第23話 窮屈な世界
※ 前回のあらすじ
遂に
一方、
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ラクニルは島の中央に
寺嶋メモリアルホール正面にある広大な駐車場を迂回していく。すでに何台もセダンが駐車されていた。どうやら召集された要人の多くが到着しているらしい。
「(気が早いな……それだけ、今日の会議が重要ってことか)」
特殊任務遂行班の設立。
大きな障害となっていた
寺嶋メモリアルホールの正面入口の自動扉を通り抜け、空調の効いた室内に入る。
高級ホテルのフロントのような場所にはすでに多くの関係者が集まっていた。フォーマルなスーツ姿の男にドレス姿の女性など全員が正装をしている。高等部の制服を着ているとは言え、若干の場違い感は否めない。
「あ、やっと来た。おーい、こっちこっち」
ソファに座っていた女性が立ち上がって、軽く手を挙げながら歩み寄って来た。
黒を基調とした落ち着いたフォーマルスーツ。化粧は薄めだが、艶のある唇には品が乗っている。真珠のネックレスと主張し過ぎないイヤリング。緩くウェーブのかかった長めの髪はアップに纏められていた。
特班の顧問になる予定の教師である。
「お待たせしました。先生、よくお似合いですよ」
「ありがと。随分と落ち着いているわね、直也君オフィシャルな場所には慣れているの?」
「ええ、本土にいた頃に何度か任務で潜入しましたから。一通り礼儀作法を教えられるんですよ、俺の育った施設だと」
「……そう、なんだ」
わずかに目を伏せた早乙女に対し、霧沢は小声で問い掛ける。
「先生はどこまで俺の事情を知っているんですか?」
「一通りは稜護君から聞いているわ。すごい人生を歩んでいるのね」
すごい人生とは、具体的にどの部分を指しているのだろうか。
天城家の施設で人を殺すために界力術を学んできたことか。
無謀な人体実験の被験者になってきたことか。
過酷で非道な任務の内容を言っているのか。
それとも、施設から脱走する為にクーデターを起こしたことか。
聞かない方がいい気がした。
早乙女京子を始めとした特班のメンバーに伝わっている情報が正しいか間違っているかは正直どうでも良かった。同情して欲しい訳でもない。霧沢自身も『相応の事』をしてきている。ここはお互いに踏み込むべき領域ではないだろう。
「だからね、やっぱり直也君がネックになってくると思うのよ」
「……? どういうことですか?」
「歩きながら話すわ。ここじゃあ、ね」
フロントには他にも多くの人がいる。あまり聞かれたい話ではない。それに集まっている要人は過去の『仕事』で敵だったり味方だったりして連中の黒幕だ。会議室の高級椅子で踏ん反り返っている彼らが現場の霧沢を知っているとは思えないが、余計な接触は極力避けるべきだろう。
早乙女に連れられて細い通路へと入っていく。途中で何人かスタッフとすれ違ったが全員が立ち止まって早乙女に会釈をしていた。
「先生は
「そうよ、だから第一校区だといつもこんな感じ。正直あんまりいい気はしないのよね」
「慣れていないんですか? 御三家の関係者なら昔からこんな感じだと思いますけど」
「それはそうだけど……私は人の上に立つのに向いていないのよ。現場で体を動かしている方が何倍もましだわ」
早乙女の丸目が苦々しく細められる。伏せられた長い睫毛には憂慮の色が濃く浮かんでいた。
「さて、特班についての話だけど」
通路に誰もいないことを確認してから、早乙女は小声で話し始める。
「
「公のコメントで、随分と差別的な発言をするんですね」
「発言自体はオブラートに包んでいたんだけどね。風紀委員会の上位組織は
呆れたように溜息を吐く早乙女に対し、霧沢は怪訝そうに首を傾げて、
「そもそもの疑問なんですけど、どうして
「理由は二つ。一つは単純にラクニルで治安維持のために界力術の行使が認められているのが風紀委員会だけだから。もう一つは特班が第一校区、
「意図的に、寺嶋家の指揮系統から外したってことですか?」
「その通り。第一校区で最も強い発言権を持っているのは管理者である寺嶋家。その直属の組織である生徒会にもかなりの権限が与えられているわ。次に権限を持っているのが風紀委員会、第一校区は御三家の一つ『
夏越家は本土で警察関係に広く顔の利く家だ。ラクニルではそれぞれの校区の風紀委員会の運営を任されていた。
「風紀委員会と生徒会が互いに行動を制限し合う事で、第一校区は均衡を保っているの。どこか一つに権力が集中すればどんな横暴でも成り立ってしまう。そうならないように、ずっと昔からこの体制が続いているわ」
「特班を設立しようとしているのは寺嶋家。仮に精鋭を集めた武装部隊が寺嶋家の指揮系統に入れば、今までなら風紀委員会によって止められたであろう裏工作も秘密裏に実行できる。学校や生徒よりも、寺嶋家の利益になるように行動する都合の良い組織になりかねない」
「正解よ、そうなったら何のための特班か分からなくなる」
二人は細い通路を進み、関係者以外立入禁止と書かれた貼り紙の向こうへ進んでいく。
「これから会議が行われるんだけど、おそらくかなり紛糾すると思うわ。反対派……と言っても殆どが風紀委員会の関係者なんだけど、彼らからすれば不正行為で処罰される可能性が生まれるし、
「何か対策は用意しているんですか?」
「一つは『成果』よ。違法薬物――
「助っ人……誰ですか?」
「
「……、」
思わず、言葉を失ってしまった。
始まりの八家の一つである夏越家。その現当主である夏越邦治。
六家連盟の六分の一の権限を保有している人物。その気になれば発言一つで国を動かせる力を持った権力者。本来ならば、
「各校区の風紀委員会の運営に何らかの形で関わっている夏越家の現当主が認めてくれれば、どんな反論でも無視できるはずよ……反対されてしまったら元も子もないのだけど。稜護君も勝算があるからこそ呼んだんでしょうし、大丈夫なんだとは思うけどね」
霧沢は細い通路の奥にある部屋へと案内された。
控え室と書かれた扉を開けると、中にはぐったりと疲れ切った様子でソファに座り込む
「なんでそんなに疲れているんだ? まだ会議の前だぞ」
「……挨拶回りですよ。これでも分家関係者ですから、こういう時は愛想を振りまく必要があるんです」
「大変なんだな」
「ええもう本当にっ!!」
普段は凪いだ湖面のように静かな瞳に今ばかりは憤慨の色が浮かんでいた。ぶすっとした仏頂面。不必要に話しかけても機嫌を悪くするだけな気がした。
「それじゃあ、私は準備に戻るから」
ラクニルの教員として、あるいは寺嶋御三家の関係者としてか。色々と雑務を抱えているであろう早乙女は早足で控え室を後にした。
立っていても仕方がないため、白詰の正面のソファに腰を下ろす。
訪れる無言の時間。
相手が
「……その、先輩」
窺うような視線だった。突き放すような冷たい雰囲気は少しだけ
「なんだ?」
「あいつ――
「陽華先輩? いや、会ってないけど……」
白詰陽華――白詰氷華の姉ならば、本家や分家の界術師が集まる今日のような場所には必ず顔を出しているはずだ。
「ならいいです……っていうか、あいつの事は下の名前で呼ぶんですね」
「陽華先輩からそう言われたからな」
「そうですかっ」
つん、と顔を逸らした白詰は再びぶすっと無言に戻ってしまう。
「(……どうすればいいんだ?)」
答えは見つからず、携帯端末の画面に視線を逃がすことしかできなかった。
しばし、居心地の悪い無言が続いていた時だった。
「先輩、ちょっといいで――」
ピリリ、と携帯端末から着信音が鳴ったのと白詰が話し出すのは同時だった。
あっ、という顔で口を止めた白詰。突然の事に驚いて思わず遠慮してしまったのだろう。
携帯端末の画面に表示された名前は『
「悪い白詰、先に電話をしてきてもいいか?」
「え……はい、そうですね、分かりました……」
履歴から白詰陽華の番号をタップしながら控え室から出て行く。
その時。
白詰氷華が悲しそうに両目を伏せたのが、少し気になった。
× × ×
「いやー、本当に助かった。ナオヤ君に電話を掛けて良かったよ」
竹のようにすらりとした身体付きで品のある大人びた顔立ち。いつもは曖昧な表情を乗せた糸目も今ばかりはにこやかだ。濡れたように濃い紺色の長髪は後ろで一本に纏められおり、細い首元が高等部の
ここは寺嶋メモリアルホールの裏庭だ。
駐車場とは反対側に位置しており、自動販売機と古いベンチだけが置かれた休憩スペースが用意されている。ホールのスタッフや要人の傍付きが利用することを想定されているのか、フロントや控え室と比べて小綺麗な印象が薄かった。
「ほら、お礼にこれをあげよう」
「ありがとうございます」
瀟洒な造りの街灯の下に置かれたベンチに座る陽華から缶コーヒーをもらった。ホットの暖かさがじんわりと両手に沁み込んでいく。
「俺が電話をかけ直さなかったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は諦めてたよ、大人しくね。だけどキミなら掛け直してくれると思っていたよ」
「随分と信頼してくれているんですね」
「当たり前じゃないか、キミは私の期待に応えてくれたんだからさ。今は気分がいい、何かキミにお礼をしたいくらいだよ」
ぽんぽんとベンチに座る陽華は隣の空間を叩いた。ここに座れという意味だろう。断る理由もないため躊躇なく腰を下ろす。
「キミが電話を掛けてくれなかったら、私は間違いなく『オジサマ方』に捕まって面倒な話を持ちかけられてただろうね。いつもの事だよ、私が高等部に進学した時くらいから露骨になったけど。立場的に断りにくいのを分かってて連中はふっかけてくるんだ。本当に性が悪い。分家の付き合いがあるから仕方なく愛想を振りまいているだけなのに」
「ちなみに、どんな話を持ちかけられるんですか?」
「縁談」
「……、」
言葉を失う霧沢を尻目に、陽華はあっけらかんとした様子で続ける。
「勿論『オジサマ方』とじゃない、彼らの息子との話さ。別に珍しい事じゃないだろ? 分家関係者が集まる場で、自分の子どもと歳の近い異性がいれば自然とそういう話になる。界術師は血筋に拘るからね、まだ残っているんだよそういう古くさい慣習がさ」
「……嫌じゃ、ないんですか?」
「イヤだよ、まっぴらごめんさ。私だって心は普通の女子高生なんだ、少しくらい夢を見てもいいじゃないか……まあただ、こういう大人の事情が物事を円滑に進めてくれるってのも知ってはいるんだけどさ。私の両親も家の事情が絡んだお見合いで知り合って、半ば強制的に結婚させられたって話だし。最終的には二人とも合意してたみたいだけど」
界術師が家や血筋といった『繋がり』に拘るのは、一族で一つの方式を生み出して進化させてきたという歴史があるからだ。
自由が叫ばれているこのご時世になんて時代錯誤なんだと思わなくもないが、霧沢自身も天城家という『始まりの八家』の一つで育ってきた界術師だ。この手の話があることは実感として理解していた。
「両親としては私に自由に恋愛して欲しいみたいだね。明峰本家から命令があったら逆らえないけど、それ以外なら可能な限りは守ってやると言われてるんだよ」
「なら、早く良い相手が見つかるといいですね」
「おいおい、他人事みたいに言わないでくれよ。ナオヤ君、キミも候補の一人なんだから」
「……はい?」
にやにや、と。
白詰陽華の顔に貼り付いた曖昧な笑みは変わらない。
「今まで風紀委員という立場からキミのことを見てきた。キミは他の生徒とは……いや、どんな人間とも違う『特別』だ。キミなら私が抱えているモノを全部ぶっ壊してくれるかもしれない。そんな風に思ってしまうんだよ」
「……、」
「そんな難しい顔をしないでくれ、これでも精一杯口説いているんだからさ」
ただ、裏庭に流れる空気が変わった気がした。
茜色に染まる景色の中で、一人の少女が霧沢直也を見詰めていた。
「なあ、私を助ける気はないかい? 報酬は私の全て。私があげられるものなら全部キミにあげよう。これでも色々とできる事は多いつもりなんだ。キミを満足させられると思うけど?」
「……人が悪いですよ、陽華先輩。そんなことを歳下の男子生徒に
惚けたように答えながら、相変わらず曖昧な笑みを浮かべた白詰陽華へと視線をやる。
その仮面の下に本当はどんな表情を浮かべているのか見えてこない。
まるでゲームで使われるアバターと会話しているような気分だ。目の前にいるはずなのに、心はずっと遠く離れた場所にあるような。何枚もの分厚いガラスの向こう側にいる白詰陽華の姿をはっきりと捉えることはできなかった。
「せっかくの提案ですけどお断りさせてもらいますよ。俺には荷が重そうです」
「そうかい、残念」
困惑顔のつもりか眉尻を下げた陽華は大仰に肩を竦めてみせる。
「魅力的だと思うんだけどね、即答されちゃ仕方ない」
「とっても魅力的ではありましたよ、少し心が揺れ動く程度には」
「キミは嘘がヘタだな、動揺なんて微塵もしてなかったくせに」
そう言う陽華の視線は少し悔しそうだった。
すっとベンチから立ち上がって、遠く茜色に揺れる大海原を眺望する。
「私にはさ、このまま真っ直ぐ歩いて行けばそれなりの人生が待っているんだ。界術師として適当に就職して、家の都合で結婚して、家庭に入って……それだって立派な未来だよ。青写真としては申し分ない程のね」
「なら、何が?」
「偶に思うんだよ、本当にこれでいいのかって。誰かに舗装された道だけじゃなくて、砂利道とか獣道みたいな道も歩いてみたいんじゃないかって。一種の破滅願望かな。若気の至りってやつだよ後輩。型に嵌まった人生を送っていない人が眩しく見えるんだ、キミのようにね」
ふわり、と。
夜の気配を連れてきた風が陽華の濃い紺色の髪を軽く揺らした。
その表情はどこか悲しげで、先ほど控え室に残してきた白詰氷華と重なる。やはり二人は姉妹なのだろう。そんな当たり前の事を実感させられた。
「陽華先輩、今度は俺から聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「白詰氷華。先輩との関係は明らかに普通じゃないですよね……なにがあったんですか?」
「特別なことなんてないよ。ただの姉妹喧嘩さ、ちょっと長引いてるだけのね」
陽華は長い睫毛に寂しげな色を落とした。
「あの子には特班が必要なんだ。信頼できる仲間がいて、偽らない本当の自分を出せて……そんな家族のような居場所がさ」
「どうして?」
「おっと、ここから先は有料だよ」
ふっと緩めた表情には、いつもの曖昧な笑みが浮かんでいた。
「キミが私を助けてくれる気になったら答えてあげようじゃないか」
「……随分と高い代金ですね」
「つまりは
立ち入るな、という意味。
踏み入る時は相応の覚悟をしてこいという言外の警告。
「さあそろそろ戻ろうか。もうすぐ会議が始まる」
そう言うと、陽華は室内へと入って行った。霧沢も後を追う。
「……陽華先輩、この世界に変わって欲しいですか?」
細い通路を歩く陽華は、きょとんとした表情で振り返った。
「世界……かい?」
「はい、陽華先輩を取り巻く世界――界術師の窮屈な世界です。出身とか、
「それは、想像するだけでもワクワクするね。そんな未来が待っているのなら、世界にはすぐにでも変わって欲しい。私だけじゃない、きっと多くの人がそうやって思っているはずさ。特に私達のような若者はね、全てを諦めて受け入れてしまった大人には反対されるかもしれないけど。未来に希望を抱けるのは、私達のような若い世代の特権なんだから。……質問に対する答えになっているかい?」
ふふっ、と陽華は唇の端から楽しそうに笑みを零した。
「ええ、十分です」
やはり、自分の目的は間違っていないのだ。
白詰氷華と白詰陽華の事情だけではない。
全ての命運は、これから行われる会議の結果次第。
世界を変えるだけの立場を手に入れるために『オッサン』と同じ場所まで辿り着く。その第一段階が風紀委員会への入会。ここで躓いてしまえば、全ての計画が台無しになってしまう。
「そう言えば、キミは会議に出席するのかい?」
「いえ。俺はまだ部外者ですからね、出席は禁じられています」
「そうなのかい? なら大丈夫なんだけど、まあ念の為」
すっ、と陽華は真剣な表情を浮かべた。
「夏越家現当主――
「分かりました」
「それと、後で発覚した時に勘ぐられるのが面倒だから言っておくけれど、私は会議で特班設立反対派に付くことになっているから」
「……?」
怪訝そうに目を細めると、陽華は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「家の都合ってやつだよ。安心してくれ、キミ達が不利になるような事を言うつもりはないから。正直言うとね、こうしてキミ達の手助けをしていることもバレたら面倒なことになったりする」
もうすぐフロントだ。
一緒にいることを見られたらまずいのだろう。陽華は足早に通路を進んでいく。
「後輩、私の気持ちはさっき伝えた通りさ」
ちらりと霧沢に視線を寄越して、白詰陽華は蠱惑的に微笑んだ。
「だから色々と内密で頼むよ。さっきの『お誘い』も含めてね」
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