第10話 天狗舞い

 ※前回のあらすじ


 かみやなぎたかすみは風紀委員会の入会試験を見学することで己の力不足を改めて自覚する。

 プロ界術師になるという夢を叶えるためにきりさわなおに戦い方を教えてくれと申し出たのだった。


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 時刻はすでに午後六時を過ぎている。

 辺りはかなり暗くなってきた。太陽はほぼ沈んでしまい、赤かった空には濃い藍色が波のように押し寄せている。長かった影も薄闇に飲み込まれて輪郭を失いつつあった。


「急ごう霧沢、もうあんまり時間がない」


 完全下校時刻は午後七時だ。それまでに学校の敷地外に出ていなければならない。部活動を終えた生徒達が下校していく中、上柳高澄は街灯に照らされた道を急ぎ足で進んでいく。目的地は闘技場コロッセオから少し離れた訓練施設だ。


 イメージとしては金網フェンスに囲まれた屋外テニスコートが敷き詰められているといった感じか。二人から四人までが同じスペースに入ることができ、中では界力術を自由に使うことができる。だがあくまで許可されているのは界力術の訓練のみで、戦闘行為は禁止されていた。


 使用手続きを終え、二人は施設に残って訓練している数組の生徒を眺めながら割り当てられたスペースへと向かった。訓練施設全体を照らすため、頭上では球場にあるような大型照明が白く輝いている。


 屋外テニスコートのようなスペースに入った上柳は、荷物を置いて霧沢直也と正面から向き合った。


「それで霧沢、まずは何をすればいい?」

「時間もないから手短にいこう。まずは上柳の力を知りたい」


 霧沢はブレザーを脱ぎ、スペースの端に置かれたカゴに放り投げる。


「俺に一度でもいいから攻撃を当ててみろ」

「それはだめだ霧沢。人に向けて界力術を使うのは禁止されてて……」

「大丈夫だよ、


 挑発するようにくいっと指を動かした霧沢は、澄ました表情を浮かべた。


てんい……だったか? 『格上殺しジャイアント・キリング』、かざよしひこが使う界力術は。だったら上柳も?」

「ああ、その通りだ」


 とうじゅつてんい。


 始まりの八家の一つであるなつごえが生み出した方式――とうじゅつ

 徒手空拳だけではなく、武器を用いた近接戦闘なら無類の強さを発揮する方式である。成し遂げた偉業から世界の記憶メモリアへに記録されるに至った英雄達の絶技や生き様を、己の肉体によって再現するのだ。


 天狗舞いが再現するのは空に住んだという逸話を持つ英雄――カルラ・アーベル。

 背中に生えた大きな翼を使って空を飛び回り、手に持った扇子を振り回して嵐を巻き起こす。渡り鳥と共に海を越え、猛禽類と共に狩りをする。カルラ・アーベルの逸話はいつも大空と共にあった。


「いいぞ上柳、好きなだけを溜めてくれ。本当なら戦闘中に溜めるところも見せて欲しいんだけど、時間もないし今回は特別に見逃すよ」

「分かった、そうさせてもらう」


 こくり、と頷いた上柳の体から黄色の界力光ラスクが溢れ出す。


 闘術を発動するためには、体内でを精製する必要があった。闘術では界力を利用すると同時にというエネルギーを消費することで術式を発動させたり、特殊技術を使ったりしている。イメージ的には格闘ゲームに存在する『必殺技ゲージ』が近いか。特殊な呼吸や瞑想など、氣を溜める方法は様々。闘術を使う界術師は戦闘中に隙を見てを溜めるのだ。


「いくぞ、霧沢!」


 十分なを溜め終わった上柳が重心を低くして叫ぶ。身体強化マスクルを発動し、黄色い界力光ラスクを撒き散らして合成樹脂の地面から跳び上がった。そして、宙に浮いた状態で『天狗舞い』を発動させる。


 その途端。

 両足の裏から飛行機のジェットエンジンを思わせる界力の奔流が放出された。ゴォッ!! と重低音を響かせ、上柳の体が黄色い残像となって掻き消える。夕暮れの藍色に光の帯を刻み込みながら霧沢直也の周囲を立体的に飛び回った。


 自由に大空を飛び回ったカルラ・アーベルの生き様の再現。

 足裏からジェットエンジンのように界力を放出して空中で加速と減速を行える。方向転換もアクションスター顔負けのアクロバットも思うがまま。界力術の中でも屈指の速度と、唯一の立体機動性を誇る術式だ。


「(いくら霧沢が強くても、人間の視覚と反応速度には限界がある)」


 まるで狭い部屋に糸を張り巡らせたように、上柳の黄色い軌跡が霧沢を囲い込んでいく。


「(反応できないはずだ。この速度で、死角から攻め込めば……っ!)」


 刹那の、判断。

 右足の裏から一際強烈なジェットを噴き出し、矢のような速度で背後から霧沢を――


「――は?」


 いない。

 先ほどまで確実にそこにいたはずの霧沢の姿が、どこにもない。


「どこ、に……?」

「後ろだよ」


 背後から肩を掴まれる。

 振り返るのが精一杯だった。肩を強く押されて崩れるバランス。上柳の体は揚力を失ったヘリコプターのように合成樹脂の地面へと墜落する。


「いてて……なんで、対応された?」

「考えるのは後だ。どんどん打ち込んでこいよ」


 赤い光芒を撒き散らしながら着地した霧沢が余裕そうな表情のまま告げた。使ったのは身体強化マスクルだろうか。天城家の方式である『しょうかんじゅつしき』を使った様子はない。


 呼吸法による氣の充填を行いながら、上柳は口許に好戦的な色が浮かべた。


「(やっぱり霧沢はすごい。でも、次こそは……!)」


 再び跳び上がって同じように立体的な空中機動で霧沢の周りを跳び回る。

 しかし、何度やっても上柳の拳が霧沢に届くことはなかった。


「……はぁっ、はぁっ……くそ、どうして当たらないんだ……?」


 荒い呼吸を落ち着けさせながら合成樹脂の地面に大の字で横になる。日が落ちて肌寒さを感じるようになったにも関わらず、上柳の顔には大量の汗が噴き出していた。ズキズキ、と眉間の奥が痛んで思わず顔を顰める。


すいたいが痛むのか? 急に界力術を使い過ぎたんだろうな、しばらく安静にしてれば自然と治るよ」

「ちくしょう……情けない。たったあれだけの使用で悲鳴を上げるなんて」


 界術師にはすいたいと呼ばれる体の器官が備わっている。眉間の奥に存在する脳の器官であり、界力術を発動するためには必要不可欠とされていた。またこの器官の発達具合で界術師と一般人は区別されている。


「さて、俺に攻撃が当たらなかった原因は二つだ」


 霧沢は涼しい顔でカゴに放り投げたブレザーを羽織りながら、


「一つはまだ本当の意味で上柳が界力術を使いこなせていない。常に全力でアクセルはベタ踏み。確かに速度は出てるけど上柳自身が界力術に振り回されてる。その証拠に俺の姿を確認できない瞬間があった。それに方向転換の時に界力を逆噴射して勢いを殺しすぎだ、あれじゃあ誰だって対応できるぞ」


 例えるなら、プロでも通用しそうな剛速球を投げられるが制球力コントロールはイマイチな投手だろうか。いくら威力があってもストライクゾーンに入らなければ投手としては失格である。


「上柳の実力カラーは黄色なんだ。の消費が大きいアクセル全開はどれだけ続く? 自分がコントロールできる範囲で闘術を使うべきだろ。それで速度が落ちたとしても結果的にこっちの方が相手を翻弄できる」

「……簡単に、言ってくれるな」


 霧沢が言っているのは、界力の操作を基礎から見直せということだ。


 ドッチボールで五つのゴムボールを完璧に操ってみせた霧沢には簡単なことだろう。しかし、二つのゴムボールすら満足に制御できない上柳からすれば、意図的に出力を抑えることは非常に困難なのだ。


 力を抜くのとは訳が違う。そんなことをすれば推進力が足りなくなりバランスを崩して地面に墜落してしまう。今までは最大限の出力でバランスを維持するように訓練してきたのだ。意図的に出力を抑えようと思ったら、闘術の使い方を根本から変える必要がある。野球で例えるなら投げ方フォームを変えるようなもの。体に染みついた癖を意識的に変更するのは容易ではない。


「もう一つは空中機動のリズムが一定なんだ。どれだけ高速移動を繰り返しても呼吸が読まれたら意味がない。俺じゃなくても少し戦いの心得がある奴なら簡単に躱すぞ。これじゃあせっかくの速度の利点を殺してる」


 高速移動は対戦相手に考える隙を与えない点で有利を取れるが、それはデメリットとして自分にも跳ね返る。すなわち、天狗舞いを発動している最中は自分も十分に考えることができなくなるのだ。

 そのせいで知らず知らずの内に癖が出ていたのだろう。霧沢直也はそれを見破り、感覚だけで高速で飛び回る上柳に対応してみせたのだ。


「解決方法は簡単だ。予め自分の中で『型』を作っておくんだよ。技名を付けてもいいんじゃないか、そっちの方が楽しそうだしな」

「……型?」

「手札を増やすってイメージだ。上柳には手札が一枚しかない、だから攻めようにも同じ攻撃しかできない。でもパターンという手札を増やせばどうだ? 攻め方にも幅が出るはずだ。相手からしても厄介だぞ。手札の枚数が多ければ、それだけ対策を取るべき選択肢が増えていく。そして、そこに駆け引きが生まれる」


 霧沢は荷物入れに入っている上柳のブレザーを引っ張りだし、寝転がる上柳へと近寄りながら、


「駆け引きに持ち込めば上柳の勝ちだよ。界力術でも屈指の高速移動と慣れない立体的な空中機動。不意を突くことは容易なはずだ。懐に潜り込みさえすればあの赤い手袋グローブ型の界力武装カイドアーツでとどめを刺せる。速度を活かす方法なんていくらでもあると思うぞ」

「……速度を、活かすか」


 霧沢からブレザーを受け取り、上柳は考えながら羽織る。


 上柳の脳内には、同じ闘術『天狗舞い』を使うかざよしひこの映像が浮かび上がっていた。

 風間良彦は相手の周囲を高速で跳び回り、決定的な隙を突いて懐に入り込むという戦い方を好んで使用していた。『ケージ』と呼ばれる技であり、上柳もこれを真似している。速度を活かすためにこれ以上に適した戦い方はないだろう。


「天狗舞いは強力な界力術なんだ、それは『格上殺しジャイアント・キリング』、かざよしひこがすでに証明している。だから、あとは上柳がどう使うか次第。自分の界力術の真価を発揮する、それが『強さ』を手に入れるための第一歩なんだ」

「……なんか、霧沢はやけに闘術に詳しいんだな」

「そうか?」

「ああ、結構感覚的な話までしてるじゃないか。使

「……気のせいだ、一般論を言ってるだけだよ。二つの方式を使うなんて保管領域アーカイブの容量的に不可能なんだしさ」


 霧沢は首を横に振った。


 界術師の精神内には術式を構築するための領域が存在している。術式情報を記憶しておく『保管領域アーカイブ』と、術式を組み立てる『構築領域ファクトリー』。それらはまとめて『界力演算領域インカイド』と呼ばれていた。

 保管領域アーカイブに記録できるのは、一種類の方式と適性の高い術式だけ。二つ目の方式や適性の低い術式はそもそも覚えることができない。 

 

「……あと、これは俺の気のせいかもしれないけど」


 ブレザーを羽織って立ち上がった上柳に、霧沢が若干言いにくそうに告げる。


「上柳、お前なんか相手の背後を取ることを意識し過ぎていないか?」

「……? どういうこと?」

「天狗舞いで相手の意識を掻き回した後、死角から距離を詰めることになるだろ? その時さ、どうも背後から攻めようとする癖がある気がするんだ」


 言われてみればそうかもしれない。

 だが、特に意識をしていないというのが本音であった。


「癖になってるのかもな。分かった、直してみるよ」


 上柳は訓練スペースの端に置いた荷物を拾い上げる。

 そろそろ時間だ。完全下校時間までもう二十分もない。二人は急いで訓練施設から出た。


「界力のコントロールとパターン、か」


 いざ向き合ってみれば課題は山積みだ。

 学内リーグ戦の合同トライアウトまであと三週間しかない。足りない部分を補うだけではなく、絶対の自信を持てるまで練度を高める必要だってある。もう一日も無駄にはできなかった。


「明日も頼むよ、霧沢先生」

「いいけど、明日は昼間だけになるな。夜は先約が入ってるんだ」

「……先約?」


 首を捻る上柳に対し、霧沢は得意げに言った。


「世界を変える、そのための第一歩だよ」



      ×   ×   ×



 翌日、土曜日。

 上柳高澄の訓練に付き合った霧沢直也は、自宅に帰ってシャワーを浴びていた。


 ラクニルは界術師の素質を持った子どものために作られた学業機関。基本的には生徒のための学園島であり、そこに彼らの両親の居場所はない。まだ初等部の生徒だとしても、界術師の素質に目覚めれば親元を離れて生活をしなければならなかった。

 そのため中等部までは生徒寮に入り、三人一組のルームシェアで生活を送る。高等部に進学した後は生徒マンションで一人暮らしか、同じくルームシェアの生徒寮かを選択できるようになった。


 タオルで水気を切って、風呂場から出る。


 玄関から伸びる短い廊下にはクローゼットと小さなキッチン、ユニットバスに通じる扉があるだけ。六畳ワンフロアという典型的な一人暮らし用の部屋だった。それでも、最適限の調度品しか置かれていないため少し物寂しい。


 時刻は午後五時半。

 本日は土曜日なのだが、敢えて制服を着る。戸締まりをして部屋を出た。目指すのは島の外周を走っているモノレールの駅。ラクニルで生徒が使える唯一の公共交通機関である。


「……あ、」


 第一校区の生徒が利用する駅の上りホーム。

 そこでモノレールを待っているとおとばったり出会った。


 すらりとした背中で、ライトブラウンの長髪が風に揺れていた。整った顔立ちの中で意志の強そうな瞳が輝いている。着ているのは白いチュニックに淡いピンクのロングスカート。薄手の上着を羽織るその格好は、あまり知識を持たない霧沢でも分かるほどに春を意識したファッションだった。


 他に電車を待っている生徒は少ない。目が合ってしまった以上は知らない振りをする訳にもいかず、霧沢直也は微妙な表情で固まる遠江真輝へと近づいて行った。少しだけ間を空けて隣に立つ。お互いに軽く挨拶を交した後、会話が生まれることはなかった。


 気まずい沈黙が流れる。

 しばらくは携帯端末を触って誤魔化していた遠江だったが、痺れを切らしたように目を合わせないまま口を開いた。


「霧沢君、その……昨日はありがと」

「なんの事だ?」

「ほら、界力実技の時間。森下君の界力術から庇ってくれたでしょ? まだお礼を言ってなかったって思ったの、だから……」

 

 気恥ずかしさを誤魔化すように、遠江は長い睫毛を伏せた。きゅっと引き結んだ唇。頬には夕焼けにも似た茜色が浮かんでいる。


「意外だな、そんなしおらしい顔もできるのか」

「失礼ね……貴方、私をなんだと思ってるのよ」


 眉根を寄せた遠江がつんと唇を尖らせる。


「でも驚いたわ、まさかそっちから近づいてくるなんて思ってもみなかった。やんわりと拒絶したつもりだったのに」

「あの程度じゃ効かないよ、俺が変えようとしているものはもっと大きいから。……ただ、遠江を利用するみたいな流れしたのは申し訳なく思ってる」

「ホントよ、勝手に打ち合わせを無視するんだから」


 言葉とは裏腹に、遠江は楽しそうな口調で言った。


「なんかバカバカしくなってきちゃった、霧沢君に気を遣うの」

「初めからそう大して使っていないだろ。いいんだぞ、初対面の時みたいな冷たい態度でも。遠江だって猫を被り続けるのは疲れるだろうしさ」

「あら、言ってくれるじゃない」


 ふふっ、と遠江の口許から小さな笑みが零れた。


「俺達は『秘密』を知り合っているんだ。なら協力していこうぜ、そっちの方がお互いにとって有意義なはずだ」

「ええ、そうね。不本意だけど、その提案に乗ってあげる。霧沢君を警戒するだけ面倒だし、そっちの方が気楽だわ」


 短く息をついた遠江が、すっと大きな瞳を向けてくる。

 教室で人前に立っている時とは違って、どこか固さの取れた素に近い表情。気を張っているような取り繕う気配が消えている。初対面の時から感じていた突き放すような冷たさを感じなくなった。どうやら、少しは心を開いてくれたらしい。


 遠江は夕焼けの中で風に揺れる長髪を押さえながら、


「それで、霧沢君はこんな時間にどこに行くの?」

商業地区マーケットだよ、ちょっと野暮用でさ」

「今から? 九時には家に帰らないといけないんだし、もうあんまり時間がないわよ。商業地区マーケットに行ってもロクに遊べないんじゃないの? それに制服を着ているし」


 商業地区マーケット。島の南側に広がるエリアの総称だ。

 

 ラクニルの本分は界術師の育成である。

 よってそれぞれの校区には校舎や闘技場コロッセオといった教育施設の他に、寮や生徒用マンション、生活必需品が揃ったショッピング施設といった必要最低限の施設しかない。生活する分には困らないだろうが、楽しい休日を過ごすにはいささか不足感が否めない。


 だが商業地区マーケットだけは別だった。


 カラオケ、ボーリング、ネットカフェ……例を挙げていけば切りがない程の娯楽施設がこれでもかと詰め込まれていた。島の南端には遊園地があり、他にもプロ界術師が公式戦を行えるスタジアムもあるらしい。またラクニルで商売をする企業のオフィスも存在する。学校関係者以外の大人を見られる数少ない場所でもあるのだ。

 

「そういう遠江はどこに行くんだ?」

「家に帰るのよ、私は寮とかマンションじゃなくて『研究地区アカデミー』に住んでいるから」


 モノレールが到着した。

 遠江が指摘した通り、夕方のこの時間から商業地区マーケットに行く人は少ないのだろう。ガラガラな車内で、二人は少しだけ隙間を空けて椅子に座った。


 霧沢直也は流れゆく景色を眺める。

 モノレールの窓の向こうに広がるのは水平線まで広がる太平洋の大海原。波立つ水面は夜から滲み出した薄紫色に沈みつつあった。日本の本土から1700キロも離れているらしいが、生活していても実感が湧かないというのが本音だった。


 反対側の窓からはラクニルの街並みが見えている。

 島の中央には綺麗な円錐型の山があり、『てんしょうざん』と呼ばれていた。西に傾いた太陽は天衝山に隠れており、街並みや森は黒い影に沈んでいる。夜の訪れを知らせるように、建物からはぽつぽつと灯りが漏れ始めていた。

 

「私はこの駅だから。また月曜日に学校で」


 じゃね、柔らかい表情で軽く手を振った遠江が先に降りていく。


 霧沢が降りたのは更にもう一つ先の駅。

 モノレールの扉が開いた瞬間、ざわざわとした活気に満ちた無数の話し声が聞こえてきた。見てみれば、下り線――これから各校区へと帰っていく路線のホームは都市部の通勤時間帯のように混み合っている。


 彼らを尻目に、霧沢はホームの階段を降りて改札へと向かった。


「……やっぱり乗り物は苦手だ」


 体が重たく、若干の吐き気が込み上げる。どうやらモノレールに酔ったらしい。

 転けないように手すりを持ちながら階段を慎重に降りていく。


 駅の周りは私服の生徒で溢れかえっていた。おそらくは終電の時間までここで喋っているつもりだろう。ロータリーに入ってくる巡回バスから多くの生徒が降車していることもあり、これから益々増えていくはずだ。


 霧沢は歩道橋を渡ってロータリーの上を横切った。


「(この辺りは、普通の街なんだな)」


 地方都市ならどこにでもありそうな駅前の景色を眺めながら、街灯の光を頼りにして階段を降りていく。


 何気に珍しいのが片道二車線の道路を走る自動車の存在だ。

 各校区にも輸送トラックや連絡バスは走っているのだが、このように沢山の車が行き交うという光景はまず見られない。校区には車を運転する大人が少ないからだ。行き交う人も若干生徒が多い気がするが大人も混じっている為、本土の街と言われてもそこまでの違和感はなかった。


 これから夜の街に繰り出すであろうスーツ姿の会社員や急ぎ足で駅へと向かう生徒の間を抜け、しらづめように指定された場所へと向かう。


 そこは、大通りから一歩入った路地だった。


 進んでいくと表通りから入ってくる明かりと喧騒が次第に薄くなる。何かの飲食店だろうか。けばけばしいネオンに彩られた狭い入口の前に立看板がある。高校生である霧沢が立ち入っても面白みのない地域だった。


 更に奥に行くと一軒のバーの前にタクシーが駐まっていた。あのバーが白詰陽華に指定された場所。警戒しながら近づいていく。


「先輩ですね? ひょうの手助けをしてくれるのは」


 タクシーから降りてきたのは、第一校区中等部の制服に『風紀委員会』の腕章を付けた女生徒だった。


 全体的に小柄で、幼さを色濃く残した少女だ。両耳を覆うようにサイドに垂らしたショートカット。静謐な湖面を想起させる凪いだ瞳は冷淡で、その突き放すような繊細な雰囲気は、まるで触れるのを躊躇ってしまうほど緻密な造りの硝子細工のよう。

 髪飾りは雪の結晶を模しているのだろうか。白い水晶を加工して作られたそれは、バーの窓から漏れ出す光を湛えて水面のようにきらめいている。首元には二本の革製の赤い紐を交互に編み込んだようなデザインのチョーカーが巻かれていた。


しらづめひょうです。……で、先輩は?」


 何か気に障ることでもあったのだろうか。白詰氷華は仏頂面のまま、じとーと胡乱な視線で霧沢を睨み付けた。とっつきにくさを感じながらも、霧沢はフレンドリーな感じで話しかける。


「霧沢直也だ。よろしく、氷華」

「いきなり下の名前ファーストネームで、しかも呼び捨てって……ちょっと馴れ馴れしいんじゃないですか?」

「いやでも、陽華先輩は苗字よりも名前で呼べって」

「……は? なんでそこで『あいつ』の名前が出てくるんですか?」


 露骨に眉をひそめた白詰氷華は、溜息と共に嫌悪感を露わにした。


「なんか都合が良いとは思っていたんです。でもそういう事ですか。裏で『あいつ』が操っていたなら納得です……余計なことをっ!」

「あいつって、お前の姉貴なんだろ? それなのにそんな言い方」

「先輩には関係ないです。踏み込んでこないでください、迷惑ですから」


 ピシャリ、と白詰氷華は鋭い眼光と共に反論を遮った。


「最初に言っておきます。氷華は先輩と仲良くなる気はありませんから。先輩があいつの仲間というなら尚更です。分かりましたか?」

「いや、でも」

「分かりましたか?」

「……分かったよ、白詰」

「それでいいです」


 満足げに頷いた白詰は、開きっぱなしのタクシーへと乗り込んでいく。


「あいつの差し金というのが不本意ですが、利用できるものは利用させてもらいます。それが一番近道なのは間違いないですし」


 そう言うと、白詰は夜闇に溶け込むようなほのぐらい笑みを滲ませた。


「さあ行きますよ。一緒に特班を作りましょうね、先輩」

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