第8話 渦巻く悪意
※前回のあらすじ
放課後、
憧れの存在――風間良彦のようなプロ界術師になりたいと再認識した上柳は、強さを教えて欲しいと霧沢に申し出たのだった。
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上柳高澄は霧沢直也を連れて
想像していたよりも試験を見物する生徒が多いようだ。一般観客席の入口付近では開場を待つ生徒が風紀委員の指示に従って長い列を作っている。
ざわざわと雑談に花を咲かせる生徒達を横目に捉えつつ、二人は
「じゃ、行ってくる」
霧沢は受付に座っている風紀委員の男子生徒に話し掛けに行った。襟の色を見るに二年生だろうか。名前を告げて生徒証を見せると、受付の男子生徒はふっと小馬鹿にするように頬を緩めた。
何か、嫌な予感がした。
口許に浮かぶのは、神経を逆撫でるような嘲笑。嫌悪の色が滲んだ瞳が、霧沢へ向けられる。
「君、試験参加の申込書が提出されていないよ」
「……は? そんな訳ないですよ」
怪訝そうな様子で霧沢は詰め寄った。
「俺は確かに提出しました。直接、風紀委員に手渡したはずです。申込書の控えだってちゃんと貰っています」
鞄の中から申込書の控えを出して男子生徒に見せる。
しかし、男子生徒は呆れたように首を横に振った。
「それは何かの手違いだ。今ここに、君の申込書の本紙がない。それが全てだよ。悪いけど当日参加は受け付けていないんだ。出て行ってもらえるかな」
「な、なにを言って……っ!」
狼狽する霧沢の言葉に荒さが加わる。
ふと、後ろで様子を見ていた上柳が気付いた。
「(……なんだ、あいつら)」
受付以外の風紀委員も、くすくすと含みのある笑いを漏らしていたのだ。
空気が、淀んでいく。
まるで様々な化学物質が混ざって瘴気が発生するような不快感。黒い靄のようなものが、霧沢の周りをゆっくり覆っていく。
「おい霧沢。多分、これは……」
「……そういう事かよ」
霧沢直也は
差別対象である天城家の界術師という事で、入会試験ではかなりの不利を背負うと予想していた。圧倒的な成績を叩き出さないと、何かしらの理由を付けて不合格にされるだろうとまで想定していた。
甘かった。
そんな次元の話ではなかった。
「
受付の男子生徒を睨み付けた霧沢は、毒突くように言い捨てた。
風紀委員の男子生徒は勝ち誇ったように唇の端を吊り上げている。他の風紀委員もテントから出てきて霧沢と上柳を取り囲んでいく。
「き、霧沢! どうするんだよ、この状況!!」
相手は風紀委員会の上級生が四人。受付の男子生徒も含めれば五人か。全員が
「これは、なんの騒ぎだい?」
唐突に、一人の男子生徒がやって来た。
風紀委員と書かれた腕章を嵌めた二年生。
見上げるような長身で、がっちりとした体格だ。太めの眉が印象的な朗らかな顔付きだが、垂れ目に浮かぶ瞳は磨かれた玉石のように冷ややかな輝きを放っていた。少し長めの髪は癖毛で、眉を覆う前髪は先端が緩くうねる。落ち着いた雰囲気は、深く根を張った大樹を想起させた。
「……な、なんで、こんな時に、」
わなわなと唇を震わせながら、上柳は思わず一歩後ずさった。
「霧沢、すぐに逃げるぞ……! もう勝ち目なんてないんだ!」
「誰だ、あの先輩は?」
「なんで知らないんだよ、他校区にいても名前を聞いたことくらいあるだろ!
「……へぇ」
足が竦みそうになる上柳とは対照的に、霧沢の顔には刃物のような切れ味鋭い笑みが広がっていった。
そう、それはまるで。
最良の獲物を見つけた肉食獣のような。
「ふ、副委員長! どうされたんですか、今は試験準備中のはずじゃ……」
「騒ぎが起きてるって聞いてね。一応様子を見ておこうと思ってさ」
動揺に声が裏返りそうになる男子生徒を、今津稜護は澄ました顔で見下ろした。
だが、明らかにその立場には差が見て取れる。それは風紀委員会内での役職の違いだけではないのだろう。霧沢と上柳を取り囲んでいた他の風紀委員も、金縛りにあったように身動きが取れなくなっていた。
始まりの八家の一つである
分家にもランクの違いがあるが、中でも『御三家』は他の分家とは一線を画する力を持っていた。本家に不幸があった時に次期当主を輩出できる家とされ、本家や六家界術師連盟の運営にも深く関わっている。
「それで、騒動の原因は?」
「それが、その……霧沢直也という一年生が、参加申込書を提出していないのに、入会試験に参加させろと言ってきていまして……」
「へぇ、彼が?」
すっ、と今津の視線が向けられた。
それだけで、呼吸が詰まるような錯覚に襲われた。まるで腹を空かせた猛獣と目が合ったような圧倒的な恐怖が込み上げてくる。
だから、居竦んで動けなくなった上柳は理解できなかった。
嬉しそうに笑いながら、前に一歩を踏み出した霧沢直也を。
「今津先輩、相談に乗ってくれませんか?」
霧沢は風紀委員の包囲を抜け出して受付の仮設テントの方へと歩いていった。中に用意されていた模擬戦で使われる訓練刀を無断で掴み取り、慣れた様子で肩に置く。
「(……け、剣?)」
霧沢直也は天城家出身であり、使うのは『
「(召喚術式と同時に剣も使って戦うつもりか? それはダメだ、相手が悪すぎる……っ!)」
今津稜護が使うのは『
記憶次元に
「(相手は近接戦闘の専門家で、しかも第一校区の代表候補生にも選抜される化け物なんだぞ! ただの剣術で挑むのは自殺行為、相手の土俵で嬲り殺されるだけだ!)」
心配する上柳の内心など知らず、霧沢は不敵な笑みを浮かべたまま今津稜護の正面へと移動する。約十メートルの距離を取って向かい合った。
「オレに相談? なんだい、言ってみなよ」
「先輩、俺は風紀委員会に入りたいんです。でもこのままじゃ試験すら受けさせてもらえそうにない。だから、お願いがあるんですよ」
大胆不敵に真っ直ぐ言い放つ。
「俺と戦ってください。それで、俺が勝てば風紀委員会への入会を認めてくれませんか?」
目の前に雷が落ちたような衝撃が、周囲一帯に走り抜けた。
霧沢直也は何と言った?
勝負して、勝ったら入会を認めろ?
誰もが言葉も発せないほど驚く中で、今津稜護はきょとんと面喰らったようにしてから、
「君は、随分と怖いもの知らずのようだね。それは君の利点なのかもしれないな。だけどもう少し現実を知った方がいい」
じわり、と。
「この世界は、君が思っているほど優しくない」
咄嗟に訓練刀を正眼に構える霧沢に対し、今津は紫色の
「門前払いだ
烈風が。
吹き荒れた。
人間の力では到底出し得ない量のエネルギー。
槍のように
轟音が大地を震撼させた。
「っ!?」
上柳は衝撃に弾き飛ばされそうになる体を必死に支え、片腕で顔を守る。
今津稜護が何をしたのか、全く理解できなかった。見えたのは弓を引くように胸を張ってから正拳突きを繰り出すまでの動作。
「(それだけで、十分だって言うのか……?)」
今津稜護が使うのは『
ただ腕を突き出すだけで、地面ごと抉り取るような極大の衝撃を放てる。
これが、御三家。
第一校区代表候補生に選出される界術師。
「(……霧沢はっ!?)」
重機を使ったように抉り取られた地面の先。立ち込める土埃の中へと、上柳は目を凝らす。
人影があった。
真ん中でへし折れた訓練刀を振り下ろしたような格好で、霧沢直也は鋭く今津稜護を睨み付けている。
「た、耐えた? あの一撃を……?」
だが、無傷とはいかなかったらしい。
さらりとした黒髪は乱れ、切れたのか頬からは薄く血が滲んでいる。いつもは水晶のような冷たさを感じさせる瞳も、今は流れ込む様々な感情の光によって激しく明滅を繰り返していた。
「……驚いた、割と本気で放ったんだけどな」
今津の両目が興味深そうに細められ、含みのある笑みが頬に浮かぶ。
折れた訓練刀を投げ捨てた霧沢は、すっと顔を引き締めた。
「……先輩。これは、俺と戦ってくれるってことですよね?」
「ああ、合格だ。オレは君を認めよう、霧沢直也」
言いながらも、今津は直立したままで構えを取らない。まるで戦う気がないと言わんばかりに不敵に霧沢を見詰めているだけだ。
霧沢が重心を低くする。すぐに走り出せるような体勢で、今津を睨み付け――
「ハイハーイ! その勝負ちょっと待ったあーーっ!!」
場違いに明るい声が張り詰めた空気を掻き乱す。
突如として現れたのは一人の女生徒。
風紀委員の腕章。制服の襟の色から高等部二年生なのだろう。
竹のようにすらりとした身体付き。腰まで伸びる濡れたように濃い紺色の長髪は、後方で白い髪紐によって一本に結われていた。優美さを感じさせる大人びた顔立ちで、糸目には長い睫毛が添えられている。浮かべている曖昧な笑みは飄々として掴み所がなく、まるで風に乗って空を舞う花びらのようだった。
「すごいなキミ、リョウゴ君のアレを凌いじゃうなんてさ!」
全く空気を読む気がない女生徒は、緊張が解けて面喰らった霧沢へと何気なく近づいて行き、ぐっと腕を掴んだ。
「なんだ、アンタは……っ!?」
「そんなに暴れない。ほら、耳を貸して」
腕を振り解こうとする霧沢に対し、女生徒は構わずに顔を近づけて小声で何かを囁いた。途端、霧沢の目の色が変わる。先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように動きを止めて、女生徒を見詰めた。
「本当、か……?」
「ああ。だから、さ」
「……分かりました」
大人しく引き下がった霧沢を見て、女生徒は満足げにうんうんと何度も頷いた。
「という訳だ。リョウゴ君、彼はあたしが貰っていくけどいいかい?」
「それはいいが、後の事は全て
「もちろん、構わないよ」
言い終わるや否や、女生徒は霧沢を連れて森の方へと歩き出す。とそこで、思い出したように霧沢が立ち止まって上柳の方に振り向いた。
「悪い、上柳! 先に観客席に行って待っててくれ。俺も後でそっちに行くから!」
「あ、ああ……」
訳が分からない。試験に参加しなくてもいいのか?
森の中へと入っていく二人の背中を見ていることしかできなかった。
「……やっぱりいいな、彼」
今津稜護の口許に浮かぶのは楽しそうな笑み。それはまるで、逃がした獲物が更に肥えるのを待つ狩人のような。
ぞくっ、と上柳の背筋に悪寒が走る。
あまりこの件に深入りするべきではない。
風紀委員に目を付けられた霧沢は心配だが、あの様子では何かしらの考えがあるのだろう。どちらにしても上柳にできることは残されていなかった。
一刻も早くこの場から立ち去るために、そそくさと観客席へと向かった。
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