第10話 赤い風
《高等部二年生 六月》
※ 前回のあらすじ
どのような方法にするべきか考え始めた矢先、風紀委員会直属の精鋭部隊である特殊任務遂行班――
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『現在、
ザーザー、と。
劣化して岩肌のように荒れ果てたアスファルトの道路を叩く雨音が、一段と大きくなった気がした。薄暗い森の中でアキラの脳内が真っ白に染まる。
「……は?」
理解が追い付かない。
今、この女はなんと言った?
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
第一校区の風紀委員会直属部隊『特殊任務遂行班』――
「じゃあ何か? アイオライトが分裂して冷戦状態になっているのも、正体不明の何者かが暗躍しているのも、アイオライトが風紀委員会と手を結んでいるなんて噂が飛び交っているのも、全部ショージュンが裏で手を引いているって言うのか?」
『ええ、そのように申し上げました。実際に
藤郷将潤の力――精神術式『
「いつも藤郷将潤の隣にいる貴方ならよく解ると思いますけどね。性格や能力を鑑みても、彼以外にこのような状況を生み出せる
「ふざけんな、あんまり適当なこと言ってんじゃねぇぞ風紀委員! テメェは大きな勘違いをしてるぜ!!」
携帯端末を握る右手に力が入る。
許せなかったのだ。何も知らない相手に、理屈だけで大切なモノを踏みにじられたことが。
「ショージュンは自分の意志で恭介さんからアイオライトを引き継いだんだ。アイオライトを……
『へぇ、貴方はそういう反応をするんですね』
アキラの剥き出しの敵意を受けても、冷徹な声音は変わらなかった。
『てっきり、貴方は私の話に賛同してくれるものだと思っていましたよ。貴方には藤郷将潤を疑う理由がありますから』
「頭湧いんのか? どういう思考回路を辿ったらそんな結論が出てくるんだよ」
『……それで、隠しているつもりなんですか?』
「あ?」
重要な情報が欠落しているせいで、二人の認識に齟齬が発生している気がした。回っていると思っていた歯車が、歪に噛み合って辛うじて動いているだけだったと判明したような違和感がチクチクと脳を刺激する。
『貴方がそのつもりなら、こちらも対応を変えましょう。なに、簡単な推理です。会議でも二人の意見は割れていましたし、すでに藤郷将潤を見限って一人で行動を開始していると予想しただけですよ』
「……テメェ、どうして会議の顛末を知っている?」
会議が始まる前、小屋跡の周囲の状況は
『知っているも何も、むしろ何故警戒していなかったのか聞きたいくらいです。界力術を使った盗聴、電子的な手段、通信用の
冷たく突き放すような声音で冷徹女は続ける。
『それにしても、
「……なに?」
『学校生活で居場所を失った
「……、」
『
「そうかい。別にお前の考えを否定する気はねぇよ、そうやって思われている事は昔からよく知っているからな。風紀委員のエリート様からすれば、俺達みたいな底辺は道端に転がってるゴミと同じだとしか思えねぇってのも理解してやれる……だけど、だとしてもっ!」
アキラの声に怒りの炎が灯る。
「撤回しろよ風紀委員、俺達の繋がりに価値がないとだけは絶対に言わせねぇ! 俺が、俺達が、必死になって守ろうとしているモンを否定させる訳にはいかねぇんだよ!!」
脳裏に浮かび上がるのは強い憧れ。
「
『……、』
「確かに今は意見が割れてるし、
『そう思いたいだけではないんですか?』
突き刺すような反論が飛んでくる。
『貴方の言葉には多くの願望が含まれています、しかも実現しようのない類いの理想が。アイオライトを、
「……黙れ、」
『
「黙れよッッッ!!」
稲妻のような激昂。
電話の向こうで中原が口を噤んで黙ったのが伝わってきた。
「知ったようなクチを利いてんじゃねぇよ……俺は、俺はそんなんじゃ……っ」
胸の中で様々な情念が混ざり合う。まるで大量のインクを適当にバケツに入れたようなマーブル模様。どれが自分の本心か解らない。処理仕切れない感情が心から溢れ出し、遅効性の毒のように全身をゆっくり蝕んでいく。
『それと、貴方は一つ大きな勘違いをしています』
冷酷な上位者は何事をなかったかのように、
『我々「特班」は風紀委員会とは存在意義が異なります。ですから、
「っ、じゃあ何が……!」
『
「だからテメェら『特班』を信用しろと? ふざけんじゃねぇよ、都合が良いにも程があるぜ冷徹女」
吐き捨てるように言い放つ。
「俺とテメェらの道は完全に
ザーザーと、雨音が無言の空間を埋めていく。先に重たい沈黙を破ったのは中原美鈴だった。
『そうですか、解りました。残念ですが、貴方がそのつもりならこちらもプランを変えるだけです。では最後に一つだけ伝えておきます、これも私の役割なので』
一度言葉を切った中原は、わずかに失望したような声音で、
『我々「特班」は貴方をスカウトしたいと考えています、
「……は?」
『私個人としては貴方の素質には疑いがあるのですが、組織の意志なので仕方がないんです。ですから、アイオライトや
「ちょ、ちょっと待て! それはどういう意――」
ブチッ、と通話が切られた。
黒く染まる携帯端末の画面を眺めながら、アキラは眉を顰める。
「一体、
咀嚼できない言葉が耳に残ったままだ。風紀委員会と言えば本家や分家関係者の巣窟である。一般生徒であるアキラをスカウトする理由がない。
「クソ、何もかも蚊帳の外じゃねぇか……」
どの問題にも片足しか突っ込めていないのに、否応なく当事者として扱われてしまっている。解決するためには闇の底に深く切り込む必要があるのに、どのようにすれば核心に迫れるのか想像も付かない。
これではまるで、映画や小説などの創作物で巨大な陰謀に巻き込まれた一般人だ。重要な秘密を知ったはいいが、それを活かす術を持たない。都合良く主人公に助けられれば立派な
暗い表情のまま、アキラは雨に濡れたアスファルトを進んでいく。噎せ返るような濃い緑の匂いが鼻孔にまとわりつく。
「――ッ!?」
ガサガサガサガサガサッ!! と。
明かに複数の人間のものと分かる足音が雨音に混じったのはその時だった。
反射的に腰のホルスターからアクディートを引き抜いて
そこへ。
ズガガガガガガガッッッ!! と無数の光の弾が連続して撃ち込まれる。
アサルトライフルを模した
「誰だ!」
窺うような間が空いてから、三人の男子生徒が木立の陰から出てきた。全員が高等部の夏服を着ており、その内の二人はアサルトライフルのような形状の
「テ、テメェらは……!?」
全員が現アイオライトのメンバーだ。先ほど行われた非公式会議には呼ばれていないが、
「どういうつもりだ、なんで俺を攻撃した!」
「
アサルトライフルを持っていない短髪の男子生徒が恨みがましく告げる。
「情報が回ってきたんだよ。お前が藤郷に黙って風紀委員会と手を結んでいたってな!」
「……は?」
「知らない間に随分と演技が上手くなったじゃないか。でも騙されない、お前が黒幕……アイオライトと風紀委員会を繋いでいる張本人だってのは知ってるんだよ!!」
「何言ってんだ、そんな訳がねぇだろ!」
必死の形相を浮かべて、アキラは叫んだ。
「根も葉もない噂を信じてんじゃねぇよ! 俺はそんな事はしてねぇ、本当だ!! 風紀委員会と手を組むなんて、恭介さんの理想を受け付いた俺は絶対にしない!! そんな事くらい、勢力が分裂した後でもアイオライトに残ったお前らなら解るだろ!」
「仲間の振りをするなよ、この裏切り者が! 悪いが弁解の機会を与えるつもりはない!」
短髪の顔が燃えるような憤怒に染まる。黒い雨に濡れた景色の中でも、その眼光だけは色褪せずに狼狽するアキラをしっかり捉えていた。
「(何がどうなってやがる!? 俺が黒幕だって、どうしてそんな勘違いが生まれちまったんだ!?)」
致命的なズレがある。
歪な音を立てて錆びた歯車が周り続けている。
脳裏に浮かび上がるのは一つの可能性。
先ほど風紀委員の
「(そんな訳がねぇだろ、ショージュンがあいつらを
苦しそうに唇を噛むアキラに対し、短髪は更にもう一歩踏み出した。
「これは第一歩だよ、角宮先輩の理想を実現するためのな。アキラを排除して風紀委員会の圧力をなくせば
「……戦争を、始める?」
「何を考えてるんだ、そんなもんショージュンが認める訳ねぇだろ! 恭介さんは暴力を使わなかった、理不尽で相手を縛り付けなかった! 話し合って、妥協点を見つけて、時間を掛けて納得してもらったんだ! 勢力を統一してあの頃と同じ状況にするだけじゃ意味がねぇんだよ! それじゃあやってる事は風紀委員会と同じじゃねぇか!!」
「そんな甘い考えじゃ目的は達成できない! 目的を達成したいなら無理やりにでも前に進むべきだ! 角宮先輩が俺達に示してくれたように!!」
「違う……違うんだ! 恭介さんの理想はそんなんじゃ
なかった! という言葉は途切れる事になる。
がさがさっ!! とすぐ隣の森から新手の男子生徒が飛び出してきたからだ。
「(隠れて移動してきやがったのか!!)」
アサルトライフル型の
だが、次の一手には対処できなかった。
「(界力、術……っ!?)」
矢のように放たれた一条の光がアキラの胴体を貫いた。為す術なく吹っ飛んでいく体。濡れたアスファルトの道路の上を転がり、岩肌のように硬い表面で全身を殴打する。地面に溜まった雨水が口の中に入り、不快な土の味が舌全体に広がった。
視界の端に映ったのは、短髪の生徒が両手で編み出した
残りの三人はアサルトライフル型の
「(ふざけんな……どうしてこんな展開になるんだよっ!)」
目的を共有しているはずなのだ。
「認めねぇ……っ!」
土の味がする雨水を吐き出し、砕かんばかりの勢いで歯軋りをしたアキラが起き上がる。
「絶対にこんな結末は認めねぇ! ここで終わって堪るか!! 俺は
三人と、アキラが、引き金に指を掛けるのは同時だった。圧倒的な戦力差による蹂躙が、一方的にアキラを飲み込――
「――っ!?」
それは、一陣の風だった。
降りしきる雨粒と重たい雰囲気を吹き飛ばす鮮烈な赤い突風。
気が付けば。
アキラを取り囲んでいた生徒が全てアスファルトの上に転がっていた。
「……な、にが?」
動揺に霞む視界に入り込んできたのは、火の粉のように舞い上がる赤い燐光。灰色の空も、森の闇が染み込んだ景色も、全てが夕焼けのような赤に染まっている。
吹き荒れる赤い風の中心にいるのは、高等部の夏服を着た男子生徒だった。
中性的な見た目で、さらさらとした黒髪が風に揺れている。線の細い顔立ちにはあどけなさが残っているが、黒い瞳は海のような深さを感じさせる。鋭い目付きのせいか雰囲気には冷徹さが滲んでおり、その佇まいは洞窟の奥深くで燐光を放つ水晶のようだった。
「
研いだ刀剣のように鋭い空気を纏う男子生徒は、雨の中でふっと唇を綻ばせた。
「つい先日『
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