第2話 一陣の風

※前回のあらすじ


 ラクニルに転入してきたきりさわなおは、自身が差別対象である『天城家』出身だと宣言してしまう。クラスメイトであるとおからも釘を刺され、『オッサン』に言われた楽しい学園生活を送る難しさを改めて痛感した。

 

 そんな中、霧沢直也はイジメの犯行現場に出くわしてしまう。

 注意しようとした矢先、一人の男子生徒が息を切らして走ってくることに気付いた。


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 帰りのホームルームが終わってから二十分が経過した頃。

 かみやなぎたかすみは血の気の引いた顔で通学鞄を漁っていた。


 中肉中背な体格で、さっぱりとした印象の少年だった。

 くせっ毛なのか前髪以外は風にたなびくように逆立っている。近づきやすい快活な物腰で、友人は多そうだ。くっきりとした顔立ちの中にほのかに見て取れるあどけなさは、青々とした葉を茂らせた若木を連想させた。


「ない! ないない! チクチョーどこにいったんだ!?」


 もらったばかりの教科書に傷が付く事を気に留めず、乱暴に鞄の中を手で掻き回す。しかし捜し物である赤い手袋グローブは見つからなかった。


「おかしい、確かに鞄に入れたはずなのに……?」

「ど、どうしたのタカ君。そんなに慌てて……?」


 教室に入ってきた女子生徒が目を丸くして歩み寄ってきた。

 小さな顔には穢れを知らない新雪のような幼さが色濃く残り、掛けられた細い紫縁の眼鏡が知的さを添えている。柔らかそうな薄菫色ライトバイオレットのショートカット。眉を隠すまで下ろされた前髪は、思慮深い彼女の落ち着いた性格を象徴しているかのようだった。


 かたばねしょうかみやなぎたかすみと同じく一年A組の生徒だ。


「翔子! なあ、俺の界力武装カイドアーツをどっかで見なかったか!?」

「え、タカ君の? それって、あの赤い手袋グローブだよね……?」

 

 片羽は首を横に振る。さらりとした前髪が眼鏡の上で揺れた。


「ううん、見てないよ……でもどうして?」

「ないんだよ、どこにも! さっきからずっと探してるのに!!」


 えっ、と顔を青くした。

 片羽はあの界力武装カイドアーツが上柳にとってどれだけ大切な物なのかを知っている。だからこそ、事態の大きさに気付いて沈痛そうに表情を歪めたのだ。


「……また、しゅん君なのかな?」

「かもしれない、こんだけ探してないんだからな……っ!」


 ギリリと歯軋りをした上柳が、両目に怒りの色を滲ませる


「わたしね、さっきしゅん君を見かけたよ。教員用出口から外に出て行ってた」

「ってことは校舎裏か。ちょっと見てくる」

「……また、けんかするの?」


 片羽は沈んだ声で言いながら、上目遣いで上柳を見詰めた。

 

「事と次第によっちゃな。アイツには言葉じゃ通じないんだから」

「タカ君、もうそういうのは……」

「分かってるよ、できるだけ穏便に済ませる」


 引き留めたそうな眼差しを背中に感じながらも、上柳は教室から駆け出した。階段を飛び降りて教員用出口を目指す。


 だが慌てていたせいで判断を誤った。

 最後の階段から跳び降りた瞬間、視界の端に女子生徒が入り込んできたのだ。


「おわっ! あぶないっ!!」

「――ッ!!」


 慌てふためくだけの上柳に対し、女子生徒の反応は早かった。両目を見開くと同時に全身から赤色の界力光ラクスを放つ。廊下に深紅の光芒を散らしながら、雷光のような速度で体を捻った。


「わぶぅっ!!」

「だ、大丈夫!? ――って、たかすみ君じゃない!」

「痛ってぇ……ご、ごめんマキ、怪我はないか?」

「私は大丈夫だけどたかすみ君は? なんか顔面から廊下に突っ込んだ気がしたけど」

「……な、なんとか、受け身は取れたよ」


 体を起こしながら痛む腕に顔をしかめた。


「もう、気をつけてよね」


 とおは腰に手を当てて、やんちゃな子どもを叱るように、


「思わず身体強化マスクルを使っちゃったじゃない。校内でじゅつを使ったら反省文なのよ」

「わりぃ、急いでたからついな……」


 謝りながらも、上柳は驚きを隠せなかった。


 身体強化マスクル

 得手不得手はあれどカイじゅつならば誰もが使える基本技だ。じゅつ発動のプロセスを応用した意図的な身体能力の上昇。映画のアクションシーンをワイヤーやトランポリンといった補助器具なしで実行できるようになると思えばいい。


 太平洋に浮かぶ島を改造して数十年前に設立された『界術師教育専門機関ラクニル』。

 この学園の目的は、戦闘用の界術師を育成する事ではない。将来的に一般人と共に社会で生活していく為に、心が未熟な界術師の少年少女に対しての制御法と倫理観を教え込む事にある。よって、生徒の大部分は界術師として実戦を経験しないまま卒業していくのだ。


 その為、界力術の授業とはそのほとんどを座学が占める。

 中等部までの学習指導要綱では、実技はあっても座学の延長でしかない。実戦的な指導は一切行われず、当然のように全学年を通して模擬戦は禁止されていた。


「(すごいな、マキは今のを咄嗟に躱すのか)」


 空から降ってくる人を躱そうと体が動く前に、咄嗟の判断で身体強化マスクルを発動させる。こんな芸当ができる生徒は多くないはずだ。何か特別な訓練を積んでいるとしか思えなかった。


 遠江は首を捻りながら、呆れた混じりの口調で、


「それで、なんであんなに慌ててたの?」

しゅんを探してるんだ。マキはどっかで見なかったか?」

「森下君? 見てないけど……また彼が何かしたの?」

「かもしれない。それをこれから確かめに行くんだ」

「……はぁ、まったく」


 額に手を当て、俯きつつ溜息をついた。


「さっき霧沢君とは話してみたんだけどさ、どうして二人とも初日くらい大人しくできないのかしら?」

「霧沢……については知らないけど、瞬の野郎は俺がなんとかする。まだ疑いがあるって段階だけど、あいつの可能性が高いのは確かなんだ」

「分かったわ。何か困った事があったら言ってね、力になるから」

「頼りにしてるよ。あとさ、明日のホームルームで学級委員を決めるだろ? マキ、立候補したらどうだ? マキよりも適任がいるとは思えないからな。そうすればホームルームが円滑に終わってくれそうだ」

「あら、嬉しい事を言ってくれるじゃない。うん、考えてみるわね」


 にこり、と嬉しそうな笑みを浮かべた。

 上機嫌の遠江と別れて上柳は教員用玄関から外に出る。そのままグラウンドの方へと校舎の壁に沿って走っていく。


 そして、ゴミ置き場で森下瞬を発見した。赤い手袋グローブ型の界力武装カイドアーツを埋めようとしているのか、哄笑しながらスコップで穴を掘っている。


「ふざけんなテメェら!! いい加減にしろよ!!」


 頭に血が上って視界が真っ赤に染まる。脇目も振らずにゴミ捨て場に踏み込んだ。

 森下と取り巻きの二人の生徒はゆっくりと頭を上げる。顔にはにたにたと神経を逆撫でるような嘲笑が貼り付いていた。


「来るのが早いよ、タカ。まだお前のオモチャを埋められてないじゃないか」

「瞬っ!」

「そう怒るなって、ちょっとしたジョークだよ、ジョーク」


 唇の両端を釣り上げてほくそ笑む森下が赤い手袋グローブを乱暴に地面に叩き付ける。そのままタバコの火でも消すみたいにぐりぐりと靴で擦った。


「その足をどかせ、クソ野郎っ!!」


 激昂した上柳が地面を蹴る。

 固く握った拳を振り上げ、森下の顔面へと放――ったはずが、勢いよく赤い残像を抜けただけだった。


 代わりに返ってきたのは、土手っ腹へ突き刺さる鋭い衝撃。


「がァ……っ!」


 腹を押さえて何度も咽せた。膝を地面に着いて、喉元まで迫り上がる吐き気に必死に耐える。


「……テメェ、身体強化マスクルは、校内で使用禁止だろうが……、卑怯だぞ……!」

「タカは勘違いしているよ。俺たちは界術師なんだ、なら界力術を使って何か問題があるかい? それに校則なんて分家の力を使えば破り放題だしねえ!」


 森下は勝ち誇ったように哄笑しながら全身から赤い界力光ラクスを迸らせた。薄暗かった地面や白い校舎の壁が血でも浴びせたみたいに赤く染め上げられる。


「(クソ、界力術勝負なら勝ち目はないのに……っ!)」


 界力術の基礎を創り上げた『始まりの八家』。

 中でも六家界術師連盟に属するたつおかあけみねてらじまなつごえとしもりかいどうの本家は界術師の世界において絶大な権力と発言力を有している。その力の一部を引き受けてるのが分家。分家になるための条件は血の繋がりと、本家に対する絶対の忠誠。本家ほどではないにしても、ラクニルにおいて『分家関係者』という存在はかなり強い意味を持っていた。


 一つは、その権力。

 ラクニルは界術師の学園だ。六家連盟も創設に関わっている為、本家や分家が使える権力が抜群に機能する。校則破り程度なら容易になかった事にできた。


 更にもう一つは、界術師としての純粋な戦闘力の高さ。

 将来的に界術師の代表としての活躍を期待されて、彼らは幼い頃から英才教育を受ける事になる。ラクニルの授業では扱われない戦闘訓練を経験することで力を付け、六家界術師連盟やしょうに務めるエリートへと成長していく。

 高等部に進学する頃になれば、その腕前は一般生徒とは比べ物にならないほど高くなる。空手の有段者に入門したばかりの素人が敵わないように、上柳ではエリートである森下に逆立ちをしても勝てない。


「確かこの手袋グローブはあれだったろ、大切な人からの借り物」

「……ッ!!」

「返しに行くんだろ、タカが『プロ界術師』になった時に。いいのかよ、このままじゃボロボロで使い物にならなくなるぜ!! お前が返すのはただの布切れになっちまうなあ!」

「ふざ、けるなあっ!!」


 あの手袋グローブ型の界力武装カイドアーツは上柳にとって命の次に大切な宝物。これ以上、乱雑に扱われるのは我慢できなかった。痛む体に鞭を打って立ち上がり、ふらつきながらも走り出す。

 無策に突っ込んでくる愚か者を見て、森下は獰猛に両目を見開いた。身体強化マスクルを使った一撃を放――


 ふっ、と。

 一陣の風が、吹き抜けた。


「……は?」


 おかしい、森下からの反撃がやってこない。

 恐る恐る目を開けてみる。


「楽しいか、一方的に上から弱者を踏みつけるのは……っ!」


 視界に飛び込んできたのは少年の背中だった。

 呆然とする上柳の脳裏に、一つの名前が浮かび上がる。


「……霧、沢?」

「悪いな、見てられなかったから割り込んじまった」


 身体強化マスクルを使った森下の拳を片手で受け止めながら、きりさわなおは肩越しにこちらを一瞥してきた。


「で、これはどういう状況?」

「見て分かんねぇかよ転入生、分家関係者の俺に逆らうアホに、社会の常識を教えてるんだよ」

「へえ、とてもそうには見えないけど」

「当たり前だ、テメェなんかに理解できるワケないだろ……っ!」


 毒を吐き捨てながら、森下は霧沢に掴まれた腕を乱暴に振り払う。取り巻きの二人に目配せして退路を断つように広がらせた。


「それで、世間知らずなテメェでも予想はできてるよな?」

「……何を?」

「お前がこれからどうなるかだよっ!!」


 途端、森下の全身から栓を抜いたように赤黒い界力光ラクスが迸った。取り巻きの二人も身体強化マスクルを発動したのか黄色と橙色の界力光ラクスを発している。


「(マズいマズいマズい!! このままじゃ霧沢がやられちまう!!)」


 森下の気勢に圧倒され、上柳は盛大に狼狽した。


「(これは俺のケンカなんだ、霧沢を巻き込む訳にはいかない! だけど……っ!)」


 かみやなぎたかすみではもりしたしゅんには勝てない。それはすでに証明されている。為す術がなく、ただただ唇を噛むことしかできない。


「……醜悪だな。ここまでとは思ってなかったよ」


 霧沢は涼しい顔で告げる。鋭利に細められた両目は凄然と森下に向けられていた。


「だけど安心した。これなら俺がラクニルに来た意味がある」

「……どういう、意味?」

「俺はさ、変えるために来たんだ……こういう界術師の腐った世界を! 手始めに、お前の腐り切った性根を叩き直してやるよ」

「そうかい……じゃあやってみろよ!!」


 逆上した森下が赤い残像と共に跳び上がった。取り巻きの二人も同時に霧沢へと襲い掛かる。


「(くそ、間に合わ――)」


 上柳は割り込むために動き出す。

 だが、一歩踏み出した所で止まった。


 必要がないと悟ったから。


 それはまるで、森を走り抜けるせいらん

 達人の斬撃のように鋭い旋風が、じめじめとした陰鬱な空気ごと吹き飛ばした。


 気付けば。

 きりさわなおの周りで森下と取り巻き二人が白目を剥いて倒れていた。


「――嘘、だろ……?」


 両目をぱちくりとさせて何度も倒れた三人を見直す。

 演舞のように流麗な反撃。その洗練された動きはとても普通の生徒のものには見えない。更に驚くべきことに霧沢は身体強化マスクルを発動していないのだ。相手は身体強化マスクルを使って攻撃力と防御力を底上げているのにも関わらず。

 

 つまり、それほどの速さと威力。

 英才教育を受けている森下を、赤子の手を捻るみたいに倒してしまえる程の強さ。


「(……なんなんだ、こいつは?)」


 極大の戸惑いに見舞われて動けない上柳には目もくれず、霧沢は氷雨みぞれよりも冷たい瞳で森下を見下ろしていた。


 ぞくり、と。

 上柳の背筋を冷たいモノが駆け抜ける。


 自分が睨まれている訳でもないのに、きりさわなおに恐怖を覚えたのだ。


 まるで冷酷な暗殺者にナイフの切っ先を突き付けられた気分。

 ついさっきまで同じ教室にいたはずなのに、自分と同じ高校生には見えなかった。生まれた国も、文化も、言葉も、価値観も、全てが自分とは別物だと感じてしまう。それほどまでに異質に思えたのだ。


 霧沢は森下から視線を逸らすと、足下に落ちた赤い手袋グローブを拾った。土埃を払い、それを上柳へと差し出す。


「これ、お前のなんだろ?」

「……あ、ああ」


 ぎこちない様子で赤い手袋を受け取る。しかし目の前で起きた出来事が衝撃的過ぎて事態を上手く飲み込めない。


「それが本当に大切なものなら二度と手放すべきじゃない。なくしたモノは絶対に返ってこないんだ」


 そう言い残すと、霧沢は背を向けてゴミ捨て場から出て行った。


「……きりさわなお


 一体、彼は何者なのだろうか。

 その細い背中が見えなくなるまで動く事ができなかった。

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