできない……!」

「それは過大評価だ。ショージュンは変わっちまったよ、昔のアイツとは別人さ。昔は同じだった歩幅も今じゃズレている、無理やり合わせようとすればどっちかが転んじまうだけさ。俺を必要にしているとは思えねぇ……いや、俺だけじゃねぇか。今のアイツは誰も必要としてねぇんだ、自分しか信じられないんだよ」


 口にする度に、大切な思い出がベリベリと心から剥がれ落ちていくような感覚に苛まれる。大切な思い出が灰色に染まり、隣にいたはずの親友の顔にもやが掛かっていく。


「……変わってなんか、いない」


 ライメイは絞り出したような声で言った。 


「ショージュンは、ずっとショージュンなんだよ。あの時から……ううん、きっともっと前から何も変わってない。だからっ!」

「だったらどうして、風紀委員会と手を組むなんてふざけた選択肢を持ち出せるんだよ……本当にアイツが昔のままで、恭介さんの理想を追い求め続けてるってんなら、そんな最悪な選択肢を持ち出すはずがねぇだろ!」


 言葉に鋭さが加わる。

 想いを閉じ込めていた心の蓋に亀裂が入り、隙間から感情が溢れ出していく。


「何かあったんじゃねぇのかよ!? 俺達の知らない事情が、アイツの行動の軸を変えちまうような出来事が! 俺はとうごうしょうじゅんについて詳しく知っている訳じゃねぇ……どうして投棄地区ゲットーに来たのか、不良生徒ストリーデントをやっているのか、何も知らねぇんだよ。変だよな、あんなに近くにいたのに……何が本物の居場所だ、こんな薄っぺらい繋がりは偽物だ。俺が欲しかった……あの時に憧れたモンはこんなに弱くなかった!」


 記憶の中で、今もまだ燦然と輝く光景がある。

 かどみやきょうすけくさなぎろうかりなみが一つの生き物のように見えた瞬間。初めて青いリストバンドを重ねてもらった時の熱い感覚。

 

「だからって、ショージュンを見捨てるの?」

「……は?」

「解らないから、知らないから……そうやって言って遠ざかるの? やめてよ、そんな無責任なことは。居場所は一人でも欠けたら別物になるんだよ。パズルと同じ、たった一つでもピースをなくせば二度と完成しなくなる」


 ――本当になくしたくない繋がりはちゃんと残ってるよ。


 以前、ハルにも同じような事を言われた。居場所とは、そこに所属する仲間によって構成されているという考え方。あの時は肯定も否定もしなかった。


 だけど、今は違う。


「俺の居場所パズルはもう完成しねぇんだよ、例えあそこに戻ったとしてもな」


 共に過ごす仲間の存在は大切だ。

 ショージュン、ハル、ライメイ、ゴウキ、それに他の仲間達。かどみやきょうすけすみくさなぎろうかりなみ。彼らとの関係性が好きだったからこそ、共有する時間が心地良かったからこそ、アイオライトという居場所を大切に思っていたのも紛れもない事実なのだ。


 だけど、それが全てではない。

 本物の居場所の条件は――他にある。


「今のままじゃ俺の居場所パズルは完成しねぇ、無理やりピースを押し込んだとしてもでき上がる結末イラストは思い描いていた理想とは全くの別物だよ。歪で、濁っていて、脆い……そんな偽物に興味はねぇ、俺が欲しいモノとは掛け離れている」


 思い出せ――何が欲しくて、退屈な教室から飛び出してきた?

 自覚しろ――何に憧れて、苦しい想いをしてまでもここに居続けた?


「ようやく腹が決まってくれた……俺がどうするべきか、どんな選択なら納得できるか、やっと解ったよ」


 決然とした顔で、アキラは真っ直ぐ告げた。

 

「俺は絶対に止まらない。納得できない結末しか待ってねぇって言うなら変えてやる。かつてバラバラだった投棄地区ゲットーを青色に染め上げた恭介さんのように! 今度は俺が投棄地区ゲットーを作り直してやる!! もう一度、本物の居場所を手に入れるためにっ!!」

「アキ、ラ……?」


 ライメイは驚愕に目を剥いて固まった。後ろに立っているゴウキの顔からもニヤニヤとした笑みは消えていた。彫ったように角張った顔立ちを怒りに歪めて、小造りな両目にぐっと力を入れる。


「おいクソ野郎、どうしてお前は邪魔をするんだ?」

「あぁ?」

「アキラ、お前はいつもそうだ。普段は一歩離れた位置から俯瞰してるくせに、心だけはでもショージュンの近くにある……当たり前のようにショージュンの隣に立っていやがる! そこはなあっ、俺が、俺達が、どれだけ望んでも立てない場所なんだ!! 出しゃばるな。ここから先は資格を持たないお前が踏み入っていい領域じゃない! お前の一言でどれだけの葛藤が――」

「ゴウキっ!!」


 ぴしゃり、とライメイが鋭い一喝を放つ。

 迫り上がる言葉を必死に口に押し止めるために、ゴウキはギリギリと強く歯軋りした。瞳で燃え上がるのは黒い感情。けんせんを突き刺すように鋭く両眼を細めた。


「やっぱり、お前らショージュンの事で何か隠してるだろ?」


 低い声で問い掛けるアキラに対し、二人は口を引き結んで視線を逸らすだけだった。


「答えられねぇか……いいよ、だったら直接本人に訊いてやる。行くぞナオヤ、もうここに用はねぇ」

「アキラ、待って!」


 ライメイの制止を振り切って、アキラは踵を返して歩き出す。ナオヤは戸惑うような素振りを見せつつも、ガザガザと膝下まで伸びる草を掻き分けて駆け寄ってきた。


「いいんですか、あんな別れ方をしても……?」

「ああ、問題ねぇよ。それにこの程度で壊れるような繋がりなら俺の欲しいモノじゃねぇからな」


 湿った南風が吹き荒れ、左右に分けた前髪が瞳に入りそうになって瞼を閉じた。背中で一本に括った長髪が暴れる。

 先ほどまで晴れていたのだが、重たい雲が湿った南風に運ばれてきて空を灰色に塗り潰し始めた。急がなければ雨に降られそうだ。草原を抜け、土が剥き出しの砂利道を歩いていく。夏を予感させる気温はじっとりと不快な湿気を帯び、周囲の森の緑が濃くなった気がした。


「なあナオヤ、居場所ってなんだと思う?」

「……居場所、ですか?」


 ナオヤは顔を伏せ、腕を組んだ。背中に回した長細い巾着袋が引っ張られて音が鳴る。さらりと纏まる前髪が掛かった両眼には、考え込むような深い色が浮かんでいた。


「昔は与えられるものでした。目の前に提示されて、それをただ受け入れるだけ。だから何も疑問に思わなかったです。これが当たり前なんだって思ってました。でも、今は違います」

「……、」

「居場所は手に入れるものだと思います。自分で手を伸ばして、傷付いて、それでも前に進んだ先にある暖かい空間。その選択に自分の意志がなければ価値なんてないんです、『彼ら』と出会ってそう考えるようになりました」

「……そうだな、その通りだ。だったら、俺も逃げずに向き合わねぇと」


 劣化して岩肌のようにボコボコになったアスファルトの道路を踏みしめる。

 思い出すのは、一週間前に非通知で電話を掛けてきた風紀委員会直属部隊『とくはん』に所属する冷徹女――なかはらすずの言葉。

 

 ――投棄地区ゲットーで起きている全ての不和の原因、諸悪の根源はとうごうしょうじゅんです。


 あの時、証拠は提示されなかった。だからアイオライトに不和をもたらすための方便だと切って捨てた。投棄地区ゲットーで共に歩んできた親友を疑いたくないと思い、その可能性を意図的に思考の外へと追いやった。


「(情報だけに惑わされるな、本質を見極めろ。ショージュンは投棄地区ゲットーを変えるために行動をしている。その大前提を忘れたら正解には辿り着けねぇぞ)」


 なくしたくない、失うのが怖い。

 満天の星空の下、楽しそうに騒ぐアイオライトの仲間を眺めてショージュンが呟いた言葉。苦悩しながらも必死に前に進んでいたショージュンの想いだけは、嘘になんかしてやらない。


「(見方を変えろ、視点を増やせ。凝り固まった常識と情けねぇ願望なんか捨てちまえ! 勝手な悪意で視界を曇らせてるのは自分なんだ、もっと世界をクリアに俯瞰しろ!!)」


 もし、だ。

 投棄地区ゲットーで起っている不和の原因が全てショージュンだと仮定して。それが、限界まで悩んだ末に導き出された苦肉の策だとしたら?

 せっかく統一した勢力を分裂させて、冷戦状態を維持させて、風紀委員会と手を結ぶことまで考えて……それがずっと追い求めてきたかどみやきょうすけの理想と反すると理解していても、必死に前に進もうと藻掻いた結果なのだとすれば?


 そして、そのような選択をしなければならない程の理不尽が、ショージュンに襲い掛かっているのだとしたら?


「(まだ、可能性はある!)」


 きっとショージュンには何か事情がある。行動の軸を変えざるを得なかった出来事があったのだ。そして今もなお、その『何か』によって苦しめられている。アキラに助けを求められないような『理由』がある。


 ならば、やるべき事は一つだ。


「(ショージュンを救い出す! アイツを苦しめている理不尽の正体を見つけ出して、俺がそいつをぶっ壊す! そうすればアイオライトは前みたいに戻ってくれるはずだ!!)」

 

 古びた道路の先に二階建ての小屋が見えてきた。アイオライトの活動拠点だ。

 工事現場にある仮設小屋を少し頑丈にしたような見た目の建物。にびいろに錆び付いたトタンの外壁が廃工場のようなさびしさを滲ませている。相変わらず、一階部分の倉庫のシャッターは閉まっていた。この時間なら、ショージュンは二階の会議室にいるはずだ。ライメイとゴウキが帰ってくるまでに話を終わらせる。目の前まで近づいた所で、隣を歩くナオヤに視線をやった。


「悪いナオヤ、今日はここまでだ。これから大切な話をし――」


 カン、カン、と。

 塗装の剥がれた金属製の階段を降りてくる誰かの足音が響く。


 ちょこん、とした小柄な女生徒だった。

 くりんとした両目に、きらりと光る口許の八重歯。誰かの借り物なのかサイズの合っていない高等部の夏服を着ている。先っぽが内側にカールした金髪はショートカットで、瞳は翡翠のような美しい緑色だった。何よりも目立つのが頭に乗っているネコミミである。手触りが良さそうな毛並みに覆われており、猫をイメージしているのか頬にはヒゲを模した三本線がペイントされていた。

 日本人……ではないだろう。顔立ちが欧州を思わせる異国風。界術師は日本にしか生まれないはずなのに、どうしてラクニルに外国人の少女がいるのか。しかも立入禁止扱いになっている投棄地区ゲットーで当たり前のように振る舞っているのだろうか。瞬時に幾つもの疑問が脳内を駆け巡る。


 だが、重要な点は謎の金髪少女の素性ではなかった。


「お、ナオヤちゃん! 久しぶりだにゃあ、元気してたかい?」


 階段を降り切った途端、金髪少女は満面の笑みで手を振った。

 対するナオヤは唖然としていた。両目を限界まで見開き、わなわなと唇を震わしている。何事にも動じなかったナオヤが浮かべた初めての焦燥と驚愕。それが状況の異常さを更に際立てた。


「どうして、ここに……?」

「おいおい、ドウシテは酷いなマイフレンド。こうなる事は予想できたはずだぜ? まあいいや、ここで会ったのも何かの縁だし一つだけ忠告してやろう」


 ニヤニヤと楽しそうに笑ったまま、凍えるほど冷たい声で言った。


?」


 ピシィッ! と空気が固まった。

 動けなくなったアキラをみどりの瞳で一瞥する金髪ネコミミ少女。直後、目にも留まらぬ速度で森へと消えていった。「ニハハハ!!」という高笑いだけが遠くから響いてくる。


「くそっ……アキラ先輩、俺はあいつを追うのでここで失礼します!!」

「あ、ああ」


 ぎこちなく頷く頃には、すでにナオヤは赤い燐光を残して走り去っていた。ガサガサと木々の揺れる音だけが静寂を取り戻した空気を弱く揺らしている。


「なんだったんだ、あいつら……?」


 疑問は尽きないが、立ち止まっている余裕はない。アキラは神妙な顔で小屋を見上げる。


「……よし、行くぞ」


 意を決して、赤い階段を上っていく。

 完全に灰色に染まった空から、ぽつり、と黒い雨が落ちてきた。

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