第9話 力の差

 ※前回のあらすじ


 想像以上の悪意によって風紀委員入会試験の受験資格を剥奪されてしまったきりさわなお。副委員長――いまりょうとの一騎打ちで入会を狙うが、唐突に現れた女生徒によってその目論見も失敗してしまう。


 その後、霧沢は女生徒に誘われるがまま森の中へと入っていくが……


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 霧沢直也は突如として現れた女生徒に案内されるがまま、森の奥へとやって来ていた。

 太陽はかなり西に傾いており、茜色が森の闇を引き裂くように伸びている。女生徒は予め場所を見つけておいたのだろう。迷いのない足取りで案内されたのは、木立の合間にある少し開けた場所だった。


しらづめよう。高等部二年生で、見ての通り風紀委員だ。よろしくね、ナオヤ君」


 竹のようにすらりとした身体付きの上級生だった。

 腰まで伸びる濡れたように濃い紺色の長髪は、後方で白い髪紐によって一本に結われていた。優美さを感じさせる大人びた顔立ちで、糸目には添えられているのは長い睫毛。浮かべている曖昧な笑みは飄々として掴み所がなく、まるで風に乗って空を舞う花びらのようだった。


「それで白詰先輩、さっきの話は――」

「陽華でいいよ、その方が紛らわしくないからさ」

「……?」


 紛らわしい、とはどういう意味だろうか。


「なら陽華先輩。さっきの話は本当ですか?」

「さっきの話?」

「キャットの件と、俺を風紀委員会に入れてくれるという話ですよ」


 先ほど、霧沢は白詰陽華からこう耳打ちされたのだ。


 ――キミのことはキャットから聞いているよ。安心してくれ、私がキミを風紀委員会に入れてあげよう。


「うん、七割は本当だよ」


 飄々とした様子で、陽華は続ける。


「ナオヤ君の事を知ったのはキャットに教えてもらったからだ。キミも覚えているだろ、あのネコミミ少女だよ。でもキミを風紀委員会に入れてあげるというのは語弊があったね。正しくは、私の計画に参加してくれれば、結果的に風紀委員会に入れるという感じかな」

「私の、計画……?」

「なに、チョットしたことだよ。そんなに身構えてもらわなくてもいい」


 陽華は冗談っぽく肩を竦めてみせた。


「キミへの要求は一つだ。とある特殊部隊の設立に必要な条件を整えて欲しい。その特殊部隊が、キミが所属する組織となる。特殊任務遂行班――通称、『とくはん』。風紀委員会内に新しく設立される精鋭部隊だよ」

「……?」

「ねえナオヤ君。キミも見ただろ、この腐った風紀委員会を。いたずらに権力を持った子どもの末路。今の風紀委員会では何も守れないし、変えられない。これは誰が見ても明らかだ」


 天城家出身の霧沢直也に対する差別だけではない。風紀委員会の横暴はかみやなぎたかすみからいくつも聞いている。


「色々と知りながら、ただ指を咥えて現状を眺めている訳にはいかないんだよ。これでも私はあけみねの分家関係者でね、界術師を代表する一人として第一校区を変えるために行動する義務があるのさ。そのためには特班が必要になる。特班の役割は、今の風紀委員会で救えない生徒を救い出すことなんだから」


 真剣な表情を浮かべた陽華は、真っ直ぐ言い切った。分家関係者という話だが、もりしたしゅんや他の風紀委員とは違うタイプの界術師らしい。


「驚きました。本家や分家出身の界術師でもまともな人がいるんですね」

「ま、これは建前なんだけどね」

「……、」

「そんな顔をしないでくれよ後輩、半分くらいは本音なんだから」


 露骨に眉を曇らせた霧沢を見て、陽華はくつくつと可笑しそうに喉を鳴らした。


「私にも目的があってね、特班ができることでそいつが達成されるのさ。だけど安心してくれ、これは誰かを傷付けたり何かを壊したりする類いの目的じゃない。私はただ『あの子』を幸せにしてあげたいだけなんだよ」

「……その言葉を、俺が信用できる根拠は?」

「疑り深いなキミは。逆に訊くけど、私はどうしたらいいんだい?」

「そうですね、」


 一歩。

 霧沢は何気ない足取りで、白詰陽華へ踏み出した。


 その直後。

 目にも留まらぬ速さで陽華の制服を掴み、足を引っかけるようにして背中から下草へと転げ倒す。


「――がほぁ!?」


 背中を強く打ったのか、肺から押し出された空気を逃がす為に陽華が激しく咳き込んだ。だが構うことなく陽華の上に乗り、右腕を顎の下へと押し込む。


「……だ、大胆だな、キミは。初対面の女性を、森の中で押し倒すなんて。私のカラダが目的かい……?」

「黙れ、これ以上とぼけるようなら更に喉を圧迫するぞ」


 ぐいっ、と顎の下に押し込んだ腕に力を入れる。陽華は苦しそうにきゅっと糸目に力を入れた。


 倒れた時の衝撃か、霧沢が喉元に腕を押し込んだ時か、付けていたリボンタイがずれてブラウスのボタンが取れていた。胸元がわずかにはだけ、女性らしい膨らみも含めて白い肌が露出している。青さの抜けた果実のように大人びた容姿のせいか、制服の下からは年齢以上の艶やかさが滲んでいた。

 扇情的な状態だが、霧沢の黒い眼孔から鋭い光が薄れることはなかった。まるで銃口を突き付けるように陽華を見下ろす。


「キャットから俺の事を聞いているんだろ? だったら俺がこういう場面で容赦しないことは知っているはずだ。呼吸ができないってのは分かりやすく辛いぞ、とぼけ続けるなら限界まで苦しませてやるから覚悟した方がいい」

「……なる、ほど……ガハッ……これは、確かに本物だ……っ」


 観念したように、陽華の顔に諦めの色が浮かんだ。


「……要求、は?」

「俺に仕掛けた界力術を解除しろ、今すぐにだ」

「……気付いて、いたのか……!?」


 先ほど、白詰陽華に腕を掴まれた時にだろう。

 これがどんな界力術なのかは分からない。だが、界力光ラクスを悟らせない程の速度で正確に発動した腕前は見事だ。流石は分家関係者と言ったところか。


「巧妙だったよ、気を張っていなければ気付かない程度には。あの時は今津先輩の攻撃を受けた直後だったんだ。神経は最大限に尖っていた」


 今津稜護の一撃。

 正直な話をすれば、霧沢直也からしてもあの威力と規模は予想外だった。


 高校生のレベルではない。今の状態でも、本土の裏社会で十分通用するだろう。真正面から戦えば、『本気』を出さなければ勝てない。


 霧沢は、陽華の喉に押し込んだ腕に体重を掛けながら、


「何が目的だ? 本当に俺の味方をする気があるのか?」

「……言っただろ、私はキミの、手助けをするって。この界力術は、保険みたいなもの……キミがまだ私を信用していないように、私もまだキミを信用できていないんだ」

「初対面の相手を信用する方がどうかしている。それはいい、アンタの目的を聞かせろ」

「『あの子』を、幸せにするため……」

「誰だ、そいつは」


 陽華の薄く開いた瞳に、一際強い光が灯った。


「私には、あの子を救い出す義務がある。そして、あの子を救い出すためには、特班がいる。ただ、それだけの理由なんだ……!」


 咳き込んだり霧沢が力を掛けたりする度にブラウスがずれて胸元が更に露わになっていく。感情が昂ぶって頬も赤く上気していた。陽華は必死な表情で懇願するようにじっと霧沢を見詰めた。


「無礼は謝罪する、都合が良いと思われても仕方がない。だけど、頼むよ。私にはキミの力が、どうしても必要なんだ……!」

「界力術を解除しろ。まずはそれからだ」

「……分かった」


 こくりと頷いた陽華の体から橙色の界力光ラクスが漏れ出す。

 何か怪しい行動をした瞬間に意識を落とすくらいの気概で警戒していた霧沢だったが、どうやら陽華は大人しく従うつもりらしい。霧沢の腕に触れて界力術を解除した。


 仰向けになった陽華の上からどいた霧沢は警戒したまま距離を取る。


 ごほ、ごほ、と咳き込む陽華。呼吸を整えた後、ゆっくりと上半身だけ起こした。ぺたんと足を崩して下草の上に座り、はだけた胸元を見てわずかに頬を赤らめる。顔を伏せ、照れを隠すように制服を直しつつ、


「……まったく、キミは朴念仁かい。これでも私はカラダにはちょっと自信があったのに。少しくらい動揺してくれてもいいじゃないか」

「ハニートラップならもっと標的の趣味を勉強するべきですよ。そうですね、ここが先輩の部屋だったらもっと違う反応を示したかもしれません」

「つまり、外は趣味じゃないと?」

「そういうことです。衣装も凝るべきだ、俺はそれなりに分かりやすい趣味をしていますし」

「意外と図太い性格をしているな。でもまあ……ふふっ、私は好きだよ、そういう割り切った性格も」


 立ち上がって制服に付いた下草を払いながら、陽華は少しだけ表情を硬くする。


「……誤解しないでもらいたいんだけど、私にはキミを傷付けるつもりはなかった。それだけは信じて欲しい」

「大丈夫ですよ。特班の設立は俺にとっても陽華先輩にとっても利益がある。お互いに初対面なんです、信頼関係じゃなくて利害関係でいきましょう。そっちの方が俺も安心できます」

「話が早くて助かるよ。いいね、ますます気に入った。私の部下に欲しいくらいだ」


 にこりと微笑むと、陽華はブレザーの内ポケットから一枚の紙切れを取り出した。


「ここに書いてる場所へ、指定の時間に向かってくれ。そこで妹と合流して欲しい。彼女がキミの案内人になってくれる筈だよ」

「先輩は、どうするんですか?」

「私は動けない。これでも風紀委員なんだ、立場だって家の都合もある。だからこうしてキミに頼んでいるんじゃないか……それに、もう私の声はあの子に届かないだろうしさ」


 悄然と顔を伏せた陽華は、寂しそうな声で告げた。

 霧沢は紙切れを受け取り、中に書いてある情報を確認しながら、


「特班……でしたか? 部隊の創設条件を達成するって、俺は具体的に何をすれば……?」

「詳細は妹に聞いてくれ。概要だけ言うなら実績を作るって感じかな。武装組織を設立しようって言うんだ、部活を立ち上げるとは訳が違う。それ相応の理由があって成果が見込めなければ学園の承認が下りない。理由はいくらでもでっち上げられるけど、成果だけは誤魔化しようがないからさ。学園を納得できるだけの成果を手に入れて欲しいんだよ」

「その成果が示せなければ?」

「特班の設立は白紙に戻るだろうね。私の計画もキミの風紀委員会入りもおじゃんさ」


 霧沢直也が風紀委員会に入る方法は限られている。『オッサン』と共に組んだ計画からは大きく外れる事になるが、このチャンスを無駄にする訳にはいかない。


「分かりました、全力を尽くします」

「困ったことがあったら言ってくれ、協力は惜しまないから。それと最後に一つだけ」


 陽華は少しだけ表情を柔らかくした。


「妹をよろしくね。無愛想な子だけど、素直になれないだけだからさ」



       ×      ×      ×

 


 かみやなぎたかすみ闘技場コロッセオの階段状の観客席に座って風紀委員の入会試験を見学していた。試験内容はバトルロワイヤル。合格人数に絞られるまで全員が一つのフィールドの中でひたすら戦い続けるというものだ。


 試験が始まってから、すでに数十分が経過している。


 硬い砂が敷き詰められた円形のフィールドで、残り十名ほどとなった参加者が入り乱れるように界力術を放っていた。夕焼けで茜色に染まった景色が轟音で揺れ、ひんやりと夜の気配を伴った空気を吹き飛ばす。


「……くそ」


 派手な戦闘を見て歓声に包まれる闘技場コロッセオの中で、食い入るように戦いを見詰める上柳がギリリと歯軋りした。

 

 理由は、焦り。

 試験に参加している生徒の実力カラーはそれほど高くない。上柳と同じ黄色もいれば、次の橙色、霧沢直也や遠江真輝と同じ赤色までいる。十分に予想の範囲内。おそらく三週間後に行われる学内リーグ戦の合同トライアウトも同じような状況になるだろう。


 問題は、参加している生徒の質。

『戦闘』に慣れているのだ。


「こいつら、どこでこんなに経験を積んでるんだ……?」


 本家や分家関係者なら分かる。

 彼らは将来的に界術師としての活躍が期待されているため、幼い頃から戦闘訓練を含めた界力術の英才教育を施される。その結果、高等部に進学する頃には一般生徒とは比べものにならない程の戦闘技術を身に付けているのだ。


 だが、風紀委員会の入会試験に参加している生徒は本家や分家関係者ではない。彼らは試験に参加することなく委員長の推薦によって入会できるのだから。


 戦闘行為を禁じているラクニルにおいて、一般生徒が戦闘に慣れる方法は一つしかない。すなわち、界力術系の部活に所属すること。部活によっては戦闘を取り入れた競技も存在する。これらに参加すれば練度も上がるし、実戦経験だって身につくはずだ。


 対して、上柳高澄には何もない。

 中等部二年まで実力カラーが緑色だったこともあり、界力術系の部活に所属している訳ではない。かつては分家関係者だったためそれなりの教育を受けているが、すでに数年のブランクがあるためどこまで通用するかは未知数。実戦経験もあってないようなものでしかない。


 こんな状況で、今の自分がどこまで戦える?

 仮にこのバトルロワイヤルに参加して勝ち残れるのか?


 まだ、もりしたしゅんにすら勝てていないのに。


「随分と深刻そうな顔をしてるな」


 不意に背後から声が聞こえた。

 振り返ると何気ない顔で歩いてくる霧沢直也が視界に入った。入会試験を眺めながら上柳の隣の席に腰を下ろす。


「き、霧沢! お前、大丈夫だったのか!?」

「なにが?」

「いやだって、風紀委員に連れて行かれたんだぞ。俺はてっきり個別でなんか処罰されてんのかと……」

「そんな事はなかったよ、ちょっと話をしてただけだ」


 霧沢は特に気を揉む様子なく試験を眺め続けた。

 本当は何があったのか詳しく聞きたいところだったが、あまり話したくなさそうに見えた。疑問は尽きないが取り敢えずは入会試験に集中する。


 入会試験もすでに状況は大詰めだ。


 残り人数は五人ほど。何人が合格者になるか発表はされていないが、もう一人か二人が脱落すれば決着するのではないだろうか。


「……俺は、何か勘違いをしていたのかもしれない」 

 

 ぎゅっ、と硬く拳を握った上柳が神妙な声音で、


「楽観していたつもりはなかった……でも、心のどっかで甘えてたんだ。分家関係者だったから、憧れの人に背中を押してもらったから、そんな曖昧な希望に縋り付いて現実を見ようとしていなかったんだよ。少しでも考えれば分かったのにな、そんなに都合は良くないって」


 気を失って地面に倒れた脱落者が目に入る。

 目的があって試験に参加して、何者にもなれなかった『誰か』。主人公にはなれず、名前すらもらえないようなモブキャラ。その姿が、情けなく見てるしかできない自分と重なった。


「この試験を見に来て良かったよ、俺は自分の弱い心とようやく向き合うことができた。夢との距離を、力の差を、やっと理解することができた。このままじゃ駄目だ。今のままだったら、きっと俺は何者にもなれない……!」


 上柳高澄は一介の高校生だ。

 教室で授業を受けるその他大勢の生徒と同じ。過去も、思い出も、現在の上柳高澄とは無関係。特別な力を与えてくれる訳でも、何か大きな使命を帯びた訳でもない。特徴を持たず、読者にも覚えてもらえないモブキャラでしかないのだ。

 

「――決めた」


 意を決したように霧沢へと向き直る。


「霧沢、俺を鍛え直してくれ。専科生エキスパートになれば、リーグ戦に参加すれば、否応なく格上の界術師が相手になる。霧沢だって、マキだって……それに瞬だって、勝てない相手だって諦める訳にはいかないんだ。今までみたいに回り道をしているだけじゃ何も得られない」


 本気で何かを目指すということは、立ちはだかる幾つもの高い壁に真正面から挑むという意味だ。きっと、勝負の世界における不安と苦悩を存分に味わう事になるだろう。夜も眠れないほどの葛藤を乗り越えなければならないはずだ。


「どうせできないって諦めて、目を逸らして、自分の夢から逃げ出したくない。だけど俺一人の力じゃ限界がある……俺だけじゃ、きっと何も変えられない。でも霧沢なら変えてくれそうな気がするんだ、こんな弱い俺を強くしてくれそうな気が……だから頼むよ、霧沢!」


 祈るような気持ちで霧沢を見詰める。

 面喰らったように驚いていた霧沢だったが、にやりと得意げに片頬を持ち上げた。


「いいよ、俺でよければ喜んで」

「ほ、ほんとか!? ありがとう、頼むよ!!」


 夢の舞台は、遙か彼方。

 霞みの向こうで、目を凝らしても見えてこない。


 それでも、上柳高澄は歩き出す。

 少年の頃に抱いた夢を、現実のものにするために。


 顔を明るくする上柳の隣で、霧沢も楽しそうな表情で立ち上がった。


「ならさっそくレッスンを始めよう。まずは上柳の力を見せてくれ」

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