第22話 新たな誓い

 ※ 前回のあらすじ


 かみやなぎたかすみもりしたしゅんの模擬戦。それぞれの想いを掛けた戦いは、最後に自身の弱さを克服した上柳高澄の勝利で幕を閉じた。


 勝負を終えた二人は握手を交す。

 それは長く続いた二人の関係がようやく変わった瞬間だった。


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 森下瞬が取り巻きの二人と共に医務室へと向かう姿を、きりさわなお模擬戦場フィールドの端からじっと見ていた。


 上柳が身体強化マスクルを使っていなかったとは言え、人体の急所である顎に右ストレートをもらったのだ。始めは担架に乗せるという話だったが森下がそれを拒否。取り巻きの二人に支えられつつも自分の足で歩いて訓練場から出て行った。


 その様子を、上柳高澄もじっと見詰めている。

 顔に滲んでいるのは何かを考え込むような浮かない表情。勝利の余韻に浸っている訳ではなさそうだ。その静かな立ち姿は大番狂わせに沸き立つ訓練場の空気とは掛け離れていて、そこだけ気温が低くなっているように見えた。


 ふと、上柳と目が合った。

 

 瞬時に暗い色が霧散する。にやりと得意げに頬を持ち上げてこちらに歩いてきた。応じるように霧沢は軽く手を挙げ、上柳のハイタッチを笑顔で受け止める。


「おめでとう、上柳」

「霧沢のおかげだ! 初めて瞬に勝てた!」


 興奮気味に言った上柳は無邪気な笑みを浮かべた。


「姿勢の制御ができていたな。練習したのか?」

「そいつに関しちゃ偶然だよ。補助輪なしで自転車に乗れるようになったみたいな感覚だった。何て言えばいいかな……戦ってる途中にこうすればいいってのが何となく分かったんだ。気付いたらできるようになっていたよ」


 戦いの中で成長したという訳ではないのだろう。本当に負けられない状況によって冴え渡った感覚が、上柳高澄が今まで積み重ねてきた努力を糧にして不可能を可能にした。これは諦めずに前に進み続けた上柳高澄が掴み取った当然の報酬。奇跡や偶然といった安い言葉で表現するべきではなかった。


「さて上柳、勝利の余韻に浸るのはまだ少しだけ早い。最後の仕事が残っている」

「……?」


 首を傾げる上柳を前にして、すっと霧沢は横に移動した。

 後ろにいたかたばねしょうへの道を空けるように。


「……タカ君、」


 胸の前で両手を握るようにしながら片羽は俯いていた。さらりとした前髪に隠れて表情は見えない。ただ肩が小刻みに震えていることは分かった。


 ニカッと笑った上柳はガッツポーズを決めてみせる。


「おう翔子。どうだ、言った通り勝ってやっ――」

「タカ君っ!!」


 中途半端に右手を掲げた上柳へ、片羽が勢いよく飛び込んだ。

 何歩か後退しながらも、驚いた表情で上柳は片羽を受け止める。


「しょ、翔子さん……?」

「心配した! すっっっごく心配したんだよ!!」


 その声は、濡れていた。

 上柳の胸に顔を押しつけたまま片羽は想いの丈をぶつけるように叫ぶ。


「また怪我するんじゃないかって思った。目の前で傷付いて倒れちゃうんじゃないかって……私も頑張って背中を押したけど、それでも心配で……もう! 居ても立ってもいられなかったんだよ!!」

「……ごめん。本当に、ごめん」


 手持ち無沙汰だった右手を片羽の背中に回し、上柳は嗚咽を漏らす片羽の背中をさすった。


「でも翔子は大げさだな。たかが瞬と模擬戦をするだけなのに」

「それでも心配なの! いままでずっと酷い事をされてきたし、瞬君は何をするか分からないし……それに来年だって……っ!」


 泣き顔を隠したまま、片羽は震える声で、


「……本当は、タカ君に専科生エキスパートになって欲しくない。だってまた大怪我をするかもしれないんだよ。別に、タカ君が戦わなくたっていいじゃん……危険な目に遭わなくたって……」

「それは無理なんだ、翔子」


 真剣な表情を浮かべた上柳が、諭すような口調で言った。


「……どうして?」

「それは、」


 刹那の逡巡があった。


 口にすれば、それは誓約となる。

 冗談で言うのとは意味合いが変わってくる。

 この場で片羽翔子に告げた言葉は、もう簡単に覆せない。もしかしたら自分の人生を決定付けることになるかもしれない。


「……今まではさ、自信がなかったんだ。迷いがあった。夢との距離に絶望して、必死に現実から目を逸らしてきた。翔子が心配になるのも分かるよ、俺がこんな中途半端な気持ちのまま燻ってるって知ってるんだから。勇気と無謀は違う。目標ばっかでかくて、綺麗で、羨ましそうに上ばかりみてるヤツの言葉なんて信じられなくて当然さ。だけど――」


 もう弱い自分に怯える必要はどこにもない。

 何故ならば、森下瞬との誓いを果たすことができたから。戦っていくだけの力と勇気を霧沢直也にもらったのだから。


「——今は違うんだ。俺はこの言葉を、自信を持って翔子に伝えることができる」


 さあ、長い足踏みは終わりにしよう。今こそ前に踏み出す時だ。

 湧き上がりそうになる不安を全て飲み込み、上柳高澄は決然とした顔で告げた。

 

「翔子、やっぱり俺は専科生エキスパートになるよ。そしてプロ界術師になって、風間さんみたいに誰もが憧れるような界術師になりたいんだ」

「で、でも……!」


 顔を上げた片羽が眼鏡の下の瞳に懇願するような色を浮かべる。

 上柳はうっすら赤く潤んだその両目に想いを注ぎ込んで、言葉に力を込めた。


「安心してくれ、もう翔子を心配させない。俺はもっと強くなるから。絶対に怪我なんかしない、笑顔のままお前を守れるような強さを手に入れてみせるよ」


 それは、新しい誓いだった。

 森下瞬と交した誓いに代わって、上柳高澄が背負う約束。


「だから、いつもみたいに笑顔で俺の隣にいてくれないか。それだけで、俺は誰よりも頑張れるからさ」

「……っ、」


 堪えきれなくなった大粒の涙が片羽翔子の瞳から溢れ出す。だが、頬を伝って落ちるそれを、ごしごしと勢い良く手の甲で拭った。


「……んっ、わかった」


 大きく、大きく、頷く。


 その顔に浮かんでいたのは笑顔。

 うっすらと涙を残した目許を和ませ、片羽翔子は精一杯表情を明るくした。


「タカ君を信じる。だから、私もがんばって笑って応援するから」

「ありがとう、翔子」


 これにて一件落着だろう。

 拍手でも沸き起こりそうな雰囲気の中で見守っていると、非常に申し訳なさそうな顔をしたとおが人垣の中から歩み出てきた。コホン、と咳払いをしてから複雑そうに話し始める。

 

「あー、たかすみ君。盛り上がっているところ非常に申し訳ないんだけど……」

「なんだ、マキ?」

「……森下君のこと」


 そう告げた途端、上柳の顔が曇った。


「高澄君のしたことは間違ってないと思う。森下君にかけた言葉もね。だけど、高澄君と違って私達はすぐには許せないのよ。森下瞬を認めることができない」

「……だよなぁ」


 うーんと唸って腕を組む上柳は困ったように眉間に皺を寄せた。


 遠江真輝の言葉は、クラス全員の本音の代弁だった。

 大団円の空気を破壊してでも告げるべきことはしっかり口にする。こういうリーダーシップこそ遠江真輝が周囲から信頼を集めてしまう所以なのだろう。


「マキの言うことはもっともだ。俺だって全部上手くいくなんて思っていないよ」


 真剣な表情になった上柳がクラスメイトの前へと出た。


「瞬をすぐに許してくれとは言わない。あいつはそれくらいのことをしてきた……でも、あいつは絶対に心を入れ替えてくる。根は良い奴なんだよ、隣にいた俺には分かる。だから――」


 すっ、と。

 躊躇なく上柳高澄は深く頭を下げた。


「――その時はあいつを許してやってくれないか? すぐにじゃなくてもいい。時間が掛かってもいい。俺は変えたいって思ってるんだよ! だから――この通りだ!!」


 しん、と静まりかえる訓練室。誰もが言葉を発せられない。


 だが。


「その漢気おとこぎ、しかと受け取った!!」


 唐突に声を上げたのは陣馬梶太バカだった。ドスンとその巨体を揺らすように力強く頷く。


親友とものために頭を下げたのだ! 皆、タカ殿の言葉を信じようではないか!!」

「……よく言うよ、さっきまで絶対に拙者は森下殿を許さないとか言ってたくせに」

「ウ、ウウウウィンター!? それは言わないお約束では!?」


 どっ、と笑いに包まれるクラスメイト一同。自然と空気も弛緩していく。何とか上柳の申し出は受けてもらえそうだ。安心したように上柳の表情が和らいでいく。

 

 片羽翔子と微笑み合う上柳高澄を見てから、霧沢直也は静かに人混みから抜け出した。教師に見つかると面倒なことになる。気配を消して、背後にある訓練場の出口へと向かう。


「……どこに行くの?」


 周囲が歓声に包まれる中、遠江真輝の冷たい声は明瞭に鼓膜を揺らした。引き締められた表情。篝火のように眩しい瞳からは真っ直ぐな眼差しが放たれている。


「野暮用だよ、世界を変えるための」

「一体何をするつもりなのよ、


 言われて初めて気付いた。

 どうやら、かなりの『怒り』が表情に出ていたらしい。


「クラスの事は遠江に任せる。俺は自分の仕事をするよ、先生には適当に言い訳をしておいてくれ」

「ちょ、ちょっと……!」


 遠江の制止を振り切って、霧沢直也は歩き始めた。ギリッと奥歯を噛んでから、吐き捨てるように告げる。


「俺は許すわけにはいかないんだ、あのクスリ――界力活性剤アークマイムを」



      ×     ×     ×



 霧沢直也は訓練場から出て少し歩いた所で森下瞬に追い付いた。

 まだ六限の途中であるため辺りは静かだった。最上階にある音楽室からピアノの伴奏と合唱が聞こえてくるくらいで、生徒玄関の前は春の穏やかな陽気に包まれている。


「待て、森下」


 取り巻きの二人に支えられながら生徒玄関に入ろうとしていた森下を呼び止める。立ち止まった森下は覚束ない様子で振り返り、三白眼に力ない光を滲ませた。


「……なに、今ちょっと辛いんだけど。あとにしてくれ――」

「お前が持っているクスリ、どこで手に入れた?」


 遮るように告げられた霧沢の言葉を聞いて、森下の表情が固まった。


「上柳との戦いの最後、お前は制服から赤い液体の入った小瓶を取り出したよな? そして、どさくさに紛れて回収しているはずだ」

「……、」

「もう一度訊くぞ。森下、お前はそのクスリをどこで手に入れた?」


 凄然とした剣幕で告げる霧沢が、両目を鋭く細めて森下を睨み付ける。


 痺れるような緊張が空気を乾燥させる。

 迷うように唇を引き結んでいた森下だったが、大きく溜息を吐き出すと観念したように口を開いた。


「……貰ったんだよ、俺が授業をサボってる時にさ」

「誰からだ?」

「外套を纏った大男……名前は知らないし、会ったこともない相手だ。あいつ本当に学校の関係者なのか? とにかくふざけた男だよ、人の事を見透かしたように喋るクソ野郎だ。……なんだよ、そんな怖い顔で睨み付けやがって。別に問題ないだろ、使わなかったんだから」

「いいや、問題がある。寄越せ、それはお前が持っていていいような物じゃない」

「へぇ……、まるでこれが何か知っているみたいな口ぶりじゃないか」


 挑発するような森下の物言いに霧沢は反応しない。ただただ黙って鋭い視線を突き立てる霧沢に対し、チッと舌打ちをした森下は制服から小瓶を取り出して霧沢へ放り投げる。


「持っていけよ、俺にはもう必要のないものだ」


 陽光を受けて赤く宙を舞う小瓶。クルクルと回転するそれを掴み取った霧沢は、指で摘むと中の液体を太陽の光で透かすように見入った。


 そして。

 思いっきりアスファルトの地面に叩き付ける。


 パァッッリンッ‼︎ と、甲高い破砕音が耳を劈いた。地面に落ちた雨粒のように破片と赤い液体が周囲に飛び散る。


「き、霧沢っ⁉︎」


 森下が驚愕に目を剥いた。


「お前、それが必要だったんじゃないのかよ! いいのかぶっ壊しちまっても!」

「いいんだよ。何回も……何十回も、俺はこいつに苦しまされてきたんだからな、見間違える事はあり得ない」


 地面に飛び散ったガラスの破片や液体を睨み付けてから、


「いいか森下、こいつには二度と関わるな。興味半分で手を出せば人生が丸ごと狂うぞ、人間としての尊厳を保ったまま真っ当に生きたいならこっち側に足を踏み入れるべきじゃない」

「……どうして、そこまでそのクスリを嫌悪するんだよ?」

「知っているからだよ、クスリを投与されて苦痛と共に連中を……今もまだ苦しんでいる奴を。俺はもう『あいつら』みたいな不幸を生み出す訳にはいかないんだ」


 最後に森下をキツく一瞥してから、霧沢は生徒玄関の前から去って行く。

 

 鋭く細められた両目に宿るのは憤怒の炎。


 風紀委員会の副委員長であるいまりょうは、ラクニルに持ち込まれたクスリの一部は生徒にも出回っていると言っていた。今回は偶々身近な出来事だっため決定的な段階になる前に防ぐことができたが、他の不特定多数の生徒を救うことはできない――少なくとも、霧沢直也だけの力では。


 手を拱いていれば、今度こそ被害者が出る。

 自分と、かつての仲間を苦しめた悪魔が、今度はラクニルに襲い掛かる。


 一刻も早くとくはんを結成して、ラクニルにクスリ――界力活性剤アークマイムを持ち込んだ黒幕の正体を突き止める必要があった。それこそがあの地獄を生き残ってしまった霧沢直也に課せられた使命。理不尽によって失われた『彼ら』の命に価値を与えるために、霧沢直也は前を見据えた。

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