第16話 夜空の追走

 ※前回のあらすじ


 特班設立を学園に認めさせるのに必要な実績を作るため、きりさわなお商業地区マーケットにてしらづめひょうと合流。違法薬物を本土から輸入している業者の事務所が入った雑居ビルに侵入するが、目的の事務所には刻印術式による敵の罠が仕掛けられていた。


 白詰の界力術によって術式を無力化して事務所の中を調べようとした矢先、予想外の衝撃が彼らを襲う。 


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 ドォッッンッッッ!!!!!! と足下から突き上げるような衝撃に襲われた。

 霧沢直也は慌ててデスクに手を突いてバランスを保つ。


「(攻撃された!? いや、これは――!!)」


 窓の外から聞こえてくるのは猛々しく火を噴く重たいエンジン音。急ハンドルに悲鳴を上げるタイヤの摩擦音が夜闇を引き裂いた。


 このビルの一階部分。

 確か、車庫になっていなかったか?


 慌てて窓まで駆け寄って外を見る。

 走り去っていくトラックが一台。一階部分のシャッターは衝撃によって内から外へと破裂するようにひしゃげていた。


「――そういうことか!!」


 またもや襲撃情報を入手した敵は事務所内に刻印術式を仕掛け、一階の車庫に停めたトラックの中で反撃の機会を窺う。だがどういう訳か刻印術式を発動できなかった。侵入者である霧沢達へ攻撃が不可能になったと判断して逃走を選択したのだ。違法薬物の実物や取引の資料などをトラックの荷台に詰め込んで。


「俺はあいつらを追う! 白詰はすぐに商業地区マーケットの警察に連絡してくれ!」

「お、追うって、相手は車か何かを使ってるんで――って、先輩!?」


 白詰氷華の素っ頓狂な声を背中に受けつつ躊躇なく窓から身を投げ出した。五階からのフリーダイブという訳にはいかない。実力カラーが赤ではいくら身体強化マスクルが得意だと言ってもコンクリートに無事に着地できる保証はないからだ。


「――来いよ、風狼。鋭く斬り裂く嵐を纏いて……!」


 赤い光芒を撒き散らす突風と共に、霧沢を背中に乗せた状態で黒い狼が姿を現す。足下に風を集めて宙を蹴り、射出されたような勢いで上空へと跳び上がった。


 月明かりに濡れた黒い嵐が、流星のように夜空を駆ける。



      ×   ×   ×



 事務所内に取り残された白詰氷華は、しばし呆然としていた。


「……ほんと、滅茶苦茶な人ですね」


 じゅうを使ってトラックを追うという発想もそうだが、それを実行してしまえるだけの腕前も異常だ。本土の裏社会で活躍していたことは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。


 生徒のレベルを遙かに超えている。


 ラクニルにも強い生徒はいる。逆立ちしても勝てないと思えてしまう相手は存在する。

 だが、霧沢直也との力の差はもっと根本的なところにあった。


 な強さ。


 裏社会での経験によるものなのだろうか。

 隣にいるはずなのに、立っている場所も、見えている景色も、自分とは違うような感覚。

 自分よりも遙か上空……雲の上に存在しているのではないかとすら思う。


 だけど、どうしてか隣を歩いていても全く違和感を覚えなかった。

 それどころか居心地の良さすら感じている。


 何というか、慣れているのだ。

 誰かと一緒に行動する……というよりは、歳下の女の子を扱うことに。


「……妹でも、いるのかな」


 霧沢に無理やり羽織らされたブレザーをぎゅっと握り締める。


 柔らかい人の温もりが儀式術式によって冷えた体を包み込んだ。

 暖かさが胸に沁み渡り、不意に記憶の隅に押し込んだはずの光景が蘇る。


 しらづめよう

 柔和に微笑みながら、抱きつく白詰氷華を優しく包み込――


「っ!!」


 勢いよく頭を振って浮かんだ光景を外へと追いやった。


 あいつは敵だ。

 家族を裏切った『あいつ』を絶対に許してはいけない。


 もう何年も言葉を交していないし、顔すらまともに見ていない。

 それでも憎悪が薄れることはなかった。


 不意に。

 こつ、こつ、と階段を上る足音が聞こえた。


 だが、白詰氷華は驚かない。


『彼』が見守っているから敵はここに近づけない。また『彼』がこのタイミングで登場するのは十分に予想できた。


 白詰は唐突に現れた来訪者――いまりょうへと向き直った。


「このこくいんじゅつしきの計画ですか?」

「いや、これはオレの命令じゃないよ。純粋な敵からの反撃さ」


 事務所の中を回し見ながら、今津稜護は考え込むように眉を寄せた。


「さて、どこから情報が漏れているのか。まあいくつか予想は立てられるんだけどね」

「内側に敵がいるってことですか?」

「そう考えるのが妥当だよ。でも安心してくれ、ちゃんと手だって打ってある。これでもオレは『今津家』の出身なんだ。できる事は多いんだ」


 すっと両目を細めた今津の顔に不敵な笑みが浮かぶ。


「でもまあ、まずは目の前の事件から解決しよう。今回はオレも出るよ。いい加減に結果を出せっても五月蠅いからさ。酷いと思わないか、これ以上は贔屓してるって周りに思われるって言うんだ。オレ達は友達のはずなのにさ」


 冗談めかすように今津は肩を竦めてみせた。


 あお――てらじまあおのことか。

 寺嶋本家の長男で次期当主候補筆頭の彼を、呼び捨てにできる界術師は一体何人いるだろう。これがプライベートであることを鑑みてもそうはいないはずだ。

 夏越御三家の『今津家』と、始まりの八家の一つである『寺嶋家』。この二つの家が強く結び付いていることこそ、特班設立に絶対に必要な条件だった。


「それはそうとして、白詰」

「はい?」


 小首を傾げる白詰に対し、今津はにんまりと快活な笑みを刻み込む。


「随分と仲良くなったじゃないか。それ直也のブレザーだろ?」

「ち、ちち違います! これは――っ!!」


 かあぁと顔を駆け上がってくる熱を振り払うように、白詰は勢いよく首を横に振った。


「せ、先輩が勝手に羽織らせたんです! そうです、氷華は望んでません!」

「それにしては大切そうに掴んでいるじゃないか」

「それはっ、……か、借り物を落として汚す訳にもいかないですし」

「別に否定しなくてもいいだろ? オレは嬉しいんだよ、将来の特班メンバーがより親密になってくれたんだからね。あ、特班は恋愛可能な組織にするつもりだから。バンバン青春してくれ」

「だからそういうのじゃないんですってばっ!!」


 精一杯の否定を伝えるために鋭い視線を突き立てるが今津は聞く耳を持たない。満面の笑みを浮かべてご機嫌な様子で廊下を歩いて行ってしまった。


 残された白詰は溜息をつく事しかできない。  

 羽織ったブレザーが落ちないように気を付けながら今津の後を追う。


「そりゃ、少しは嬉しかったですけど……っ」


 その言い訳は、誰にも聞かれることなく夜闇に溶けていった。


      ×   ×   ×


 霧沢直也は黒い界力獣に跨がって地上100メートルの夜空を駆けていた。


 時速数十キロで上空を走っているため向かい風が強烈だ。風坊に命令して風の流れをある程度は制御しているが完璧とはいかない。ブレザーを白詰に貸したこともあり体温は下がっていく一方だった。


 100メートルと言えば地上20階建てのビルの高さとほぼ同じ。眼下に広がるのは地図アプリで縮小を繰り返して見る上空写真のような夜景。慣れていなければこの現実離れした光景だけで気を失いそうだ。


 トラックが法定速度を無視して走っているのは、商業地区マーケットのビル群の中を伸びる高速道路。イメージとしては首都高に近いか。この自動車専用道はモノレールの線路と同じように島の外周をぐるっと囲むように伸びている。『外縁部自動車専用道』——通称、がいえんどうと呼ばれ、平時は物資の輸送の為に多くの業者が利用していた。商業地区マーケットの次は『工業地区プラント』や港を経由して第一から第四校区のある島の東側へと道路が続いている。


「さて、あとは仕掛けるタイミングだけだが……」


 すでに十分以上は空から追いかけているが、敵からの反撃はない。

 まさか空から追っているとは考えていないのだろう。その証拠に空から確認しにくい入り組んだ道路ではなく、速度重視で高速道路を選んでいるのだから。


 不意に携帯端末が震動する。

 画面には番号だけが表示されていた。連絡先を登録していない相手から着信だ。


『良かった、繋がりました! 先輩、氷華です!』

「白詰か? どうした急に、それにどうやって俺の番号を?」

『それは後です。それよりも! トラックは今どこを走っていますか?』

がいえんどうの東回りを北上中! このペースだと後数分で商業地区マーケットを抜けるぞ!」


 風の音に負けないように声を張り上げる。

 対して、白詰は落ち着いた声で返した。


『予想通りですね。――先輩、トラックの目的地は第一校区インター近くにあるきりしまとうです!』

「埠頭!? 連中、船を使って逃げるつもりか!」

『はい。埠頭近くに怪しい船の姿が確認されています。こちらは寺嶋家が対応してくれるそうですが、まだまだ時間が掛かります。トラックが先に船まで辿り着いて海に出られれば氷華達に手はありません!』

「だったら、それまでに何とかしないとな!」


 ジャンクションに差し掛かった。トラックは幾つもの高架が立体的に交差する中で、白詰の言う通り、第1から第4校区のある島の東側へと進んでいく。


『連中は第一校区インターでがいえんどうを降りるはずです。先輩は先回りしてください! この時間ならインターから埠頭までは無人です。派手に暴れても大丈夫ですから!』

「了解!」


 霧沢は風坊に命令を出し、速度を上げた。



      ×   ×   ×



 簡単な仕事だった。

 段ボールを保管して、指定の場所に運んで、金をもらうだけの、それこそ初等部に通うガキにだってできそうな役割だったはずだ。


「クソ!! なにがどうなってやがる!!」


 トラックを運転する男は、毒突きながら乱暴にアクセルを踏み込んだ。


「やっぱ引き受けるべきじゃなかったんですよ!! そもそも末端の俺らに話が回ってくる時点で怪しかったんですもん!」

「うるせぇ! そういうテメェも最初は賛成してたじゃねえか!!」


 助手席に座る二十代の若造に対してトラック運転手は乱暴に言い捨てる。普段ならカッとなって一発ぶん殴っているところだが今はそれすら面倒に感じる程に焦っていた。


「元請けに連絡は付いたのか!? 組織の上には!?」

「ダメです! あいつら電話に出る気配がありません! 完全に俺らトカゲの尻尾ですよ!」

「だとしても! クスリをラクニルに回収されて困るのは組織の方だろ? だったら俺達がガキ共に捕まるのをむざむざ見てる訳がねえだろうが!」

「そりゃクスリは回収しにくるかもしれないですけど、俺らは回収対象じゃないですよ。見捨てられるに決まってます! 噂の『外套の大男』に殺されるんじゃないですか!」

「クソッタレがあ!! どうしてこうなった!!」


 やり場のない苛立ちを込めて更にアクセルを踏みつける。大きくトラックが揺れ、助手席からは小さく悲鳴が上がった。若い男が天井の手すりを掴んだまま批難するような眼差しを浮かべて、

 

「悪いのは欲に目が眩んだ先輩ですよ! 俺は言いましたよね、先週の襲撃でもう手を引くべきだって。やっぱり何者かが俺らを邪魔したがっているんですよ! 空の段ボールを運ぶなんて寒い真似をしてでも確かめたじゃないですか!!」

「仕方ねえだろうが! こんな美味しい話はほいほい転がってるもんじゃねえんだからよ! それに相手がラクニルに通う生徒ガキだって言ったのはテメェじゃねぇか! 最終的に任務の続行に反対しなかったテメェも同罪だよクソッタレ!!」


 時速120キロを越えていた。自動速度取締機オービックや覆面パトカーに見つかれば一発アウトな速度。シフトレバーを操作してエンジンブレーキで急カーブを曲がり切る。


「どうすんですか先輩!」

「取り敢えずは船までこのまま逃げるぞ。準備に時間が掛かって追い付かれかけたが、海に出ちまえば関係ねぇからなあ! だが、元はと言えばテメェが界力術であのガキ共をヤッちまってればこんな事にはなってねえんだぞ! その責任は取ってもらうぜ!」

「し、知らないですよ! あの氷のせいで術式が発動しなかったんですもん!」

「ちゃんとクスリは飲んだんだろうな! 界力術の効果を上げるクスリなんだろ?」

「飲みましたよ! そのせいでなんかずっと気持ち悪いんですから!」


 うっ、と呻いた若い男は、唐突に手すりを掴んでいない方の手で鼻を押さえた。


「……うわ、鼻血まで出てきやがった。最悪」

「なんか目も真っ赤だぞ。大丈夫か?」

「大丈夫じゃないですよ! こんな怪しいクスリを飲むんじゃなかった!!」


 何日を寝ていないように両目を真っ赤に充血させた若者は、ぽたぽたと落ちていく鼻血を必死にティッシュで抑えながら、


「でも、どうして組織はこんなクスリを流通させようとしてるんですかね?」

「噂じゃ実験のサンプルを回収する為らしいぞ」

「実験?」

「クスリにも適性があるからな。ヤクけにして適性のある生徒を医療目的に回収して、色々と体の中をいじり回すとか何とか」

「実験って……人体実験のことですか!?」


 若い男は両目を見開いて驚愕した。


「あ、あんなの都市伝説ですよ……なんて与太話に決まってます!」

「複数の方式を使える界術師の製造とか、一般人を界術師にするとか、他にも噂は色々とあるぞ。あとは『第一校区の秘密』に関係してるとかも言われてたな。寺嶋家がずっと隠してるって言われてるアレだよ」

「……先輩って、そんなに都市伝説とか好きでしたっけ?」

「テメェが話を振ったんだろうが!」


 この一件にどんな背景があったとしても身の安全の確保が最優先だ。

 トラックは外縁部自動車専用道を第一校区インターで降りてきりしまとうへと向かう。


 モノレールの高架の下をくぐって海岸沿いに伸びている道路を進んでいく。道路の端には風力発電用の大型プロペラがいくつも設置してあり、海風を受けて回転していた。


「埠頭まではどれくらいだ!?」

「あと三キロです! ――って、先輩? あれってなんですか?」

「あ?」

「ほら、あれですよ! 窓の向こうで光って……こ、こっちに来る!?」

「んな訳ねえだろうが、なにをおおげさな――」


 しかし、トラック運転手の男の言葉は途切れることになる。


 まるで側面に砲弾を撃ち込まれたような衝撃によって。

 トラックが勢いよく横転したからだ。



      ×   ×   ×



 爆発したような轟音が炸裂した。

 突風を纏った黒い界力獣が投擲された槍のようにトラックへと突き刺さったのだ。莫大な衝撃に吹き飛ばされ、横転したトラックがみず飛沫しぶきのように火花を散らしながら道路を滑る。


「……やりすぎたか?」


 道路の真ん中で様子を見守っていた霧沢直也は小走りでトラックへと近づいていく。右手には長細い巾着袋から取り出した訓練刀が握られている。


 トラックは横転した状態で道路を滑ってガードレールを突き破り、運転席側を半分外へ出した状態で止まっていた。道路から立ち上る煙やアスファルトの焦げた匂いが衝撃の強さを物語っている。


 何にせよ、これで任務成功だ。

 あとはトラックの荷台から違法薬物や関連資料を手に入れるだけ――だが。


「そんな簡単な話じゃないよな」


 気配があった。


 何者かに取り囲まれたような感覚。

 風坊が警戒するように喉を鳴らしながら、赤い双眸で何かを睨み付けている。


 月明かりと街灯に照らされた薄闇の向こう。


 フルフェイスのヘルメットを被り、黒い戦争装束を纏った奇妙な集団。体型から判断するに男女半々か。刃物や銃といった明らかな武器を持つ人もいれば、木の枝やライターといった用途不明な装備の人もいる。


 界術師。

 しかも、ラクニルに通う生徒ではない。

 本土の裏社会で活躍するような常識外の連中だ。


「ようやく本命が来たか。つまり、トラックの中身は見られたくないってことだよな?」


 訓練刀を握り直す。

 数は七人。いくら風坊がいるとは言え、相手が界力獣との戦い方を熟知していれば霧沢一人では手に余る。


「(……使うしかない、か)」


 できることなら秘密にしておきたかったが負けてしまえば元も子もない。


 不意に、車のエンジン音が聞こえた。


 第一校区インターがある方から凄まじい勢いのヘッドライトが黒い道路を黄色く染めてくる。甲高い擦過音と共にドリフトして止まったセダンの後部座席から一人の女生徒が飛び出してきた。


「先輩!!」


 高等部のブレザーを羽織った白詰氷華は、霧沢を取り囲む黒い戦闘装束の集団を見て一瞬だけ表情に焦燥を滲ませる。だがすぐにその瞳に眩い戦意を宿した。


 フルフェイスの内、二人が白詰へと走り出す。


「……っ、逃げろ白詰!! こいつらは生徒じゃない!!」

「舐めないでください!」


 雪の結晶を模した髪飾りに触れながら、白詰氷華は告げた。


「いい機会です――見せてあげますよ、氷華の力を!!」

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