第12話 召喚術式

 ※前回のあらすじ


 特殊任務遂行班――通称『とくはん』の設立を学園ラクニルに認めさせるだけの実績を作るため、きりさわなおしらづめひょうと共に違法薬物の事件を追い掛けることになった。


 輸入された段ボールがある倉庫に奇襲を掛けるため、霧沢は天城家が生み出した方式『しょうかんじゅつしき』を発動する。


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「せっかくだ、じゅうを使おう」


 霧沢直也は神社ならばどこでも買えるような変哲のないお守りを、胸の前で大切そうに握り締める。途端、霧沢の全身から夕焼けのように赤い界力光ラクスが溢れ出した。夜闇を遠ざけて狭い小道を赤く染め上げる。


「――来いよ、ふうろう。鋭く斬り裂く嵐を纏いて……!」


 びゅぅッ!! と。

 一陣の風が激しく吹き荒れた。


 竜巻のように周囲の空気を巻き上げながら、赤い輝きが収束していく。


 それは、一匹の黒い狼だった。


 かなり大きい。跨がれば背中に人が乗れそうだ。

 人間の力など遙かに凌駕しそうな強靱な筋肉は漆黒の毛並みに覆われ、風になびく草原のように波打っている。すぅと高く伸びた鼻梁。精悍な顔付きには鋭い双眸が滲み、赤い瞳が闇を貫くように浮かんでいた。


 始まりの八家の一つであるあま。生み出した方式は『しょうかんじゅつしき』。

 世界を構成する三つの次元——人間が生活する現実次元、粒子状の界力が浮遊する界力次元。そして、最奥に存在する記憶次元にじゅうという『生き物』の形で保管された世界の記憶メモリアを召喚して使役する方式だ。


「これ、が……」


 じゅうを初めて見るのだろう。しらづめひょうは驚愕に両目を見開いていた。グルルルル……ッと喉を鳴らす黒い狼を見て後ずさる。


 しまった、と召喚してから気付いた。


 巨大な生き物は存在だけで恐怖を与える。

 動物園のように檻やガラスで守られていれば何も感じないだろうが、遮る物もなく目と鼻の先に存在しているのだ。少し機嫌が悪かったというような気まぐれで命を落としかねない状況。生殺与奪権を意思疎通のできない相手に握られる恐怖は想像に難くないだろう。もう少し白詰氷華に配慮するべきだった。


「白詰、大丈夫か?」

「……な、」

「な?」

「な、ななななんなんですかこの可愛い生き物はあ――――っ!!」


 がばっ! と。

 白詰氷華は助走を付けて黒い狼へと飛びかかった。


「夢だったんです! こういう大きな動物の背中に乗って走り回ることが!! ふさふさです! 暖かいです! 気持ちいいですっ!! 名前は!? 名前はなんて言うんですか!?」

「……ふ、ふうぼうだ」

「風坊ちゃん!! 先輩にしては良いネーミングですね!」

「俺が付けたんじゃないよ……昔、『先生』に付けてもらったんだ」


 霧沢の声など届いていないのだろう。一般人が見たら卒倒しそうな怪物を相手にして、白詰は満面の笑みを咲かせてじゃれついている。遊園地の着ぐるみと勘違いしているのかもしれない。


 フゥンと風坊が困惑気味に眉尻を下げて、助けを求めるように霧沢へ赤い視線を送ってきた。霧沢は呆れた表情で後頭部を掻いてから、白詰の首根っこを掴んで引っ張り上げる。


「わっ、なにするんですか!!」

「風坊が困ってるだろ。それにこれから戦いに行くんだ、ちょっとは緊張感を持ってくれ」

「……むぅ、仕方ないです。だったら襲撃が終わったら!」

「ああ、風坊に聞いておいてやるよ」

「本当ですかっ!?」


 ぱあ、と電灯のスイッチを入れたように白詰の顔が明るくなっていく。

 嬉しそうにしている白詰を尻目に、霧沢は短い呼吸を繰り返して緩んだ脳内を引き締めた。


 これから赴くのは、命のやり取りだ。

 油断は許されない。


「先輩、氷華はどうやって戦いに参加すれば?」

「今回は俺だけでやる。風坊こいつは共闘があまり得意じゃないからな」


 白詰氷華を実戦に参加させることに抵抗があったことは黙っておいた。特班のメンバーに選出されるだけの腕前があっても、実戦経験の少なさや心構えができていなければ使いものにならない。命のやり取りに不安要素を持ち込みたくなかった。


 霧沢は身体強化マスクルを使って風坊の背に飛び乗る。


「襲撃が終わったら倉庫に来てくれ。そこで合流しよう」

「分かりました。それと、違法薬物が入った段ボールは赤いテープで封がされているはずです。見つけたら確保しておいてください」

「了解した」


 視線を上向けて、倉庫の屋根の先を凝視する。

 すでに風坊には指令を出してある。あとは霧沢が命令を出すだけだ。


 霧沢が背中に手を置くとまるでエンジンが掛かったように風坊の全身に力が漲った。背中の筋肉が動く。ちくちくとした手触りの黒毛の下には、確かな生物の脈動が存在していた。


「……ちなみに先輩。風坊ちゃんの体重で倉庫の屋根の上を走ろうとすると間違いなく重さに耐えられないと思うんですけど」

「大丈夫だよ、風坊は


 ボォッフゥゥッッ!! と凄まじい旋風が巻き起こった。


 ぐいっと関節を折り曲げた風坊の両脚の筋肉が、莫大なエネルギーを溜め込んで膨張する。竜巻が如く突風と共に、黒い巨体が射出されたように夜空へと跳び上がった。


「走れ、風坊!!」


 霧沢の声に反応して風坊の両脚の周りに赤い界力光ラクスが収束した。そして、まるでそこに見えない道があるかのように空中を走り始める。


 界力の六大要素の一つである『風』。その性質を受け継いだ界力獣に発言する固有能力である。


 そして、倉庫の上空を数秒で走り切り。

 黒い一条の流星となった界力獣が、目的の倉庫の敷地内へと突き刺さった。


 畑の作物を薙ぎ倒す嵐のような突風と共に猛烈な衝撃が広がる。砕けたアスファルト片が散弾として撒き散らされた。それだけで近くにいた作業員の意識を奪っていく。


「(状況は!?)」


 素早く視線を走らせる。


 丁度トラックに段ボールを乗せたパレットを詰め込んでいたのだろうか。荷台部分が開いた大型トラックの周りにはフォークリフトが一台と、作業服を着た数名の男が尻餅を付いていた。突然の出来事に固まっている彼らの周りには赤いテープで封がされた段ボールが散乱している。


「(見つけた!)」


 風坊から飛び降りた霧沢は身体強化マスクルを使って作業員へと肉薄する。赤い界力光ラクスを迸らせ、右手に握った訓練刀を容赦なく振り抜いた。


 白目を剥いて倒れる職員。だが無力化を確認する暇はない。背後から接近してくる足音に反応し、霧沢はすぐさまその場を跳び退いた。


 月光を反射した銀色が、目の前で閃く。


 近づいてきた作業服を着た若い男が握っているのは折り畳み式のハンディナイフ。距離を取ろうとする霧沢を逃がさないと言わんばかりに男は連続してナイフを閃かせる。


「(……こいつ、ふざけているのか?)」


 まるで路地裏の喧嘩の延長。動きからは洗練さの欠片も感じない。大振りな一撃は、たとえ霧沢が身体強化マスクルを使っていなくても容易に躱せていただろう。


 ナイフを握り直した男が、奇声を上げながら霧沢へと襲い掛かる。

 霧沢は涼しい顔のまま訓練刀を振り抜いた。的確に急所を撃ち抜いた一振りにより若い男はあっさりと意識を失って倒れる。


「(界術師じゃないのか……?)」


 それどころか戦闘のプロですらない。喧嘩っ早い素人を取り敢えず集めたといった感じだろうか。組織としての集団性が全く感じられなかった。


 背後から悲鳴が上がる。


 風坊がその巨体を使って存分に暴れ回っているようだ。作業員が血相を変えて逃げ回っている。人を殺さないように命令してあるため大丈夫だろうが、事情を知らない作業員からすれば理解できない状況のはずだ。パニックになっても仕方ない。


 赤い双眸に戦意を滾らせた猛獣に背中を預け、霧沢はトラックの周りにいる他の作業服の男の無力化を図る。

 問題なく残党を片付け終わった頃には、すでに風坊によって辺りは蹂躙され尽くしていた。気絶して倒れた職員以外は全員が敷地の外へと逃げ出したようだ。


 すっかり夜の静けさを取り戻した倉庫の前で、霧沢は首を捻る。


 手応えがなさ過ぎる。


 相手が素人だったのもそうだが、それ以上に劣勢になった途端に逃げ出していったことも気に掛かる。彼らが取り扱っているのは本土から輸入された違法薬物。そんな重要物を運んでいるのだ。失敗すれば組織に殺されてもおかしくない。


 だが、作業服を着た連中からは生きるか死ぬかの必死さを感じなかった。


 まるでアルバイトが面倒になったから突然辞めてしまうような気軽さ。

 あの連中が重要物の運び屋だとは到底思えなかった。


 難しい顔で考える霧沢へ風坊がゆっくり歩み寄った。くぅんと甘えるような声を出しつ、もふもふとした肌触りの黒毛を擦り付けてくる。奮闘を労うように霧沢は首の下の辺りを撫でてあげた。


「セ、ン、パ、イ!」


 いつの間にか近くにいた白詰がご機嫌な様子で霧沢を見詰める。いつもは凪いだ水面のような瞳も、今だけは細かい水晶を詰めた瓶のようにキラキラと輝いていた。


 風坊と遊ばせろ、という意味だろう。


 困ったような表情で風坊へと目配せして訊ねてみる。考えるような間を開けてから、風坊は渋々と言った様子で了承してくれた。


「良かったな白詰、風坊から許可が出た」

「ありがとうございます!! それじゃさっそく――っ!!」


 ベッドに寝かせた特大のぬいぐるみに抱きつくように、白詰が助走を付けて風坊へと飛びついた。体格差があるため風坊の巨体はびくともしない。どこ吹く風といった様子で大きく欠伸をしていた。


 歓喜の声を上げる白詰を無関心に受け止めていた風坊だったが、白詰が背中に跨がったところで四肢を折って地面にしゃがみ込む。自分の尻尾を顔の前に持ってくるように体を丸めてしまった。


「ど、どうしちゃったんですか? まだまだこれからなのに……」

「こっから先は別料金だってさ。戦闘の後なんだ、休ませてやってくれ」

「むぅ、仕方ないです。風坊ちゃん、次は氷華も背中に乗せてくださいね」


 白詰は大人しく背中から降りる。瞼を閉じた風坊の頬を優しく撫で、ふっと柔らかく微笑み掛けた。歳相応の可愛らしい表情。霧沢へと向けていた仏頂面が嘘のようだ。


 風坊の体が赤く発光していく。ゆっくりと輪郭を失っていき、最後は赤い界力光ラクスが風に運ばれる綿毛のように夜空へと上っていった。白詰は最後の光が消えるまでじっとその場で見詰めていた。


「……なんですか、氷華のことをじっと見て」


 霧沢が意外そうな顔で自分を見ていることに気が付いたのだろう。いつもの不機嫌そうな顔に戻った白詰がろんに両目を細めた。


「特に意味はないよ。ただそんな風にも笑えるんだなって思ってさ」

「は、何言ってるんですか? 勘違いしているようですけど、氷華が心を許したのは風坊ちゃんであって先輩ではないです。いいですか、そこだけは理解してください」

「はいはい」

「先輩はあいつの……家族を裏切った『あいつ』の味方なんです。だったら氷華の敵です。それだけは、変わらないんですから」


 吐き捨てるように告げた白詰は、荷台が開きっぱなしのトラックへと近づいていく。目的は散乱した段ボール。情報によれば本土から持ち込まれた違法薬物が入っているらしい。


「気絶させた連中の処理はどうするんだ?」

てらじまに連絡はしてあります。後の事は彼らに任せましょう」


 言いながら、白詰は緊張した面持ちで赤いテープで封をされた段ボールを拾い上げた。


 しかし。


「?」


 段ボールを持った白詰の顔がみるみる内に青くなっていく。

 信じられないと言わんばかりに何度も段ボールを上下に振り始めた。


「……おかしいです、こんなはずがない!」

「白詰?」

!! これじゃあまるで――!!」


 段ボールを投げ捨てた白詰は赤いテープを剥がして蓋を開ける。

 そこには――


「……空っぽ?」


 疑問と共に呟きながら、霧沢は段ボールの中を覗き込む。


 白詰は慌てた様子で他の段ボールの中身も確認する。どの段ボールも中には何も入っていない。全てが空っぽだ。


 乱暴にテープを剥がされた段ボールが散乱する中で、白詰はギリリと唇を噛んだ。


「……やられました」

「どういうことなんだ、どうして空なんだよ」

「氷華達がここに来るって情報が敵に漏れているんですよ。この状況は敵の答え合わせなんです」

「……答え、合わせ?」


 首を捻る霧沢に対し、白詰は深刻そうな表情で、 


「空の段ボールを用意したのは何故だと思いますか? 簡単です。中身が見られても問題がないようにするためなんですよ。敵はどこからか氷華達が調査に来ることを知った。だけどその情報が信頼できなかった。だから試したんですよ」

「……つまり、違法薬物は別の場所で隠して安全を確保した上で、調? 空の段ボールを運ぶ振りだけをして?」

「はい。氷華達はまんまと敵のエサに食い付いたという訳ですね」


 敵からの反撃に手応えがなかった理由に合点がいった。


 段ボールの中身が見られようが、強奪されようが、敵からすれば何も問題もなかった。だから適当な人員を配置した。いや、そもそも敵の組織の一員かどうかも怪しい。負けると分かっている場所にわざわざ情報を持っている人間を配置する理由がないからだ。


 おそらく足下で気絶している作業服を着た男を尋問しても何も聞き出せないだろう。彼らはここで段ボールをトラックに積むようにだけ命じられるはずだ。中身が空であることには気付いても、その理由まで知っているとは考えにくい。


「多分、敵の警戒はもっと厳しくなります。もうボロなんて期待できません」

「……前途多難だな」

「でも、一つだけはっきりしました。違法薬物に関する情報は単なる噂じゃなかった。ラクニルに悪意の根を張りつつある解決すべき事件なんですよ」


 二人は難しい顔を浮かべながら、地面に散乱する段ボールを見詰める。


 特班を設立させる為に必要な成果。

 ラクニルに入り込んだ違法薬物に関する事件の解決。


 だが、捜査はその一歩目から暗礁に乗り上げたのだった。

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