第14話 ペットは飼い主に何とやら
※前回のあらすじ
特殊任務遂行班――『特班』を設立する為にラクニルに輸入された違法薬物の事件を調査し始めた
それから一週間が経過した金曜日。
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金曜日の六限は界力実技の授業となる。
体育館の地下に作られたとにかく広い訓練場の中で、学校指定のジャージを着た一年A組の面々はそれぞれの界力術の発動練習をしていた。各々が習得した『方式』に基づいて術式を構築し、自分が思った通りの現象を起こすことが授業の目的である。
「……ふぅ、」
広大な訓練室の中で、
目の前にはショッピングモールなどで見るマネキンが一体。さらに上柳を見守るように
「いくぞ!」
瞬間、上柳の姿が黄色の残光と共に掻き消える。
大空を自由に飛び回った英雄――カルラ・アーベルの逸話を再現する術式。
足裏からジェットエンジンのように界力を放出させることで高速で跳び回ることができる。全界力術の中でも屈指の速度と、唯一とも言える空中機動性を誇っていた。
上柳はマネキンの周囲を高速で跳び回る。足裏から界力を放出し、まるで狭い部屋を跳ね回るスーパーボールのように鋭角に方向転換を繰り返す。たっぷり二十秒ほど黄色い軌跡を宙に刻み込んだ後、逆噴射によってふわりと勢いを殺し切って着地した。
天狗舞いを使うプロ界術師――『
呼吸を落ち着けた上柳は、緊張した面持ちで霧沢の方へと振り返った。
「どう、だった?」
「一週間前に比べれば格段に良くなってる。かなり良い状態だよ」
霧沢は感心したように頷いた。
「界力のコントロールもできつつあるし、無駄な動きも減ってきた。あの速度で飛び回れば簡単には対応されないはずだ」
「ほ、ホントか!?」
「ああ。だけど、まだバランスを崩す時があるんじゃないか?」
「……多分リズムを変える時だ。あの瞬間だけはどうしても界力の出力が乱れちまう。それに『型』に意識を取られすぎて周りが見えてない瞬間だってあるし」
「そこは慣れるしかない。実戦で使うにはまだ不安があるか」
「だな。それに空中での姿勢制御はまだまだなんだ。高速で飛び回って相手の意識を攪乱させても、肝心の決め手が撃てなかったら全く意味がないからな。実戦で使うにはまだまだ練度が足りてないよ」
真剣な顔で議論をしていると、片羽翔子がぱたぱたと興奮したような様子で駆け寄って来た。
「すごいよタカ君、全然見えなかった!」
「本当よ、全く別人じゃない。いつの間に特訓したの?」
ぱあと両目を輝かせて自分の事のように喜ぶ片羽の隣で、遠江真輝は両目を丸くして驚いている。調子が良い実感はあったが、どうやら客観的に見ても上達しているらしい。このペースで行けば二週間後の合同トライアウトまでに何とか間に合いそうだ。
「でもタカ君、どうして急に上手になったの?」
「どうしてって、そりゃあ……」
「今まで全然やってなかったのに、ここまで界力術の練習に真剣に打ち込ん……まさかっ!」
はっ、と口を開けた片羽が、眼鏡の下から咎めるような眼差しを向けてくる。
「……タカ君、私は反対だって言ったはずだよ」
「いや違うんだ、これは……その、」
片羽翔子は上柳が
「えーと、試験の対策だよ! ほら俺は一般教科で点数が取れないからさ、実技の方で稼がないと補習コースに入っちまうんだって! だから霧沢に頼んで練習に付き合ってもらってるんだよ!」
「ふーーーんっ」
じとーっ、と胡乱な目で見詰められる。
完全に信じられていなかった。だが、これは目を逸らしてばかりもいられない問題だ。合同トライアウトを受ける前までに片羽翔子に自分の気持ちを告げる必要がある。猛反対を喰らうことは目に見えており、不機嫌になった幼馴染みに説得すると考えると今から憂鬱だった。
適当に笑って誤魔化す上柳の隣で、遠江真輝は腕を組んで真剣な表情を浮かべて、
「だけど『天狗舞い』って扱いが難しい界力術よね。たしか闘術の『
「遠江、それは違うぞ」
即座に霧沢が反論した。
「『
「い、いいけどさ」
闘術には
霧沢に促された上柳は、特殊な呼吸によって
直後。
バンッ!! と大気が爆ぜるような音と共に、上柳高澄の体が黄色く掻き消えた。
ふぅ、と短く息をつく上柳を尻目に、難しい表情になった遠江真輝が唸りながら腕を組む。
「うーん、イマイチ違いが分からないわ。ようは天狗舞いって空中を走る界力術なんでしょ? だったら
「天狗舞いと歩法の違いは加速と減速ができる点にある。
霧沢直也と遠江真輝が真剣な顔で議論を続ける。
かなり高度な次元の会話だ。術式談義というよりは、実戦を前提とした論点で会話が進んでいる。経験の少ない上柳では意見を述べることができない領域。自分が使う界力術についての内容なのに話に入ることができなかった。
「タカ君、タカ君」
「なんだ?」
片羽はひょいひょいと手招きをして、何かを伝えるようにじっと上柳を見詰めた。小声で話したいから顔を近づけろという意味か。上柳はわずかに膝を折って右耳を片羽に近づける。
「あの二人、なんだかお似合いだと思わない?」
「……そうかあ?」
「そうだよ。だって、あんなに楽しそうなマキちゃん初めてみたもん」
改めて二人を見てみる。
議論は尚も続いている。気のせいかもしれないが、二人の距離感が縮まっている気がした。お互いに遠慮がなくなっていると表現するべきか。ついこの前まで感じていた窺うようなぎこちなさが消えている。もしかしたら、知らない所で何かあったのかもしれない。
「マキちゃん嬉しいんだろね、霧沢君が自分を特別扱いをしないから。今までいなかったんじゃないかな、本当の意味でマキちゃんと対等に接することができる同級生なんて」
「言われてみればそうかも、何だかんだいって俺もマキに頼ることって多いか。なんて言うか話しやすいんだよ、真剣に話を聞いてくれるし。何よりも正しい答えを出してくれそうな気がするんだ、去年だってかなり世話になったしさ」
「うん。だから、対等に扱ってくれる霧沢君との距離感が心地良いんだろうね。誰かに頼られるのは嬉しいだろうけどさ、ずっとそればっかだと寂しくなっちゃうよ」
ついつい人の上に立ってしまう。その喜びと苦しみは遠江真輝にしか分からない。だが楽しそうな表情で霧沢と議論を続ける遠江を見ていると、『寂しい』という片羽の表現が的を射ている気がした。
「いいなー、僕も霧沢君に界力術を教えてもらおうかな」
ウィンターが真剣な声音で呟いた。
「なんだウィンター、調子が悪いのか?」
「良かったことなんかないよ。僕の界力術のレベルじゃ使えても使えなくても一緒だからね。来月の中間テストが今から憂鬱さ。いい加減このバカを相手に底辺争いもしたくないし」
「ふっ、笑止。今の拙者はひと味違うぞ?」
「なら課題はクリアできるの? 術式発動までの時間短縮。僕もバカも三秒以内に発動しなくちゃ補修になるんだよ」
「……な、なんとかするでござるよ!」
バカとウィンターは揃って溜息を吐く。
中等部までは界力の操作など基礎的な事を中心に学ぶ。一般人には存在しない
「――して、一つ気になったんでござるが」
純粋な疑問に首を捻りながら、天然パーマのバカが霧沢に訊ねた。
「霧沢殿は、界力術を発動させないんでござるか?」
誰もが口に出さなかったが、気になっていたこと。
召喚術式。
界術師の差別の原因ともなったと言われる危険な方式。
「いいのか、召喚術式を使っても」
気遣うような視線で霧沢は周囲に問い掛ける。
霧沢直也という個人はクラスに馴染み始めているとは言え、依然として天城家に対しての差別意識は残っている。だからこそ、差別の原因の一端を担った『召喚術式』を使うことに躊躇いを覚えたのだろう。
「いいんじゃない、使っても。各自の方式を使って界力術を発動させるって授業なんだし」
「まあ、そういうことなら」
霧沢は空いたスペースへと歩いて行く。
しん、と静まりかえった訓練場内。全員が固唾を呑んで霧沢直也に注目していた。
二家と関係のある界術師は、差別を恐れて絶対に人前で方式を使おうとしない。ラクニルの生徒に限って言えば、他家の方式を無理やり習得して隠してしまう程だ。適性が低いため習得できたとしても殆ど機能しないのだが、それでも出身が発覚するよりは何倍も良いのだろう。
よって、二家の界力術を見られる機会は非常に限られてくるという訳だ。
「(さあ、どんな方式だ?)」
座学で習う限りでは、生き物という形で記憶次元に保管された
離れた場所で深呼吸した霧沢の体から、赤い
「――来いよ、
吹き荒れる一陣の風。
霧沢の黒髪や着ているブレザーの裾が強烈にはためく。
そして、赤い光芒が舞う風の渦の中から――
一匹の
「……へ?」
思わず、上柳の口から間抜けな声が漏れ出す。
大きさは成長した
「これが、
「ああ。戦闘用の界力獣を召喚する訳にもいかないから、子どもの段階で召喚してみたんだ。でも残念ながら、一つだけ大きな問題があって――」
きょろきょろと辺りを見回す黒い仔犬を抱き上げるために、霧沢が膝を折った――途端。
ぼふぅ!! と。
手を伸ばした霧沢を拒絶するように、黒い仔犬から突風が撒き散らされた。
ガルルル……ッ、と鋭く尖った犬歯を見せつけるように口を引き結んだ仔犬の双眸には、真っ赤に燃える炎のような憤慨の色が滲んでいる。腰を持ち上げる前屈みの格好で霧沢を威嚇していた。
「――この状態だと、俺の言う事を全く聞いてくれない」
ガウッ!! と短く吼えた黒い仔犬が、霧沢の手から逃がれるべく勢いよく駆け出した。目にも留まらぬ速さで訓練場を走り周って上柳達へと突っ込んで行く。
「上柳! 悪いが捕まえてくれ!!」
「つ、捕まえろって言っても……!」
「ふっ、ここは拙者の出番でござるなあ!!」
バカはたぷんとした巨体を活かし、仔犬の進路を塞ぐように移動する。
「お覚悟!!」
バカの手が仔犬へと伸びる。しかし空を切った。器用に左右にステップして陣馬の両手を掻い潜った仔犬は、のろまを嘲笑うように突風を浴びせる。
「ぶげばッ!?」
「バカ! くそっ、思ったよりも速いぞ! こっちに来たぞウィンター!!」
「ぼ、僕も参加しなくちゃダメなの!?」
上柳とウィンターが仔犬を捕まえようとするが止められない。無様に床に倒れているバカと同じように突風を浴びせられた。寝起きのように髪がぼさぼさになってしまう。その後も何人かの男子生徒が捕獲に乗り出すが、全員が突風の餌食になるだけで一向に捕まらなかった。
「翔子!! そっちに行ったぞ!」
「へ、え?」
上柳の声に辛うじて反応を示すも、目まぐるしく変わる状況に片羽翔子は完全に置いてけぼりを喰らっていた。あたふたと両手を体の前で振るだけで、具体的な行動を起こせていない。
だが、猛烈な速度で走り回っていた黒い仔犬は、唐突に片羽の前で足を止めた。無垢な表情で見上げ、くりんとした両目でじっと見詰める。
「……な、なにかな?」
一歩身を引いて怯える片羽へ、黒い仔犬はゆっくり歩み寄っていった。先ほどまでの敵意は感じない。片羽は困惑気味にしゃがんで恐る恐る手を伸ばしていく。小さな子どもが動物園の触れ合いコーナーにいる動物に触るような感じだ。
くぅ~ん、と甘えるような声と共に、黒い仔犬が片羽の手に体を擦り付ける。次第にぱあと明るくなっていく片羽の表情。微笑み掛けながら首の裏を優しく撫でている。
「なんだ、すごく良い子だよ」
片羽が飼い慣らせた事で、今まで気になっていた女子生徒も物珍しそうに近寄って行く。あっという間にでき上がる人だかり。先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように黒い仔犬は大人しくしていた。
「なんだ、急に大人しくなったぞ?」
「……あの犬、男子には突風を浴びせるくせに女子には尻尾を振るんだね」
「とんだエロ犬でござるな」
三人は同時に振り返って諸悪の根源である霧沢直也を睨み付ける。困ったような表情の霧沢は、申し訳なさそうに俯いていた。
「翔子、私にも触らせてよ」
遠足前の小学生のようにうきうきとした様子の遠江が、楽しそうな表情で黒い仔犬へと手を伸ばす。浮かんでいるのは絶対に他人には見せないような飛びっきりの笑顔。普段は気を張っている遠江が見せた珍しく無邪気な一面だった。
だが。
ぼふぅ!! と、強烈な突風が遠江真輝の顔面を直撃した。
凍り付く空気。
楽しげだった雰囲気が、まるで爆発したように砕け散る。
ふん、とそっぽを向く黒い仔犬。
だが相変わらず片羽を含めた他の女子生徒には甘えた態度で接し続けていた。
「……、」
遠江真輝は、動かない。
化学実験に失敗した研究者のようにライトブラウンの長髪はぼさぼさになっている。俯いているため表情はよく見えなかった。
ただ一つ。
それが嵐の前の静けさであることは、その場にいた誰もが感じ取っていた。
遠江はすっと顔を上げて、霧沢直也へと向き直る。
黒く、黒く、黒い極上の笑顔と共に。
「き、り、さ、わ、く、ん?」
「……なんだ、遠江」
「これは、どういうことなのかしら?」
「まあ待て。これは不可抗力だ。俺にはどうすることも」
「私が女らしくないって言いたいの? やだなあ、わざわざ界力獣を使って遠回しに伝えなくても、直接言ってくれればいいのに」
「違う、これは風坊が勝手に――」
「うふふふふふふ!!」
完全に聞く耳を持たないバーサーカー遠江真輝。不気味な微笑みと共に、一歩、また一歩と確実に霧沢直也へと近づいていく。その体からは赤い
「おい、他人に向けて界力術を使うことは校則で禁止されているはずじゃ……っ」
「問答無用! 人を馬鹿にしておいてタダで済むと思うなっ!!」
「俺は関係ない、やったのは風坊だ」
「アンタの犬でしょ! なら責任を取りなさいよっ!!」
ぎゃーぎゃー争い始める二人を見て、上柳高澄はぽつりと呟いた。
「やっぱり、
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