メソロジア~ブラック・ストーム~

夢科緋辻

第1章 入学編

第1話 最悪の幕開け

 入学式と始業式が終わり、今はどのクラスでも最初のホームルームが行われている時間。それは『界術師教育専門機関ラクニル』第一校区高等部の一年A組でも同じだった。

 

 担任教師に名前を呼ばれて、出席番号順に自己紹介が行われていく。

 名前を呼ばれ、少年は立ち上がった。


 中性的な容姿で、さらさらとした黒髪。線の細い顔立ちには幼さを滲ませているが、黒い瞳は海のような深さを感じさせる。周囲を見渡す視線は冷徹であり、その雰囲気はまるで洞窟の奥深くで燐光を放つ水晶のようだった。


「名前はきりさわなお。訳あって今年度から第一校区に転入する事になりました」


 冴え冴えとした静かな声で告げた霧沢直也は、ぐるりと教室内を見回す。


 ここにいる全員がカイじゅつと呼ばれる異能者だ。

 70年前にその存在が公になった。人間の知覚機能や機械など如何なる方法を使っても観測できなかったこの粒子状の物体に干渉し、超常の異能を意のままに繰り出せる人間である。また、彼らが使う異能の力はじゅつと総称された。


「……、」


 次の言葉を口にする事に、躊躇いを覚える。


 言ってしまえば最後、もう後には引き返せない。


 でも、逡巡は一瞬。

 決然とした表情を浮かべて、まるで宣戦布告でもするように言った。


使

 

 ピシィッ、と。

 穏やかだった空気が音を立てて軋む。


 あま――それは差別されるべき存在。

 常識のあるカイじゅつなら絶対に口にしない名前。


 途端、クラスメイトから向けられていた視線の質が変わる。

 歓迎の意が込められた暖かいものから、厄介者を睨み付ける針のようなものへ。ヒソヒソと小声を交わす者、露骨に眉を顰める者、中には舌打ちをする者までいた。


 居心地は最悪。

 向けられた悪意に気付きつつも、軽く挨拶をしてから何食わぬ顔で座った。

 

 慌てた様子の教師が取り繕った声でホームルームを進行する。だが次の生徒の自己紹介になっても、腫れ物を見るような視線は途切れなかった。


「(上等だよ。まずは、このクラスから変えてやる)」


 きりさわなおがラクニルに来たのは、じゅつを学ぶためではない。


 ある目的を達成する。

 そのためには、こんな所で躓いていられないのだ。


 瞳に意志の炎を灯しながら、毅然とした態度で前を見続けた。



      ×   ×   ×



 ホームルームが終わり、本日は解散となった。

 先ほどの自己紹介などすでに忘れられてしまったように教室内は喧噪に満ちている。スマホを片手に席の近いクラスメイトと連絡先の交換でもしているのだろう。だが、霧沢の周りだけは見えない壁でもあるみたいに静かだった。

 

 荷物をまとめて、そそくさと教室の出口へと向かう。


 廊下は生徒でごった返していた。クラスが分かれた友人と立ち話をしている生徒だ。連休中の観光地を想起させるような人混みに顔を曇らせつつも、熱気から逃げるように人垣の間をすり抜けていく。


 階段を降りると、今度は生徒玄関の方から騒然とした空気が流れてきた。

 今日から一週間は部活動の勧誘期間だ。ユニフォームを着た上級生をちらほらと見かける。運動部と思われる大声が校舎内まで響いてきていた。


 生徒玄関から出ると間違いなく面倒なことになる。

 そう確信して、下駄箱から靴を回収すると教員用の裏口から外に出た。


 四月上旬ともなれば季節は完全に春である。昼間は上着ブレザーが必要ないくらい暖かい日もあるが、それでも日陰に入るとまだまだ肌寒さを感じてしまう。


 校舎の裏口は、まさしく日陰と呼べる場所だった。

 活気に満ちた生徒玄関と比べたら天と地ほどの差があるせいで、春が来ても溶けずに残った堅雪を見るような寂しさを覚える。まるで自分みたいだな、と少し自虐的な気分になった。


 当初の予定通り、スマホを取り出して電話を掛けた。


『よぉ坊主、遅かったじゃねェか』


 電話に出たのはしゃがれた声の男性だった。


『どうだい、ラクニルで楽しい青春は謳歌できそうか?』

「なに言ってんだオッサン。そんな訳ないだろ」

『おめェまさか! 本当にあまの出身だって言ったのか!?』


 ろっカイじゅつれんめいと呼ばれる組織が存在する。


 界力術の基礎を創り上げた『始まりの八家』。

 その中で、たつおかあけみねてらじまなつごえとしもりかいどうの六家が資金と人員を出し合って運営する組織だ。法律上の区分は協会に当たる。行政的な実務は霞ヶ関に本部を置く『しょう』の仕事だが、界術師に関わる重要な決定を行うのは六家連盟という流れが長い歴史を経て出来上がっていた。


 残りの二家。

 あまちん西ぜいは見解の相違を理由に連盟から離反し、カイじゅつどうめいを独自で設立した。現在も六家連盟と対立を続けているが、過去には歴然とした戦力差を覆す為に暴力的な手段に出た事もあり、世間からは『過激な思想を持った危険なテロリスト集団』と認識されていた。それが現在の差別意識へと繋がっているのだ。


『……あれほど言ったじゃねェか、それだけはするなって。だってのにおめェって奴は』

「こんな所で逃げてたら俺はオッサンと同じ場所に行けない。回り道をするつもりはないよ」

『おめェは会った時からそうだ。頭が岩みてェに固い。勘違いしてるようならすぐに考え直せ。何事も正面からぶつかればいいって訳じゃねェんだ馬鹿野郎が。いいか、物事には順序ってモンがあってだな――』

「説教はいいよ。で、お願いしてた準備はどうなってる?」

『……滞りなく終わらせてやったよクソ坊主』


 電話の向こうの男は盛大に溜息を吐いてから、声音を引き締めた。


『俺を英雄視してもらうのは構わねェ、憧れてもらうってのは嬉しいからな。だが、全て同じ道筋を辿る必要はどこにもねェんだ。「裏」に堕ちた今となっちゃあ、堂々とお天道様てんとさまの下も歩けねェような体たらく……反面教師にしかなってやれねェよ』

「謙遜するなよ。俺はアンタがしてくれたことを忘れない。オッサンのことを正しいと思うから、尊敬しているから、同じ道を進みたいって思うんだ。オッサンと同じ場所に行かないと、俺は『目的』を達成できない」

『……そうかい』


 何か、言葉を飲み込む間があった。


『分かった、その覚悟があるならもう何も言わねェ。だがな、俺がおめェにしてやれるのはここまでだ。「あいつ」との約束はしっかり守ったからな。ここからはおめェ一人の力で進んでくれ』

「ああ、分かってる」

『あとな、おめェさん学校っつーもんに通うのは初めてだろ? ずっとあまの施設だったんだしよ』

「そうだけど……それが?」

『友達とか勉強とか部活とか、ちっとは歳相応の事も楽しんでおけ。おめェの代わりに死んじまった「奴ら」の分までな。それが生き残ったおめェの義務だ』


 ちくり、と。

 胸に疼痛が走った。


 それは決してなくなることのない心の痛み。

 脳裏にこびりついて離れない非情な記憶。


 口の中に広がった苦みを飲み込み、表情を引き締める。


「分かった、努力してみる……あと、オッサン」

『なんだ?』

「ありがとう、今まで世話になった。オッサンがいなかったら、今頃俺はどうなっていたから分からない。だから……その、感謝してる」

『……ったく、最後に殊勝なこと言うんじゃねェよクソッタレ。調子が狂うだろうが』


 ふっと、電話の向こうで男が笑った気がした。


『じゃあなクソ坊主。俺もおめェとの旅は楽しかったぜ。また本土こっちに帰ってきた時にでも会おう。そん時まで俺が生きてたらな』


 電話が切れる。


 その途端、心に隙間ができたような気分になった。

 親元を離れて独り立ちする若者はこんな心情になるのかもしれない。掛け替えのないものを手放した喪失感に胸が詰まる。それほどまでに『あの日々』を大切に感じていたのだろう。


「驚いた、随分と人間らしい表情もするのね」


 背後から近づいてきた女子生徒に声を掛けられた。


 尾行には気付いていたので、特に驚いた様子なく振り返る。

 セミロングの明るい茶髪と、女性にしては大きめの背丈。すぅと通るりょうと勝ち気な眉が彩る端正な顔には、大人っぽさと幼さが混じり合っていた。意志の強そうな瞳が印象的で、その輝きは暗闇を照らすかがりのように際立って見える。


 女子生徒は顔に険を浮かべていた。冷淡で突き放すような声音を聞けば、良い感情を抱いていない事はすぐに理解できる。


「……アンタは?」

とおよ。さっき自己紹介したじゃない」


 つまり、同じ一年A組ということだろう。


「貴方、一体どういうつもりなのよ?」


 針よりも鋭く尖った視線が真っ直ぐ注がれる。


あまの出身だって宣言したらみんなが不安がるって分からない? クラスの雰囲気を悪くしてる自覚はある? はっきり言って迷惑なんだけど」

「……、」

「そりゃ偏見を向けられて霧沢君が納得できないってのは理解できるし、同情だってする。私だってこういうのは嫌い。でも、だからってわざわざ宣言する必要はないじゃない。他にも隠している子は沢山いるのよ」


 天城家と鎮西家に対する差別意識は非常に強い。過去には二家との関係がばれてしまい、他校区への転校を余儀なくされた例も存在していた。


「遠江の言いたい事は分かる。だけど、宣言する理由はあるんだよ」


 眉間に深い谷を作った遠江と正面から向き合って、すっと表情を引き締める。


「あれはケジメなんだ。俺には目的があって、その為にはあの自己紹介が必要だった」

「呆れた、説明する気がないでしょ。そんな理由も言えない事に私達を巻き込んだっていうの? 本当にふざけてる」


 頭を抱えた遠江は、不機嫌そうに顔を伏せた。


「勘弁してよね、ただでさえクラスにもう一つ火種があるって言うのに……でも、まだアンタは会話が通じそうだからましか。――分かった、いくつかアドバイスをしてあげる。同類のよしみでね」

「……同類?」

「霧沢君。私はね、貴方にどんな背景があって、事情があって、目的があるのかは興味がないの。だけどそれは貴方が境界の向こう側にいる時だけ。こっち側に……私達の日常に『裏側』を持ち込んできたら見て見ぬ振りはできない」

「お前……っ!」


 裏側。

 同類とは、つまりそういうこと。


 とおも『訳アリ』という事だ。


「アドバイスはここから。目的を果たしたいのなら大人しくする事ね。空気に溶け込むのよ、そうすれば誰も貴方に関心を向けなくなる。学校ってそういう場所だから」

「……俺の事を、どこまで知っている?」

「さあ? でも、この学園に入り込んだ『裏側』はあなた一人だけじゃないわ。それだけは認識しておいた方が長生きできるわよ」


 どうやら、こちらの言葉には耳を貸す気はないらしい。

 

 ただの生徒でないことは明らか。

 どのような『裏側』を経験し、まで潜っているのかは不明だが。

 

 深入りするべきではない。

 対立するにも、情報がない現状では大人しくするのが最善か。


 降参の意を込めて軽く両手を挙げて、ひらひらを振ってやる。


「オーケー、理解した。安心してくれ、君の日常に裏側を持ち込む気はないから。それだけは約束する。俺だってそれは本意じゃないしさ」

「理解が早くてよろしい。で、もしその約束を破った時は……」


 にっっっこり、と。

 ライトブラウンの長髪を揺らしながら、その端正な顔を柔らかく緩めた。


「私、絶対に許さないから」

「……肝に銘じておくよ」


 笑顔が怖い女には逆らわない方がいい。

 それは短い人生の中で得た教訓だった。


「じゃあね、お互いに楽しい学校生活を送りましょう」


 皮肉たっぷりに告げると、遠江はスタスタと満足げに歩き去っていった。


「……オッサン、楽しい学園生活はちょっと難しいかもしれないぜ」


 界術師としてなら生徒に負ける事は有り得ない。そう言い切れるだけの死線を潜り抜けている。


 だが、普通の生徒としては素人。


 ここは血の匂いもしないし、悲鳴だって聞こえてこない。死に怯える必要もなければ、誰かの命を奪う苦悩とも無縁の場所だ。友達ができるか、授業についていけるか、楽しい学園生活を送れるか。まさか自分がこんな事で悩む日が来るなど夢にも思わなかった。


 ふわり、とまだ冷たい春の風が頬を撫でる。

 先の見えない不安を感じると同時に、これからの新生活に希望を抱いている自分を認識して、思わず頬が緩んでしまった。


 いつまでもここにいても仕方がない。

 霧沢は校舎の壁に沿って歩いて校門を目指す。


 不意に。

 物陰から笑い声が聞こえてきた。


 気持ちの良い笑いではなく、嘲笑のような響き。


 物音を立てないよう気を付けながら近づいて、校舎の陰に身を潜めた。草の茂みも重なっている為、背後も含めた完全な死角だ。かなり近づかれても気付かれないだろう。


 顔だけ出して、様子を確認してみる。


 校舎裏の一角で、高い塀と校舎の壁に挟まれた薄暗い空間。元々はゴミ捨て場なのだろうか。古くさい物置には曜日と捨てるゴミが書かれた表が貼ってある。用事がなければ率先して来たい場所ではなかった。


「タカのやつ、今頃どんな顔をしてるかなぁ」

「絶望してるんじゃないですかね。しゅんさんのやる事はエゲツないですし」

「おいおい、人を極悪非道みたいに言わないでくれよ。俺は物分かりの悪いタカに教育をしてあげているだけなんだからさあ!」


 こうしょうを響かせているのは、三人の男子生徒。

 どうやらスコップで地面を掘って穴の中に何かを埋めているらしい。穴の中で土を被っているのは赤い革製の手袋グローブか。会話の内容から察するに誰かの持ち物を隠そうとしているのだろう。


「(……あれは)」


 三人の男子生徒の内、一人だけハッキリと自己紹介の記憶が残っていた。

 細身で小柄な少年。短めに揃えられた茶髪で、制服はわざと着崩されている。常に何かを睨んでいるような細い目付きは少年の粗野な印象を助長していた。


 名前はもりしたしゅん

『始まりの八家』の一つであるかいどうの分家関係者だ。


 他二名の記憶はないが、おそらく森下の取り巻きだろう。ご機嫌取りと言った方が正確かもしれない。分家関係者の権力のおこぼれを貰うだけの最低な人種。界術師の唾棄すべき風習の一つだ。


「……どう考えても、褒められるようなことをしてるって感じじゃないか」


 先ほどとおはクラスに火種がもう一つあると言っていた。もしかしたら、もりしたしゅんがそのもう一つなのかもしれない。


 ここで成果を打ち立てて、評価を上げておくのも悪くない。

 そう考えて、森下達を注意する為に物陰から出ようとした――その時だった。


「ふざけんなテメェら!! いい加減にしろよ!!」


 一人の男子生徒が息を切らして走り込んで来た。

 手を止めた森下達が、苛立ちを隠さずに振り返る。


 一触即発の空気が、その場を支配した。

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