011 / 芽吹き

《中等部三年生 十月》


※ 前回のあらすじ


 投棄地区ゲットーを誰にでも胸を張って自慢できる『本物の居場所』にする。かどみやきょうすけはそう宣言することで、不良生徒ストリーデントの集団『ブロンズ』を説得した。

 アイオライトの後ろ盾になってもらうため、第一校区を管理するてらじまから示された条件は三大勢力の統一。次の標的『シルバー』との対話を実現させるため、アイオライトは行動を開始する。


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 ブロンズを説得した翌週の土曜日の午後。

 廃ビルの駐車場跡に集まった不良生徒ストリーデントの多さに、しろあきらは驚きを隠せなかった。


「意外と集まるもんだな、もっと否定的かと思ってた」

「それだけ『ブロンズ』の連中がフラストレーションを持っていたってことだよ。角宮先輩の言う通り、投棄地区ゲットーの勢力図が塗り変わるのも案外早いかもしれない」


 周囲を見回したとうごうしょうじゅんが澄ました表情で頷く。


 高く透き通った秋晴れの青空の下に集ったのは、全部で二十人近い数の不良生徒ストリーデントかどみやきょうすけくさなぎろうかりなみすみといったアオイライトの他にも、『ブロンズ』のメンバーが多く参加してくれた事になる。彼らは希望に満ちた表情で雑談に花を咲かせて次の指示を待っていた。

 集団の中央では整髪剤でガッチリとオールバックに決めた角宮恭介と、ブロンズのリーダーである大柄な上級生が笑い合いながら握手を交している。サングラスを掛ければ繁華街の裏道で威張り散らしていそうな強面だが、笑顔を浮かべていれば歳相応に見えた。友好的な様子から察するに、『ブロンズ』は角宮恭介が率いる『アイオライト』に加入するという方向で話が決着したようだ。


「風紀委員会による支配からの解放、か」

「これは戦争なんだ、アキラ。大義名分と順序は必要だぞ」


 戦争。

 自分の生活とは縁のなかった言葉に身体が強張る。


「アイオライトが申し出た対話を拒んだのも、宣戦布告をしてきたのも『シルバー』なんだ。これ以上、投棄地区ゲットーで活動するなら攻撃すると脅されれば黙っている訳にもいかないだろ? 俺達は順序とルールを守っている、罪悪感に苛まれる必要はないよ。『対話』を実現させるためには、こちらの本気度と強さを示すことだって重要だしな。角宮先輩がブロンズのリーダーを吹っ飛ばしたように」

「そりゃ、理屈ではそうなんだけどさ……」


 言い淀む御代に対して、藤郷には一切の迷いがなかった。すでに自分の行為の正当化ができているのだろう。日常生活で人殺しができなくても、戦争中に敵国の兵士を躊躇なく撃ち殺せるのと同じだ。正義の軸を意図的にズラす事による倫理観の制御コントロール。何事にも物怖じしない心臓の強さ。一体どのような修羅場を潜り抜ければ、これだけ度胸が据わるのか想像も付かない。


「(本当にこいつ不良生徒ストリーデントなのか? もっとガラの悪い不良をイメージしてたけど)」


 顔付きや笑顔には品があって、仕草の端々に聡慧さが滲む。育ちの良さを伺わせる雰囲気は一朝一夕で身に付くものではない。真っ当な生活から転がり落ちて投棄地区ゲットーに来るような生徒には見えなかった。


「なあショージュン、ちょっと聞きたいんだけどよ……その、ショージュンはどうして投棄地区ゲットーに来たんだ?」

「……、」


 しかし藤郷は答えない。冷たい眼差しでじっと見詰めてくる。無遠慮な事を聞いてしまったと不安に駆られたが、唐突にふっと表情を緩めた。


「アキラ、その質問は投棄地区ゲットーではマナー違反なんだ。俺達は全員が何らかの理不尽を経験してここに来ている。過去を話したくない奴もいるだろうし、そもそも聞いていても気持ちの良い話じゃない。だから話題に挙げないことにしているのさ」

「そ、そうなのか? 悪い、知らなかった……」

「いいよ、次から気を付けてくれれば。そういう訳だから、アキラの質問には答えてやれないんだ。俺の話だってあまり面白いものじゃないからな」


 気にするなと言わんばかりに藤郷は微笑んだ。


「アキラは戦争って言葉を気にしてるみたいだけど、俺達は別に殺し合いをしに行く訳じゃないよ。暗黙の了解に守られた試合ゲームだと思えばいい。綺麗事だけじゃ世界は回らないんだ、時には強硬策が正しい選択になる事だってあるさ」

「……強硬策、か」

「それにルールと順序さえ守れば寺嶋家も黙認してくれるって言ってるんだ。彼らだってこの試合ゲームに意味があるって判断したって事さ、自信を持てばいい。……まあ、黙認してくれて助かったけどな。普通こんな大規模な抗争を無許可で引き起こせば問答無用で少年院行きになる。投棄地区ゲットーに出入りしていると忘れそうになるけど、本来なら生徒は学校の許可なく界力術を使えないからな」

「確かあれだろ? 寺嶋本家の長男様……てらじまあおだっけ? そいつと直接交渉したとか何とか」


 第一校区を管理する寺嶋家。その長男――時期当主候補筆頭の御曹司に許可を貰えたからこそ、本日こうして作戦を実行できるのだ。どのようにして本家の長男様を交渉の場まで引き込んだかは、結局不明なままだが。


 藤郷は右手に嵌めた青いリストバンドの位置を直しながら、


「だけど、この展開は少し意外だったよ。てっきりシルバーは対話に乗ってくると思っていたからな。まさか向こうから宣戦布告をしてくるとは思ってもみなかった」

「そうなのか? シルバーもブロンズと同じで不良生徒ストリーデントの集団なんだし、これくらい好戦的なんじゃねぇの?」

「相手が『ゴールド』だったらその理屈で通じるが、シルバーは少し毛色が違うんだよ。風紀委員会にエサを献上するため、投棄地区ゲットーの施設を支配するため……色んな理由で他の勢力と戦ったり問題を起こしたりしているが、何というか、集団全体が理性的なんだ」

「理性的?」

「ああ。暴れたいだけの不良生徒ストリーデントが集まった烏合の衆じゃなくて、その性格はどこまでも組織的。危険度で言えばブロンズよりも遥かに低いぞ、衝突しても交渉の余地があるからな。でも戦力で考えれば比べものにならないくらい高い。例え『ブロンズ』と協力しても俺達には勝ち目がなかっただろうな——角宮先輩がいなければ。やっぱり破格だよ、あの人は。キングのくせに他のどの駒よりも遠くへ動けるんだから」


 人垣の真ん中で快活に喋り続けるオールバックの先輩を見て、藤郷は口許にニヒルな笑みを浮かべた。


「シルバーとゴールドは定期的に風紀委員会にエサを提供し続けている勢力だ。その見返りとして、風紀委員会が費用を出しての電力と水道の供給が今も続いている。投棄地区ゲットーの施設なのに明かりは付くし、トイレだって使えるって意味だよ」

「定期的にエサを提供するって、そんな事が可能なのか?」

「解らない。を捕まえて風紀委員会に献上するか、あるいは身内の誰かを生け贄として差し出すか……どちらにせよ、やっている事はまともじゃない。倫理感がぶっ壊れているとしか思えないよ」


 風紀委員会に送られた生徒の末路は、取締点数ポイントを稼ぐために罪をでっち上げられて少年院送りにされるか、学校に引き渡して『リスト』に入れられるかのどちらかだ。エサを提供しなければ風紀委員会に裏切られて一斉検挙される可能性があるとしても、その程度の理由で他人の一生を滅茶苦茶にしていい理由にはならない。


「何にせよ、正義は俺達側にあるんだ。角宮先輩が言う通り風紀委員会の圧力さえなくせば投棄地区ゲットーはまともな場所に生まれ変われる。つまり、あとはアキラ達が指示通りに進軍して勝利すればいいのさ」

「いや、ショージュンは戦わねぇの?」

「勿論だ、俺の界力術は知っているだろ? 実力カラーも緑なんだ、最前線に出ても足手まといになるだけだよ。それに俺にもやる事があるしな」


 精神術式『妖精の悪戯フェアリー・ウィズパー』。

 術者の命令を対象の脳に『思い込み』として上書きする非常に強力な界力術だが、物理的な破壊力は皆無だった。華奢な体付きを見れば荒事に慣れていないのは一目瞭然。確かに最前線に出ても逃げ回る事しかできそうにない。


 角宮恭介とブロンズのリーダーが招集を掛けた。いよいよ作戦開始らしい。


「アキラ、一つだけ頼みがある」


 真剣な顔の藤郷に呼び止められた。


「俺の界力術のことだ。術式の内容、条件、弱点……アキラが知っていることを誰にも言わないで欲しい」

「いいけどよ……何でそんなに念を押すんだ?」


 他人の界力術を第三者に喋ることは重大なマナー違反だ。多くの界術師が扱うような術式であっても黙っておくのが礼儀である。藤郷に念押しされるまでもなく誰かに言うつもりは毛頭なかった。


「考えてみてくれ、俺には妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーという力しかないんだぞ」


 藤郷は紫水晶アメジストの瞳に弱々しい光を滲ませて、


「条件や弱点が知られれば、俺の界力術は錆びた刀も同然だ。手札のジョーカーを晒しながらババ抜きをするようなもの。ただでさえ薄い勝ち目が完全になくなってしまうじゃないか」

「それはそうだけどさ、最悪見られても界力術を使って相手に忘れてもらえばいいじゃねぇか」

「本当ならそうしたいんだけどな。だけど、同じ人間には一度しか効かない、対象を動揺させる必要がある、指を鳴らした音が聞こえる範囲の全員に効力が及ぶ、実力カラーに差があると動揺の度合いでは抵抗されてしまう……これだけ使い勝手が悪いと、そう毎回都合よく妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーが発動できるとは限らないんだ。それに――」


 すっ、藤郷は顔を引き締める。


「俺は仲間に妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーを使う気はないよ。これは相手の意志を捻じ曲げる最低の界力術。仲間を都合良く操ったなんて知られれば俺の信用はガタ落ちさ。それに乱用し過ぎれば、学校から『監視対象イエローホルダー』に認定される可能性だってあるだろ?」

「……そういう生徒がいるってのは知ってるけど、あれって実力カラーが高いか、目に見えて危険だって判断できる場合にだけ適応されるんじゃなかったっけ?」

「相手の意志を操る界力術は十分に危険だよ。学校から目を付けられないように、俺は授業で手を抜いて落ちこぼれを演じていたからな。実力カラーも緑だから、俺が妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーをある程度までなら使えることを誰も知らないんじゃないか?」


 危険な術式を生徒に教えなければいいと思うかもしれない。

 だが界力術の習得方法の性質上、最もその個人に適した方式と術式が自然と発現してしまう。そこに個人の希望が入り込む余地はない。意図せずして危険な術式をその身に宿してしまうこともあるという訳だ。


「なるほどな、そういう事情があるなら了解した。安心してくれ、誰にも言う気はねぇよ」

「助かる」


 ふっと頬を緩めた藤郷は、品のある笑みを浮かべた。


「信頼してるぞ。じゃなきゃ、やむを得ない状況で見られたとは言え、大切な界力術の内容をベラベラ話したりしない。知っている仲間がいる方が有利に働く場面も必ずある、それを見越してアキラだけには伝えておくんだ」

「何だよ、随分と俺を買ってくれるじゃねぇか。営業トークか?」

「素直に受け取ってくれよ、背中を預ける相手くらい言葉を交せば判断できる」

「そうかい。じゃ、お言葉に甘えて」


 澄ました表情で告げる藤郷に背を向けて、御代は軽い足取りで歩き出した。

 何故だか藤郷とは数日前に出会ったばかりという気がしない。性格が合っているのか、藤郷に上手く乗せられているのかは解らないが、ずっと長い時間を共にしてきたような親近感が湧いてくる。初対面なのにお互いの距離感が近いのはそのためだろう。


 駐車場の中心に角宮恭介とブロンズのリーダーが並んで立っている。彼らに向かい会うように不良生徒ストリーデントの人垣ができていた。自分の長身のことを考えて御代は人垣の最後列に立つ。

 アイオライトのメンバーで人垣の中にいるのはくさなぎろうだけだった。どうやらかりなみすみは戦闘には加わらないらしい。藤郷も含めた三人で駐車場の端から様子を見守っていた。


「まずは、俺達と共に立ち上がる決意をしてくれた事に感謝したい」


 筋肉で盛り上がった右腕に青いリストバンドを嵌めた角宮は、駐車場全体に響き渡るように声を張った。


「俺達の目的は『シルバー』の殲滅でも、『ゴールド』を含めた三大勢力の統一とも違う! 投棄地区ゲットーから理不尽をなくし、誰もが胸を張って誇れる居場所を創り出すことだ! 暴力という手段で相手を屈服させるつもりはねぇ、大切なのは相互理解。お互いに納得できるまで何度でも話し合うつもりだ」


 シン、と空気が引き締まる。


「誇りを持って進め、じゃなきゃテメェの歩みに価値はねぇ」


 実直さを感じさせる両目に鋭い光を浮かべ、角宮恭介は口を大きく開けて吼えた。


「俺達は正しい選択をした、未来に繋がる前向きな選択だ! だから誇りを持て、自分の決断を疑うな! 正義は俺達にある、風紀委員会を恐れる必要な一切ねぇんだ!! ただひたすらに前に進みさえすればいい、テメェらが進む道はこの俺が切り拓いてやるからよ!! 掴み取ってやろうぜ、俺達の手で明るい未来を!」


 興奮が伝播する。

 勝利目前の試合を観戦しているような感覚。秋の空気の肌寒さを掻き消すような熱気は、己の内側からだけ湧き出している訳ではなかった。


「拳を握れ野郎共!! せっかくの門出だ、遠慮はいらねぇ盛大にぶちかませっ!!」


 歓声が爆発した。

 溢れ出したガスに引火したように熱い激情が一気に広がる。その場にいる全員が拳を天に掲げ、腹の底から堪えきれなくなった雄叫びを炸裂させた。


 秋晴れの高い空さえ突き抜けられそうな興奮がしろあきらの全身を駆け巡る。胸を衝くように沸き立つ衝動を余すことなく声に乗せ、ただ感情のままに叫び続けた。

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