009 / 憧れ

《中等部三年生 十月》


※ 前回のあらすじ


 不良生徒ストリーデントの集団――ブロンズをリーダーを圧倒したかどみやきょうすけ

 投棄地区ゲットーを誰にでも自慢できる『本物の居場所』に変える。そう言って、ブロンズの不良生徒ストリーデントに協力を申し込んだのだった。


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 しろあきらは呆然と立ち尽くしていた。


 廃ビルの駐車場。劣化して亀裂の走る黒いアスファルトは岩肌のように表面がボコボコとしていた。四階建ての白いビルの外壁に這い回っているのは植物のつた。人工的な存在感はすでに削り取られており、まさしく廃墟と呼ぶに相応しい姿。まるで時間という怪物に咀嚼されている途中のように感じた。


 つい先刻までは騒がしかったこの場所も、今は穏やかな静けさに包まれている。ブロンズ――御代をエサとして風紀委員会に差し出そうとしていた不良生徒ストリーデントの集団が全員立ち去っているからだ。

 かどみやきょうすけの誘いを断った訳ではない。あまりにも状況が激変したせいで混乱しているのだろう。少し考えさせてくれと言って、ブロンズのリーダーは集団を引き連れて去って行った。


「それで、アキラはどうするんだ?」


 近寄ってきたとうごうしょうじゅんに話しかけられた。声変わりの途中と思われる高い声。紫水晶アメジストの瞳には呆れの色が浮かんでいる。


「どうする、って?」

「このままアイオライトに入るのか、それとも普通の学校生活に戻るのか、決める必要があるだろ?」


 品のある顔立ちに、聡明さが滲む言葉遣い。荒っぽい連中が多い印象の投棄地区ゲットーに、とうごうしょうじゅんの気品に満ちた佇まいは似合わない。どこかの資産家の御曹司で、幼い頃から様々な英才教育を受けてきたと言われた方が信じられそうだ。


「その話、あたしも気になる!」


 お団子頭のかりなみがトテトテと小走りで近寄ってきた。すらりとした美人。仲の良い近所のお姉さんといった印象を受ける上級生だ。薄く浮かんだソバカスが大人びた顔付きに可愛らしさを添えている。


「えーと、しろあきら君だっけ? うーん……じゃあアッキーでいこう! よろしくねアッキー!」

「あ、あっきー……?」

「にしても大きいね、何センチくらいあるの?」

「……身長ですか? だったら、前の測定の時は185を越えたくらいでしたけど」

「でかっ!? あはは、アッキーの隣に立つとジローがより小さく見える!」

「ひ、ひどいっスよあねさん! あっしだって気にしてたんスから!」


 狩江の隣にいるくさなぎろうが御代を見上げて肩を落とした。

 全体的に小柄でパンクな上級生。刈り込まれた短髪には赤いメッシュが入り、顔立ちには色濃く幼さが残っている。夏を前にして日焼けしたように肌は焦げ茶色だった。狩江の言う通り長身痩躯の御代と比べると草薙はかなり小さい。制服を替えればどちらが歳上か解らなくなるだろう。


「それで、アキラ君はどうしたいんスか?」

「どうしたいって言っても……そもそも『アイオライト』って何ですか? 造語?」

「さあ? ジローは知ってる?」

「知らないっスよ、そんなこと。何か知らない間にそう呼ばれてたんスから」

きんせいせき。パワーストーンの一つです、前に説明したじゃないですか」


 溜息交じりに藤郷が口を挟んだ。


「別名『ヴィジョンの石』。光に当てる角度によって色を三つに変える特性を持っています。中でも青色は美しくて、輝いた方向に船を進めたなんて逸話も残っていますね。実際は羅針盤のような機能はなくて、当時の船乗りも御守り代わりに使っていたみたいですけど」

「ちょっとジローさんや、相変わらずショーちゃんはすっごく物知りなんだけど。なんで創設メンバーのあたし達が知らないことを知ってるの?」

「違うっスよ姐さん。ショージュン君がすごいのは合ってるっスけど、加えてあっしらがアホなんスよ。比べる方が失礼っス」


 狩江と草薙がチラチラと視線を寄越しながら、わざとらしく小声で会話を始める。明らかにからかっているのだが、扱いに慣れているのか、当の藤郷は全く気にしていなかった。


菫青石アイオライトの効果は主に二つ。夢や目標へ正しい道を教えてくれる、昂ぶった感情を鎮めて冷静さを与えてくれる。良いネーミングじゃないですか、組織を象徴するパワーストーンにはピッタリです」

「ちょっとジローさんや、あの子すっごくクールなんだけど。あたし達を無視してきたよ」

「違いますぜ姐さん、最近の子はみんなこんな感じなんス。むしろあっし達がおかしいんスよ」

「……二人とも、流石に俺でも怒りますよ?」

「――ふっ」


 思わず、御代は笑みを零してしまった。


「アキラ?」

「悪い、ついな。でもなんて言うか……いいよな、こういう雰囲気」


 いつも違和感があった。

 教室で友達と笑っていても、休日に商業地区マーケットで遊んでいても、ずっと心に引っ掛かるモノがあった。


 全ては、分厚いガラスの向こう側。


 同じ空間にいるはずなのに、なぜか素直に感情を共有できない。テレビで上映している青春ドラマを見ているような気分。その居場所の中に自分が立っているとはどうしても認識できなかった。お笑い番組を見ていて家族全員が笑っているのに、自分だけ面白さが理解できない状況と言えば伝わるだろうか。


 多分、その関係に価値を感じなかったのだ。

 効率的な生き方を信条とするしろあきらにとって、必要だと思えない事は人生の無駄でしかない。教室での繋がりは、言ってしまえば誤差だ。長い人生から考えれば線香花火のような一瞬の輝き。その眩しさに意味を見出す人もいるとは思うが、いつか消えていくと知っているモノに時間や労力を掛けたくはなかった。


「(だけど、ここなら……大きな目的があって、確かな繋がりがあるアイオライトなら!)」


 きっと、自分の青春を全て費やすことになっても後悔しない。一瞬の輝きすら大切だと感じられるかもしれない。和を乱さないように神経を擦り減らし、楽しい振りをしていた教室での繋がりとは違う。心の空白を埋めてくれるような本物が、ずっと探していたモノが、アイオライトで見つけられるような気がした。


「軽率な判断は後悔しか生まないぞ」


 藤郷の鋭い視線が、真っ直ぐに御代を貫く。


「まだ帰ることができるなら、お前は元の場所に戻るべきだ。投棄地区ゲットーは真っ当から外れてるんだ、お遊び感覚で足を踏み入れていい場所じゃない。今の投棄地区ゲットーは最悪な環境なんだよ、その一端をアキラは身をもって体験しているはず。取り返しが付かなくなる前に身を引いた方がいい」

「そうかもしれねぇ……でも、こういう理不尽をなくすためにアイオライトは戦っているんじゃねぇのかよ。だったら、俺だって……っ!」

「その通りだ、アキラ」


 近づいてきたかどみやきょうすけが会話に加わった。整髪剤でバッチリとオールバックに決めた上級生は引き締めた表情で、


「アイオライトの目的は投棄地区ゲットーに蔓延する理不尽を排除することだ。具体的には風紀委員会にエサを献上するなんてふざけた流れを断ち切る。こいつが諸悪の根源だからな、風紀委員会の後ろ盾によって成り立っている仕組みそのものを変えてやるしかない」

「だとしても、そんな事をどうやって……? 確かに角宮先輩は強いですけど、ただ殴る蹴るだけじゃ……」

「ああ。だから、第一校区を管理しているてらじまにアイオライトの後ろ盾になってもらうのさ」

「寺、嶋家!?」


 本来、投棄地区ゲットーは立入禁止区域であり、書類上は誰もいないことになっている。だからこそ風紀委員会の横暴や、学校から許可を得ない戦闘行為が黙認されていた。その空白地帯に寺嶋家が収まれば、今まで行われていた違法行為が正しい秩序によって排されることになる。そうなれば、投棄地区ゲットーは安全な場所に変わるだろう。

 

「ちょっと待ってください! 相手は『始まりの八家』の一つなんですよ! 本家や分家と関係ない俺達の言葉を聞いてくれるとは……」

「その点についてはクリアしてる。、すでに寺嶋家との交渉が始まっているのさ」

「寺嶋家があっしらアイオライトを認める条件として提示してきたのが、三大勢力の統一なんスよ。アキラ君は第一校区の投棄地区ゲットーの三大勢力を知っているっスか?」


 パンクな見た目の上級生――くさなぎろうの質問に対し、御代は首を横に振る。


「合宿所跡を支配する最大勢力『ゴールド』、巨大倉庫を根城にしてる古参勢力『シルバー』、そしてここ廃ビル跡にたむろしてるの集団『ブロンズ』。名称はそのまま序列を表しているっスね、だから今回相手にした『ブロンズ』はあれで最も安全な集団っス」

「……ゴールドシルバーブロンズ?」

「適当な呼び方だよねー、実はあたしもあんまり好きじゃないのよ」


 草薙の説明をかりなみが引き継いだ。


「最初は誰かが勝手に使っていた通称だったんだよ、勢力にも名前がないと解りにくいって感じでさ。ネットスラングみたいなものかな、いつの間にか定着しちゃったし」


 お団子頭の上級生は真剣な声音で、


「寺嶋家に認めてもらうためには、当たり前だけど寺嶋家に利益を実感してもらう必要がある。そこで、寺嶋家が要求してきたのが三大勢力の統一」

「……統一、ですか?」

「うん、統一。解りやすく言えば、不良生徒ストリーデントの集団を『健全な』生徒の集まりにしてくれって意味。そうすれば第一校区で不満を持っている生徒を効率良く安全にようになるでしょ? 寺嶋家にとって最も厄介なのは、火種が分散して消火し切れない状態なの。問題を起こすかもしれない不良生徒ストリーデントをまとめて管理して、大きな事件の芽を事前に摘むことは、寺嶋家にとって大きなメリットになるんだよ」

「り、理屈は解ります……だけど、そんな事が本当にできるんですか?」


 現実味は乏しいように思える。

 武力で衝突する場合、たった四人しかいないアイオライトが勝てるとは考えにくい。何よりも風紀委員会の妨害がある。彼らにとって投棄地区ゲットーとは、将来の出世や家の期待に応えるために必要な『取締点数ポイント』を効率的に稼げる狩場。そんな美味しい場所を簡単に手放すとは考えにくい。


「それに三大勢力を統一する……これって結局『暴力』によって相手を従わせるってことじゃないですか。暴力による支配はまた別の理不尽を生むだけで、その先に角宮先輩の望む『本物の居場所』が待っているとは思えません」

「優しいな、アキラは。安心したよ、お前はアイオライトに合っている」


 ニカッ、と角宮は人懐っこい笑みを浮かべて、


「大前提として、暴力で相手を屈服させる事は絶対にしねぇよ。俺が重視するのは『対話』さ。別に理想論を語っているつもりはねぇ、ブロンズの連中を見て確信したからな。投棄地区ゲットーに染みついた闇は俺達の理想で払ってやれる。現状に対する憤りも、明るい未来に対する渇望もあるんだ。大きな流れさえ作っちまえばこっちの勝ちさ。広がったガソリンに火が燃え移るように、変革の波は一気に投棄地区ゲットーを覆い尽くす。そこに暴力の居場所はない」


 固く握った拳を、左胸に当てる。


「大切なのは『たましい』だ。心の奥底で燃え盛る炎さえ共有できれば、そいつらとは絶対に裏切らねぇ仲間になれる。俺は今までそうやって前に進んできたんだ」

「これが『アイオライト』なんスよ、アキラ君」


 草薙はしたり顔を浮かべて、


「あっしだって、ただ気が合うからアニキ達と一緒にいる訳じゃない。この人達となら想いを共有できるって思ったからこそ、あっしはここにいる。投棄地区ゲットー不良生徒ストリーデントだって願いは同じはずなんスよ」

「その通りだね。あたしだって、ただの友達とじゃこんな危ない事はしない。本物だからこそ、本気で向き合える。色んな物を天秤に掛けて、それでも一緒にいられるって思わないと本当の仲間になんてなれないよ」


 三人の上級生はお互いに見詰め合って、ニッと明るく笑みを交換し合った。

 

 ぞわり、と。

 彼らを取り巻く空気そのものが変質する。


 引き締まったとか、入れ替わったとか、そういう次元の話ではない。


 まるで一つの生き物。

 性別も、名前も、考え方も、何もかも違うはずだ。でも、その一瞬だけは、全てが溶け合って一つの集合体になっていた。


「(ああ、そうか……これが、本物なんだ)」


 脳が痺れるような興奮が全身を駆け巡る。目の前の難題に対して何年も考え続けて、ようやく答えに辿り着いた哲学者のような気分。胸の奥から溢れる快哉かいさいを抑えられず、頬が緩むのを止められなかった。


「俺にも、手伝わせてくれませんか?」


 気付けば、口が開いていた。


「アイオライトに入って、俺は知りたいんです。本物の居場所は一体どんなモノなのか、それがどんな繋がりなのか。ここなら、教室の偽物とは違う答えを見つけられる気がするんです――だからっ!!」

「勿論だ、歓迎するぜアキラ! 二郎、アレを渡してやれ。確かまだ余ってたはずだ」

「了解っス」


 草薙は青いリストバンドを取り出すと、御代に手渡して腕に嵌めるように促した。他のメンバーが嵌めてるのと同じ物だ。戸惑いながらも右手首に嵌めた途端、明るい笑みを浮かべた角宮が自分をリストバンドを重ねてきた。


「このリストバンドは俺達の『魂』の代わりなんだ、重ねることで仲間であることを証明し合う。まあ簡単に言っちまえば、部活の試合前に円陣を組むみたいなモンだよ」


 手持無沙汰に宙を彷徨うアキラに手首に、草薙と狩江も続けて青いリストバンドを当ててくれる。名実ともに仲間だと認められた気がして、興奮が鳥肌として全身を駆け抜けた。


「よろしくっスね、アキラ君!」

「歓迎するよ新人君! ほら、ショーちゃんも!!」


 話を振られた藤郷は、胡乱な眼差しで御代を見詰めて、


「アキラ、お前は『普通』を捨てたんだ。どれだけ後悔してもあの退屈だった日々には戻れない。引き返すなら今しかないんだ、頼むからよく考えてくれ」

「心配してくれて嬉しいが、悪いけど何度考え直しても答えは変わらねぇよ。ここで尻尾巻いて逃げ出す方がよっぽど後悔する。それとも、ショージュンには何か俺の参加を反対する理由でもあるのか?」


 挑戦的な笑みを向けてやる。藤郷は紫水晶アメジストの瞳に複雑そうな光を浮かべていたが、どれだけ言っても無駄だと悟ったのだろう。溜息を漏らして、青いリストバンドを持ち上げた。


「解ったよ、そこまで言うなら認めてやる。嫌になったからって逃げ出すんじゃないぞ」

「望む所だ」


 軽くリストバンドを当てると、藤郷はフンと仏頂面になってそっぽを向いた。「ショーちゃんも素直じゃないねぇ~」と狩江にからかわれて眉を曇らせているのを見て少し可笑しくなる。

 

「――あれ、新顔がいるね」


 不意に、背後から声が聞こえた。


 高等部の夏服を着た女子生徒だ。

 服の上からでもはっきり見て取れる女性らしい体付き。肩口まで伸びた短めの暗い色の髪に、溌剌さを窺わせる目鼻立ち。物腰は柔らかく、すっと一本芯が通っているように落ち着いた雰囲気は、瑞々しく成長した果物を想起させた。


「遅かったな、すみ

「お待たせ、恭介君。ちょっと準備に時間が掛かっちゃってね……で、彼は新人君かな?」


 呆然と固まっていると、女子生徒が近くまで歩み寄ってきた。


すみだよ、よろしく新人君。

「……御代、僚です。よろしくお願いします」


 ぎこちなく頷く御代に微笑み掛けてから、すみは角宮の方を向いて、


「それで恭介君、ブロンズとの交渉は上手く行った?」

「ああ、これで仲間になってくれねぇならやり方を変えるしかねぇよ。佳純こそ、頼んでおいた準備は済んだか?」

「ばっちり。オーダー通りに揃えてきたよ」

「なら決まりだな」


 角宮恭介は全員をぐるりと見回してから宣言した。


「アイオライトの次の目標は予定通り『シルバー』だ。連中を仲間にして一気に勢力図を青く塗り替えるぞ」

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