009 / 憧れ
《中等部三年生 十月》
※ 前回のあらすじ
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廃ビルの駐車場。劣化して亀裂の走る黒いアスファルトは岩肌のように表面がボコボコとしていた。四階建ての白いビルの外壁に這い回っているのは植物の
つい先刻までは騒がしかったこの場所も、今は穏やかな静けさに包まれている。ブロンズ――御代をエサとして風紀委員会に差し出そうとしていた
「それで、アキラはどうするんだ?」
近寄ってきた
「どうする、って?」
「このままアイオライトに入るのか、それとも普通の学校生活に戻るのか、決める必要があるだろ?」
品のある顔立ちに、聡明さが滲む言葉遣い。荒っぽい連中が多い印象の
「その話、あたしも気になる!」
お団子頭の
「えーと、
「あ、あっきー……?」
「にしても大きいね、何センチくらいあるの?」
「……身長ですか? だったら、前の測定の時は185を越えたくらいでしたけど」
「でかっ!? あはは、アッキーの隣に立つとジローがより小さく見える!」
「ひ、ひどいっスよ
狩江の隣にいる
全体的に小柄でパンクな上級生。刈り込まれた短髪には赤いメッシュが入り、顔立ちには色濃く幼さが残っている。夏を前にして日焼けしたように肌は焦げ茶色だった。狩江の言う通り長身痩躯の御代と比べると草薙はかなり小さい。制服を替えればどちらが歳上か解らなくなるだろう。
「それで、アキラ君はどうしたいんスか?」
「どうしたいって言っても……そもそも『アイオライト』って何ですか? 造語?」
「さあ? ジローは知ってる?」
「知らないっスよ、そんなこと。何か知らない間にそう呼ばれてたんスから」
「
溜息交じりに藤郷が口を挟んだ。
「別名『ヴィジョンの石』。光に当てる角度によって色を三つに変える特性を持っています。中でも青色は美しくて、輝いた方向に船を進めたなんて逸話も残っていますね。実際は羅針盤のような機能はなくて、当時の船乗りも御守り代わりに使っていたみたいですけど」
「ちょっとジローさんや、相変わらずショーちゃんはすっごく物知りなんだけど。なんで創設メンバーのあたし達が知らないことを知ってるの?」
「違うっスよ姐さん。ショージュン君がすごいのは合ってるっスけど、加えてあっしらがアホなんスよ。比べる方が失礼っス」
狩江と草薙がチラチラと視線を寄越しながら、わざとらしく小声で会話を始める。明らかにからかっているのだが、扱いに慣れているのか、当の藤郷は全く気にしていなかった。
「
「ちょっとジローさんや、あの子すっごくクールなんだけど。あたし達を無視してきたよ」
「違いますぜ姐さん、最近の子はみんなこんな感じなんス。むしろあっし達がおかしいんスよ」
「……二人とも、流石に俺でも怒りますよ?」
「――ふっ」
思わず、御代は笑みを零してしまった。
「アキラ?」
「悪い、ついな。でもなんて言うか……いいよな、こういう雰囲気」
いつも違和感があった。
教室で友達と笑っていても、休日に
全ては、分厚いガラスの向こう側。
同じ空間にいるはずなのに、なぜか素直に感情を共有できない。テレビで上映している青春ドラマを見ているような気分。その居場所の中に自分が立っているとはどうしても認識できなかった。お笑い番組を見ていて家族全員が笑っているのに、自分だけ面白さが理解できない状況と言えば伝わるだろうか。
多分、その関係に価値を感じなかったのだ。
効率的な生き方を信条とする
「(だけど、ここなら……大きな目的があって、確かな繋がりがあるアイオライトなら!)」
きっと、自分の青春を全て費やすことになっても後悔しない。一瞬の輝きすら大切だと感じられるかもしれない。和を乱さないように神経を擦り減らし、楽しい振りをしていた教室での繋がりとは違う。心の空白を埋めてくれるような本物が、ずっと探していたモノが、アイオライトで見つけられるような気がした。
「軽率な判断は後悔しか生まないぞ」
藤郷の鋭い視線が、真っ直ぐに御代を貫く。
「まだ帰ることができるなら、お前は元の場所に戻るべきだ。
「そうかもしれねぇ……でも、こういう理不尽をなくすためにアイオライトは戦っているんじゃねぇのかよ。だったら、俺だって……っ!」
「その通りだ、アキラ」
近づいてきた
「アイオライトの目的は
「だとしても、そんな事をどうやって……? 確かに角宮先輩は強いですけど、ただ殴る蹴るだけじゃ……」
「ああ。だから、第一校区を管理している
「寺、嶋家!?」
本来、
「ちょっと待ってください! 相手は『始まりの八家』の一つなんですよ! 本家や分家と関係ない俺達の言葉を聞いてくれるとは……」
「その点についてはクリアしてる。少し訳アリでな、すでに寺嶋家との交渉が始まっているのさ」
「寺嶋家があっしらアイオライトを認める条件として提示してきたのが、三大勢力の統一なんスよ。アキラ君は第一校区の
パンクな見た目の上級生――
「合宿所跡を支配する最大勢力『ゴールド』、巨大倉庫を根城にしてる古参勢力『シルバー』、そしてここ廃ビル跡にたむろしてる
「……
「適当な呼び方だよねー、実はあたしもあんまり好きじゃないのよ」
草薙の説明を
「最初は誰かが勝手に使っていた通称だったんだよ、勢力にも名前がないと解りにくいって感じでさ。ネットスラングみたいなものかな、いつの間にか定着しちゃったし」
お団子頭の上級生は真剣な声音で、
「寺嶋家に認めてもらうためには、当たり前だけど寺嶋家に利益を実感してもらう必要がある。そこで、寺嶋家が要求してきたのが三大勢力の統一」
「……統一、ですか?」
「うん、統一。解りやすく言えば、
「り、理屈は解ります……だけど、そんな事が本当にできるんですか?」
現実味は乏しいように思える。
武力で衝突する場合、たった四人しかいないアイオライトが勝てるとは考えにくい。何よりも風紀委員会の妨害がある。彼らにとって
「それに三大勢力を統一する……これって結局『暴力』によって相手を従わせるってことじゃないですか。暴力による支配はまた別の理不尽を生むだけで、その先に角宮先輩の望む『本物の居場所』が待っているとは思えません」
「優しいな、アキラは。安心したよ、お前はアイオライトに合っている」
ニカッ、と角宮は人懐っこい笑みを浮かべて、
「大前提として、暴力で相手を屈服させる事は絶対にしねぇよ。俺が重視するのは『対話』さ。別に理想論を語っているつもりはねぇ、ブロンズの連中を見て確信したからな。
固く握った拳を、左胸に当てる。
「大切なのは『
「これが『アイオライト』なんスよ、アキラ君」
草薙はしたり顔を浮かべて、
「あっしだって、ただ気が合うからアニキ達と一緒にいる訳じゃない。この人達となら想いを共有できるって思ったからこそ、あっしはここにいる。
「その通りだね。あたしだって、ただの友達とじゃこんな危ない事はしない。本物だからこそ、本気で向き合える。色んな物を天秤に掛けて、それでも一緒にいられるって思わないと本当の仲間になんてなれないよ」
三人の上級生はお互いに見詰め合って、ニッと明るく笑みを交換し合った。
ぞわり、と。
彼らを取り巻く空気そのものが変質する。
引き締まったとか、入れ替わったとか、そういう次元の話ではない。
まるで一つの生き物。
性別も、名前も、考え方も、何もかも違うはずだ。でも、その一瞬だけは、全てが溶け合って一つの集合体になっていた。
「(ああ、そうか……これが、本物なんだ)」
脳が痺れるような興奮が全身を駆け巡る。目の前の難題に対して何年も考え続けて、ようやく答えに辿り着いた哲学者のような気分。胸の奥から溢れる
「俺にも、手伝わせてくれませんか?」
気付けば、口が開いていた。
「アイオライトに入って、俺は知りたいんです。本物の居場所は一体どんなモノなのか、それがどんな繋がりなのか。ここなら、教室の偽物とは違う答えを見つけられる気がするんです――だからっ!!」
「勿論だ、歓迎するぜアキラ! 二郎、アレを渡してやれ。確かまだ余ってたはずだ」
「了解っス」
草薙は青いリストバンドを取り出すと、御代に手渡して腕に嵌めるように促した。他のメンバーが嵌めてるのと同じ物だ。戸惑いながらも右手首に嵌めた途端、明るい笑みを浮かべた角宮が自分をリストバンドを重ねてきた。
「このリストバンドは俺達の『魂』の代わりなんだ、重ねることで仲間であることを証明し合う。まあ簡単に言っちまえば、部活の試合前に円陣を組むみたいなモンだよ」
手持無沙汰に宙を彷徨うアキラに手首に、草薙と狩江も続けて青いリストバンドを当ててくれる。名実ともに仲間だと認められた気がして、興奮が鳥肌として全身を駆け抜けた。
「よろしくっスね、アキラ君!」
「歓迎するよ新人君! ほら、ショーちゃんも!!」
話を振られた藤郷は、胡乱な眼差しで御代を見詰めて、
「アキラ、お前は『普通』を捨てたんだ。どれだけ後悔してもあの退屈だった日々には戻れない。引き返すなら今しかないんだ、頼むからよく考えてくれ」
「心配してくれて嬉しいが、悪いけど何度考え直しても答えは変わらねぇよ。ここで尻尾巻いて逃げ出す方がよっぽど後悔する。それとも、ショージュンには何か俺の参加を反対する理由でもあるのか?」
挑戦的な笑みを向けてやる。藤郷は
「解ったよ、そこまで言うなら認めてやる。嫌になったからって逃げ出すんじゃないぞ」
「望む所だ」
軽くリストバンドを当てると、藤郷はフンと仏頂面になってそっぽを向いた。「ショーちゃんも素直じゃないねぇ~」と狩江にからかわれて眉を曇らせているのを見て少し可笑しくなる。
「――あれ、新顔がいるね」
不意に、背後から声が聞こえた。
高等部の夏服を着た女子生徒だ。
服の上からでもはっきり見て取れる女性らしい体付き。肩口まで伸びた短めの暗い色の髪に、溌剌さを窺わせる目鼻立ち。物腰は柔らかく、すっと一本芯が通っているように落ち着いた雰囲気は、瑞々しく成長した果物を想起させた。
「遅かったな、
「お待たせ、恭介君。ちょっと準備に時間が掛かっちゃってね……で、彼は新人君かな?」
呆然と固まっていると、女子生徒が近くまで歩み寄ってきた。
「
「……御代、僚です。よろしくお願いします」
ぎこちなく頷く御代に微笑み掛けてから、
「それで恭介君、ブロンズとの交渉は上手く行った?」
「ああ、これで仲間になってくれねぇならやり方を変えるしかねぇよ。佳純こそ、頼んでおいた準備は済んだか?」
「ばっちり。オーダー通りに揃えてきたよ」
「なら決まりだな」
角宮恭介は全員をぐるりと見回してから宣言した。
「アイオライトの次の目標は予定通り『シルバー』だ。連中を仲間にして一気に勢力図を青く塗り替えるぞ」
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