第11話 無愛想な後輩

 ※前回のあらすじ


 かみやなぎたかすみはプロ界術師になるという夢を叶えるためきりさわなおに訓練をお願いする。そこで自分の課題を確認し、克服に向けて動き始めたのだった。


 その翌日、霧沢直也は『特班』設立のために動き出す。しらづめように指示された場所に向かうと、そこで彼を待っていたのは中等部三年生の風紀委員――しらづめひょうだった。


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 霧沢直也はタクシーに乗って移動していた。

 後部座席の隣には、一人分の隙間を空けて女生徒が座っている。


 しらづめひょう


 全体的に小柄な少女だ。

 中等部三年生という話だが初等部の生徒だと言われても違和感がない。


 凪いだ湖面のように静謐な瞳が印象的。他人を突き放すように冷淡な雰囲気だが、それが精巧な硝子細工のような少女の繊細さを引き立てている。両サイドに垂らすようなショートカットには雪の結晶を模した髪飾りが乗っていて、首下には赤い革製のチョーカーが嵌められていた。


「始めに言っておきますけど、氷華は先輩の事情を知っています。あま出身だってことも、本土の裏社会で活動してきたということも」

「……誰から聞いた?」

てらじま……としか言えませんね、氷華にも守秘義務がありますので。本題はここからです。色々ときな臭い経歴ですけど別に氷華は気にしません。興味がないと言った方が正確ですかね、天城家出身だからと言って怖がったりしませんから」

「そうかい、助かるよ」


 言葉と態度は冷たいが、変に意識されるよりは気持ちが楽だった。どこから情報が漏れているのかだけは気になるため、何らかの対策を打つ必要はあるだろうが。


「では、今回の任務について説明してあげます」


 胡乱な眼差しを浮かべながら、白詰は冷淡な声で、


「作戦の目的は『特殊任務遂行班』を風紀委員会内に設立させることです。その為には学園側を納得させるだけの実績を上げる必要があります……と言っても、実績ができたからと言って確実に設立される訳じゃないんですけどね」

「……どういう事だ?」

「特班の設立に反対する勢力がいるって意味ですよ」


 白詰は流れゆく景色を眺めながら、


「ラクニルは『始まりの八家』にとっての試験会場です。将来の為政者として、あるいは将来の家の代表としての資質を見られます。言い換えれば、ラクニルで成功すれば将来を期待され、失敗すれば将来の可能性を失うということですよ」


 例えば、いまりょうという生徒がいる。


 風紀委員会の副委員長にして、第一校区の代表候補生という破格の存在。

 今津は始まりの八家の一つである夏越家の御三家『今津家』の出身だ。御三家とは分家の中でも特に権力と責任を負った三つの家。当然、今津稜護は将来的には夏越家の発展の為に界術師として様々な働きを期待されている。


 だが、全員が今津稜護の背中を押しているという訳ではない。


 夏越家の分家の中には今津家を蹴落して御三家に上がりたいと思っている家もあるだろうし、夏越家を邪魔したい他家は今津稜護の活躍を快く思わないはず。このように、今津稜護がラクニルで失敗して将来の可能性を失った方が利益を得るような連中も存在する。


 そう言った彼らは、容赦なく今津稜護の行く手を阻もうとする。


 今津稜護に求められるのは、これらトラブルを解決する手腕。


 武力でもいい。政治力でもいい。何ならその場凌ぎの偶然もいい。

 要は物事を『上手く』進めるという最も難しいことを要求されるのだ。

 それこそが、今津稜護の将来性を計る指標となる。


 界術師の学園、ラクニル。

 この場所は、本土の学校とは根本から感覚が異なっているのだ。


「本家や分家の親からすれば、自分の息子や娘に成功して欲しいと思いますよね。だったら想像できませんか? 特班の設立によって不都合を被る生徒がいて、彼らの親や関係者が反対しているこの状況が。そして、反対している連中は誰なのか」

「……風紀委員会、か?」

「その通りです。少しは頭が回るみたいですね」


 特班の役割は、腐敗した風紀委員会では救えない生徒に手を差し伸べること。

 一見すれば何も問題がないように思える。風紀委員会の手が回っていなかったような事件を解決すれば第一校区はより安全な校区になるのだから。更に風紀委員会の横暴まで防げるとなれば言う事はないだろう。


「風紀委員会からすれば特班は目の上のたんこぶです。なにせ、自分達が今までやっていた不正行為を特班によって処罰されるかもしれないんですから。こうなれば風紀委員は今までのように取締点数ポイントを稼げなくなり、将来的な評価も得にくくなります。そうならないようにするために反対しているという訳です」


 風紀委員に与えられる『取締点数ポイント』。

 学内で発生した揉め事や事件を解決した場合に、その事態の重要さや大きさを鑑みて付与される評価点である。自分の評価を上げるために、風紀委員は罪をでっち上げてでも取締点数ポイントを稼ごうとする訳だ。


「そして、問題がもう一つ」


 ピンと一本の指を立てた白詰が、神妙な声音で、


「風紀委員会の後ろ盾になっている家――夏越御三家の一つ『』が反対しているのです。ただの分家なら無視すればいいんです、特班を設立しようと動いているのはてらじま本家ですから。ですが、夏越御三家となると耳障りな雑音と切り捨てることはできない」


 第一校区は設立当初から『始まりの八家』の一つである『てらじま』が主だって管理してきた校区だ。また、寺嶋家とも親交の深い夏越家も支援という形で管理に携わってきた。


「更に都合の悪いことに他校区からも批判の声が上がっています。なんでも数十年前に全校区で保有戦力に関する協定を結んでいて、特班は過剰戦力になるのではないかと言われているそうです」

「……過剰戦力って、校区間で戦争でもするつもりなのか?」

「協定を結んだ当時はそのような未来も想定していたんじゃないですか、何か解決できない問題が発生した場合はやむを得ないって感じで。過剰戦力かどうかは『統括議会セントラル』の判決待ちです。ラクニル全体を管理する彼らから了承が得られればこの手の反論はなくなるんですけどね。ざっくりとですが、以上が特班にまつわる背景です。しっかり頭に入れておいてください」


 タクシーは商業地区マーケットの繁華街を抜けて、港の方向へと向かっていく。


 道路の先では輸送船からコンテナを下ろす為の巨大クレーンが夜空に向かって伸びていた。もう少し近づけばコンテナヤードが見えてくるだろうか。港から帰宅するであろう対向車線はそこそこの混み具合だが、港行きの車線はがらがらに空いていた。

 島であるラクニルにとって船による輸入は生命線となる。消費される食料や生活必需品の九割以上を本土からやって来る輸送船で賄っていた。空輸も行っているが島の面積の関係で空港が小さく物流量には限りがあり、人の移動がメインの用途になっている。


 対向車のヘッドライトが薄暗いタクシー内を流れるように照らす。


 不意に、霧沢は口許に手を添えてうっと呻いた。

 異変に気付いた白詰が不思議そうな顔で、


「大丈夫ですか? なんか、具合が悪そうですけど」

「……酔った」

「酔ったって、車にですか!? まだ二十分も乗ってないですよ!」


 はあ、と呆れたように溜息をつきつつも、白詰は座ったまま霧沢の隣へと移動する。

 何かと身構える霧沢だったが、意外なことに白詰は優しく背中に手を添えてさすり始めた。


「しっかりしてください先輩。ここでダウンされたら氷華が困ります」

「……、」

「む。なんですか、その意外そうな顔は」


 つんと唇を尖らせるようにして、白詰は不機嫌そうに両目を細めた。


「氷華だって鬼じゃないんです。苦しそうにしている人に冷たい態度を取るようなことはしませんよ。……それに、気持ち悪い時にこうしてもらうと楽になるのは知ってますから」


 白詰の声は、どこか懐かしげだった。


「……ありがとう、白詰」

「お礼はいいですから、結果で示してください」

「厳しいな。がんばって、みるよ……」


 下を向きながら、霧沢は込み上げる吐き気に耐える。


――無愛想な子だけど、素直になれないだけだから。


 不意に、白詰陽華の言葉が脳裏を過ぎった。

 口では厳しいことを言いながらも白詰氷華の根は優しいのだろう。世話好きな様子を見ていると、クラスでは友人も多いのではないかと思える。


「(じゃあ、どうして……)」


 妹を救いたいと言ったしらづめよう

 姉に対して嫌悪感を剥き出しにするしらづめひょう


 この姉妹の間には、明確な確執がある。

 踏み込むな、とはっきり言われた。流石にこの問題に首を突っ込む気はない。


 だけど。

 少しだけ、気になった。



      ×   ×   ×



 更に十分間ほどタクシーに揺られ、霧沢直也と白詰氷華は目的地へと到着した。


 霧沢が街灯に寄りかかるようにしてぐったりしている隣で、白詰はタクシーのトランクから荷物を取り出している。


 料金はどうするのかと心配していたが、白詰が風紀委員会の腕章を見せただけで運転手は納得したのか何も言わずに去って行った。後で風紀委員会に請求するのだろう。


「先輩、体調は大丈夫ですか?」

「……なんとか」


 気遣うような視線を向けてくる白詰に対し、何度か深呼吸をしてからぎこちなく頷いた。まだ本調子とはいかないがこの程度の気持ち悪さなら無視できる。


「それじゃ、これを渡しておきます」

「……これは?」


 剣道部員が竹刀を持ち運ぶための長細い巾着袋だった。受け取ってみるとずっしりとした重量が両手に掛かる。


「訓練刀です。模擬戦で闘術使いの生徒が使う剣。刃が付いていないから斬れないですけどね。先輩、戦闘で剣を使うんですか? 現場に着いたらこれを渡すように言われたんですけど」

「……ああ、助かる。ありがとう」


 一瞬、を知られたのかとも思ったがそれは考えにくい。

 おそらくは白詰陽華が気を遣ってくれたのだろう。彼女は今津稜護の攻撃を防ぐ時に訓練刀を使用する霧沢を見ているのだから。


 背中に長細い巾着袋を掛け、白詰に案内される形で歩道を進んでいく。


 ここはラクニル南側に広がる港地帯から少し離れた場所だった。

 海運というよりは陸運中心の地域か。少し歩くだけで運送業者のものと思われる大きな倉庫がいくつも見えてきた。敷地の中には何台ものトラックが停められている。

 倉庫が多いせいか、全体的に建物が低く横に大きい。ふと見上げれば満天の星空が広がっていた。まだ冷たい夜風が優しく前髪を撫でる。


 すでに営業時間外なのだろう。ほとんどの倉庫には明かりが付いていない。電気の付いた事務所をちらほらと見かける程度だ。人の気配は皆無に等しく、夜闇に沈んだ無機質な倉庫や道路は少し不気味だった。


 携帯端末の光で顔を照らした白詰が、地図アプリと実際の道路を見比べながら口を開いた。


「氷華と先輩の任務は、ある運送業者から荷物を奪い取ることです」

「奪い取る? いいのか、そんな事をして」

「大丈夫です、寺嶋家の承認を得ていますから。中身は本土から違法に輸入された界術師専用の薬物……という風に聞いています」

「界術師専用の薬物、だと――界力活性剤アークマイムか?」


 声が、低くなる。

 両目に鋭く力が入った。

 

「せ、先輩……? どうしたんですか、そんな怖い顔をして」

「……悪い、ちょっと感情的になった。ただ、だとしたら、この事件には俺が関わる理由がある。そう思っただけだよ」


 短く息を吐き出して、表情から険を消した。


「それで、ラクニルでは生徒の間で薬物が流行っているのか?」

「まだその段階じゃないと思います。すでに導火線に火が付いているのなら氷華や先輩ではなく大人の警察が動いているはずですし。全容を把握できていないというのが正直な話だと思いますけどよ」

「いい加減な話だな」

「最悪のシナリオとしては、違法薬物の流行がニュースになることですね。界術師の学園で、違法薬物が流行した……こんな情報が世間を駆け巡ったらどうなるでしょうね」

「ラクニルの……いや、界術師全体のイメージに傷が付く」

「そうです。世間からの批判はもちろん、六家界術師連盟によってラクニルの制度や仕組みが変更されるかもしれません。やってくるのは厳しい管理という名の自由。楽しい学園生活なんて夢物語になってしまうでしょうね」

「……、」

「導火線が伸びているなら切断する。火が付いているなら消火する。どちらにせよ、爆発を未然に防げれば大勢の人が助かるんです。それは特班という例外を頭の堅い連中に認めさせるには十分な実績になるん――むぐっ!!」


 霧沢にブレザーの首根っこを掴まれた白詰が引っ張られるようにして止まった。


「な、なにするんですか先輩!」

「……静かに、角の先に人がいる」


 倉庫の敷地を囲むブロック塀に身を隠しながら、霧沢は曲がり角の向こう側を慎重に窺う。


「(……あいつ、明らかに周囲を警戒してる)」


 角を曲がった先にある倉庫。

 ブロック塀に囲まれているため敷地の中を見ることはできない。明かりが漏れ出す門の前には作業服を着た男性が一人。休憩を取っている振りをしているのだろうが、時折鋭い視線を周囲に放つその仕草は明らかに不自然だった。


 霧沢の腕の下から白詰がにゅっと顔を出す。


「む、確かに人がいますね」

「あんまり顔を出すな、見つかるだろうが」

「ぎゅぅ!!」


 白詰の頭を乱暴に背中へと押し込む。柔らかい髪の感触。押し潰されたような声と共に奥へと追いやられた白詰は、ぶすーっと不機嫌そうに顔をしかめて、


「なんですか、ちょっと調子がいいからって偉そうに……!」

「こんな時に意地を張らないでくれ。それで、あそこか?」

「……そうですよ、件の倉庫ですよ」


 フンと顎を反るように顔を背けた白詰が渋々教えてくれた。


 あそこが、今回の任務の目的地。

 本土から輸入された違法薬物が入っているとされる段ボール。


 それを奪い取る。


「具体的にはどうやって襲撃するつもりなんだ? 何か作戦は?」

「真正面からの奇襲しかないでしょ。立地が悪すぎますし」


 あっけらかんと言い切った白詰に対し、霧沢は考え込むように眉根を寄せた。


「それは流石に不用心過ぎる。対策もなしに飛び込むのには賛成できない」

「じゃあ先輩はどうするつもりなんですか?」

「そうだな……」


 くだんの倉庫は道路に面しており、道中に姿を隠すような障害物がない事も確認済み。警戒している相手に対して正面から攻め込むことは避けたい。


 更に大前提として、倉庫のどこに違法薬物の入った段ボールがあるか分からないのだ。

 詳細な建物内の地形や倉庫外周の様子が分からないためしらみつぶしに探すことになれば時間が掛かる。こそこそと嗅ぎ回り続ければそれだけ発見されるリスクが上がってしまう。


 それに、一つの懸念。


「(あいつらが、どれだけ不明だ)」


 本土の裏社会から違法薬物を輸入するような連中だ。襲撃されれば問答無用で反撃してくるだろう。相手に大怪我を負わせない術式のみを使用する、ルールに則って戦う、と言ったラクニル内では当たり前のなまぬるい戦闘にはならない。


 文字通り、命のやり取りになる。


 霧沢直也はこの事実を正しく理解している。

 天城家の施設で実戦訓練を受け、『オッサン』と二人で裏社会を渡り歩いてきたのだ。死線を潜り抜けた経験は数え切れない。


 だが、白詰氷華はどうだ。


 動きや態度から判断するにおそらく感覚は限りなく素人に近い。特班のメンバーに選ばれる程度の腕前はあるのだろうが、それはラクニル内の生徒同士の戦闘に限った話である。とても命のやり取りの経験があるとは思えない。


 ここは慎重な選択が必要だ。

 何か手はないか、と周囲をぐるりと見回す。


「(……あるだろ。もっと単純な方法が)」


 目の前には別の倉庫の敷地をぐるりと囲むブロック塀。そして、ブロック塀の向こうには平べったい巨大な倉庫がある。屋根までの高さは約十メートルか。


「白詰。このブロック塀を踏み台にして、その倉庫の屋根まで飛び上がれるか?」

「……どう、でしょうか」


 困ったような表情で白詰は倉庫の屋根を見上げる。


「ちょっと厳しそうです……ってまさか、この倉庫の屋根の上を走って空から奇襲を仕掛けるつもりなんですか!?」

「そのつもりだ」

「むちゃです! 大体先輩はこの倉庫の屋根に飛び乗れるんですか? 三階建てのビルの屋上へ跳び上がるようなものでなんです、身体強化マスクルだけじゃ足りないですよ!」

「だよな……よし、なら俺が一人で行ってくるか」

「はい?」


 白詰の凪いだ湖面ような瞳に、純粋な疑問の色が滲んだ。


「氷華の話を聞いてましたか? 身体強化マスクルだけじゃこの高さの倉庫にはよじ登れないって……」

身体強化マスクルを使うんじゃないよ。白詰だって聞いてるんだろ? 俺があま出身なんだって」


 霧沢はブレザーから古びたお守りを取り出した。神社であればどこでも買えそうなそれを、大切そうに胸の前で握り締める。


「せっかくだ、じゅうを召喚しよう」

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